第8話 宿場町セルレ、封鎖の判断
セルレは、村ではなかった。
宿場町だ。街道が交わり、荷馬車と旅人が絶えず出入りする。朝には隊商が城門をくぐり、夕には別の一団が下流の都市ヴァルクへ発つ。人が動くということは、水を飲む口が動くということだ。そして灰死病は、水を飲む口についてくる。
俺は町の広場に立ち、帳面を開いた。この三日で、倒れた者の数は倍になっていた。
「宿ごとに、まだらだな」
俺は町の見取り図に印をつけていく。川に近い低地の宿は、軒並み患者を出している。丘の手前、井戸を別に持つ宿は、ほとんど無事だ。順序は、村のときと同じだった。汚れた水を飲んだ口から、灰色の唇が生える。
「エリアス、これ……」ミレイユが図を覗き込んで、息を呑んだ。「川沿いだけ、真っ黒」
「そうだ。この町を、いくつかの区画に切る」俺は言った。「病人の出た区画は、人の出入りを止める。旅人は素通りさせない。荷は検める。水は、飲む用と洗う用を、川の上と下で分ける。村でやったことを、町の大きさでやるだけだ」
「……封鎖」
「そうだ」
そのひとことで、広場の空気が固まった。
セルレを食わせているのは、通り過ぎる人と荷だ。封鎖は、それを止める。町の顔役たちが、いっせいに眉を寄せた。
「冗談じゃない」大柄な男が前に出た。隊商をまとめる商人頭のダゴだ。「三日も門を閉めれば、うちの荷は腐る。旅人は隣の宿場へ流れて、二度と戻らん。病で死ぬ前に、俺たちは干上がる」
「干上がる前に、あんたの宿から死人が出る」俺は帳面を見せた。「この区画、昨日ふたり、今朝ひとり。明日は四人になる。倍々だ。数は嘘をつかない」
「脅しか」
「予測だ」
そこへ、白い手袋が割り込んできた。査察官ヴェイルだ。血の気を失いかけた瀉血の患者を背にしても、この男の背筋はまだ伸びていた。
「聞くに堪えませんな」ヴェイルは商人たちに向き直った。「町を閉じる? 商いを止める? この異端者は、病を治すどころか、町そのものを殺そうとしている。皆さんの生業を、素人の思いつきで潰す気だ」
商人たちがざわめいた。ヴェイルは、俺の正しさで殴るより、彼らの財布で殴るほうを選んだのだ。損の恐れは、病の恐れより手前にある。人は、遠い死より近い損を嫌う。
「体液の乱れは、瀉血で正せる」ヴェイルは声を張った。「門を閉める必要などない。荷は流し、旅人は通し、病人は私が診る。千年の学が、町の暮らしを守る」
「あんたの学は、この三日で何人還した」
俺は静かに聞いた。ヴェイルの言葉が、一瞬詰まった。
「……ひとりも、還っていないな」俺は帳面のもう一枚をめくった。「瀉血の頁だ。あんたが血を抜いた七人、全員、灰色の唇のまま冷たくなった。俺が水を分けた区画は、昨日から新しい患者が出ていない。この二枚を、並べて見てくれ」
ダゴが、その二枚を見比べた。喉が、ごくりと鳴った。
留飲は、まだ来ない。ここは谷だ。俺は、商人が財布と天秤にかける様を、黙って待った。
「……全部の区画を閉じろとは言わん」俺は折れる線を差し出した。「病人の出た三区画だけだ。丘の宿は、井戸を分ければ開けていい。荷は、水に触れていない乾物なら、検めて通す。町を殺さずに、病だけ止める。損は、俺が数で最小にする」
ダゴは長いこと図を睨み、それから、ひとつ唸った。
「……三区画だけだ。それ以上は認めん」
「充分だ」
ヴェイルの顔が歪んだが、商人頭が頷いた以上、もう覆せない。部分的な封鎖が、その日のうちに敷かれた。閉じた三区画。検問の立った城門。飲む水と汚れた水を分ける、二本の樋。町は、村より重たく、しぶしぶと動きはじめた。
その夜、俺は町はずれの川をさかのぼった。
飲む水の源を、たしかめておきたかった。区画を分けても、源が汚れていれば意味がない。松明を掲げ、水際を歩く。ミレイユが後ろからついてきた。
「ねえ、川の水……上のほうだけ、なんか濁ってない?」
俺は膝をつき、水を手にすくった。灰色がかった濁り。指でこすると、細かな泥と――何か、繊維のようなものが混じる。動物の毛だ。上流の家畜の死骸。村のときと、同じ匂いがした。
だが、それだけではなかった。
水際の泥に、まっすぐな痕があった。杭を打ち、また抜いたような穴。等間隔に、三つ。自然に空くものではない。誰かが、この上流で、何かを沈め、また引き上げた。
「エリアス、これって……前に、村の上で見たのと」
「同じだ」俺は立ち上がった。松明の火が、水面に揺れた。「病は、天から降ってこない。川を下ってくる。そして――誰かが、川の上で、それを助けている」
背筋に、冷たいものが走った。灰死病は、汚れた水の病だ。だが、その汚れが、いつも偶然とは限らない。俺は、その考えを、まだ帳面には書かなかった。証がいる。
町へ戻る道で、走ってくる灯りとぶつかった。検問の若い衆だった。息が上がっている。
「せ、先生! 東の区画で――」
東。封鎖を、拒んだ区画だ。ダゴが「三つまで」と切った、その外側。ヴェイルが「閉じる必要はない」と請け合った、あの一角。
「ふたり、倒れました。ひとりは、もう……灰色の、唇で」
ミレイユの顔が、白くなった。
俺は帳面を開いた。閉じなかった区画。数えなかった水。聞かなかった代償は、いつも、いちばん弱い者から取り立てられる。
「――行く」
俺は走りだした。数えるべき名が、また一つ、こちらへ向かって増えていた。
第8話をお読みくださり、ありがとうございます。
村を救う手順は、もう分かっている。けれど町は村ではありませんでした。人と荷が動き、損の恐れが病の恐れの手前に立ちはだかる。エリアスは、正しさをそのまま押しつけるのではなく、「三区画だけ」という折れる線を差し出して、しぶしぶ町を動かしました。制度は、正論では回りません。人の財布と、天秤にかけて、それでも回す――そこが、村と町のいちばんの違いです。
そして川の上流に、また不審な痕。灰死病は、本当に天災なのでしょうか。
封鎖を拒んだ東の区画で、最初の犠牲が出ました。聞かなかった代償が、いちばん弱い者から取り立てられます。次回、エリアスとミレイユは、その痛みの中で「数えた者だけが、次の死を止められる」ことを証明しにいきます。どうぞ、続きもお付き合いください。




