『イチョウ』:東居住区防衛戦④
文末に簡単な用語解説あります。
シャロンとユズリハは『馬』に乗り、ジャックにやや遅れて『森』との境界線の外周を走行していた。周囲には数頭の『狼』、そして高速飛行に優れる無数の『蜻蛉』が随行していた。
「なんてこった。ジャックのヤツ、もう見えなくなった…相変わらず足が速いな」
シャロンの愚痴とも賞賛ともつかぬ言葉に反応することなく、ユズリハは火の手におわれる東居住区を見つめていた。
―予想してなかったわけじゃない。だけどこれは余りにも―。
彼女が『植木鉢』に生を受けてからというもの、いやそのずっと前から、この地下都市は人類にとっての絶対安全圏だった。穏やかな一日、一月、一年が過ぎてゆくと、そう信じ込んでいたゆりかごの中で今や家屋は燃え、人が次々と灼け死んでいるではないか。
仮初の安寧の舞台に過ぎなかったとはいえ、自らの故郷が侵食されている事実に、かさぶたをはがされた傷口に乾いた風がしみ込むようにユズリハの心は痛みを訴えた。
しかし『漂白樹』は人類に受容の暇を与えない。
突然の出来事だった。彼らの視界が上下に揺さぶられ、シャロンとユズリハは投げ出される。
「ユズリハ!」
シャロンはとっさに指輪をかざし、『狼』をユズリハの落下地点に呼び寄せた。
ふかふかとした毛皮をクッションとして、ユズリハはなんとか着地した。しかし次に上がったのは安堵の声ではなく、シャロンの悪態だった。
「クソっ! やられた—」
ペストマスクの視線の先には、『馬』がその身を横倒しにしていた。
バタバタともがく『馬』に、漂白されたように真っ白な蟲が群がり、肉を貪っている。それぞれの咀嚼音は渾然一体となって混ざり合い、むしゃむしゃという最大公約数を取って、ユズリハとシャロンの耳に届いた。
『馬』が食い尽くされる前に、ユズリハは『馬』のメモリーを読み取った。先刻、『飛蝗』のデータを読み取ったのと同じ要領である。
「ひっ…」
ユズリハの喉の奥から声が漏れる。嫌悪感に叫びそうになるのを何とかこらえ、彼女は『馬』がなぜ転倒したのかを伝える。
「選んだのよ」
「選んだ?」
信じがたい、といった声色を隠さず、シャロンは叫んだ。
「私達への攻撃が『馬』に当たったんじゃない、選んで攻撃してるの」
「『漂白樹』は『首無し(ヘッドレス)』を狙わないんじゃなかったの?」
「そのはず、だったんだけど!」
ユズリハが読み取った視覚情報には、『森』の蠢く外縁が足元を捉えると同時に真っ白な虫が足元をびっしりと覆いつくすさまが克明に記録されていた。ユズリハやシャロンを狙った流れ弾ではない。明らかに『馬』の機動力を削ぐための、意思を持った攻撃だった。
「うあっ!」
シャロンの右足に熱い針金を通されたような激痛が走った。全身の毛穴から冷たい汗が噴き出す。
「シャロン! どうしたの」
「ごめん、『馬』から落下した時に足をひどくくじいた」
「―!」
―あたしを優先したせいだ。
冷たい息にあえぐ少年を抱き支え、少しでも『森』から遠ざかろうと後ずさる。しかし小柄な少年とはいえ、十三歳の少女の筋力では進む距離には限界があった。
うぞうぞ
しゃりしゃり
かさかさ
勢力を広げる『森』の外縁とともに、真っ白な蟲が少年達に這い迫りくる。シャロンは『狼』を前衛に、『蜻蛉』を球状に配置しながら迎撃態勢を取った。『狼』の頭部に搭載された強化炭素鋼性の爪が、ぎちぎちと音を立てて展開される。
