『邂逅』
「おお、やってるやってる。」
くぐもった笑い声とともにジャックの背後に姿を現したのは、ガスマスクの男だった。それは唐突な出現だった。真白なページにキーボードで打ち込まれた文字のように。
右手にはいつ掠めとったのかスパイクの『種』を持っている。
―いつの間に、いや今までどこにいた?
「誰だ!」
ジャックは斧を構えなおす。いまだ体になじみ切っていない『腕』は、彼から多くの体力を吸い取っていた。斧を支える手が震える。
ー俺を捕縛しに来た『庭師』か。いや早すぎる。
「『犯人』は現場に必ず戻る、だよね。うん、名言だわ」
右手で『種』をもてあそびながら男は言った。
軽く、しかしまるで手順の確認をしているかのような平板な声だった。
畝を作って、等間隔に種を撒いたら、土をかぶせて、水をやります。とでもいうように。濃緑色の背広を着た男が直立するさまは、どこか不吉な立ち木のようだ。
「『犯人』って言ったな、スパイクを殺ったのはお前か」
「いやぁしっかし、誰かはわかんないけど、余計なことしてくれたよ。『右腕』だろ、それ。もともと『脱命者』はコイツ一人のはずだったのに。その分だと『計画』は再始動してるな...」
ジャックの問いが耳に入っていないのか、ガスマスクの男はぶつぶつぼやきながら、革靴のつま先で地面をトントンと蹴りつけた。その真下には、『斥候』の死体が埋まっている。
「質問しているのは俺だ、スパイクを殺ったのは―」
「しゃべっているのは僕。そうだろ?」
軽薄な声のまま突如込められた殺気に、ジャックは先ほど自身が伐り倒した巨人の咆哮に似たものを感じる。しかし、目の前の男はその比ではない。彼は警戒の度合いを一気に引き上げた。
ーこいつ、『庭師』ではない。『庭師』が『脱命者』に武力を行使、加害するのはその行動が『命題』に基づいているからだ。だが、目の前のこいつは違う。
「まあいいや、君に免じて答えてあげるよ。君は僕にとっての…うん、『恩人』といってもいいかもしれないからね」
「は?」—『恩人』?
―それにだいいち、と男はジャックの疑問を押しとどめるように人差し指を振り上げて言う。
「僕もその『腕』とやりあうのは本意ではない。君にとってはそもそも無駄だ。さて、質問に答えよう…えーと」
何かを思い出すようなわざとらしく左手の人差し指を額に当て、男は語り始めた。
「スパイクだっけ。そう、殺したのは僕さ。マジ強かったよ彼。動けるデブってやつだね。あの丸鋸がすごい速度なのよ、コマみたいにさ、ゴー、シュー!って感じ?あ、分かんないよね君には」
先ほどの殺気に満ちた声色とは一転、心底楽しそうにぺらぺら話すガスマスクの男にジャックは一瞬あっけにとられた。しかし、すぐに我を取り戻す。
ーやはりこいつか!
『腕』から張り出した根が、ジャックの脚に絡みつき、その筋力を強化する。大斧の刃が、男の身体をとらえた―。
しかし。
―手ごたえがない。
切り裂かれた男の像は、ゆらゆら揺れて消えうせた。
「僕を倒して『監視塔』に引き渡すつもりでいるんだろう。それはあまりお勧めできないな。僕、人じゃないから」背後からの声。回り込まれている。
「!」
驚いて斧を構えなおすジャックを見て男は噴き出す。
「ぶふっ、『ドッキリ大成功!』でいいんだよね、こういうのって。」
―人じゃない?
「どういう意味だ」
「なんのこと?—冗談、そんな怖い顔しないで。でも答えてあげるのはここまでさ。あぁ、一個目の質問、『誰だ』に答えてなかったね」
男は深々と恭しく頭を下げる。
「僕の名は『緑』。以後お見知りおきを。」慇懃に名乗る。
「ああそれと」
『緑』はジャックの前に指を三本突き出してこう言った。
「僕はあと、三人殺すよ。君と同じ『脱命者』をね。追って来たきゃ追っておいで」
「俺と、同じ」
「君はそうしなければならないはずだ。さっきの宣言、『計画:ブレインシードを破壊する』だっけ?なかなか良かったよ。『青』の奴が聞いたら泡吹いてぶっ倒れるかも」
くつくつと腹の下の方で笑うような声を発して、ガスマスクの男は身を震わせる。
「だけど、君がいくら僕のことを追ってきたところで、罪を糾弾したところで、君が『探偵』にはなれない。『右腕』がある限り、どこまで行っても君は殺人者、居場所を探してさまよう『切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)』さ。『木こりのジャック(ランバージャック)』にゃ戻れやしない」
―あんたはもう、ただの木こりじゃいられない。
赤石の指輪を付けた少女の言葉が脳裏に閃く。
「そこまで高望みをする気はねえ」
ぎり、と歯ぎしりをしながら、彼は男をにらみつける。
その視界の隅に、ふと動くものが映った。死んだ白い森にかすかにうごめく異物は、あるものは跳ね、あるものは飛び回っている。
バッタだ。大顎を残して取り去られた頭部をごく小型のカメラに挿げ替えられた黒褐色のそれらは、ジャックの視界に一匹、また一匹と増えていく。
―偵察用の『首無し』。
「お前のか?」
「まさか。虫は苦手でね」ガスマスクが嘯く。
異形のバッタは指数関数的にその数を増やし、今や黒雲のように彼らの周りを取り巻くほどだ。その向こう側から、少年の声がこだまする。
「ぜんいん、とーまーれー!」
漆黒の三つ揃えのスーツにペストマスクの人影が、小さな身をよじってあらん限りの声を張り上げていた。
黒の装備品―スパイクやジャックの防護服や大斧が該当する―は、『監視塔』の直轄で『命題』を遂行するものに与えられる。それらは人類の存亡に直接かかわる職にある者の証明でもあった。つまり、『斥候』や『伐採者』、そして―。
「『庭師』か!」
―予想よりもずっと早い。
青年が歯噛みしたその瞬間、『腕』に悪寒が奔る。バッタの雲に視界をふさがれ、それが何に起因するかもわからぬまま、青年は斧を構えなおした。
「今だ、ジャック!」ペストマスクの奥から、鋭い声が放たれる。
上空から、黒い塊が急降下してきていた。手にした得物に、ぬらりとした光を反射しながら。




