『イチョウ』:東居住区防衛戦⑤
『イチョウ』は炎と爆発をまき散らしながら、『森』の勢力圏を押し広げていた。樹冠からは発芽の当初から変わらず雲が湧き出し、居住区の天辺から白い雪片を降らせている。
舞い落ちる雪片そのものには侵食機能はない。しかしその一つ一つがそれぞれ現地の情報を中心たる『漂白樹』に伝えるための端末機能、そして微弱ながら電波妨害機能を持つ。降雪はいわば『森』の斥候であった。
この雪によって、『監視塔』と『ヤドリギ』所持者の『機能』による交信は既に不可能となっていた。今や通信手段は物理的な会話と『首無し』のデバイスを介した情報のやり取りのみである。
そんな中、燃え舞う『森』の落葉と『ムスペル』の腕を潜り抜け高速で飛来したのは、一匹の『首無し』だった。
死地を潜り抜けやっと安息地を見つけたそれは、迷うことなくジャックの肩に止まった。シャロンの連れていた『蜻蛉』だ。頭部についた小型の録音機から、音声が流れ出す。
「僕もユズリハも無事だ…なんかやたらと強い『伐採者』もいる。だけどごめん、脚を怪我した。代わりの『馬』なりが到着するまで動けそうにな—」
シャロンのメッセージは十秒ほどで途切れた。伝達できる情報量の少なさは機動力と攻撃性能を高めた『蜻蛉』の欠点の一つだったが、現時点ではこれ以上ないほどの安心材料を与えてくれた。
—二人は無事だ。
ジャックは安堵のため息をかみ殺していると、傍らに立つ壮年の男は片目をつぶって言った。
「な? 言ったとおりだろ」
「シャロンが—相棒が素直に「強い」って言ったの、久しぶりに聞いた気がするよ」
ローレルは苦笑した。
「彼女で「やたらと強い」程度とは—君の相棒君は随分と手厳しいようだね。オジさん、顔合わせるのがちょっと怖くなってきたよ」
「いや、多分おじさんに会っても同じこと言うよ」
「やだなあ、そんなコト—」
「『森』に入ってから、僕は『ムスペル』以外に一回も襲われてない。いくら『イチョウ』が賢いといったって、これは異常だよ」
ジャックは『森』の木々を指さして問う。
「これ、やったのおじさんでしょ? 『森』は僕らを襲わなかったんじゃない。襲う余力がなかったんだ」
幹のいたるところには切り傷がつけられ、真白な樹液がしみだしていた。数こそ多くはないが、すべてが幹の深部に達している。樹液をにじませた傷口は細かく蠢き修復を始めてこそいるが、その速度が明らかに遅いことにジャックは気づいていた。
「よくわかったなあその通り! ニアみたいに一帯を丸ごと伐り飛ばすみたいなマネはできないけど、こうして再生を遅らせた方が有効な場合もある。まあ裏技みたいなもんさ—。コツ、教えたげようか?」
少しおどけて手にした艶消し黒の鉈をくるりと回した彼に、ジャックは疑問をぶつけた。
「すごく知りたいけど—でもその前に疑問が一つ。おじさんとお姉さん—だよね、多分—みたいな強い人がそろってるのに、何でこんなところにいるの?」
背後に迫っていた一体の『ムスペル』を切り倒すと、ローレルは即答した。
「近づけないからだ。『イチョウ』の炎と爆発、それにあの数の『ムスペル』を同時に相手するのはとてもじゃないが俺達だけでは不可能だ」
何かを言いかけるジャックをとどめるようにローレルは言葉を継いだ。
「君がいたとしてもだ、少年。君個人の強さ云々の話じゃなく、純粋に人手が足りない。「焼け石に水」ってやつだ。少なくともあと五人は『ヤドリギ』所持者がいないと話にならない」
—ん?