しかしその武装が小型の蟲に対する相性が極めて悪いことは彼自身が最もよく知るところだった。
『狼』の爪はあらゆる生物に対する致命傷になる強力な武装だが、無数にいる小型の敵に対抗するための面制圧力はない。百匹つぶしたところで一匹に食いつかれれば終わりだ。その対処に気を取られるうちにまた別の十匹がとりつく。そうなれば『馬』のように食い尽くされるのが目に見えていた。 大量の『蜻蛉』の攻撃は有効かもしれないが、ジャックとの連絡手段を失うわけにはいかない。
事実、『狼』の内、一頭は既に食われ始めていた。
きゃんきゃんという甲高く哀れな叫びは、やがて虫たちの咀嚼音にかき消されるだろう。
厳しい現状に、シャロンは判断を下さざるを得なかった。
「いいかい、僕は置いて逃げるんだ。『狼』なら、君一人ぐらいはなんとか離脱させることができるはずだ。『イチョウ』の勢力圏を外れてまで、君だけを追ってくることはない」
「あんた死ぬ気!?」
「そんなカッコいいことするか! …できれば助けを呼んでよね。でもそれ以前に僕は『庭師』だ。例え『ヤドリギ』が使えなくたって、あいつが―ジャックが認めてくれたこの『命題』を僕は全うしなくちゃならない!」
強がる少年の表情はマスクにさえぎられて見えない。しかしそれでもなお、彼がユズリハを逃がそうとしている事実だけは痛いほど確かに彼女の心に突き刺さる。
この状況で、たとえ後続の『伐採者』に助けを呼んだところで絶対に間に合わない。それはシャロンも分かっているはずだ。ユズリハに説く声は震えている。
少女は眼前に迫る『漂白樹』の脅威を目にしながら、自らの無力さを悔いた。
―あたしが、ついてくるって言ったから。あんなにあんたたち(ジャックとシャロン)は止めてくれたのに。今だって、シャロンだけなら『馬』を失っても逃げられたかもしれないのに。あたしはあんたたちに守られたまま死んでいくの? お母さんが何でいなくなっちゃったのか、今になって私を呼ぶ声は一体何なのか。このまま何も分からないまま終わっちゃうの?
—いやだ。絶対に嫌だ。
―ユズリハ、決めたのはあんたじゃない。お母さん(リージア)がいなくてもあの二人を守るって。お母さんがいなくなったあの日に、あんたが決めたんじゃない!
「ああああ!」
目の前に迫る蟲を、思い切り踏みつぶす。
ぐちゃ、という不快な音ともに、粘液が噴き出した。しかしそれにひるむことなく、ユズリハは足元に這いよる真っ白な蟲たちを何度も、何度も小さな足で踏みつけた。
腹に据えかねたように巨大な百足が彼女の脚に食いついた。鋭い顎が、ユズリハのいまだ肉の薄く白い皮膚に穴をあける。
「ぐぅっ!」
思わずしゃがみこみ、ムカデを脚から引きちぎる。その傷口からは血がどくどく流れ出ていた。
「やめるんだ! 僕はいいから!」
「いや!」
「ばかいうな! その傷—まだ動けるうちにはやく!」
―傷ついている。
―でも。それは誰だって同じ。
ユズリハは頭を振って前を向く。揺れる赤毛は、炎に揺らめく『イチョウ』の森の中にあってもなお鮮やかだった。
そう、誰だって同じなのだ。
—今この場で誰もが傷ついている。炎におわれた居住区の人々、その恐怖におびえる『植木鉢』の人々、地上を奪われて、太陽の光を奪われながらこの地下世界に押し込められて生きる誰もが傷ついている。
—血を流し、涙を流してなお! だから!
