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『イチョウ』:大洪水②

ちょっと仕事が忙しくって、間があいてしまいました

『まず『水母(ジェリーフィッシュ)』を落とす』


 シャロンによる『蜻蛉(ドラゴンフライ)』からの第一声は、予想をもってなお大きなインパクトを伴ってジャックの耳に迎えられた。


『『植木鉢(バイタルフレーム)』を覆い、多量の水分を含んでいるこいつに膨大な水分を供給している水脈ごと切り飛ばして『イチョウ』の上に落とす。大洪水を起こすんだ』


 二匹目の『蜻蛉(ドラゴンフライ)』が録音を再生し始める。一匹当たりの短い再生時間を、リレー方式で補っている。


『そして僕らが—勝利、そうだね。勝利するためにはこの大洪水を皮切りに三つのステップを踏む必要がある』


「勝利」という言葉は、ジャックにとってもなじみの薄いものだった。彼らの戦いは、そもそも成功か失敗かという評価軸しか持ち合わせていなかったからだ。


『一、『イチョウ』の消火。二、全ての『ムスペル』の排除。三、伐採。このどれかが失敗することは『植木鉢(バイタルフレーム)』の人間が全滅することを意味する。君の役割は二、『ムスペル』の排除だ』


『一匹一匹は君の敵じゃないけど、油断はしちゃだめだ。さっきよりも格段に数が増えてる。さっき上空から観測してみたけど、まるで川のようだよ。どこか一か所を目指しているみたい』


 震える声で相棒を鼓舞する、シャロンの声を思い出して、ジャックは呟いた。


「そんな物騒な天の川(ミルキーウェイ)、あんまり見たくないな」


 炎に包まれた森を流れる、白い濁流(ミルキーウェイ)。字面だけをなぞれば美しかろうが、その実態は炎を運ぶベルトコンベアに過ぎない。そのラインに乗せられているのは、様々な形に削り出され、多大な熱量を持って人類銘々にオーダーメイドで磨き上げられた死の運命である。


 成功は極低確率、失敗すなわち人類滅亡。


 伐採に成功したところで、人類の資源はその再建に多大なリソースを割かれる。発芽を許した時点で、人類の大局的なディスアドバンテージを覆すすべはもはやない。


 —だけど。


 『イチョウ』の下に広がる純白の泉、そのほとりに跪く無貌の人型が、湧き出る複製体の群れに垣間見える。目標を視界にとらえながら、『庭師(リーパー)』の少年は唇を強く引き結ぶ。


 —勝利って言葉は悪くないよ、シャロン。


 人類は既に敗北している。こんな世界の一隅の地下都市に押し込められて、今やその生存域すら侵食され始めている。それを押し戻したところで、大局は何も変わりはしない。むしろ悪化する一方。僕らの抵抗は、新鮮な死体の中で蠢く血球が如きものなのかもしれない。

 それでも、ここで『ムスペル』を倒し、勝利することこそに、彼らが「在る」意味があった。彼らが彼らとして、ヒトという種の一個体でなく、一人の人間として生きていくことに。


 ニアの乗った『飛蝗(ローカスト)』の群れが、『イチョウ』の直上へ到達したのを見て、ジャックは大鎌を握る力をやや強めて言った。 


「—だから悪いけど、勝たせてもらう」


 眼前の傲然たる炎の塔が、それを上回る太さを持った水の柱に丸ごと飲み込まれる。

 そして次の瞬間。爆発的な水蒸気が『森』を襲った。容赦のない蒸気がジャックの肌を焼く。暴風がいまだ小柄な彼の体を吹き飛ばそうとするのを、『森』の木々にしがみつき何とかこらえる。

 やがて晴れた視界に映ったのは、爆発性の実と発炎性の葉、樹全体に揺らめいていた炎をはぎ取られた『イチョウ』、そして火源を失った『ムスペル』たちの姿だった。


 —やった、やってくれた。


 無言の快哉を筋肉の躍動に変え、ジャックは無貌の人型の前に躍り出ると、おびただしい数の複製体が白色の泉から生み出された。彼らは首元をかきむしっては、その傷口に歪な口腔を形作り叫ぶ。


「行かナいデ(こわい)、そバニいて(こわい)」


 彼らは複製元の破壊を防ぐべく、手足をグロテスクにばたつかせながらしかし猛然とジャックへ迫った。その数およそ三百余!

