『監視塔』
その日は、少年の6歳の誕生日だった。彼は父親に連れられて、『ぎょろぎょろさん』の真下に来ていた。
人類に残された最後の生存圏、地下都市『植木鉢』。その内部にすり鉢状に形成された半径80キロほどの広さを持つ北居住区。
その中心部に、『ぎょろぎょろさん』はいた。
真っ黒で根元から上の方に向かって反り返っている滑らかな幹、その表面にはぎょろりと光り輝く巨大な眼球のような模様が上部から並んでいる。それらは一見すると静止しているように見えるほどの一定かつ緩慢とした速度で動いており、時折実際の眼球のように瞬きさえした。
どこか居住区の規則的に立ち並んだ棟々を睥睨しているようでもあるそれは、好むと好まざるとにかかわらず居住区のどこにいても目に入った。
『監視塔』のふもとに、何かのついでのように併設された医療施設には、少年と同じような年頃の子供が集められていた。少年は手をつないでいる父親に尋ねた。
「ここで何するの?」
父親は答えず、ただ微笑み
「行っておいで」と促した。
白衣を着た医者が、白い杭のようなものを少年のうなじにチクリと注射した。
痛みに驚く間もなく、『声』が頭の中に現れた。
『識別名:ジャックへ▼初めまして。私は『監視塔』です。『植木鉢』内でのあなたの生活をサポートいたします。どうぞよろしくお願いいたします。』
『監視塔』は、男性とも女性ともつかぬ声を少年—ジャックの脳内に響かせた。
『はじめまして…。うぉっちたわー、っていうなまえなの?』
『▼『監視塔』は便宜上の—もう一つの名前です。どのように呼んでいただいても構いません』
『そうなんだ。どこから話しかけてるの?』
『▼居住区中央の黒い塔が私といって差し支えありません。』
ジャックにはあまりにもなじみ深い存在だった。
『あ、『ぎょろぎょろさん』のことか!』
『▼『ぎょろぎょろさん』を私への呼称と判断します。ご自由にお呼びください』
うなじに注射を施した医者は『監視塔』との会話機能に障害がないか質問し、問題がないこと確認すると、黙って出口を指さして、次の子供の注射にとりかかった。
「『ぎょろぎょろさん』とお話しできるようになったよ!」嬉しそうに報告するジャックに、
「そうか」とだけつぶやいた。表情は見えなかった。そして、
「いいか、ジャック。これだけは覚えておきなさい」と、念を押すように言った。
「『監視塔』ー『ぎょろぎょろさん』は何でも知っているんだ。いうことをよく聞くんだよ」
北居住区での弟と二人で暮らす生活は彼が物心つくまえから続いていた。
父親が帰ってくるのは週に多くても二回くらいだったし、一回も帰ってこない時もあった。
ある夜中、なかなか寝付けないジャックは、隣で安らかな寝息を立てている弟を少しうらやみながら、彼は頭の中の『機能』を使って尋ねた。
「ねえ『ぎょろぎょろさん』、何でお父さんはずっと帰ってこないの?」
―『ぎょろぎょろさん』はなんでも知っている。
父親の言葉通り、『ぎょろぎょろさん』は、いろんなことを答えてくれた。
『識別名:ジャックへの返答▼それはあなたの父親の仕事が長い時間を要するからです。あなたの父親は『伐採者』です。彼は外の世界で樹を伐って、我々の生活の糧を持ってくるとともに、あなた方が居住する『植木鉢』への『漂白樹』の侵攻を防いでいます。なぜなら、それがあなたの父親の『命題』だからです。』
「木こりってこと?」
彼は尋ねた。お父さんがいつか聞かせてくれたお話の中に、樹を伐ることを仕事にする人がいたっけ。
『識別名:ジャックへの返答▼その理解でおおむね合っています』
「そうなんだ、お父さんかっこいいね!」
『—』
『ぎょろぎょろさん』からの返答はなかった。『ぎょろぎょろさん』はたいていの質問には答えたが、おしゃべりの相手にはなってくれなかった。いつものことだが、無視されたようでつまらない。
むー、と彼は不満をあらわにするように膨れて、お返しとばかりに気になった単語の意味を矢継ぎ早に尋ねた。
「『ぎょろぎょろさん』、『めいだい』ってなに?あと、『ひょうはくじゅ』って?」
「識別名:ジャックへの返答①▼『命題』とは、各人それぞれに定められた生き方のことです。▼▼例示:あなたの父親、識別名:ハウリーの命題は『漂白樹の伐採及び資源の確保』です。そしてあなたとあなたの弟、識別名:ジョンの命題は現時点で『伐採者の後継者であること』です。これら命題は、各人の適性を考慮し決められています」
