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『巨人の国』:後編

 「セーフセーフ。細工は流々、仕上げを御覧(ごろう)じろ!さあさ、発芽の瞬間だ!」


 ぼりん。


 鈍く、くぐもった爆発音。それは、内側から突き破られた頭蓋骨が発した音だ。男の頭蓋を鉢にして、純白の『樹』が顔を突き出した。寝起きの赤ん坊のようにも、長い時を経て目覚めた蛸の怪物の触手のようにも見えた。


 『樹』は、瞬く間に『(リディス)』の背丈を超え、ぐんぐんと成長してゆく。


 感嘆の声をあげながら、彼は『樹』の成長を観察する。『樹』の葉の葉脈は扇のように外側に広がり、幹からも直接ところどころ散発的に葉が顔を出している。そして枝にはそれぞれ特徴的な実が鈴なりになっていた。


「久しぶりに見たけど、すっごいな。これは—『イチョウ』かな?」


 独り言ちる彼の足元に『イチョウ』の実が落ちてきた。彼はそれを拾い上げると、軽薄に文句を言った。

「ニオイがしない『漂白樹』とはいえ、あんまり嗅ぐ気にはなれんよな」


 しかし何かに感づいたのか、その実を上方へ高く放り投げた。

 彼の頭上数メートルで、『イチョウ』の実は爆発した。

 凄まじい爆音。その振動がびりびりと『(リディス)』の鼓膜を打つ。

 そして葉は発芽と落葉を繰り返し、発火しながら周囲へ炎をまき散らした。


 その様を見て、『緑』は言葉なく感嘆した。


 —まさか「特質個体(ユニーク)」のおまけ付きとはね。


『漂白樹』の極極一部に確認される、特殊能力を持った『漂白樹』である特質個体(ユニーク)。その『火災』の能力が、『(リディス)』に牙をむいている。

 次々と絨毯爆撃のように降ってくる『イチョウ』の実を避けながら、彼は笑った。


「『樹』になってまで、そこまで僕が怖いのかい? それはそうか、自分を狂気の海に突き落とした張本人だものね……いや、もしかしてこれは君の意思かな、『(リディス)』」


 『(リディス)』という自身の物であるはずの名を呼びながら、ガスマスクの男は銀灰色の霧に紛れその場を離脱する。改めて離れた住宅棟の屋根から『イチョウ』を観察した。


 今や樹高は10mほどにまで達し、周囲の人間を飲み込みながら自らのサークルを広げている。その外縁には純白の木々や草花が生い茂り始めている。


 『漂白樹』は『森』を形成しつつあるのだ。いずれは獣や鳥、虫たちを生み出し、完全な漂白生物だけの生態系を展開しながら、この地下都市を征服するだろう。


 離れた住宅棟の屋根の上から、東居住区に展開されてゆく『森』を観察しながら、ガスマスクは楽しそうに揺れた。


「来い来い、『伐採者(ランバージャック)』たち。早くしないと『植木鉢(バイタルフレーム)』全土が飲み込まれちまうよ—と、」

「あんたもそうだったね」


 『緑』が声をかけたのは背後にたたずむ人影だった。

 マットブラックの防護服に、ホルスターには『ヤドリギ』の種が二つ。一つは純白である。

 『伐採者』だ。

 

 『イチョウ』にも、住人に危害を加えた『緑』の行動にも何ら反応することなく、下ろされたバイザーの奥から事態の顛末をただ眺めていた。


 『緑』もまた背後の『伐採者』の存在をそれ以上気に掛けるそぶりもない。

 恐怖から我に返り、『イチョウ』のまき散らす炎と爆発から逃げる人々の間を縫いながら、自らの思考に沈んでいた。


 ―『恐怖』の解錠は済んだ。残りは二つ『憧憬』と『殺意』のみ。あのクソみたいな『木こり(ランバージャック)』は『(ルベル)』が始末したからもう怖くない。もう、怖く―


 彼の耳元に、漆黒のチェーンソーの鼓動音がよみがえる。


『木こり(ランバージャック)』の瞳から放たれる視線に貫かれる感覚が皮膚の上に再現され、鳥肌がぽつぽつと浮き立った。チェーンソーの分厚い漆黒の刀身を走る鋸刃が、彼の肉体を食い荒らす―。


 自身の内省に、彼ははっと我に返る。


()()()()()()、だって? 馬鹿言うな。俺にはもともと『恐怖』なんてない。あるのは純粋な『狂気』だけなんだから。この世界は螺旋(ライフリング)だ、同じところはもう二度と通過しない」

 

 『(リディス)』はくすくすと身を震わせて笑っている。脳裏にフラッシュバックした『木こり(ランバージャック)』の記憶を洗い流すかのように。

 

 彼は『水母(ジェリーフィッシュ)』の傘に覆われた『植木鉢(バイタルフレーム)』のはるか上方を見上げる。東居住区の上空には、地下都市であるにもかかわらず薄い雲が張り始め、わずかではあるが雪片が舞い始めている。『イチョウ』が『森』の拡大のため、雪雲を生成しているのだ。いわゆる通常の『漂白樹』と比べ、その展開速度の速さは異様であった。


