序章:張りぼての黄昏時
―残存人類数、残り2。最後の生存圏『植木鉢』すら、『漂白樹』が作り出す純白の森に埋め尽くされた。
ただ漠と広がる銀世界には、巨大な龍が二柱絡まりあったような、巨樹が倒れ伏している。ぱっくりと開いた荒々しい切り株の切り口には、倒れた幹が皮一枚でくっついている。その様は大口を開けて泣き叫ぶ、もしくは咆哮を上げる怪物のようだ。いや、事実声を上げていたのかもしれない。
純白の荒野には、もはや人が争うだけの理由が生まれる余地は残されていないように見える。それでも「彼ら」には戦う理由があった。
乾いた破裂音と青白い閃光に交じって、エンジンの駆動音、そして金属の激しい擦過音が雪原に響いては消えてゆく。
命を削りあっているのは相対する二名のみ。しかして、その雪原は間違いなく戦場だった。
白いカーテンのように静かに、しかし濃密に降りしきる雪を通して、第三者が彼らを視認することは難しい。地に落ちた無数の純銀の獣や虫たち。あるものは細かい刃で引き裂かれ、あるものは無残に焼け焦げ、そして皆等しく死骸として雪面に折り重なっていた。
誰も彼らを目にする者はいない。お互いを観測することのできるのは彼ら自身だけだ。
ごく一部の例外を除いては。
かたや巨大なチェーンソーを担いだ大男。表情を隠すマットブラックに塗装されたヘルメットとバイザー、そして防護服に、得物の攻撃的な外観が男の巨躯を更に威圧感あるものにしていた。
本来は人に仇なす『漂白樹』に向けられるべき『加害のイメージ』。それを結実させたのが、『浸透捕食型断神経性伐具』、すなわち男の持つチェーンソーである。
手中のチェーンソーは軌道上の分厚く鋭い刃を激しく走らせ、男の膂力なくしては相手を切り裂く欲動を抑えきれぬようであった。
樹木の伐採という本来の用途には過剰なほどの威力は、相対する痩躯の少年に凝と向けられていた。
大男を「力」とするなら、対峙する痩躯の少年はまさしく「威」だ。
白皙の肌の上には鮮やかな瑠璃色の生地に四角い渦巻の幾何学模様の描かれた和装をまとい、頭にはヘッドホンを付け、右耳には蒼玉のピアスが閃いている。
彼の切れ長の眼窩に収まる瞳は蒼玉の如き青に澄んでいた。
彼の手に握られている得物は二メートルに迫ろうかという柄を持ち、先端に鋭利な刃を設えてありながらも、槍や矛とは明らかに目的の違う丸みを帯びていた。
それは円匙である。本来は地を掘り返すための農具。しかし少年がそれを手にした姿は、眼前の大男を大きく上回る「威」を備えていた。少年が抱く深く熱い怒り、そして矜持がその源だった。
幾合とも続いた攻防はかすかな切れ間を見せる。一時の休戦でも、ましてや決着でもない。
互いの挙動を見極めるためのタイミングが奇跡的にかぶっただけの、紛れもなく偶然の産物だった。
男はチェーンソーを振るう手を止め、少年は円匙を地に向けたまま間合いの数ミリ外まで互いに後退する。先に口を開いたのは少年だった。
「どれだけボロボロになれば気が済むのですか」
淡々とした声には、そこはかとないいら立ちと呆れがにじみ出ている。
「あなたにはこう警告したはずです『あなたにこの世界での居場所はない』と。そうですね、ハウリー」
『ハウリー』と呼ばれた男のバイザーが上がる。浅黒い肌と、黒曜石のような深みを持った黒い瞳があらわになる。
彼は少年を真正面に見据え、まぶしそうに目を細めた。
「ああ、よく覚えているよ、青。それは間違いない。ようやく、僕にも意味が分かるようになってきた。確かに遅すぎる、あまりに時間がかかりすぎた。おかげであと一回が限度だ。だけどここに立つ理由を見つけることができたのは君のおかげだ」
上下漆黒の防護服と隆々とした体躯からは想像もできないほど穏やかな表情と語り口で、男は感謝を口にする。
『青』と呼ばれた少年は表情も声色も変えずに続ける。
「—『意味』ですか」
抑揚にかけた少年の言葉は無形の重さを持って、戦いにつかの間訪れた形だけの間断を支える細糸に容赦なく重さを加えて行くかのようだった。そしてそれが破断する未来が数十秒も先のことでないことは、少年と彼の言葉を一身に受ける大男にとって共通の事実だった。
男の持つチェーンソーは切っ先をわずかに上げ、少年は円匙を自身の後方に構えた。その穂先は少年の身体に隠れ、男からは見ることができない。
「この世界に『意味』なんてありません。少なくとも、彼女が幸せになれない世界などにはとても。僕にあるのは一つの『命題』だけ」
「『命題』、とても残酷な言葉だ。この世に生まれ落ちた瞬間に、僕たちはその言葉に縛られている。真か偽か、二者択一の癖に解法がある保証もない。君のその『命題』、定めたのは自身の意思か?それとも『監視塔』か? 」
