第4話 水の道を分ければ、村は二度と倒れない
第一波を止めた翌日から、俺は村の造り替えにかかった。
病を一度止めても、同じ水を飲み続ければ、また倒れる。煮沸は応急の手当てにすぎない。根から断つには、飲む水と、汚れた水の道を、分けなければならない。
「今日から、水の道を二つに分ける」俺は広場の板に、二本の線を描いた。「上の道は、飲む水。井戸と、煮る水だけ。下の道は、汚れた水。洗い物、汚物、死んだ家畜。この二つを、絶対に交わらせない」
村人たちは、最初きょとんとしていた。水は水だ、と。だが、リタを救い、十四人を還したエリアスの言葉には、もう誰も逆らわなかった。むしろ、我先にと鍬を握った。
先頭に立ったのは、モーグだった。
「わしは、五十年この村の水場を見てきた」老人は、皺だらけの手で地面を指した。「どこが低くて、どこに水が溜まるか、全部頭に入っとる。飲む井戸はこっち。汚れは、村の外れのこの窪みへ落とせばいい」
祈祷の知識ではない。だが、五十年ぶんの土地勘は、たしかに村の財産だった。俺は彼の見立てをもとに、溝を掘る位置を決めていった。祈る手は、いつのまにか、村を造る手に変わっていた。
ミレイユは、俺の隣で帳面を握りしめ、片時も離れなかった。
「これも書くの? 溝を掘った日付とか、どこに掘ったとか」
「書け。どこを直したか分からなければ、次に壊れたとき、どこを見ればいいか分からない」俺は言った。「村を治すのも、人を治すのと同じだ。記録がなければ、いつまでも手探りになる」
彼女は真剣な顔で、村の地図に溝を書き込んでいった。呑み込みが早い。祈祷医の助手として、村じゅうの家と人を覚えていたことが、そのまま生きた。
三日後、俺は約束どおり、川の上流を検分した。
例の羊の死骸は、片づけさせた。だが、その先――国境に近い岸辺で、俺は妙なものを見つけた。杭の跡だ。何かを、川に沈めて留めておいた跡。誰かが、意図して、腐るものを、村の飲み水の上流に置いていた。
偶然ではない。
「エリアス」ミレイユが、俺の顔を覗き込んだ。「怖い顔してる」
「……いや」俺は杭の跡を帳面に写し取り、立ち上がった。「まだ、何も言える段階じゃない」
祟りは川を遡らない。だが、人の悪意は、川を下ってくる。あの日、ふと頭をよぎった考えが、証拠を得て、輪郭を持ちはじめていた。誰が、何のために。答えはまだ、遠い。今は、村を固めるのが先だ。
村へ戻る道で、一人の老人と出会った。
粗末な外套に、擦り切れた薬箱。だが、その手つきを見て、俺はすぐに分かった。薬を扱い慣れた者の手だ。老人はテオと名乗った。かつて王都で医者をしていたが、迷信医療に嫌気がさして、この辺境に隠居したのだという。
「あんたの噂は聞いたよ」テオは、皺の中の目を細めた。「祈祷をやめさせ、水を分け、病を数字に変えた男がいる、とね。……わしは長いこと、この国の医療に絶望しとった。瀉血、体液説、祟り除け。どれだけ人が死んでも、宮廷医師団は変えようとせん。利権と、体面のためにな」
「宮廷医師団」
その名を、俺は帳面の隅に書きつけた。宮廷で俺を「冷血漢」と呼んだ連中。迷信を千年の学と呼び、瀉血を手放さない権威たち。彼らにとって、俺のやり方は――否定しなければならない異端だ。
「若いの」テオは、去り際に言った。「あんたのやり方は正しい。だが、正しさは、この国では、いちばん危険なものだ。あんたが村を救えば救うほど、王都の連中は、あんたを潰しに来る。噂ってのは、川より速く広がるからな」
その言葉は、妙に胸に残った。
その夜、俺は帳面を開いた。救った者の名。直した水場。掘った溝。国境の杭の跡。そして――宮廷医師団、という四文字。
数えるべきものが、また、増えた。
村は、変わりはじめている。だが、変わるということは、誰かの千年を、否定するということだ。その報いは、たぶん、もうすぐ川を下ってくる。
第4話をお読みいただき、ありがとうございます。
応急処置から、恒久的な仕組みへ。「飲む水と汚れた水を分ける」――エリアスの改革が、村を「二度と倒れない村」へ造り替えていきます。祈祷医モーグの土地勘が生きる場面は、書いていて好きな箇所でした。
そして、上流の杭の跡、隠居医テオの警告、宮廷医師団という影。エリアスの正しさは、やがて王都の権威とぶつかります。
次回、いよいよ第一部の区切り。生まれ変わった村と、王都から下ってくる、最初の使者。
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