『返答②▼『漂白樹』とは、他生物への攻撃性を有する人類の敵性体です。以下のような特徴がみられます。▼▼①:色素を持たず、森林のようなコロニー—以下『森』と呼称します―を展開する。▼▼②:『森』周辺及び内部の強力な電波妨害能力。内部では『機能』をはじめとするあらゆる通信機能及び電子機器が有線無線を問わずすべて使用不能になります。このために、人類は組織的な対抗策を取ることができず、この『植木鉢』内への退避を余儀なくされました。▼▼③原理は不明ですが、『森』の存在する区域では『実在性』が希薄になり、他者からの認識がなければ消失の恐れがあることが…』
『も、もういい。ありがと』
―なんだか知らない言葉がいっぱいだ。『ぎょろぎょろさん』はなんでこんなにいろんなことを知っているんだろう?そして、お父さんはなんと恐ろしいものを相手にしているのだろう。
『ぎょろぎょろさん』は、なんでも知っている。
ジャックはカーテンを開けて、『ぎょろぎょろさん』のいる方角を見た。
『ぎょろぎょろさん』はいつも通りその目玉のような模様を回転させながら、居住区を眺めている。規則性を持って移動する眼球の位置は、『植木鉢』の人々に大まかな時間を教えてくれた。
—今はおそらく、午前一時くらいだろうか。
彼は弟の隣にもぐりこんだ。まだ『機能』を導入していない弟はジャックの『ぎょろぎょろさん』とのやり取りを知る由もなく、すうすうと寝息を立てていた。
『ぎょろぎょろさん』がどのような仕組みで動いているのか―決してあの中に人間がいるというわけではなく、何か大きな機械のようなものだろうということは感づいていたが―ジャックは知らなかった。
母親がなく、父親がほとんど家にいない彼らにとって、実際の生活の手配やある程度の教育を施してくれているのも『ぎょろぎょろさん』だった。居住区の人々はみな優しかったけれど、あまり積極的にジャック達兄弟に関わろうとはしなかった。居住区の子供たちは、兄弟の姿を認めると、遊びの仲間に入れてほしいという前に蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。彼らを疎んでのことではない。それは彼らの表情から容易に読み取れた。磁石の同じ極同士が反発していくように、ごく当然とも呼べるくらいの自然な行動だった。
だから直接おしゃべりができなかったとしても、幼い兄弟にとっては、他の居住区の人々よりもよほど彼らに身近な存在だった。
寂しいとは思わなかった。父親が帰ってこないことの方が、兄弟にとってはよほど寂しいことだったから。兄弟は、お互いに支えあうようにして日々の生活を送った。居住区での生活に楽しみを見出せない彼らにとって、『木こり』となって外の世界へ踏み出したいと思うのはごく自然なことだった。ジャックは『ぎょろぎょろさん』による教育を受ける合間に、『機能』を通じて物語を読んだ。数は少なかったが、この地下世界にあっては、自らの想像力が最も刺激的な娯楽であった。『機能』を持たない弟には、物語を読み聞かせてやった。
『機能』を脳に施してから1カ月が経過したころ、ジャックはめまいと吐き気に襲われた。それほど強いものではなかったが、何かが頭の中に流れ込んでいる。
『~~|0(()!!』
『LP+{}*?_}}~~~~~~~~!』
唸り声とも、ささやきともつかぬ声。
強い不安に襲われた彼はすがるように『ぎょろぎょろさん』に尋ねた。
『これ何?すごく気持ちが悪いんだ。怖いよ、こんなの初めて』
『識別名:ジャックへの返答▼『共振波』と推測されます。『機能』は『植木鉢』内の6歳以上の人間が『監視塔』に接続し、機能の一端を担うことによって運用されています。そのため、接続する人間の細かな感情のぶれが大きくなると『機能』を逆流し、揺り戻しを与え自律神経を乱します。この症状は一定時間が経過すると改善されます。』
『よくわかんないけど…とりあえず我慢ってことね...』
『▼その通りです。抑制薬を処方することもできますが、副作用が大きいため推奨いたしかねます』
生まれて初めてのひどい経験だったが、1年もたつとそれほど悪いものではないように感じるようになった。なぜなら、『共振波』が来た後にはほぼ必ず、父親が帰ってきたからだ。
6歳の少年は、めまいと吐き気、そして『声のようなもの』がやってくるのを心待ちにすらした。
父親がドアを開く音と交換するために。
▼▼▼
「一つお話をしてあげよう」
