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『人生万事塞翁が馬』:後編

改稿して長くなったので、読みやすいよう二話に分けます。

「ね、ジャック。僕がこのマスクを着けている意味、君に話したことがあったっけ」


 シャロンはペストマスクを指輪をはめた人差し指でつんつんとつついて言った。


「うん、初めて会った時に一回だけ。確か、視野を制限して『首無し(ヘッドレス)』との情報共有の精度を高めるためだっけ」


「そそ、よく覚えてたね。でもね、その理由をさておいても師匠がくれたこいつは色々と都合がよかった」


 声の調子にどこか自嘲のような響きを混じえながら、話を続ける。ペストマスクの黒いのぞき窓には、ぼんやりとした光が反射していた。


「こいつを被ると、世界が暗く狭くなる。『機能』を通じて『首無し(ヘッドレス)』が伝えてくる情報の代わりに、いろいろなものが見えづらくなる。ユズリハの顔や、あの真っ黒な『監視塔(ウォッチタワー)』、それに『ヤドリギ』を扱えない自分自身も。僕は精々自分の手元でいっぱいなのさ」


「だから君の顔を覆う白斑も、僕には見えない、見る気すらない。—もちろん、『鎌』の形をした『ヤドリギ』もね。ジャック、君がいくら自分の罪深さを主張しようと、僕はそれを否定するつもりだ。何しろ見えないものを立証するのは骨が折れる」


 ここまでゆっくりと、だがよどみなく一息に口に出してしまうと、シャロンはジャックにマスクを向け、軽く肩をすくめた。


「全てを見ている存在(ヤツ)なんて『監視塔(ウォッチタワー)』だけで十分だろ?」


「ごめ—ありがとう、シャロン」

 それ以外の言葉はなかなか出てこなかった。


「それだけ? まったく、一生懸命話して損したよ」


 シャロンはそう言って笑いながら、ばん、と彼の背中をたたくと、階段を駆けおり始めた。


「まずはごはん、食べに行こう!汚れた手ならしっかり洗って、いただきます、これで解決!師匠もそう言ってたろ!」

「師匠か」

 

 ジャックの脳裏に、まぶしい赤毛を揺らして笑う、女性の声が去来する。彼が漂白域からやってきたあの日、自分を母と呼ぶように言ってくれた、あの女性の声が。


「—ありがとう」ジャックは再度かすかな声でつぶやき、後を追った。

「さてさて、どこで食べようかな」

「『棕櫚亭』がいいな」

「お、いいね!そうと決まれば—」


 長い長い階段を駆け下り、『首無し』の生産プラントにつながるドアをばたんと開く。飛び出した二人を待ち構えていたのは、一人の少女であった。


「げっ、ユズリハ…なんでここに」


 ふん、と鼻を鳴らすのに従って彼女の髪が揺れる。夕日のような赤毛が。

「あたしの『命題』忘れたの?『『首無し』の生産、並びに記録(ログ)の管理及び分析』、『育種家(ブリーダー)』よ」


「「あぁ…確かにおっしゃる通りで―」」


―『水母(ジェリーフィッシュ)』が破られたのを感知できたわけだ。と彼らが納得するよりも早く、『育種家(ブリーダー)』の少女の臨界点は訪れた。


「そんなことより—シャロン、ジャック、あんたたち—」


 シャロンがマスク越しにも関わらず目に見えてうろたえる。ジャックに至っては動かないはずの顔の右半分にさえ冷汗をかいている。


「ばぁっかじゃないのぉ!」


 『ユズリハ』と呼ばれた少女の甲高い怒号が、彼らの鼓膜を痛打した。


 △△△△


『『植木鉢(バイタルフレーム)』南端付近へ到達したな—ジャック』

『首無し』のスピーカーから突然声が響いた。『小説家』マルンを名乗る男の声だ。青年はびくりと体を震わせ、彼に抗議する。

「やめろ、心臓に悪い」


『おいおい困るぜ、こんなんでビビってるようじゃ。今からおまえにはもっと心臓に悪いことをしてもらうんだからな。今からお前には—』


「『伐採者』を襲ってもらう、だろ?」

『おお、よくわかったな、さすが俺の助手』


 拍手でもしているのか、『首無し』のマイクを通じて、ぱちぱちと乾いた音が届く。


「それしか思いつかねえだけだ。今の俺の『ヤドリギ』では『植木鉢』の生体認証をパスできない」


『その通りだ、お前が端っこに身を潜めているその『森』—かなり小さいもののようだが—そこに今からにすっ飛んでくる『伐採者』が『樹』を伐り倒した瞬間が勝負だ。死なない程度にのして、『種』を奪う。ま、お前なら楽勝さ』


 鼓舞しているのか楽観しているのか分からないマルンの声にジャックは呆れた声をあげた。


「しかしだ、お前の策もたいがい力づくじゃねえか。どこが『探偵』だ」

『ぐっ…』

 

 ジャックの『力づく』の提案を馬鹿にしたのを思い出したのか、ぎくりとした気配がスピーカーから伝わってくる。彼に追随してきた犬型の『首無し』も律儀に身をすくませた。


『いや、本来はもっとスマートなやり方はあったんだが、直前でおじゃんになってな…』

 

 マルンがもごもごと分かりやすくうろたえるさまに、ジャックは留飲を下げた。


「ああ、もういい。お前が好きなことわざ、あれだ『人生万事』…」

『『塞翁が馬』』


「それだ。じゃ、行ってくる。わかってると思うが、『森』に入ると、通信は使えなくなる」

『分かった。健闘を祈る』

「了解」

 交信は切れた。


 —さて。


 目の前には『森』が広がっている。その中心部には『樹』が厚かましく鎮座しているはずだ。だが、今回の敵は『樹』ではない。伐採者から『ヤドリギ』を奪うのだ。


 彼の思考に句点を付けるように、ぼんっ、と爆発するような音がこだました。『根』からポッドが射出された音だ。と同時に、ジャックの耳に情けない声が届く。


「ふわぁぁぁぁぁぁぁ」


 空を覆う雪雲を背景に、黒い人影がぽつんと浮かんでいる。

 ポッドを展開し降下しているものの、その軌道もどこかぎこちない。


 —さては初任務か?


 やがて、墜落した音が響く。皮肉なことに、方向だけは寸分たがわず『樹』に向かっていたようだ。

 今頃件の『伐採者』の目の前にはつるりとしたサークルと、その中央に鎮座する『樹』が目に入っているはずだ。

 そしてそのサークルに足を踏み入れたが最後、その経験の浅い伐採者は森に異物として簡単に『除かれ(ころされ)』てしまうだろう。


 —本来はそちらの方がやりやすくはある。


 ジャックは冷静に分析する。手練れの伐採者よりも、パターンが決まっている『森』を相手にし、死体から『種』を回収する方がはるかにましに思えた。

 

しかし。


「『人生万事塞翁が馬』だよな」

 ジャックは森の中央、『伐採者』が着陸—墜落—したと思しき地点に向けて走り出した。

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