「あたしだけが―逃げるわけにはいかないの!」
ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ
ユズリハの決意をあざ笑うように、純白の蟲の波が迫る。
しかし彼女の肉に食らいつく寸前、蟲はその背後から迫る炎の足に、そのことごとくが踏みつぶされた。
「―ぁ」
『ムスペル』。『イチョウ』の炎をまといながら進む無貌の人型、それが五体。
執念深く丹念に、彼らは白い蟲を踏みつぶしていった。忌まわしいもの、恐ろしいものを相手にするように。
しかし、彼らの出現によって蟲の群れこそ蹴散らされたものの、ユズリハたちに迫る脅威が変わるわけではない。蟲に食い殺される結末が、『ムスペル』に焼きながら縊り殺される死に方に変わっただけである。
シャロンには目もくれぬまま、ゆらゆらと何かを手探りするように、炎を上げる人型はユズリハに近づいてゆく。
「クソっ―」
シャロンは『狼』を向かわせるが、不意の出現した『ムスペル』に捕縛されていた。
―ここまでか。
▼▼▼
「ならなおの事大丈夫さあ、死にゃあしない。その位置なら、あいつが誰かが助けを求めているのを見落とすはずがない」
—僕の友だちが危ない。
ジャックから助けを請われたローレルは、シャロン達の位置を聞くと飄々と答えた。
「でも、襲ってくるのは『森』の生物だけじゃない。あの『ムスペル』だって—」
「言っただろ、あの娘は強いって」
男は片方の眉を持ち上げて言う。
「これまでに計六例現れているバカみたいに強力な特質個体。その一つである『洪水』、識別名称『サンゴジュ』を彼女は伐採している。それも単独でな」
▼▼▼
—ここまでか。
シャロンは拳を握りしめる。
「動かないで!」
聞きなれない声が響いた。
「―え?」
声に言葉を返す間もなく、不意にユズリハの眼前に迫っていた『ムスペル』の一体がぼたぼたと崩れ落ちた。
きゅんきゅん、と空を裂く音のみが聞こえる。何かがシャロンとユズリハの周りを目にもとまらぬ速さで飛び回っていることだけは、逆巻く気流で読み取れた。
そして彼らの周囲だけをきれいに残して、細かく、しかし深い斬撃の軌跡だけが次々と刻まれてゆく。
音がやんだのに一瞬遅れて、周囲に残っていた四体の『ムスペル』すべてにとどまらず、周囲一帯の『森』の木々すべてが轟音を立てて細かく伐り倒された。
二人の少年達が座り込んでいたところだけを残して、周囲はほとんど更地と化していた。
シャロンはあっけにとられていた。
—何も見えなかった。何が起きたんだ?
「あら~あらあら」
少年少女のすぐ横に降り立ったのは、女性用とみられるややタイトな黒い防護服をまとった少女だった。バイザーをあげると、あふれるような金髪が炎の光を受けて輝いて現れた。
彼女はシャロンとユズリハのわきにしゃがみこむと、その高い声でまくしたて始めた。
「かすかに声がするから来てみればこんな小さい子まで! ほんと「緊張感」様様よね。後で小父さんにお礼言っとかなくちゃ―よく頑張ったわね~、あらあなた怪我してるじゃない、血が出てるわ。大丈夫? それにしてもきれいな赤毛ね、うらやましいーそのマスクなぁに? 烏みたいでカワイイ~!」
矢継ぎ早に繰り出されるきゃぴきゃぴとした声に、シャロンとユズリハが困惑していると、
「そうそう」
思い出したように金髪の『伐採者』は名乗った。
「初めまして、だよね。私はニア—あなたたち、お名前は?」
▼▼▼
東居住区へ『庭師』達が突入した箇所のちょうど対面、南居住区と東居住区の境界に、『脱命者』と『小説家』の二人組は立っていた。
「どうするつもりだ? さすがに『ヤドリギ』を使っても『水母』の膜を破るには時間がかかる」
ジャックはマルンに問いかける。
他居住区への煙と炎の流出を最小限に抑えるべく、『監視塔』は東居住区へとつながる『水母』開口部の数を制限した。