父親—ハウリーが仕事から帰ってきて息子たちと一緒に寝床に着いた時の決まり文句だ。そしてそれは新たな物語に飢えた彼らが何よりも楽しみにしている言葉だった。
彼は息子たちにいろいろな話をしてくれた。果物の中から生まれた男の子の話、息子を守るために泡になった人魚の話、はたまた悪の組織から人々を守るために仮面をかぶって戦う戦士の話—。
中でも彼が興味を強く惹かれたのは「マメノキの話」だった。主人公の名前が彼と同じジャックであったからだろうか。
―昔々、お母さんにお使いを頼まれたジャックという男の子が高く伸びるというマメノキの種を手に入れました。彼がそれを庭にまくと、太いマメノキはずーっとはるか上まで伸びていきました。
ジャックがマメノキを登っていくと、たどり着いたのは人食い巨人の国でした。彼は巨人の家からいろいろな珍しい宝物を持って帰りました。金のめんどり、不思議な力を持った薬草、美しい音が鳴るハープなどなど。それらを持ち帰ろうと思ってマメノキに足をかけた瞬間、怒りに怒った巨人が追いかけてきました。ジャックは必死で地上まで逃げましたが、巨人もマメノキを伝って降りてきます。そこでジャックはいいことを思いつきました。大きな斧を持ってきて、マメノキを伐り倒してしまったのです。巨人は落ちて、頭を強く打って死んでしまいました。
ジャックは持って帰ってきた宝物で、お母さんとずっと幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
父親の、特に巨人から逃げる時の語りは真に迫っていたから、兄弟二人は手に汗握って話の行方を聞いていた。
マメノキから落ちた巨人が死んでしまうと、
「ちょっとかわいそうだね…」弟のジョンは少し悲しそうな顔をした。
「かわいそうなもんか。人食い巨人だぞ。あのまま降りてきたら、皆食べられるんだ。皆をまもったんだぞ。僕ももし巨人が降りてきたら、すぐに切りたおしてやる」ジャックは反論した。
ハウリーはそんな二人を微笑みながら見ていたが、やがてこう口にした。
「ジョンは優しいね。そして、ジャックはとても勇敢だ」一人ずつ頭をなでる。その視線と言葉は、ゆっくりと注がれる如雨露の水のように、穏やかでいつくしみに満ちていた。
「だから、ジョンは町の人々に優しくして、ジャックはみんなを守ってやるんだぞ」
「でも、みんな僕たちと遊んでくれないんだ」ジャックは不満を口にした。
「優しいけれど、みんなニコニコしているだけ」ジョンも同調する。
ハウリーは困ったように笑って言った。
「それはそのうち―時間がたてば必ず解決する。でも、そのために一つ大事なことがあるんだ」
「一つのこと?」
「いいかい、人はみんなが助け合って生きているんだ。君達を助けてくれるのは『ぎょろぎょろさん』だけじゃない。それを忘れなければ大丈夫だ、お父さんがいなくてもね。約束するよ」
兄弟が満足し、ジョンがうとうとし始めたのを見届けると、ハウリーは隣室に引っ込んだ。
「さぁさぁ、あまり遅くまで起きてると、巨人にさらわれちゃうぞ」
と、子供を寝かしつける時のお決まりみたいな文句を残して。
寝床の中、眠そうな声で弟がこういった。
「お兄ちゃん、もしさっきのお話に出てきた宝物が一つだけ手に入るとしたら、何がいい?」
ジャックはしばらく考え込んだが、どれも今の生活には役立ちそうになかった。
―金の卵がなんの役に立つだろう?薬草も必要ない。薬はすべて『ぎょろぎょろさん』が送ってくれる。ハープは…置く場所がないし、聞かせるべき人も弟のほかには居ない。
「ジョンは何が欲しい?」
時間を稼ぐ意味も込めて、ジャックは弟に尋ねた。弟はあくび交じりの声で答えた。
「めんどり…目玉焼きが毎日食べられるんだよ…」
ジャックは思わず噴き出した。実に弟らしかった。彼は目玉焼きが大好きだったが、『ぎょろぎょろさん』から送られてくる卵の数には限りがあった。
「金の卵なんて食べられるかわかんないよ」
ジャックは笑いながら答えたが、弟の返答はすやすやとした寝息だった。
「おやすみ」
兄は弟に言った。
天井を見つめながらしばらく考えていた。弟の言うとおり、金のめんどりが一番いいだろうか。特にいいことはないかもしれないが、悪いことはないだろう。
―そうだ、お父さんならなんて答えるだろうか。まだ起きているはずだ。
隣室のドアを開け、ぼんやりとした明かりの中、彼が普段向かっている机にジャックは父親の姿を探した。そこには彼の姿は見えない。ふと気配を感じて振り向くと、黒い影が彼の視界に現れて、ジャックはびくっと体を強張らせた。
