第5話 数えた命が村になる、その日に王都の使者が来る
ひと月が過ぎた。
ミルドレーンの村は、見違えていた。
飲む水の井戸は、木の蓋で覆われ、周りは清潔に掃き清められている。汚れた水は村外れの窪みへ流れ、二つの道が交わることはない。灰死病の新規発症は、この二週間、ゼロが続いていた。帳面の「還った者」の頁は増え続け、「死んだ者」の頁は、あの最初の日から、一行も増えていない。
村人の顔つきが、変わっていた。
俯いて祈るだけだった人々が、今は自分の手で水を管理し、子どもに手洗いを教えている。リタは、すっかり元気になって、村の子どもたちに「水は煮るんだよ」と得意げに言って回っていた。あの晩、灰色の唇で死にかけていた子だ。
「ねえ、エリアス」ミレイユが、帳面から顔を上げた。このひと月で、彼女はもう、村の記録の半分を一人でつけられるようになっていた。「気づいてる? この村、たぶん、王国でいちばん灰死病で死なない村になったよ」
「気づいている」俺はうなずいた。「だが、それは自慢することじゃない。当たり前になるべきことだ。どこの村でも、水を分ければ、こうなる」
「……あなたって、ほんと、そういうとこ」ミレイユは呆れたように笑い、それから、少しだけ声を落とした。「でも、わたし、この村を見てると思うの。弟が死んだのは、わたしのせいじゃなかったんだって、やっと。……知らなかっただけ、だったんだって」
俺は、何も言わなかった。ただ、彼女がもう、救えなかった者を数える目だけの人間ではなくなっていることを、静かに書き留めた。人が変わるのを、俺は初めて、数字ではなく、その顔で確かめた気がした。
夕暮れ。俺は村を見渡せる丘に立った。
竈の煙が、あちこちから、まっすぐ上っていた。煮沸の煙だ。かつては死の匂いに満ちていた村から、今は、生きて暮らす者の匂いがしていた。
「感情がない」と言われた男が、辺境で最初にやったのは、数えることだった。誰が、いつ、どうして死んだのか。誰が、どうして生き延びたのか。一人ずつ数えて、順序を見つけて、順序を断った。それだけで、村は――一つの、生きた形になった。
これが、俺のやり方だ。剣は要らない。祟りも、祈りも要らない。ただ、数えて、手順を守る。それが、いちばん多くの命を救う。宮廷の誰も、それを認めなかったとしても。
そのときだった。
村の入り口のほうで、馬の嘶きが聞こえた。
一頭ではない。数頭。立派な馬装。辺境には不似合いな、王都の紋章を掲げた一団だった。先頭の男は、白い手袋をはめ、埃ひとつ許さないというように、辺境の道を睨みつけていた。
ミレイユが、丘を駆け上ってきた。
「エリアス……王都から、お使者が。宮廷医師団の、査察官だって。『祈祷を捨て、瀉血を禁じ、村を惑わす異端の医者を検分する』って――あなたのこと、名指しで」
俺は、丘の上から、その一団を見下ろした。
噂は、川より速く広がる。テオの言葉が、そのまま現実になっていた。俺が村を救えば救うほど、王都の連中は、俺を潰しに来る。生まれ変わった村を試すように、最初の使者が、川を下ってきた。
俺は帳面を閉じ、ゆっくりと丘を下りはじめた。
数えるべきものが、また一つ、増えたらしい。
第5話をお読みくださり、ありがとうございます。第一部の、最初の区切りとなる回でした。
「感情がない」と切り捨てられた薬師が、辺境で最初にやったこと――それは、剣を抜くことでも、力を示すことでもなく、ただ「数えること」でした。ひと月で、村は一つの生きた形になり、ミレイユも、少しずつ前を向きはじめました。
そして、生まれ変わった村に、王都からの最初の使者――宮廷医師団の査察官が到着します。エリアスの「正しさ」は、迷信を千年の学と呼ぶ権威と、正面からぶつかることになります。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。続きが気になる、と思っていただけたら、ブックマークと評価で、次の一人を数える力を分けてください。次回からは、王都との対決編に入ります。どうぞ、お付き合いください。




