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断章:『火の巨人』

 ぐちゃり、ぐちゃり、ぐちゃー。


『ムスペル』—『監視塔』によって命名された無貌の人型、『緑』に生み出されたその最初の一体(オリジナル)は変わらず自身の複製体(コピー)を作り出していた。しかし何かに勘づいたようにぴくりと身を震わせそれまで機械のように行っていた分裂を止めると、それは『イチョウ』の周りをしばらく彷徨いはじめた。炎に揺れる落葉と絶えず爆ぜ落ちる実の中を、気流にあおられる雪片のようにうろうろと。

 

 何かをするかしまいか、逡巡しているようでもあった。


 やがて立ち止まると、やにわに自身の胸部を貫いた。


 ぐちゃ、ぐちゃ


 心臓に当たる部位をかき回すと、傷口からは白く濁った液体が噴き出した。『ムスペル』は膝をつきうなだれる。自身がいまだ活動を続ける事実に、絶望し恐れをなしているようでもあった。

 しかしその暴力的な自傷行為は続けたままだ。胸にぽっかりとあいた傷口からこんこんとと湧き出る白色の液体は『イチョウ』の根元に巨大な泉を形作った。白く粘性を持った液体からなる平坦な泉からはやがて、おびただしい数のシルエットが浮かび上がる。


 ごぼ、ごぼごぼ、ごぼ。


 白色の泉からは無貌の人型が無数に湧き出てきた。

 生み出される頭数は先ほどまでとは比較にならない程多い。そのすべてが、自らの体が『イチョウ』の炎に燃え上がるのを厭うことなくふらふらと歩き始めた。諸手をかざして何かを探し求めるように。ただし先ほどまでとは異なり、それらの歩みを進める方角だけは統一されていた。


 『ムスペル』は、自らの傷口から噴出される白色の液体の泉のほとりに膝をつき一人残される。迷いなく歩みを進める自らの複製体の群れに向かって制止するように手をかざした。

 しかし彼らは複製元(オリジナル)の制止に、頭部から漏れ出るぎりぎりと軋む音でもって応えた。首元を自身の爪によって引き裂いていたのだ。つるりとしていた首元には引き裂かれた傷口の形そのままに「口」が形作られた。


 その「口」には歯があり、舌があり、その奥には声帯があった。


 傷口の治癒に便乗する形で無理やり再生力に任せて作った、持ちえぬはずの急造の声帯である。本来ならまともに機能するはずがない。ぎりぎりとした声未満でしか出力できまい。しかしそれら一体一体の喉から発せられる音は重なり合い、やがて言葉の輪郭を持ち始めた。

 

 その様はまさに輪唱であった。


 炎の群れが声を張り上げ謳うのは、別離の『恐怖』。


恋しい(こわい)寂しい(こわい)寒い(こわい)

放したくない(こわい)離れたくない(こわい)一緒に居たい(こわい)


『ヤめ、て』


 彼らの声を押しとどめるように複製元の『ムスペル』もやっと声をあげるが、その声は容易に『イチョウ』の爆発音に、複製体の足音にかき消されてゆく。そうする間にも、複製体は数を増やしていった。


 ふらふらと歪な行進を続ける炎の川となりながら、彼らは吠えた。


やっと会えた、(にどとはな)この手に抱きし(してなる)めて何が悪い(ものか)


『ダ、め』

 白い泉のほとりで、無力な『ムスペル』は叫ぶ。


『そノ手をみテ』

『一体ナにを』

『抱きしメると』


 もはや声が届くことはない。そう悟ったのか泉のほとりで『ムスペル』は再びぐったりとうなだれ、動かなくなった。自身の手を見つめたまま。


 その両手は、ごうごうと炎を上げていた。

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