彼と同じく、厚く弾力のある『水母』の膜を無理に切り裂くのは骨が折れると判断したのか、ほとんどの『伐採者』や『庭師』は素直に開口部から東居住区へ侵入する方針を取っていた。
—『ヤドリギ』所持者の突入経路と住民の避難経路をあえて被せることで、避難誘導と護衛の効率を高める狙いもあるのかもしれない—と、ジャックは推測した。
それだけに、ジャックにはマルンの狙いが不明だった。
マルンは青年が眉を顰める姿にいたずらっぽい笑みをひらめかせると、『水母』の壁に鈍い金色の指輪をはめた人差し指をかざした。
「もう少し早めに見せるつもりだったんだがね」
ばちゃばちゃと水っぽい音を発しながら、『水母』の膜が上がる。
「やっぱり『指輪』か、前に見たものとは色が違うが」
「ああとも、複製品だからな。効力は多少落ちるが、一時的なら問題はない」
—『指輪』は『監視塔』からの一品ものだ。その複製品だって? この男、一体何に手を出してやがる。
「後で話はたっぷり聞いてやるよ。その『指輪』の出所も含めてな」
ジャックの言葉に、マルンは無言のまま、気まずそうに首をすくめた。
「というか—それならよ、俺が『植木鉢』に戻ってくるときに使ってくれればよかったじゃねえか。『植木鉢』を覆う『水母』の操作くらいあんたにはワケなかったんだろ?」
「むっ」
マルンは口をへの字に曲げて、ばつの悪そうな顔をした。
「最初はその方針だったんだが…『水母』への指示を別の『指輪』所有者にはじかれてしまった。おそらくあの『庭師』の少年が俺と同じ手を取ったんだろう。あの雲みたいな数の『飛蝗』を動かす力を持った子だ。指輪の使い手としての力は数段上とみていいだろう—『水母』も喜んで彼の言うことを聞いただろうさ」
巨大なクラゲがペストマスクをかぶった少年に嬉しそうにすり寄る姿を想像したジャックは、うへえ、と口をゆがめた。
「質の悪い風刺画みてえだ」
「何か言ったか? ジャック」
「独り言だよ」
「風刺画」の内容を口走ろうものなら、マルンが面白がって話を広げようとするのは目に見えていたので、ジャックは適当に話題を切り上げた。
「ふん—まあいいや。何はともあれ最後の確認だ。ジャック、君の最初の行動は?」
「『何もするな』」
即答する『助手』に『探偵』はうなずいた。
「その通り。俺たちの存在が知られることはできるだけ避けたい。あらかじめ放っておいた『首無し(ヘッドレス)』からの情報によれば、すでに相当数の『ヤドリギ』所有者が東居住区に突入している。先行して突入した『伐採者』二名を除くと、一番のりで『イチョウ』へ近づいているのが、あの『庭師』の少年達だ」
「—そうか」
マルンは続けた。
「そして、先行して突入した二名の『伐採者』、そのうち一人は特質個体の単独伐採記録保持者ときてる。こりゃ、俺たちの出る幕はないかもなあ、好都合ではあるが」
「そうだな。だけど特質個体はそこまで甘い戦いはさせてくれねえよ」
ジャックの思いつめたような顔にマルンは違和感を覚えた。しかしこの場では、彼への念押しをするにとどめた。
「いいか、自分で決めたその『命題』を思い出せ」
「『計画:ブレインシードの破壊』だ」
「そうだ。繰り返されている—らしい—この世界でお前がなすべきことを、あの部屋で俺に語ったことを思い出せ。そのために必要なことだ。だから—」
マルンの言葉に被せるように、ジャックは続けた。
「分かってるよ。『何もしない』」
「それでいい—じゃあ行こうか『木こりのジャック』。作戦開始だ」
未だ浮かぬ相方の表情に釈然としないものを抱えたまま、マルンは東居住区へ足を踏み入れた。
簡単な用語解説(用語:ルビ)
『蜻蛉:ドラゴンフライ』:トンボ型の『首無し』。高速飛行をはじめとする機動力に優れるが、同じ昆虫をベースとした『飛蝗』に比べて持久力がない。そのため使役するものは『植木鉢』内部で活動する『庭師』等に限られる。




