『邂逅』②
「今だ、ジャック!」ペストマスクから鋭い声が放たれる。
―『庭師』はマスクのガキだけじゃない!
無数のバッタが視界を覆う、そのはるか上空から黒い塊が急降下してくるのを、ジャックはかろうじて目にした。それが持つ長い得物が、わずかに差し込んだ日光を反射してぬるりと鈍く閃く。
すさまじい衝撃が、木こりのジャック(ランバージャック)を襲った。
顔の右半分を白斑に覆われた少年による一撃を、大斧によってかろうじて弾き飛ばす。攻撃をはじかれた衝撃を利用して、少年はジャックから距離を取り、体制を立て直した。
外傷はない。それでもなお、青年の身体にはびりびりとした感触が残った。『カエデ』が変異したと思しき、あの巨人ほどの破壊力はないが、攻撃の後隙がなく反撃に転じられない。
ジャックはわずかに顔をしかめ、自らに切りかかった相手と、その得物ー『ヤドリギ』—を観察する。
「随分と悪趣味だな、死神気取りか」
対峙した少年が持っているのは、長柄の大鎌だった。それもステレオタイプの死神が持っているような、三日月形の大ぶりの刃がついている。仰々しいシルエットとは対照的に、柄から滑らかに刃へとつながる作りそのものには遊びがなく、どこまでも機能的だった。
小柄であるが故のリーチを補い、小柄であるが故の足元を切り払うための武装だ。庭師の少年の『加害のイメージ』が顕在化している。
ーやりにくいな。
しかし、相手もそう感じているはずだ。奇襲を防がれた少年の瞳に驚きの色がわずかに閃いたのを、ジャックは見逃さなかった。
一瞬の膠着した戦場に、ガスマスクの男の声が響く。
「じゃあそろそろお暇するよ、その『腕』、大事にするんだね。」
目の前で繰り広げられた一瞬の攻防を目にしながらなお、へらへらとした軽い調子を崩さない。
「あ、でもその前に」
ぽん、と手を打ち合わせて、その音に劣らないほど軽い調子で言い放つ。
「君は、邪魔か」
ガスマスクの視線が白斑の少年をとらえる。昆虫が獲物に狙いを定めるような機械的な動きだった。少年は本能的に察する。
何か、自分を害する手段を目の前の男は持っていると。
「『発散(Spread)』」
男の言葉とともに、彼の肩口から延びる管が、爆発するような勢いで濃霧を発する。周囲を飛び回っていたバッタたちは、霧に触れたそばからぼとぼとと地に落ちた。
「その霧何かヤバい、離れるんだ!」ペストマスクの少年が警告する。
濃霧から逃れるために白斑の少年はその場から一時離脱するために後ろに跳ぶ。
その直前、背後にガスマスクがぬっ、と顔を出した。
「ほい」
子供のいたずらのように、少年のかかとに脚をひっかける。わずかな隙だが、霧がジャックを飲み込むのには十分だ。
「ジャック!」ペストマスクから悲痛な声が漏れる。思わず伸ばした右手に呼応して、無数のバッタがジャックを覆い、霧を遮断しようとする。
「畜生、間にあわ―」
霧に呑まれる直前、少年の右腕に重く鈍い衝撃が走った。そして怒号。
「うううぉぉぉらぁっ!」
骨にひびが入る音とともに吹き飛ばされながら、ジャックは自身が捕縛対象である『伐採者』に蹴り飛ばされたことを理解した。濃霧から体が遠ざかる。
―助けられた?
少年が混乱するのもつかの間、木こりの青年はガスマスクの男に怒声をぶつけた。
「どこまでも悪趣味な野郎だ!」
男の返答はふん、と鼻を鳴らしただけだった。シルエットがその中に溶け込み、揺らぎ始める。
「逃げんじゃねえ!」
ダメ元で振ったジャックの大斧が、ガスマスクを掠める。
―当たった?
