『探偵と助手』①
「クソ、こういうのを焼きが回ったっていうのか」
―仮にも俺を殺しにかかってきた相手だ。助ける必要がない。だが。
―「やだやだ、死にたくない!」
脳裏に弟の顔が浮かんだその時には、彼は『庭師』の少年の方へ駆け出していた。
「一度だけだ。次は右腕どころじゃすまない。俺の邪魔をするようならな」
地下数十メートル、『樹』が崩壊し、その根がはりめぐらされていた空間にジャックは座り込んだ。『庭師』の目も及ばず、『森』解体用の『首無し』もここまでは来ない。
仕事柄、いや『命題』柄、とでもいおうか。『漂白域』での野営には慣れている。『根』が設置できなければ、『森』の踏破は自らの脚でなさねばならない。
『俺たちは、お前らを安全に送り届けるためにいるんだが。本当にすまない』
誰の言葉だったか。『右腕』から流れ込んだ記憶と自身の記憶が混在して、うまく思い出せない。
―そうだ、スパイクか。『ネムノキ』の伐採任務の時、『根』が敷設できずに申し訳なさそうにしていたっけ。—おや。
眼球がじんわりと薄い膜に覆われたように、視界がぼやける。眼球を覆う膜は次第に厚く熱くなって、やがてぽとりとジャックの膝に落ちた。
―『命題』の都合で偶然一緒になっただけの、ただの仕事仲間だ。気にかける義理なんてどこにもない。もしどちらかが死んだら、また別の『斥候』、別の『伐採者』が任務を受け継ぐ。それだけの、お互いに替えのきく関係だ。すべては『植木鉢』の中で生命を循環させるための巨大なシステム、その一部分にすぎない。
しかし、どれだけの彼の主張があろうと、それを黙って聞き入れるものはおらず、また的確な答えを返してくれる『監視塔』も、今や彼の敵だった。あの白斑に覆われた『庭師』の少年の姿が脳裏にふと浮かぶ。
—あんなガキに何を期待しているんだ。
振り払うように頭を振ると、ぽとりと、また何かが地面に落ちた。
『いいかい、人はみんなが助け合って生きているんだ』
「うるさい」脳裏に響く声をかき消すようにつぶやく。
『君達を助けてくれるのは『ぎょろぎょろさん』だけじゃない。それを忘れなければ大丈夫だ―』
「うるさい」左腕で膝を抱え込んで、強く抱き寄せる。
『—お父さんがいなくてもね。約束するよ』
「全部失った後で、思い出させるんじゃない」
ジャックは、懐かしささえ感じる自分に怒りを覚えた。
そのかすかな怒気に反応したのか、『右腕』が脈動する。
ぶくり、と頭の中が泡立ったように感じたのもつかの間、『腕』は、彼の脳に情報を流し込んできた。
勢いは『腕』を接続されたときとは比べ物にならない。それは『履歴』だった。
自らが殴り殺し、縊り殺し、叩き潰した者たちの歪んだ顔、そして怒りを抽出した断末魔。その一覧を、ただ無機質、勝つ無遠慮に脳髄に流し込まれる。
「やめてくれ!」
ジャックは叫び、『腕』を殴打する。しかし、その勢いは止まらない。ぶくぶくぶくぶくぶくぶく。怒りは脳髄を沸き立たせる。
右腕からは太いツタがびしり、びしりと突き出し、ジャックを飲み込み始めていた。
そのさなか、彼は声を聞いた。
『『灯台下暗し』たぁよく言ったもんだぜ。『樹』の根っこの空洞とはな!』
声の主は、犬型の『首無し』だった。頭部には録音機能を兼ねたスピーカーが取り付けられ、声はそこを通じて出力されているようだった。
『そして、『備えあれば憂いなし』ってな。こいつを飲め』
つけられた首輪には、カプセルが取り付けられている。
その首輪には見覚えがあった。
「その『首無し』、スパイクの…」
『さっさとしてくれ、そのろくでもない『腕』がこのワン公とお前を飲み込まないうちにな。『命題』―やらなきゃいけないことがあるんだろ?』
―どこの誰かは知らないが、今はそれしかない。
首輪からカプセルを引きちぎるように外し、一気に飲み込んだ。
「うっ!」