 『(リディス)』によって『イチョウ』の足元に放置された容器は、『イチョウ』の実の爆発によって破壊されている。内部に保存されていた頭部はその衝撃によって外部へ放り出されていた。

 その頭部へ、一匹の百足(むかで)が這いよる。それを皮切りにして、『イチョウ』を核とした『森』から生まれた純白の生物が、凝集を始めた。


 ぐちゃり。

  ぐちゃり。

   ぐちゃり。


 白い泥のように形を崩し溶け合いながら、彼らは形を成してゆく。

 かくして姿を現したのは、純白の人型であった。


 『カエデ』の『森』に姿を現したのと同じ、無貌の人型。しかしそれと決定的に異なるのは、その体高である。『緑』が『ヨートゥン』と呼んだ十数メートルにも及ぼうという『カエデ』の巨人に対し、二メートルにも満たないほどの大きさしかない。

 人型はうねうねと、しばらく操縦方法を探るように手足を動かしていたが、やがてその動かし方を習得したのか、『森』の外縁へ向かって歩き出した。


 何かにおびえているかのようにふるふると震え、盲人のように手を前に突き出しては、手探りで何かを探しているようなしぐさを見せている。


 —何を探しているんだ? 『巨人』を制御するのは難しいんだよな。あの斥候のおじさんを核にしたアイツはいきなりキレるし…


 不意に、肉が裂けるような、水を含んだ音が響く。


 ぐちゃり。


 一歩を踏み出すごとに、無貌の人型は新たな複製体を生み出した。

 その数は爆発的に増えてゆく。『イチョウ』によって着火・炎上したそれらは、火を拡大させる自走式の薪となって、東居住区へ広がっていった。


「ふん、相変わらず訳がわからん」


 無貌の人型のおかしな挙動に鼻を鳴らしながら、『緑』は背後の人影に語り掛けた。

「あんたの役目は—分かってるね? あの『庭師』のガキは必ずやってくる」


 バイザーを下ろした頭部が軽くうなずきを返し、『伐採者』は姿を消した。

 『緑』のガスマスクのゴーグルに映る炎が揺らめく。


「今に見てろよ。必ず行ってやるからな。僕を生み出した狂気の源泉、『巨人の国』へ」


 『緑』はそうつぶやくと、左手の管から放出された銀灰色の霧に紛れ、姿を消した。


 ▲▲▲

『▼繰り返します、大至急、対処へ向かってください。出現場所は―『植木鉢(バイタルフレーム)』内、東居住区(イーストエリア)。繰り返します―』


「ジャック、行かなきゃ」


 うわごとのようにつぶやくシャロンを揺さぶって、ジャックは訴える。


「教えてくれ、シャロン、何があった!」

「『漂白樹』だ、『漂白樹』が現れたんだ。この『植木鉢(バイタルフレーム)』の中にだ!」

「—」

 息をのむと同時に、白斑に覆われたジャックの右目を激痛が苛んだ。聞き覚えのある澄んだ声が閃く。


 ―まさかここまで侵食されて、生き残っているなんて。

 —あなたは、私の復讐の手段になるの。


「ジャック!」 


 耳朶を打つ相棒の声に、ジャックは我に返る。


「何ボーっとしているんだ、君らしくもない。『植木鉢(バイタルフレーム)』の皆を守るんだろ! なら行かなきゃ、東居住区(イーストエリア)へ! 」


「—ありがとう、シャロン」


 少年は礼を言うと、うずくまっている棕櫚亭(しゅろてい)の主人を指さしながら、傍らの震える少女に含めるように伝えた。


「いいかい、『共振波(メンタルノイズ)』が収まっておじさんを介抱したら、すぐに家に戻るんだ。『漂白樹』が東居住区に出現した」


 赤毛の少女は、少年の手を放して立ち上がると、今だ震えもとれぬままに『庭師(リーパー)』の少年たちの手を握って頼んだ。


「私も、東居住区に連れて行って」


 激烈に反駁したのはペストマスクの少年である。


「ぜ、絶対だめだ! ユズリハが行っても、それこそ何にもならない!」


「私は! ―私は『育種家(ブリーダー)』。シャロン、あんたの『首無し(ヘッドレス)』のサポートくらいはできる。それに―」


 ユズリハは一瞬口をつぐんだ。自分がこれから口にする言葉が、どれほど馬鹿馬鹿しいかを確かめるように。


「—呼ばれてるんだ」


「呼ばれてるって、誰に?」


 ジャックはユズリハの眼を見て問う。


 少女は震える声で、しかしはっきりと口にした。


「お母さん」


「師匠が……?」


『庭師』の少年二人は、顔を見合わせる。ジャックは強く唇を引き結び、奥歯を嚙みしめた。

 彼は思った。シャロンもまた、マスクの裏で同じことをしているに違いないと。


▼▼▼


時刻は同じく、南居住区マルンの住処にて。

 マルンは自らを襲う『恐怖』に激しく身を震わせながらも、何とか錠剤を一つ飲み込んだ。『カエデ』の地下で、『腕』の発作に苦しむジャックに渡した薬と同じものだ。飲み込むとすぐに、彼の震えは収まった。