先ほどは霞を切るがごとき手ごたえだっただけに、青年はむしろ困惑する。
大斧はガスマスクの一部をはぎ取り、その隙間から鮮やかな緑色の瞳が垣間見える。しかし、その無感情な視線はジャックにも、大斧にも向けられてはおらず、明後日の方向を見つめている。
視線の先には、ペストマスクの少年がいたペストマスクの少年がいた。
そしてジャックが二撃を振り出すよりも早く、姿は蜃気楼のように消えうせた。
後には、『木こり』と『庭師』、二人のジャックが残された。
▽▽▽▽
「頑丈右斧だね、僕にはとても振れそうにない」白斑の少年は大斧を担いだ青年に語り掛ける。
「ふん、数年後には楽勝だろうよ、馬鹿力が」青年も軽口で返すが、余裕はない。一連の攻防で、彼の筋肉は既に限界を迎えている。肩で息するのを何とか隠している状態だ。いや、すでに気取られているかもしれない。
「識別名:ジャック、で間違いないよね、投降しない?」ガスマスクの奥からシャロンが『伐採者』ジャックに問いかける。
「そういや確かめてなかったけど、『庭師』だろお前ら」
「まあね」
「言っとくことは二つある。まず一つ、投降する気はさらさらねえ。『監視塔』に頭ん中いじられるのはごめんだ」
「—もう一つは?」
「俺を捕縛するのはよした方がいい。そっちの『死神』君の右腕はしばらく使い物にならねえはずだ。この足で思いっ切り蹴り飛ばしたからな」
『伐採者』の青年は言った。 口の右端にいかにも意地の悪そうな笑みを乗せながら。
「ジャック?」傍らの相棒に、事実に齟齬がないか確認する。
「その人の言うとおりだ。鎌が握れない」
「だから、追ってくるなんて考えるな。その瞬間、息の根止めてやる。—いいな、その気持ち悪いバッタのこともだ」
「ちぇっ、バレてたか」
シャロンが指輪のはまった人差し指を振ると、ジャックの背後から一匹のバッタがぴょん、と飛び立った。
「とにかく、ガキがこんなもんに首を―」
「ありがとう」
「は?」
出し抜けに挟まれた白斑の少年の感謝に、些か毒気を抜かれた形で聞き返す。
「さっき、僕が霧に飲まれそうになった時、僕を助けてくれたんでしょ」
「…」
「ねえ、僕にはあなたがそこまで悪い人には見えない。でも『監視塔』はこう言ってる。あなたが『15万人殺した』って。現実的に考えて、そんなことできっこない。何が起こってるの?本当に15万人も―」
「殺した。俺が殺した。この手でな。『監視塔』の言う通りさ」
自らの異形の腕を見つめながら、『伐採者』ジャックは吐き出した。
「一つだけだ、最期に一つだけ忠告してやる。『『監視塔』を疑うな』。おそらく、お前らの任務はそのうちに解除される」
「それって、どういう」
「二度と口をきくな。そしてさっさと植木鉢』に帰れ」
『庭師』の少年たちの足元に、がっちりとした太い純白のツタがからみついていた。
「うわわ、なんだこれ!」
シャロンがペストマスクの下で手足をばたつかせる。
「そっちのガキの馬鹿力で時間をかけりゃ何とかなる。『森』も死んでいるから、襲ってくる奴もいねえ。そんじゃな」
異形の右腕を『森』の白い大地に着く。木こりのジャックの体は、そこを起点として沈んでゆき、やがて姿を消した。
「—行っちゃった」
「任務失敗?初黒星?」
「そういうことになるね」
だはー、と座り込んで、シャロンはわかりやすく落胆した様子を見せた。
「もうなんなんだよ、あの妙な『腕』!あと、あの気持ち悪いマスク野郎も!」
ー気持ち悪いマスク?
「シャロン、君が言えた話じゃ…」
「あ゛⁉なんか言いましたか?」
ジャックはペストマスクの表面に青筋を見た気がした。
「いえ何でも…それより、どうやって帰ろうか」
「何って、あの『木こり』が言ってた通り、あいつが使った『根』(ルートライン)』で」
「あれ初撃で奇襲かけるために使っちゃったじゃん」
「あぁ⁉ どうしよう、もしかして歩き⁉やっぱり自前で移動用の『首無し』手配するんだった!ジャック!君が提案したからこんなことに…」
「シャロンだってノリノリだったじゃないか。『上空から意識外の一閃!相手は死ぬ!これよ…』って…忘れたの?」
「あぁー、言ったっけ?そんなの」
「「...」」
ーはぁ。
二人はそろって大きなため息をついた。
「ところで、あのガスマスク野郎はどうする?あいつ君を殺そうとしてた。悔しいけれど、僕らは捕縛対象に助けられたんだ」
「うん、とりあえず―」
―『『監視塔』を疑うな』
自分と同じ名を持った、木こりの青年の言葉がよみがえる。
「—とりあえず、報告はあげなきゃ。後は『監視塔』の指示に従おう」
ジャックの提案に頷きつつも、シャロンは疑念を口にする。
「僕ら、なんかヤバいことに首突っ込んでるんじゃないの?」
「首だけだったらまだ引っ込めようがあるんだけどね」




