『イチョウ』:東居住区防衛戦③
ジャックは一人、炎に包まれる東居住区を疾走していた。前方には彼に二十メートルほど先行する形でシャロンの制御下にある『狼』が三頭、先行している。そしてそのはるか後方に、『渡鴉』が二羽、後を追うように飛行していた。
いずれも頭部に強化炭素鋼性の爪が付けられた戦闘仕様だ。走力も、身体能力を装備品によって強化された全力疾走のジャックに引けを取らない。おそらく後方からは『馬』に乗ったシャロンとユズリハが追ってきているだろう。
本来であれば、『監視塔』を通さずに『首無し(ヘッドレス)』に複雑な命令をリアルタイムで伝えることは難しい。『漂白域』や『イチョウ』が勢力を広げつつあるこの東居住区内であればなおのことだ。
しかしシャロンの『指輪』の制御下にある『首無し(ヘッドレス)』は、『監視塔』を通じたものよりも格段に正確に、かつ精密に駆動していた。並の相手であれば、制圧もたやすいだろう。
―『狼』の四、五頭か『禿鷲』の五十羽もいればまだ戦えるのに
事実、東居住区に蔓延る純白の人型—『ムスペル』と呼称されていた―をすでに数体、屠り去っていた。
『漂白域』を歩く『驢馬』の上で手足をじたばたさせながら不平をぶちまけるシャロンの姿を思い出す。彼を侮っていたわけではなかったが、ジャックは改めて相棒の力に舌を巻いた。複数の『首無し(ヘッドレス)』を同時に支配下に置く同調能力、かつそれぞれを並行して操作する処理能力。これらの才能を同時に兼ね備えているのは、ジャックの知る限りではシャロン只一人だ。
『ヤドリギ』を形作るために必要な『加害のイメージ』を持ちえぬ彼が『庭師』として認められているのも、ひとえにこの才能あっての物であった。
はるか視線の先には『イチョウ』が燃えさかっている。その少し手前には黒い影が二つ、建物を飛び移りながら『イチョウ』に接近しているのが確認できる。先行して突入した『伐採者』だろう、とジャックは推測した。
―だけどそれにしても異様に速い。よほどやり手だ。『右腕』の力を別にすれば、あの「木こりのジャック(ランバージャック)」に並ぶかもしれないな。
彼らの通っただろう軌跡に目印のように散らばる『ムスペル』の残骸が、彼らの進行速度と腕前を証明していた。
「いいかいジャック、『庭師』としての僕らの目的は一つだ」
東居住区へ向かう『馬』の上での会話を、ジャックは思い出していた。
「もちろん、『イチョウ』の伐採だ。ただし君は伐採に加わっちゃならない。あくまでも『伐採者』の補助、民間人の救助に重点を置くこと」
『馬』上の先頭に座るシャロンは指をふりふり相棒に言い含めた。
「そのつもりだ。僕の『ヤドリギ』は伐採には不向きだからね」
ジャックは自らの大鎌のシャープなシルエットと、『木こりのジャック(ランバージャック)』の持つ無骨な大斧を思い浮かべた。前者はどう考えても樹を伐るようにはできていない。
「うーん、ゴリラみたいなぶっとい腕があれば、やれないことはないんだろうけどね。餅は餅屋ってやつだ、生憎僕らはやせっぽちの十三歳だし力技は『伐採者』に任せよう。」
最も後方に座るジャックは小さくうなずく。
「そして『監視塔』とは関係なく、もう一つ目的がある。人型存在、『ムスペル』の排除及び正体の看破だ」
シャロンの言葉に、すぐ後方に座るユズリハは万感の意を込めて大きくうなずいた。
「あれに関しては全く正体がわからない。わかっているのは『漂白樹』以来の敵性体で、なぜかユズリハを呼んでいるってことだけだ。それも師匠の声でね」
「ジャック、作戦は一つだけだ。見つけ次第斬りまくれ。あいつらの個体数はどうやら『イチョウ』に近づけば近づくほど増えているようなんだ。つまり」
「中心部に、源泉となる個体がいる。そういうことね」
ユズリハにパチンと指を鳴らしてシャロンは声をあげる。
「その可能性が高い。『伐採者』の手助けにもなって一石二鳥さ。ユズリハと僕自身の身を守らなきゃいけないから攻撃仕様の『狼』三頭が限界だけど、僕も支援するよ」
脚を止めぬまま、ジャックは漆黒の三つ揃えに設えたホルスターから『種』を抜き取ると、自身の左腕に突き刺した。
「来い、『ヤドリギ』」
黒い杭の形をした『種』は、少年の左腕に深く根を下ろす。少年は『種』が自分の体から何かを吸い取るさまを幻視する。
ジャックが我に返ったときには、彼の手元にはぬるりと閃く漆黒の鎌が『発芽』していた。
遊びのない長柄と刃の曲線は、彼自身の『加害のイメージ』そのものだ。
限りなく姿勢を低くし、強化された脚力のまま飛び出すと、ジャックは目の前に躍り出た『ムスペル』の一体を薙いだ。
刃が通り過ぎた後に一拍おくようにして、ずるりと白い体が両断される。
―やはり、僕の『鎌』は人を斬るようにできている。
蘇ろうとした赤く染まる両手の記憶が、目の前の光景の悲惨さで何とか封じ込められた。火災によって崩れた家屋、道路のあちらこちらには逃げる前の人々によって引き出されと思われる遺体が転がっている。おそらく、回る火の手の早さに運ぶのを断念したのだろう。
一酸化炭素中毒によるものは比較的綺麗だが、引っ張り出されてきたのだろう炎に焼かれた遺体はマネキンのようにつるりとして、筋肉をこわばらせて手足を天に向けていた。天使を迎え入れているかのようだ、とジャックは想像した。
助ける余地すらない。彼らと天使との熱い死の抱擁を引きはがす術は、もはや彼にはなかった。
経験したことのない惨状に、少年の敵を斬る手が、走る脚が止まる。
先行する『狼』の咆哮が、彼の精神を叱咤した。
—手を止めるな、お前にできるのは斬ることだけ。血みどろの両手を思い出している今その時に、人はじゅうじゅう焼け死んでいる!