「無論、私の意思です。そもそも、『監視塔』は何らかの意思判断を下すものではありません。私の『観測』の権能の副産物に過ぎないことは、あなたがよくご存じのはず」
「だとしたら、やっぱり君と僕のここに立つ『意味』は同じさ」
男は続ける。2+2と、1×4の答えが同じであると、算数の苦手な子供に言い聞かせるように。
「僕と君は同じ正義を持っている」
「正義?」
奔る少年の怒気を、男は認識した。目に映るでもないわずかな大気の震え、鼓膜を打つでもない円匙のうなりが、ぴりぴりとした皮膚感覚として男の脳に伝達される。
―来るか。
男はその巨体からは驚くべき速さでもって、チェーンソーを振りかぶり地面に突き立てる。無数の荒い歯は固くしまった雪原の深みを食い荒らし、巻き上げられた雪煙が大男を覆い隠した。
対して、少年の行動はごくわずかだった。
「『確定』」
唇のかすかな開閉。それ自体は攻撃ではない。男がチェーンソーを振りかぶるよりも早く、数瞬前に少年が円匙を後方に構えなおした段階で、すでに彼の攻撃は完了していたのだ。地面を浅くえぐった円匙は、あるべき大地の記憶を『堀り』返す。後はその事実を植えこむだけ。
エンターキーを押すよりも容易な行動だった。
青白い閃光と爆発がその場を支配する。
厚い雪雲に覆われているはずの天空から、落雷が男のシルエットへ向かって降り注いだのだ。
濃厚な肉の灼けるにおいが辺り一面に立ち込めた。チェーンソーと爆発が引き起こした土煙に未だ覆われる男のシルエットに向かって、少年は変わらず平坦な調子で語り掛ける。
「学習しませんね、ハウリー。あなたと私の初速には大きすぎる隔たりがあり……『参照』は既に完了しています」
円匙を上段に大きく振りかぶり、煙の向こうに浮かび上がるシルエットに向かってふりおろす。焼け焦げたその人型はどさりと両断された。その刹那に強烈な違和感が少年を襲ったのは、ひとえにその感触のせいであった。
袈裟がけに振り下ろした刃が通過しただろう場所にあるべき肉がない。あるべき骨がない。切り伏せた正体があらわになる。
少年の前に姿を現したのは人型というにはあまりにグロテスクなオブジェだった。
獣が折り重なるようにしがみつき胴体部分を、その上には鳥が止まり、頭部を形作る。仕上げには全体のシルエットの凹凸を整えるかのように、蝗が無数に張り付いていた。
何よりも特徴的なのは、その肉人形を構成する動物全てから、頭部が取り去られているという事実だった。それぞれのあるべき頭部の代わりにはそれに見合った大きさのハサミが取り付けられ、肉体を焼きこがしてなお、筋肉の痙攣に任せてぴくぴくと細かい開閉動作を繰り返していた。
思考が一瞬からめとられる。
少年の背後に、影が揺らめく。
鋸刃が少年の薄い胸から、にょきりと突き出した。青、白、黒の三色によってのみ構成されていた戦場に、鮮やかな赤が加えられる。少年の力が隔絶したものである事実は、それまで持ちこたえた男の実力を裏付けるものでもある。
少年の見せたかすかな動揺は『大きすぎる』隙に過ぎなかった。
「僕だって、多少は学習するさ」
その刃を少年の身体に突き立てたまま、男はチェーンソーのスターターロープを渾身の力で引いた。
漆黒のチェーンソーの原動機が躍動を始める。己の本領発揮に、文字通り身を震わせているのだ。
鎖鋸が、暴力の行使を開始する。
把手後部の吸気口へ周囲の雪が吸い込まれてゆき、そのたびにチェーンソーがずくん、と鼓動を打つように肥大化していく。
『漂白樹』を取り込み、捕食する。生存圏を奪われる一方だった人間が開発した、反撃の意思。憎き『漂白樹』への『加害のイメージ』は、今や目の前の少年に突き立てられている。
その勢いは周囲の積雪や落ちている純白の生物たちの死骸をも吸入し始めた。刃を走る歯の速度は吸い込んだ量に比例して極大化していき、大男はその勢いのまま少年の肩口まで刃を切り上げた。
刃が少年の身体を抜ける刹那、暴れ走る鋸刃の運動エネルギーが少年を上空へ放り投げる。
地上の男と、空中の少年の視線が交差した。
大量の失血によって視界が急速に狭まってゆく少年の目がとらえたのは、男の両腕であった。獣たちのオブジェを身代わりにしてなお避けきることのできなかった少年の一撃は、男の黒色の防護服を焼き切っていた。そこから覗く彼の両腕は、とても人間の物とはいいがたい異形であった。古びた白い蔓が無数に寄り集まり、偶然腕の形をとっているかのようだ。
一方、男が目にしたのは少年の唇のかすかな動きだった。
「『巨人の腕』」
―なぜ。
男は疑問を覚えた。『巨人の腕』という言葉の意味にではない。それが意味するところは、彼自身が最もよく知っている。
それは、彼がいまだかつて向けられたことのない表情を向けられたが故の困惑といってもよかった。
―なぜ哀れむんだ?
