『監視塔』②
「一つお話をしてあげよう」
父親—ハウリーが仕事から帰ってきて息子たちと一緒に寝床に着いた時の決まり文句だ。そしてそれは新たな物語に飢えた彼らが何よりも楽しみにしている言葉だった。
彼は息子たちにいろいろな話をしてくれた。果物の中から生まれた男の子の話、息子を守るために泡になった人魚の話、はたまた悪の組織から人々を守るために仮面をかぶって戦う戦士の話—。
中でも彼が興味を強く惹かれたのは「マメノキの話」だった。主人公の名前が彼と同じジャックであったからだろうか。
―昔々、お母さんにお使いを頼まれたジャックという男の子が高く伸びるというマメノキの種を手に入れました。彼がそれを庭にまくと、太いマメノキはずーっとはるか上まで伸びていきました。
ジャックがマメノキを登っていくと、たどり着いたのは人食い巨人の国でした。彼は巨人の家からいろいろな珍しい宝物を持って帰りました。金のめんどり、不思議な力を持った薬草、美しい音が鳴るハープなどなど。それらを持ち帰ろうと思ってマメノキに足をかけた瞬間、怒りに怒った巨人が追いかけてきました。ジャックは必死で地上まで逃げましたが、巨人もマメノキを伝って降りてきます。そこでジャックはいいことを思いつきました。大きな斧を持ってきて、マメノキを伐り倒してしまったのです。巨人は落ちて、頭を強く打って死んでしまいました。
ジャックは持って帰ってきた宝物で、お母さんとずっと幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
父親の、特に巨人から逃げる時の語りは真に迫っていたから、兄弟二人は手に汗握って話の行方を聞いていた。
マメノキから落ちた巨人が死んでしまうと、
「ちょっとかわいそうだね…」弟のジョンは少し悲しそうな顔をした。
「かわいそうなもんか。人食い巨人だぞ。あのまま降りてきたら、皆食べられるんだ。皆をまもったんだぞ。僕ももし巨人が降りてきたら、すぐに切りたおしてやる」ジャックは反論した。
ハウリーはそんな二人を微笑みながら見ていたが、やがてこう口にした。
「ジョンは優しいね。そして、ジャックはとても勇敢だ」一人ずつ頭をなでる。その視線と言葉は、ゆっくりと注がれる如雨露の水のように、穏やかでいつくしみに満ちていた。
「だから、ジョンは町の人々に優しくして、ジャックはみんなを守ってやるんだぞ」
「でも、みんな僕たちと遊んでくれないんだ」ジャックは不満を口にした。
「優しいけれど、みんなニコニコしているだけ」ジョンも同調する。
ハウリーは困ったように笑って言った。
「それはそのうち―時間がたてば必ず解決する。でも、そのために一つ大事なことがあるんだ」
「一つのこと?」
「いいかい、人はみんなが助け合って生きているんだ。君達を助けてくれるのは『ぎょろぎょろさん』だけじゃない。それを忘れなければ大丈夫だ、お父さんがいなくてもね。約束するよ」
兄弟が満足し、ジョンがうとうとし始めたのを見届けると、ハウリーは隣室に引っ込んだ。
「さぁさぁ、あまり遅くまで起きてると、巨人にさらわれちゃうぞ」
と、子供を寝かしつける時のお決まりみたいな文句を残して。
寝床の中、眠そうな声で弟がこういった。
「お兄ちゃん、もしさっきのお話に出てきた宝物が一つだけ手に入るとしたら、何がいい?」
ジャックはしばらく考え込んだが、どれも今の生活には役立ちそうになかった。
―金の卵がなんの役に立つだろう?薬草も必要ない。薬はすべて『ぎょろぎょろさん』が送ってくれる。ハープは…置く場所がないし、聞かせるべき人も弟のほかには居ない。
「ジョンは何が欲しい?」
時間を稼ぐ意味も込めて、ジャックは弟に尋ねた。弟はあくび交じりの声で答えた。
「めんどり…目玉焼きが毎日食べられるんだよ…」
ジャックは思わず噴き出した。実に弟らしかった。彼は目玉焼きが大好きだったが、『ぎょろぎょろさん』から送られてくる卵の数には限りがあった。
「金の卵なんて食べられるかわかんないよ」
ジャックは笑いながら答えたが、弟の返答はすやすやとした寝息だった。
「おやすみ」
兄は弟に言った。