心を持たぬはずの『狼』の咆哮が、彼にはそう聞こえた。
ジャックは走った。爆発の音がより大きく、より高く火が上がり、そして『ムスペル』の密度が濃い方へ。そして立ち止まる。
そこには、それまでとは一線を画した風景が広がっていた。本来立ち並んでいるはずの建築物は、例外なく木々や草花に覆われている。それらは漂白されたように真っ白で、そのすべてが橙色の炎に揺らめいている。
―まるで蠟燭の森だ。
『火災』の特質を持つ『イチョウ』の『森』だ。そこからはもはや死の臭いすらしない。
飲み込まれたものはすべて森の一部となっている。菌糸のようにもぞもぞと蠢く『森』の外縁は、ゆっくりとしかし目に見える速度で、確かにその範囲を広げつつあったのだ。このままでは先ほど目にした遺体もすべて、一昼夜の内にこの『森』に吸収されてゆくだろうと、ジャックは予想した。
しかし、規模そのものはおそらく未だ半径一キロメートルにも満たないだろう。今のうちに先行した『伐採者』と合流し、『漂白樹』をたたかなければ。しかし、この『森』、前情報と違って異様に攻撃性が低い—。
「おいってば!」
思考するジャックの鼓膜を男の声が揺さぶった。
「おっかしいな、さっきから『機能』で話しかけてたんだけど」
頭上から降り注ぐ声に少年は大鎌を構えた。
『木こりのジャック(ランバージャック)』が装着していたものと同じ、防護服に身を包んだ男が彼を見下ろしていた。手にした黒色の鉈にはかぎ状の刃が設えてあり、その突起部分を枝にひっかけることで枝にぶら下がっている。
マットブラックのバイザーの奥からはややハスキーな男性の声が響いてきた。
「君くらいの子にそんな怖がられると、オジさん結構傷ついちゃうんだけどな…っと」
男は枝から体を振って飛び降りた。ばしゃりと音を立ててバイザーが上がると、中からは豊かとはいえないが鮮やかな栗色の髪と切れ長の目が現れた。
「その三つ揃え(スリーピース)―『庭師』だね。初めまして、俺はローレル—見りゃわかると思うが『伐採者』だ」
「ジャックです。おじさん一人? さっきはもう一人いた気がしたんだけど」
周囲を見渡して問いかけるジャックに、ローレルはぽりぽりと頭をかいて言った。
「ああ見てたのね、今は『森』の外周を調べに行ってるよ―『監視塔』との連絡拠点の設定も兼ねてね。彼女、ちょっと頭のネジが緩み気味だから気を付けた方がいい」
「一人で大丈夫なの? 特質個体って相当強いんでしょ」
「大丈夫大丈夫。まだ中心の『樹』に直接攻撃を仕掛けたわけじゃないから、積極的に僕らを襲ってはこない。それに信じがたいことだけど、俺らに森の生物をぶつけたところで、撃退されるだけだとわかってるみたいだ。だから今のところは平気。それに―」
「それに?」
ローレルは右目をすがめ、歯を見せて笑った。
「相当強いから、あの子」
―ちょっと待て。
ジャックはローレルの言に引っかかりを感じた。
―『イチョウ』は相手の力量を判断するだけの識別能力がある、とすれば。
―一般人に過ぎないユズリハはどうなる?
ジャックは『伐採者』に訴えた。
「おじさん! 僕の—友だちが危ない!」
簡単な用語解説(用語:ルビ)
『渡鴉:レイブン』:ワタリガラスをもとにした『首無し』。ハシブトガラスを基にした『烏:クロウ』よりも航続距離が長く寒冷な気候にも強いが、生産コストが高く、攻撃性も低い。
『狼:ウルフ』:ハイイロオオカミを基にした『首無し』。脚力をはじめとした身体能力に優れる。頭部は攻撃仕様にされるものがほとんど。『犬』よりも生産コストが高い。
『鉈:ウッドマンズ・パル』:『伐採者』ローレルの持つ鉈の形をした『ヤドリギ』。先端にかぎ状になった刃がついています。あくまでも鉈の一種を指すものなので鉈を総称するものではありませんが便宜上このように記載してあります。