「『イチョウ』の電波妨害で『監視塔』からの情報はないが、おそらく『ムスペル』の対処で手一杯なんだろう。あ~ああ、こんなことなら家族サービスしとくんだった」
ぼやく『伐採者』の耳を打ったのは少年の叫びだった。
「それだよ!」
「えっどれ?・・・家族サービス?」
「『焼け石に水』!」
「言っただろう『ヤドリギ』所有者は『ムスペル』の対処に…」
「必要なのは水だよ、おじさん」
ジャックはそう言って上空を指さした。そこにはぼったりと厚く、光を吸収し底面を黒ずませた雲が広がっていた。
「ああ、確かに『イチョウ』の炎を消せるだけの水があればどれだけいいか―」
ローレルは軽く失望したように首を振り諭した。
「だがあれは雨雲じゃない、『イチョウ』が『森』を広げるために作っている雲だ。雨は望めない—」
『植木鉢』の人間ならだれでも知ってる、というように。
ジャックはぶんぶんと頭を振って訴えた。それに合わせて黒髪が揺れる。
「違う、その上!」
ローレルは息をのみ、がば、とジャックの指さす方向を向きジャックの考えを代弁した。
「まさか—」
▼▼▼
「—すごい、それならできるかも!」
金髪の少女、ニアはシャロンとユズリハの考えを聞いて、甲高い声で驚きと賞賛の声をあげた。
「でも、これにはあなたたちの協力が不可欠だ。僕らだけじゃ『イチョウ』は仕留めきれない。それでも、この策が成功するかどうかは五分五分だ。もし失敗したら—ねえ、他の『伐採者』を待った方がいいだろうか? 」
シャロンの声は不安と緊張のせいか、微妙に上ずり震えている。
「いいえ、この策しかない。『ムスペル』の数はまだ増え続けてる。このままじゃジリ貧ね」
ニアは一転、落ち着いた声で断言した。それにややためらいがちに頷くと、シャロンは懸念点を口にする。
「あとはジャック達が乗ってくれるかどうか…」
彼の口調の弱弱しさを払しょくするように答えたのはユズリハだ。
「ジャックもたぶん同じ結論になってると思う」
彼女は一瞬目を伏せた後に、シャロンのマスクの奥の瞳を見据えて言った。
「だってジャックは、あんたと一緒に戦ってきたんだから」
「でも、あいつを一番危険なところに—」
シャロンの肩を叩いたのはニアだった。予想外に強い力にうわっという声とともにシャロンの体が大きく揺れた。
「君、応援されてるのよ、うじうじしないの! それでも不安なようだからお姉ちゃんが一つ訂正してあげる—きっと、彼と一緒に戦ってきたのはシャロン君だけじゃない。それはあなたも同じだよ、ユズリハちゃん」
赤毛の少女の視線が、金髪の少女に注がれる。
「ひとりひとりじゃできない。『庭師』としての、『育種家』としてのあなたたち三人じゃなきゃできないの。そして約束するよ。あなたたちは絶対に、私が守ってみせるんだから!」
『伐採者』の少女は防護服の胸を叩いて断言した。その青い瞳には自らの強さに対する自信と、守護者としての矜持がみなぎっていた。
ーシャロンが『庭師』なのは、『監視塔』がそう認めているからだ。そして、僕が必要としているからだ。
相棒の言葉を思い出す。
「—ありがとう、ニア」
シャロンは礼を言うと、手の人差し指にはまる『指輪』の感覚を確認し、平静を取り戻した声で言った。
「よし—行こうか!」
▼▼▼
「始まるか」
『森』の上空を旋回する二羽の『渡鴉』を通じて『庭師』たちの動向をうかがっていたマルンはつぶやいた。漏れ聞こえてきた情報から、彼らの策を推測する。
—『伐採者』、『指輪』そして『育種家』。十全とは言えないが、『それ』をやるだけの手段はそろっている。可能性は低いが、勝算は十分にある。
「だから早まるなよ、ジャック」
そう独り言ちる彼の口調は、内容に反してどこかジャックの行動に期待しているようでもあった。