 そのうちの一体をジャックは鎌で切り裂く。倒れ込んだ複製体は泉につかるや否や、即座に再生を始めた。しかしジャックはそれを逃すことなく、刃先をその身体に突き刺し、『ヤドリギ』に意思を送る。大鎌は主の要望に迅速にこたえるべく、複製体の吸収を開始した。


 どくり、どくり、どくり。


 切断した複製体の身体をすすりこむように吸収した『ヤドリギ』は、その大鎌の刃をより薄く、長く、鋭利に変化させた。


 大鎌が形を変えてゆくのに合わせ、ジャックは自身の体勢を沈み込ませた。刃を泉の水面に沿わせながら、左足を前方に踏み込み姿勢を限りなく低くして筋肉のバネをためてゆく。獲物を間合いにとらえた毒蛇のように。水音を立てながら殺到する複製体が諸手を挙げてジャックへ拳を振り下ろそうとしたその瞬間に、ジャックは脚力を解放した。


 大鎌の刃は泉から湧き出る複製体の脚部をぬるりと音もなく切り離した。体重を支える術を失った体は転倒する間もなく袈裟懸けに胴体を両断されていた。

 手元で柄を回転させると、背後に迫る新たな複製体に鎌の刃がさくりと突き刺さる。途切れなく湧きだしてくる彼らをシャロンが川と表現したなら、ここはまさに源泉だった。


 しかし、それをものともせずジャックは斬り続ける。火源たるイチョウの火が消された今、対人戦のエキスパートたる『庭師(リーパー)』である彼には物量以外の脅威はなかったのだ。


 百、百五十、二百。『ムスペル』の骸が瞬く間に泉に沈められてゆく。


 —身体の構造は概ね人間と同じだ。頭はないけど、首元を切れば動かなくなるし、脚を切れば歩けなくなる。


 分析するジャックの背後に、比較的傷が浅かったと思しき複製体が、拳を振り上げ忍び寄る。しかしその目的を遂げる寸前に、全身をびくびくと痙攣させて倒れ込んだ。

 複製体がもがき苦しむその様を、ジャックは白斑に覆われた右目で見下ろしていた。


 ▼▼▼


 —おじさんが言ってた『森』の再生を遅らせるためのコツ、教えてよ。

 『森』の再生を遅らせる手段を請われた壮年の『伐採者(ランバージャック)』は、ジャックに言った。

「ん、あれはね—『毒』だよ」

「毒?」

「もちろん、物の例えだけどね」


 疑問を含んだジャックの声に、ローレルは説明した。


「切った相手の体内に、『ヤドリギ』の一部を残してるんだ。こんなふうに」

 と、傍らの木を『ヤドリギ』の鉈で切りつける。斬撃音とともに振りぬかれた鉈を見てジャックは声をあげた。


「刃こぼれしちゃってるよ」

 彼のマットブラックの鉈は、ぼろぼろと刃がかけたなまくらになっていた。

「それでいいのさ—木の傷口を見てみな」

 傷口に残された『ヤドリギ』の黒い破片が、細かい純白の木を侵食するようにむしばんでいる。


「『浸透捕食型断神経性伐具(しんとうほしょくがただんしんけいせいばつぐ)』。名は体を表すってやつでね。その破片はしばらく奴らの体を蝕み続ける。吸収による強化はできないが—連中は破片の排除に力を使わざるを得なくなる」


 どうやら手癖らしく、鉈をくるりと回して語るローレルに、ジャックは質問する。


「だけどさそのナタ、もう使えないでしょ。刃がぼろぼろだ」

「そうかい?」

 ジャックは驚きの声をあげた。手元で回る鉈の刃は、いつの間にかその滑らかな刃渡りを取り戻していたからだ。


「『ヤドリギ』は『加害のイメージ』を僕らから読み取って形にする。その完璧な形を常に強く意識するんだ。ま、これができる『伐採者(ランバージャック)』は多くないんだけど」

「何で?」


 ジャックの問いにローレルは目を細め、手元の鉈を眺めた。つまらない土産品を品定めするような目だった。

「加害の対象が『漂白樹』という機械の如き存在だからさ。連中はただ『森』の運営に邪魔な異物を排除するだけ。機械相手に、憎しみを持ち続けられるか? 殺す気でい続けられるか? 無理だ。そうした負の感情ってやつは、同量の感情をぶつけてくる相手にしか持続しないからね。だから『伐採者(ランバージャック)』は『ヤドリギ』発動の瞬間にだけ、自身の負の感情を意識する。武装を呼び出すための火種として」

「だけど」

 と、ひょいと鉈の刃先を少年に向けた。びり、と走る肌の感覚に反射して大鎌を構える。後発にもかかわらず、リーチで大きく勝る大鎌の刃先は既にぴたりとローレルののど元を捉えていた。彼はひゅう、と口笛をふく。

「君はそうじゃない。リアルタイムで自らの『加害のイメージ』を『ヤドリギ』に反映させられる。知っているはずだ。自身の『ヤドリギ』の形の意味を」

 真意を推し量るように、ジャックは眼前の男の双眸をにらみつける。

「なんのつもり?」

「その害意に対する反応速度—君は「どっちか」だ。『漂白樹に強い恨みを抱いているか』もしくは—」

 炎揺らめく『森』の中で、ジャックは深いこげ茶色の視線の奥に底冷えしたような低温を感じ取った。


「—な~んてね。冗談冗談」


 へらっと笑みを作ったローレルは、ジャックに申し開きした。

「いつもやってるんだ。簡単なテストみたいなもの。第一わざわざ刃こぼれさせるなんて使い方、推奨できるはずがないしね—。気悪くしたらごめん」


 ジャックは呆れながら顔をしかめる。


「おじさん、こんな面倒なこといつもやってるの?」

「趣味の一環ってやつでね。才能ある若人に先輩風を吹かすのは、オジさんの特権なんだよ、少年」


 ジャックはその言葉には答えを返さなかった。


 ▼▼▼


 ぱちゃ、ぱちゃ、ぱちゃ。


 ジャックは白い泉を、複製元の『ムスペル』へと向けて歩いた。手にした大鎌は刃こぼれの範疇をこえ、安物の鋸のような哀れなアーチを晒している。


 水面からは『ヤドリギ』による毒に痙攣する三百余りの複製体の手足が、不出来な芸術作品のように突き出していた。しかし、もはや新たな複製体がそこから生まれることはなかった。