天井を見つめながらしばらく考えていた。弟の言うとおり、金のめんどりが一番いいだろうか。特にいいことはないかもしれないが、悪いことはないだろう。
―そうだ、お父さんならなんて答えるだろうか。まだ起きているはずだ。
隣室のドアを開け、ぼんやりとした明かりの中、彼が普段向かっている机にジャックは父親の姿を探した。そこには彼の姿は見えない。ふと気配を感じて振り向くと、黒い影が彼の視界に現れて、ジャックはびくっと体を強張らせた。
ハウリーは窓から外を眺めていた。正確に言うなら、外を向いて立っていた。
「お父さん」返事はない。
ジャックは父親の顔を覗き込んだ。唇を固く引き結び、いつも穏やかな視線を注いでくれる眼は瞬きすることもなく開き切っていて、瞳は真っ黒い穴に見えた。そしてその穴は、居住区中心部の『ぎょろぎょろさん』に向けられていた。
それは視線と呼ぶにはあまりにも意識にかけていた。何かが外側を覗き込むために開けたもののようにも見えた。
「なに、見てるの?」
彼はかすかな電流が奔ったようにぴくりと震えて、ジャックの方を見た。
「どうした、ジャック?眠れないのか」
彼の先ほどのような真っ黒なのぞき穴のような瞳には光が宿っている。いつもの父親だ。安心したジャックは、父親に気取られぬようゆっくりと深呼吸をして尋ねた。
「さっきのお話、宝物が一つ手に入るなら、何が欲しい?ジョンはめんどりが欲しいって」
ハウリーは少し考えこんで、我が子の頭をなでながらこう言った。
「何もいらないよ、ジャックとジョンが―君たちがいてくれさえすれば」
「えー、それじゃつまらないよ」
軽く頬を膨らませるジャックを見て、ハウリーは笑った。
「それでいいんだ。巨人の国の物なんて何一つ要らない」
「そっか。でも―」
「ん?」
ハウリーは何かを言いかけたジャックに聞き返した。
「何でもない。そうそう、僕は欲しいもの思いついたよ」
「なにがほしいんだ、ジャック?」
ハウリーが尋ねる。
「斧が欲しいんだ。みんなを守るための。巨人だってやっつけられるぐらいの、大きくて強い斧が」
「—あれなら、巨人の国の物じゃないからいいでしょ?」
ハウリーは意表を突かれたようにきょとんとすると、息子を強く抱き寄せた。何事かと見上げるジャックの頬に、冷たいものが落ちてきた。失われた暖かさの履歴が残っているような、不思議な冷たさだった。
「泣いてるの?」
「まさか。嬉しいのに、泣いたりなんてしない」
父親は息子をしばらくの間抱きしめた後、寝床に戻るよう促した。ジャックは素直に従うことにした。
「おやすみ、お父さん」
「ああ、おやすみ。ジャック」
ジャックが部屋を後にするときちらりとハウリーの方を振り返ると、彼はまた窓の外を見ていた。窓枠に重なる黒い影。その背中にもう一度声をかけようかとも考えたが、ジャックはそうしなかった。
『あまり遅くまで起きていると、巨人にさらわれちゃうぞ』
先刻、言いかけてやめた言葉を頭の中で反芻した。
―でも、お父さんの部屋でお父さんを見つけたとき、お父さんが巨人に見えたよ。
もちろん見間違いだ。お父さんは僕とジョンにとてもやさしくて、町を守る立派な木こりで、面白いお話をたくさんしてくれる大好きなお父さんだ。人食いの恐ろしい巨人なわけがない。
―そうだ。『ぎょろぎょろさん』なら、ジョンの投げかけた質問になんて答えるだろうか。
ジャックは『機能』を使って話しかけた。
『さっきの話、聞いてたでしょ?『ぎょろぎょろさん』は何が欲しい?ジョンはめんどりが―』
『▼—あさん』
『聞こえなかった。もう一度言ってよ』
『識別名:ジャックへの返答▼『もう一度』の意図を理解できません。先ほどの質問への答えであれば▼ありません。願望というものは持ち合わせていません。』
『嘘だ、なんて言ったの?』
『———』
『ねえ、『ぎょろぎょろさん』』
『———』
『けち』
『———』
『もういいよ、お休み、『ぎょろぎょろさん』』
『識別名:ジャックへの返答▼はい、おやすみなさい。良い夢を。』
『ぎょろぎょろさん』は嘘をつかない。
『ぎょろぎょろさん』はなんでも知っている。
窓の外の『監視塔』は、変わらず街を見下ろしている。