かっ、と一瞬体が熱くなるのを感じたが、その熱はすぐに引いていった。比例するように、『腕』から流し込まれる断末魔も引いていく。熱した金属を冷水に漬けたような、劇的な変化だった。平静を取り戻していくにつれ、体が強く酸素を求めた。
「ぶはっ、はぁ、はぁ」
そこで初めて、ジャックは自分が呼吸をしていなかったことに気づく。その様子を見ていたのか、声の主はひとまず安心といった様子で声をかけた。
『落ち着いたようだな、ジャック』
「誰だ、スパイクの知り合いか」肩で息をしながら問う。
『スパイク?あぁ、このワン公の飼い主か』
『首無し』を飼うってのも悪趣味な話だが、と声は笑った。しわがれた、しかしどこか若々しさを保った、聞いたことのないその声は、自らをこう名乗った。
『俺の名はマルン。小説家だ』
―どこかで聞いた、いや見た名だ。ジャックは大急ぎで記憶のページと『機能』のライブラリを手繰る。該当するページが一つあった。徹頭徹尾退屈な、列車に乗った男の小説。
『転轍機』著:マルン
「『転轍機』か!」
『おおそうかそうか、ファンに会うのは初めてだ!サインか、ちゃんとした署名作ってもらうべきだったなー』
やけに嬉しそうな声がスピーカーから流れ出る。なぜか『首無し』までもが尻尾を振っている。
「—いや、その。ファンというわけでは」事実を述べる。
『—そうか』
マルンと名乗った声の主は、わかりやすく声のトーンを落とした。『首無し』も、尻尾をたらんと落とした。
『もうすぐ新作が出るから、そちらもどうぞよろしく…』
などとぶつぶつ言っているのが聞こえる。
―正直に答えすぎただろうか。
思わず心の中でつぶやかれた、同情の言葉にジャックは驚いた。
―どうも調子が狂う。なんだかこいつのペースに乗せられているようだ。『植木鉢』の住人であれば、今『監視塔』に通報していてもおかしくないのだ。
「新作なんてどうでもいい。あんたには三つ、答えてもらう。」
ジャックは『首無し』の前に三本指を突き出し、語気を強めた。
「一つ、あんたは敵か、味方か」
「二つ、どうやってこの場所が分かった」
「三つ、なぜ俺を助けた。どこまで知ってるかわからないが、俺は『脱命者』、それも殺人者だ。その保護が『自己保存の放棄』に抵触する可能性があることは分かるだろ」
マルンはしばらく黙っていた。『脱命者』であることを聞いて、今まさに通報を行っている最中かもしれない。
―軽率だったか。
そうなれば、先ほどとは別の『庭師』がやってくるだろう。今のジャックには対抗する余力は残っていなかった。
先ほどの『庭師』の奇襲の苛烈さから『監視塔』からの捕縛命令の文末には『生死問わず(デッドオアアライブ)』の文言が付記されているらしいことを、彼は薄々感じ取っていた。
―今すぐに目の前の『首無し』を殺ってしまい、より遠くへ逃げるのが得策か。ジャックが『右腕』に力を籠めようとしたその時。
『よろしい。では順番に答えよう―てかワン公、殺そうとしてただろ?信用ないのか、俺』
くーん。
『首無し』が鼻を鳴らし、身をすくめる。
「当たり前だ。いいか、簡潔に答えろ。今この時にも、『監視塔』に通報していないとも限らないからな」
『そんなことしないよ、まあいい。一つ、俺は味方だ。条件付きでね。』
『二つ、この『首無し』のにおいの記録をたどったのさ。こいつの飼い主と接触したことがあったろ』
『三つ、これが最も重要だ。俺は、君に保護を依頼しに来た。君の元『伐採者』としての腕前と、その『右腕』を見込んでね』
―ほご。保護か。
いくつかの同音異義語を文脈に当てはめ、最も齟齬のないものを思い浮かべたはずだった。
「何を言ってる?」
『簡潔にいえ、といったのは君だろう?よろしいもうちょっと詳しく言おうか』
『俺は一度殺されている俺は一度殺されている。あのガスマスクの男に、だ』
―僕はあと、三人殺すよ。君と同じ『脱命者』をね。