答えが出るよりも早く、少年の身体は湿った音ともに地に落ちる。少し遅れて、少年の円匙が傍らに深く突き刺さる。
男は困惑を胸中にひとまずしまい込み、物言わぬ肉塊となった彼の亡骸の傍らに立つと何事かつぶやいた。たちどころに、男の周囲には先ほどオブジェとなって男の身代わりとなったものと同じ、首無しの動物たちがわらわらと湧くように現れた。
あるものは飛び、あるものは駆け、あるものは地を這って。
馳せ参ずる手段は違えど、目的は少年の死体の解体ただ一つにあった。少年の肉を断ち、骨を刻むのを待ちかねるかのように、男と少年の死体の周りに円をなし、頭部の鋏をかちかちと鳴らしている。彼らが『待て』の姿勢でいるのは、ひとえに男の両腕によるものであった。
男はひざまずくと、少年の身体を異形の腕で貫き、つぶやく。
「登ってこい。高い、高い、マメノキを伝って…彼女をここから解放してくれるのは、お前の『怒り』だけだ」
思い詰めた表情の彼はふと思い出したように表情を緩め、こう続けた。
「頼んだよ、ジャック」
ジャックと呼ばれた何者かへ託す言葉は、異形の腕によって肉を裂き、骨を砕く音にかき消された。貫かれた少年の体が反射でぴくりと動く。
ふと、男はかすかな違和感を覚える。貫いた腕を、少年の身体が強く締め付けるようにとらえている。反射的な筋肉の痙攣運動ではない。『動かない』のは腕だけではなかった。男の足元は、冷え固まった溶岩様の物質に堅く固定されていたのである。物質は少年の傍らに突き刺さった円匙を起点として流れ出ているようであった。
—なるほど、『心臓』か。それはそうだ、君が持っておくのが一番安全だものな。
男は思わず口端に呆れた笑みを乗せた。
「僕のことしぶといって言ってくれたよな。君が言えたクチか?」
少年の瞼が見開かれ、男の皮肉めいた賛辞には応えないまま、自らを貫いている『腕』に目を向ける。
「その『腕』、敬意は払いませんが、その覚悟は認めます」
ゆらりと立ち上がる。
「しかし、あなたの覚悟を持ってなお余りあるほどの忌まわしさだ」
少年は『詰み』の代わりに宣告した。
「『確定』」
現象の予兆として、くしゃっ、と紙を力任せに握りつぶしたような音が響く。
空気が裂かれる、悲鳴にも似た音だ。
間を置かずして、轟雷が炸裂した。これまでの物とは比較にならないのは規模だけではない。その数であった。
まさにこの地球創造のおり、無数かつ間断なく大地に降り注いだであろう雷が再現されている。少年の『観測』した「雷が降り注いでいた」という「事実」に世界がつじつまを合わせたのだ。
光の柱とでも表現すべき大雷霆は、男と彼の周りに集合していた無数の『首無し』を、例外なく飲み込んでゆく。
男の身体は今度こそ消し炭の像となって、その場に静止した。しかし偉丈夫一人をチェーンソーや防護服ごと消し炭にした威力の落雷を食らってなお、少年が『巨人の腕』と称した一対の腕は、色形そのままに残った。肉体との接続部が炭化してもろくなり地に落ちた『巨人の腕』は雪に触れると、そのまま沈み込んでいった。
少年には、自身の最大火力である先ほどの大雷霆に耐えきった『腕』を破壊するすべはない。
少年の無力さをあざ笑うかのように雪の中にゆっくりと沈み消えてゆく様を、少年は視界の端で忌まわし気にねめつける。
少年はふと我に返り、つい先ほど自身が切り捨てた『首無し』たちによる身代わり人形の下へ歩み寄った。先ほどの余波こそ受けはしたが、直撃は免れたのか。正真正銘消し炭になった男やほかの動物たちとは違い、肉の灼けるにおいを漂わせ、切り裂かれた毛皮の下からはてらてらとした赤色をのぞかせていた。
