『カエデ』③
ジャックの両手に、二振りの手斧がずしりと加重する。
手斧は黒い防護服をまとった青年の手によくなじみ、周囲の漂白された景色に、その輪郭をより明確にしていた。
『森』との交戦を行う彼らに与えられた唯一の武装『浸透捕食型断神経性伐具』—人に寄生し、発芽するその様から—通称『ヤドリギ』。
その機能は二つである。
一つ、敵性体との戦闘による恐怖、単独任務や『監視塔』からの遮断による恐怖といった心理的障害を補い、闘争本能を向上させるための自律調整機能。
二つ、持つものを『森』による『被侵略者』から、『伐採者』へと転換するための、『加害のイメージ』の具現化である。
今まさにその喉笛をかみ切ろうと波のように殺到する漂白生物たちを、二筋の斧がないだ。
殺到していた白色生物たちは刃に触れたそばから、動きを止め、その場にぐにゃりと崩れ落ちた。つながれた電源コードから解放された家電のように。
装飾はなく、柄と刃のみで構成された遊びのない機能的な作りだ。しかし刃の長さは一般的なそれとは比較にならぬほど長く、持ち手を守るようにアーチ状に覆っている。異様に長い刃渡りは大量に襲い掛かる生物たちを薙ぎ払う動作には最適だった。
ジャックは『森』による猛攻の第一波を軽々としのぐ。しかしその屍を乗り越えて、また新たな生物が青年に襲い掛かっていく。
攻防と表現するのもためらわれる、森林の一方的な「排除」と、青年の一方的な「伐採」は続いた。攻守が変更されることのない膠着状態。しかし、伐採された命の数は増えていく一方だ。もともとつるりとした地面と巨樹のみで構成されていた空白のサークルに生物の残骸が山のように折り重なっているのは、その暴力的な履歴だ。
哀れな生物たちの骸を前にして、手斧達はわなないた。足下に積もる生き物たちを悼むようにも、狩りを終えた後の喜びを隠しあぐねているようにも見えた。
斧と死体。親和性を見出すには血なまぐさい連想を経る必要のある二つの事物を物理的に結びつけることを、木こりの青年は決めたようであった。
彼は手斧の刃先を足元に積もる残骸のうちの一つにさくりと突き刺す。
それは奇妙な光景だった。残骸が、斧の刃先へと吸収され始めたのである。
ジャックの持つ『ヤドリギ』の真価が、発揮されようとしていた。
どくり、どくり。
波打ちながら青年の斧は死骸の吸収を続け、血液が供給された筋肉のように肥大化していく。足元の残骸はスープがすすられるように、ものの数秒で姿を消した。
隆起した黒い二振りの手斧は、青年がそれぞれの刃の峰を合わせると、もともと一つの物であったようにぴたりと吸い付いた。
柄は太く、刃は厚い。青年の身丈の二倍はあろうかという大きさに「成長」したそれは、まさしく漆黒の大斧であった。おとぎ話の巨人が持つような、重さと握る者の膂力こそが破壊力へと直結する、破壊の為の道具であった。
大仰な武器を手にしながら、『伐採者』ジャックはあくまで事務的に宣言する。
「『伐採者』の権限に基づき、『カエデ』の伐採を開始する」
サークル内を縦横無尽に駆け手斧をふるっていた時とは一転、青年は猛然一直線に大樹へと走り出す。
森が再び総毛立った。『森』の生物たちはそれまでとは比べ物にならないほどの規模を以って、各々の器官の特長を最高効率に発揮しながら走り出し、飛び立ち、地面をはい始めた。
目標は大斧を持った青年。森の白さに染まり切らない異物、その一点のみ。
生物群の波濤が青年の影を飲み込むまさにその直前、斧が大樹を打つ。
甲高さと重厚感を併せ持った、金属質な破壊音が周囲に木霊す。青年を牙にかけようとしていた生物群は、斧が大樹に打ち込まれたその瞬間、金縛りにあったように動きを止めた。青年はその瞬間を見逃すことなく、初撃にできた傷口に向かい、斧を繰り返し叩き込む。
二撃、三撃、四撃。
大樹は抵抗するかのように幹を硬質化させるが、青年の勢いと斧の鋭さが損なわれることはなかった。大樹の裂け目は瞬く間に広がり、ものの十数秒後には、核樹を失った「森」はその機能を停止させている。
倒壊が始まった。ジャックが安堵のため息を吐き出そうとした瞬間—。
『カエデ』は吠えた。
『『『『除け!喰らえ!奪え!』』』』
木こりの青年が耳にしたのは人ならざるものが発するはずの決してない、怨嗟の声だった。