「ちょっとした賭けだったけど、予想通りだ」


 うじゅり、うじゅり

 手にした大鎌が再生を始める。


「この泉にいる間『ムスペル(あんた)』たちはバックアップを受けている。『ヤドリギ』に最初に「食わせた」奴はすぐに再生を始めた。『森』で最初に切り捨てた奴はそのまま動かなくなったのに、だ」


 複製元(オリジナル)に語り掛けるかのような口調だった。しかしジャックの言葉に反応を示すことはない。懺悔するかのように跪いたままだ。自らの黒く焼け焦げた両手に、あるはずのない双眸から視線を向けている。ジャックは言葉を続ける。


「なら、この泉に浸かったまま再生を阻害できれば? この泉は複製体の再生に躍起になって新たに複製体を作り出す余裕はなくなる。もちろん永久的にというわけにはいかないだろうけど、あんたを始末する時間を稼ぐには十分だ」


 『ムスペル』の正面に立つ。


「火はシャロンとニア、そしてユズリハが消してくれた。『ムスペル』、あんたを斬ってしまえば『イチョウ』を伐り倒すだけだ」


 ユズリハの名前に、純白の体がぴくりとわずかに反応する。ジャックは奥歯を食いしばり、首元に大鎌の刃をかける。


「ユズリハはあんたを『お母さん』だと言った。シャロンと僕の『師匠』だと。ここまで来ているんだ。それを確かめるためにね」


「だけど、()()()()()()()()()()()()()。あんたが師匠だろうとただの化け物だろうと、僕はあの娘にこういうだけだ。『『ムスペル』は『イチョウ』が生み出した一部で、君のお母さんとは何の関係もなかった』ってね」


 —そうだ、やることはすべて決まっているんだ。


 ジャックは東居住区突入前のユズリハの決意を思い出し、大洪水に炎をはぎ取られた『イチョウ』を見る。


「彼女はもう前を向けるんだ。過去の答え合わせなんて必要ない。もし振り返ってしまったなら、再び前を向くまで、僕とシャロンがそばにいる」


 そして、わずかな逡巡とともに、『ムスペル』に語り掛ける。


「でも、僕はあんたの真実を知っておきたい。僕は後ろ向き専門の人間だから。時折悪夢で思い出すくらいのことはしてやれる。好きでやってるわけじゃないけどね。—だから、教えてくれ。あんたがいったい何者なのか」


 手にした大鎌の刃先がわずかに震え、『ムスペル』の首元に食い込む。

 投げかけた言葉とは裏腹に、彼は何も知りたくはなかった。

 金切り声をあげて、理性のない怪物のように襲い掛かってくれるのであればそれでいいとさえ思った。なんの呵責もなく切り捨てて、それでおしまい。シンプルでいい。


 —しかし、本来『庭師(リーパー)』としての『命題』を持たぬ僕が刃を振るって、あまつさえ命を奪うのなら、それじゃだめだ。隠されたものがあるならばそれを知るのは、語れないものがあるならばそれを聞くのは僕の義務だ。


『ムスペル』がゆらりと立ち上がる。

 ジャックは大鎌の刃を引こうとして、すぐに収めた。

『ムスペル』に敵意はないのが分かったからだ。

 一歩ずつ近づいてくる無貌の人型は少年の頬を白斑ごと焼け焦げ濡れた手で不器用につまみ上げると、優しく引っ張った。


「あれ?」


 少年の視界がぼやけた。記憶よりも先に、感覚がよみがえる。感情よりも先に、身体が反応を寄越す。この世界ではいつだって、理解なんてものは現実の二の次だったことを、少年は思い出す。


 ―そうか、恐いわけだ。


 そして『機能』を持たぬ少年(スタンドアローン)は初めて実感した。


 —怖いのは痛みじゃない、暗闇でもない、『漂白樹』でもない。


 あの時人々が訴えた、『ムスペル』が歪な声帯で叫んだ、『恐怖』の正体を。


 —ひとりぼっちになることだ。大切な誰かと、離れ離れになることだ。一緒にご飯を食べられなくなることだ。


 少年の『加害のイメージ』が霧散する。手元の『ヤドリギ』はその形をほどいて「種」の形でジャックの体から排出され、泉のほとりに落ちた。


「くそ、くそ、くそ」


 普段口に出さぬ悪態がぽたぽたと泉に落ちる。彼は『ムスペル』の首に当たる部分を両手でつかむと力いっぱい横に引っ張り、言った。


「久しぶりだね、師匠」

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