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「感情がない」と婚約破棄された宮廷薬師、辺境で防疫制度を敷いたら王国が頭を下げてきた ―戦わずに疫病を制した追放医師の再建録―  作者: 水無月カレン


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第3話 瀉血の刃を止めて、俺は村ごと救う

翌朝の数字は、俺の証明を裏付けた。


新規発症、ゼロ。


川の水を煮た家からは、一人も倒れなかった。昨日までの六人がうそのようだった。俺は帳面にその数字を書きつけ、村の広場に立てた板に、大きく記した。「昨日 発症六人。今日 発症ゼロ。ちがいは、水を煮たか、煮なかったか」


読み書きできない者にも分かるよう、水を煮る絵と、倒れる人の絵を並べて描いた。


村人たちは、その板の前に集まって、長いあいだ動かなかった。祟りではなかった。祈っても救えなかったものが、水を煮るという、それだけのことで止まった。彼らの顔に浮かんでいたのは、安堵と――今まで死なせてきた者たちへの、遅すぎる悔いだった。


だが、病はそこで諦めなかった。


昼過ぎ、村の東で悲鳴が上がった。


一度に、十数人が倒れたのだ。しかも、煮た水を飲んでいたはずの家からも。ミレイユが真っ青になって駆けてきた。「エリアス、どうして……ちゃんと煮たのに!」


俺は倒れた者を一人ずつ診て、そして気づいた。全員、昨日の祭りで、同じ桶の水を使っていた。モーグが、祈祷のために汲み置いた「聖水」――煮ていない、川の水そのものだった。


「桶を使うな。今すぐ捨てろ」


そこへ、モーグが割り込んだ。手には、あの小刀。「聖水を捨てるだと! 罰当たりが! この者たちは悪い血が溜まっているのだ。血を抜けば――」


「引け」


俺は、振り下ろされかけた老人の腕を、掴んだ。


「あんたが汲んだ、その聖水が、この十数人を倒した」静かに言う。「今、血を抜けば、水を失った体は空になる。今日中に、全員死ぬ。あんたは救っているつもりで、五十年、村を殺してきたんだ」


モーグの顔から、血の気が引いた。刀が、地に落ちた。


「……わし、が」老人の声が、震えた。「わしが、殺して、きた……?」


「過去は数えるしかない。だが、これからは変えられる」俺は倒れた者たちを見渡した。「モーグ。あんたは村の誰より、家々を知っている。誰がどこで水を汲むか、あんたなら分かる。祈るのをやめろとは言わない。だが今日は、祈る手で、水を煮てくれ」


老いた祈祷医は、しばらく地面を見つめ――やがて、震える手で、桶をひっくり返した。半世紀の信心が、地面に吸い込まれていく。


「……何を、すればいい」


そこからは、村総出だった。


倒れた者を空き小屋に分け、風を通す。煮て冷ました水に、塩と蜂蜜をひとつまみ。匙で、一人ずつ、根気よく飲ませる。看る者は、そのたびに手を洗う。モーグは家々を回り、どの桶が汚れているかを見つけ出しては、片端から潰していった。ミレイユは、夜通し小屋を駆け回り、子どもたちの唇を湿らせ続けた。


そして――夜半。


最初に倒れた男が、目を開けた。


「……水を、くれ」


その一言に、小屋の中が、どっと沸いた。次々と、灰色だった顔に、色が戻っていく。一人。また一人。俺は帳面を開き、その名を、生きて還った側の頁に、書きつけていった。


十四人。一人も、死なせなかった。


外に出ると、東の空が白みはじめていた。ミレイユが、井戸の縁に座り込んで、泣いていた。俺が近づくと、彼女は濡れた顔を上げた。


「……わたしの弟もね」しゃくり上げながら、彼女は言った。「三年前、灰死病で死んだの。わたし、必死で祈って、モーグ様の言うとおり血を抜いて……それで、あの子、どんどん弱って。わたしがこの手で、殺したようなものよ」


だから彼女は、祈祷にすがった。祈る以外に、弟の死を意味あるものにする方法がなかったから。


「あんたは、殺していない」俺は言った。「知らなかっただけだ。知らないことは、罪じゃない。知って、変えないことが罪だ。あんたは今日、変えた。十四人、生きて還した。それは、あんたの弟が、あんたに数えさせた命だ」


ミレイユは、しばらく俺を見上げていた。それから、涙を拭って、まっすぐに言った。


「わたしを、弟子にして。あなたの数えるやり方、全部、覚えたい。もう二度と、祈るしかできない自分でいたくない」


俺はうなずいた。帳面を、一冊、彼女に渡す。


「まず、今日の十四人を書け。名前と、年と、何日目に還ったか。数えることから始まる」


彼女は、それを胸に抱いた。宝物のように。


村を襲った第一波は、止まった。祟りは病になり、病は数字になり、数字は――潰せるものになった。


だが、俺の目は、上流の川へ向いていた。よそから流れてきた、羊の死骸。国境の、向こう側。


第一波は、たぶん、ほんの挨拶だ。


第3話をお読みくださり、ありがとうございます。


瀉血を止め、村ごと救う――エリアスにとって最初の大きな勝負でした。そして、祈祷医モーグの改心、ミレイユが抱えていた弟の死。冷たいと言われた男の一手が、村の人々の心も少しずつ動かしていきます。


「知らないことは罪じゃない。知って、変えないことが罪だ」――エリアスのこの言葉が、この物語の芯のひとつです。


次回、第一波を乗り越えた村に、次の課題が。エリアスは村を「二度と病に倒れない村」に変えるため、さらに動きます。

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