ハウリーは窓から外を眺めていた。正確に言うなら、外を向いて立っていた。
「お父さん」返事はない。
ジャックは父親の顔を覗き込んだ。唇を固く引き結び、いつも穏やかな視線を注いでくれる眼は瞬きすることもなく開き切っていて、瞳は真っ黒い穴に見えた。そしてその穴は、居住区中心部の『ぎょろぎょろさん』に向けられていた。
それは視線と呼ぶにはあまりにも意識にかけていた。何かが外側を覗き込むために開けたもののようにも見えた。
「なに、見てるの?」
彼はかすかな電流が奔ったようにぴくりと震えて、ジャックの方を見た。
「どうした、ジャック?眠れないのか」
彼の先ほどのような真っ黒なのぞき穴のような瞳には光が宿っている。いつもの父親だ。安心したジャックは、父親に気取られぬようゆっくりと深呼吸をして尋ねた。
「さっきのお話、宝物が一つ手に入るなら、何が欲しい?ジョンはめんどりが欲しいって」
ハウリーは少し考えこんで、我が子の頭をなでながらこう言った。
「何もいらないよ、ジャックとジョンが―君たちがいてくれさえすれば」
「えー、それじゃつまらないよ」
軽く頬を膨らませるジャックを見て、ハウリーは笑った。
「それでいいんだ。巨人の国の物なんて何一つ要らない」
「そっか。でも―」
「ん?」
ハウリーは何かを言いかけたジャックに聞き返した。
「何でもない。そうそう、僕は欲しいもの思いついたよ」
「なにがほしいんだ、ジャック?」
ハウリーが尋ねる。
「斧が欲しいんだ。みんなを守るための。巨人だってやっつけられるぐらいの、大きくて強い斧が」
「—あれなら、巨人の国の物じゃないからいいでしょ?」
ハウリーは意表を突かれたようにきょとんとすると、息子を強く抱き寄せた。何事かと見上げるジャックの頬に、冷たいものが落ちてきた。失われた暖かさの履歴が残っているような、不思議な冷たさだった。
「泣いてるの?」
「まさか。嬉しいのに、泣いたりなんてしない」
父親は息子をしばらくの間抱きしめた後、寝床に戻るよう促した。ジャックは素直に従うことにした。
「おやすみ、お父さん」
「ああ、おやすみ。ジャック」
ジャックが部屋を後にするときちらりとハウリーの方を振り返ると、彼はまた窓の外を見ていた。窓枠に重なる黒い影。その背中にもう一度声をかけようかとも考えたが、ジャックはそうしなかった。
『あまり遅くまで起きていると、巨人にさらわれちゃうぞ』
先刻、言いかけてやめた言葉を頭の中で反芻した。
―でも、お父さんの部屋でお父さんを見つけたとき、お父さんが巨人に見えたよ。
もちろん見間違いだ。お父さんは僕とジョンにとてもやさしくて、町を守る立派な木こりで、面白いお話をたくさんしてくれる大好きなお父さんだ。人食いの恐ろしい巨人なわけがない。
―そうだ。『ぎょろぎょろさん』なら、ジョンの投げかけた質問になんて答えるだろうか。
ジャックは『機能』を使って話しかけた。
『さっきの話、聞いてたでしょ?『ぎょろぎょろさん』は何が欲しい?ジョンはめんどりが―』
『▼—うさん』
『聞こえなかった。もう一度言ってよ』
『識別名:ジャックへの返答▼『もう一度』の意図を理解できません。先ほどの質問への答えであれば▼ありません。願望というものは持ち合わせていません。』
『嘘だ、なんて言ったの?』
『———』
『ねえ、『ぎょろぎょろさん』』
『———』
『けち』
『———』
『もういいよ、お休み、『ぎょろぎょろさん』』
『識別名:ジャックへの返答▼はい、おやすみなさい。良い夢を。』
『ぎょろぎょろさん』は嘘をつかない。
『ぎょろぎょろさん』はなんでも知っている。
窓の外の『監視塔』は、変わらず街を見下ろしていた。
簡単な用語解説(用語:ルビ)
『監視塔:ウォッチタワー』:『植木鉢』の住人を管理する人工知能である巨大な塔。
『機能:きのう』:主に『監視塔』との交信の為『植木鉢』の住人に施される電脳化処置によってもたらされる機能の総称。『監視塔』との交信機能のほかにも、近距離であれば住人同士の言葉を介さないやり取りや映像の送信も可能。しかし、使用している者はあまり多くない。
『命題:めいだい』:『監視塔』が定めた各人の生き方、役割。『植木鉢』の住人はこれを絶対視している。
『伐採者:ランバージャック』:『漂白樹』の監視および伐採を任務とする者。
『共振波:メンタルノイズ』:『監視塔』を逆流した感情の波。神経の異常などを引き起こす。