「マルン」


 駆け寄るジャックに、手を掲げて制止する。

「緊急事態だ。東居住区に『漂白樹』が現れた。何の前触れもなく、にょっきりとな」


「馬鹿な」


「お前はこの数日で何回『馬鹿な』と思った? 突拍子もない現実ってやつは、大抵俺たちの理解の先にやってくるもんさ。今やすべての『伐採者』『斥候』、それに『庭師(リーパー)』に至るまで―つまり、全『ヤドリギ』所持者が東居住区に召集されている。当然だが『監視塔(ウォッチタワー)』のやつ、随分と慌てているらしい」


「あのガスマスク野郎の仕業か、まさか『漂白樹』まで生やし始めるとは思ってなかったけどな。花屋でも始めるつもりか?」


「ガスマスク付けた花屋に客は来ないよ―それはともかく、可能性は極めて高い。あの猛烈で偏った『共振波(メンタルノイズ)』をはじめとして、現地では『顔のない人影』が無数に確認されているという話もある。—行くか?」


 ジャックは、『カエデ』の『森』で自身の右腕を吹き飛ばした無貌の巨人を思い出し、眉間にしわを寄せた。

―あの中にはスパイクがいた。『顔のない人影』とやらがあの巨人と同じ存在ならば―。


「もちろんだ。あのクソマスク野郎を張り倒して、ありとあらゆることを吐かせる」


「いいのか? あそこには『ヤドリギ』を持った奴らがわんさか集まるんだぜ? 十中八九、身元が割れる」


「あんた、さっき『庭師(リーパー)』も集まってると言ったな。じゃああのガキ共も来てるってことだ。『カエデ』の森から無事に帰ってきてるんならな」


 マルンはにやりと口の端に笑いを浮かべる。

「ほーう? あいつらを助けに行くのか?」


『木こり』の青年は眦をきつく上げて反論する。


「違えよ! 一度助けた奴に死なれるのは、あんまり寝覚めが悪いんでな―笑ってんじゃねえ!」


 まじめに取り合わない友人を諭すような響きがそこにはあった。


「とりあえず、俺が戻るまで待ってろ。絶対に外には出るな」


 ジャックの忠告にマルンは一転して表情を険しくした。


「そうしたいとこなんだが、悪いニュースが一つだ。件の『漂白樹』—『イチョウ』と呼称するようだが―は、どうやら特質個体(ユニーク)だ。『森』の展開速度が異常に速くて、『植木鉢』内でも通信障害が出始めている地域があるらしい。お前と連絡を取れなくなることの方が危険だ。」


 そして第一と、マルンは人差し指をジャックの鼻先に突き付ける。


「『助手』にだけ危険を背負わせるわけにはいかない。安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)なんて、俺には結構なご身分すぎる」


 特質個体(ユニーク)。これまででもわずか五例しか確認されていない、漂白樹の中でも極めて攻撃性が強く、強力な個体だ。ジャックは眉間に寄せたしわをまた深くした。


「『イチョウ』とやりあいながら、お前を守るだと? 流石に無理だ」

 首を振って拒否するジャックに、マルンはポケットから指輪を取り出した。鈍い金色に輝くそれを右手の人差し指にはめると、自分を心配する青年を安心させるように言った。


「自分の身は自分で守れるさ、ある程度ならな。それに―」

「それに?」

 マルンの足元には、『カエデ』の地下からジャックに同伴してきた犬型の『首無し(ヘッドレス)』がすり寄っていた。

「こいつを再び危険にさらすのは、どうも気が引けるんだ」

 ジャックは大きくため息をつく。

「勝手にしろ。—やっぱりあんた、正気じゃないな」


と吐き捨てると、自身の防護服のホルスターに『ヤドリギ』の『種』を差し込んだ。


「正気な奴なんているもんか。人間だれしも、何らかの狂気に突き動かされて生きてるんだからな」

 ジャックは自身の異形の右腕を一瞥すると、マルンに質問した。


「あんたの『狂気』はなんだ?」


「俺の狂気か…俺はどこか、新たな世界を見てみたいのさ。辛気臭い地下都市に居ちゃ叶わぬ夢だけどな。そんな抑えきれない()()を『監視塔』は読み取ったに違いない」


「あんたが『小説家』をやっている、それが理由だってのか」


「ただの予想さ。—それじゃあ、行こうか。目標は二つ。『イチョウ』の伐採、そして『(リディス)』の捕縛だ」

 マルンの声を皮切りにして、『探偵』と『助手』は玄関へ向かった。


▼▼▼

『木こり』と『庭師』。一人の男の殺人事件を契機として出会った二人のジャックは、再び邂逅しようとしていた。

『特質個体:ユニーク』:『漂白樹』の一部に確認される特殊能力を持った個体。通常種に比べてコロニーの展開速度が極めて速いため危険性が極めて高い。特殊能力は個体によって異なり、『森』の生物にもその能力が発現する。


『イチョウ』:『特質個体』の一体。『特質』は爆発性のある実と発炎する葉を無尽蔵にまき散らす『火災』。

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