『イチョウ』:東居住区防衛戦②
『庭師』の少年二人にユズリハを加えた一行が東居住区を分断する『水母』の外縁部に到着したのは、二名の『伐採者』が突入した数分後のことである。『水母』の皮を透過して、彼らに内部の熱が伝わってくる。
高速での移動に耐えうるように遺伝子操作された『馬』から飛び降りた彼らは思わず口にした。
「うわ、熱っついな…こんなにヤバいの? 特質個体ってのは」
「らしいぜ、これまでにも五つしか出てきたことないってさ―」
ペストマスクの少年はうんざりするように答えるが、その声にはやや震えが混じっている。
「『乱流』の『サンゴジュ』と『洪水』の『クロマツ』…今からお目にかかれる『火災』の『イチョウ』は五本目だ。全く貧乏くじだよね僕ら」
「そんな怪物の巣窟に、ユズリハが呼ばれてるときた」
ジャックは隣に立つ少女に確かめるように問いかける。
「君はあの中から師匠が呼んでるって言ってた—確かなんだね?」
先刻から一人黙り込む赤毛の少女は、びくりと肩を震わせる。先ほどまでの闊達な様子は雲散霧消してしまっている。
「間違いない、お母さんはあそこにいる」
「『イチョウ』が呼んでいるのか?」
「—ううん、多分『漂白樹』とは別。『首無し』のデータを吸い出す段階でたまに『漂白樹』のノイズを拾うことがあるけど、それとはまったく違う。あれはお母さんの声だった。あの無尽蔵に湧いて出てくる人型、お母さんの声を発しているのはあいつら」
喉の奥に何かの塊を詰まらせたように、ユズリハは答える。
「『監視塔』もそう判断したみたいだ。以後、あの人型を『ムスペル』と呼称するって―。でも、どうして? 師匠はあの時『脱命』して、死—」
「シャロン!」
シャロンの思わず口をついて出た考えに、ジャックは語気を強めてたしなめる。
「—いいの。そう、お母さんは死んでいるはず。私だって信じられない」
「ユズリハ、君は残るんだ。やっぱり危険だ」
事実だった。『育種家』としての技能を持つにせよ、戦闘経験がない彼女にとっては一挙手一投足が死につながりかねない。
―それに、何を目にするかわかったもんじゃない。
とは、ジャックは口にしなかった。
「—いいえ、行かせて」
「ユズリハ!」
シャロンも止めに入るが、ユズリハは目で静止した。
「ジャック、あんた覚えてる? 初めてあんたに会ったとき、お母さんが言ったこと」
白斑に覆われた少年は目の前の赤毛の少女に首肯する。
「『君の道の形も、歩き方も、君自身がゆっくり決めればいい』—もちろん。片時も忘れたことはない」
「あたしは―あんた達がうらやましかった。例え『監視塔』の保護が得られなくても、自分で道を決められるジャックが。『指輪』に選ばれて、『ヤドリギ』もなしにジャックの隣に立てるシャロンが」
息をのむ音とともに、ペストマスクがわずかに揺れる。
「だから、これは”チャンス”なの。あたしがあたしの意思で、あたしのできることであんた達と一緒に戦って、あたし自身を認めるチャンスなの。そして、ありえないことだけど、もし本当にこの声がお母さんの物なら―」
ユズリハは少し逡巡し、しかしきっぱりと言った。
「伝えてあげなくちゃ。あたしはちゃんと生きてるって。与えられた『命題』の上でも、あたしは自分で道を決められるって。あんたたちは心配してくれてるみたいだけど、『イチョウ』がどんなに危ない奴かなんて―」
彼女は震える手で自分の頬をひっぱたく。パチンと乾いた音が響いた。
「行ってみなきゃ、分かんないでしょう!」
その声にもはや震えはなかった。
若干十三歳の少女の輪郭に、自分を母と呼んでほしいと言ってくれた女性の輪郭が重なるのを、『庭師』の少年たちは見た。
「君、やっぱり師匠の娘だ」
ペストマスクの裏から、ははっと笑い声が漏れる。
「じゃあ行こう。ただし無理は禁物だぜ」
シャロンが『指輪』をかざすと『水母』の膜が一部、ゲートのように口を開けた。
内部では燃えさかる炎のオレンジ色と、煙の黒がまだらを作っている。あらゆるものが燃えて渾然一体となった煙の臭いと熱風が、小さい体に容赦なく吹き付ける。『植木鉢』の史上きっての地獄に、少年達は脚を踏み入れた。
彼らに少し遅れ、『水母』の膜に空いた穴を二羽の『渡鴉』が通過したのに気づいたのは、ジャックだけだった。
『ムスペル』:『緑』の手によって現れた純白の人型存在。無数に分裂する特性を持つ。