男の脅威をその膂力や巨大なチェーンソーよりも強く印象付けるものこそ、この肉のオブジェである。
すでに大方の思考能力を取り去られた『首無し』であるとはいえ、紛れもない生物だ。それを一切の躊躇なく自身の身代わりにできる非情さと判断速度、そして『首無し』を『監視塔』のバックアップなしで使役したあの『腕』の存在。
穏やかな語り口と表情でもってぬけぬけと正義を口にする男の顔を思い出される。少年は彼の持つ覚悟への評価をそのまま、彼自身の危険性へと転用した。
―しかし、もうあの『木こり』、ハウリーが現れることはない。何人目かは知らないが、耐用回数は既に限界を迎えているはずだ。もっとも、『巨人の腕』までも持ち出してくるのは想定外ではあったが、それはむしろ彼が背水の陣を敷いたことの証左であるともいえた。
―ともあれ最大の障害は排除し、あとは少年の『命題』を果たすのみとなった。そしてそれは、もうすぐかなう。
突如として、雪雲が晴れた。その先に広がるのは青空ではなく、黄昏時の金色だ。雪原はその光をほぼ完ぺきに反射し、周囲を金一色に塗り替えた。
少年は気配を感じて振り返る。そこに立っているのは、一つの人影であった。小袖に白袴の巫女装束をまとい、左手の人差し指には黄石を設えた指輪が燦然と輝いている。その存在感の代償のように、人影からは頭部が欠けていた。
「久しぶり『黄』」
少年はヘッドホンを外し、人影に声をかけた。返事はない。そもそも少年の存在を認識しているのかも定かではない。少年は構わずに続ける。
「この狂気の世界から、私は必ず君を救って見せる。そのために―」
少年は『黄』と呼んだ人影に手を伸ばす。赤子が星に手を伸ばすように、一人の男が愛する人を求めるように、老人がかつてあった青春を懐かしむように。
「私は必ず、『計画:『ブレインシード』を完遂する』。それだけが『命題』だ」
少年が外したヘッドホンのイヤーパッドからはかすかに音楽が流れ出ている。
―いわばそれはただのハリボテの月、段ボールの海をゆらゆら渡る。
黄昏時が終わり、世界が暗転する。長い夜の間に、世界は生まれなおす。死に絶えた人類のうち、あるものは新たな箱庭に新たな生を受ける。可能性を模索するために。
―でも君が僕を信じてくれたら、作り物じゃなくなるんだ。
あるものは新たな樹となる。世界の礎となるために。白い森は沈黙の箱庭の中で地層のごとく幾重にも重なり、狂気の声を響かせ続ける。
ここまでは少年の目算通り。しかし、『木こり』は生まれ続ける。
簡単な用語解説(表記:ルビ)
『漂白樹:ひょうはくじゅ』:全生物に対し攻撃性を持つ敵性体。はるか昔に現れ、人類をほぼ絶滅に追いやったとされる。核となる『樹』を中心として、半径数キロ~数百キロの森のようなコロニーを展開する。『森』内部では優先無線問わずあらゆる電子機器が使用できず、人類は組織的な行動をとれないまま後述の『植木鉢』への退避を余儀なくされた。
『植木鉢:バイタルフレーム』:『漂白樹』から人間が退避してきた地下都市。
『浸透捕食型断神経性伐具:しんとうほしょくがただんしんけいせいばつぐ』:『植木鉢』内の特定の『命題』を持つものにのみ使用を許された武装。自身の『加害のイメージ』に則した武具を実体化させる。
『首無し:ヘッドレス』:『漂白樹』の「脳機能のない生物には攻撃しない」という性質から、頭部を取り去り様々なアタッチメントを取り付けた改造動物。生物種とアタッチメント、それぞれに様々な種類があり、得意分野が異なる。
例:『飛蝗:ローカスト』『禿鷲:ヴァルチャー』『狼:ウルフ』『驢馬:ドンキー』など




