第2話 祟りではない、と俺は帳面で証明する
夜明け前に、俺は目を覚ました。
小屋の隅で、帳面を開く。昨日のリタの容体を書き足し、それから――別の一枚をめくる。そこには、名前が並んでいた。俺がこれまで看取り、救えなかった者たちの名だ。宮廷で死なせた老爺。三年前の冬に凍えた孤児。娘を庇って自分が病に伏した母親。
一人ずつ、書き写す。
誰も見ていない。見せるつもりもない。ただ、忘れれば、俺はまた同じ間違いをする。だから数える。冷血漢が、夜だけひそかに続ける、たったひとつの弔いだった。
リタの熱は、朝には引いていた。まだ弱ってはいるが、匙で粥を飲めるまでになっている。
だが、村の状況はその逆だった。
「昨夜からで、新しく倒れたのが六人」ミレイユが、青い顔で駆け込んできた。「みんな、川に近い家の人たち。エリアス、これはやっぱり、祟りが――」
「川に近い家」
俺はその一言を掴んだ。「六人全員がか」
「え……ええ、そう。北の岸沿いの家ばかり」
俺は帳面に、村の見取り図を描いた。井戸の位置、川の流れ、倒れた家の場所。印をつけていくと、答えは驚くほど単純な形で浮かび上がった。発症者は、川の水を生で飲む家に、きれいに集中している。煮沸した水しか飲まない家からは、一人も出ていない。
「祟りなら、信心の薄い家から倒れるはずだ」俺は図を突きつけた。「だが違う。倒れているのは、川の水を飲んだ家だけだ。祟りには目がない。だが、この病には順序がある。順序があるものは、止められる」
ミレイユが、図を食い入るように見た。その目が、少しずつ見開かれていく。
「順序……」
「川を見に行く。案内しろ」
上流へ向かう道は、湿地のぬかるみだった。半刻ほど遡ったところで、俺は足を止めた。
岸辺に、家畜の死骸が転がっていた。羊が数頭、腹を膨らませて水に半ば沈んでいる。だが妙だ。この村に、羊を飼う家はない。ミレイユも「見たことのない毛色」だと言った。よそから流れてきた死骸――それが、村の飲み水の、すぐ上流を腐らせている。
「病は、この水から来ている」俺は膝をつき、濁った流れを見つめた。「この死骸が病の源かは、まだ分からない。だが、水が汚れているのは確かだ。汚れた水を飲めば、人は腹を下し、干からびて死ぬ。灰死病の正体の、少なくとも半分はこれだ」
そして、もう半分が、俺の背筋を冷やしていた。
――この羊は、どこから流れてきた。ミルドレーンより上流には、隣国カルデアとの国境しかない。祟りは川を遡らない。だが、人の悪意は、川を下ってくる。
俺はその考えを、口には出さなかった。証拠がない。今言えば、ただの妄言だ。数えて、確かめて、証拠を積む。それからでいい。
村に戻ると、モーグが待ち構えていた。
「よそ者が、村を引っかき回すな! 川の水を飲むなだと? 千年、この水で生きてきた村に、何の権利があってそんなことを言う」
「千年のうち、何人が灰死病で死んだ」
老人が言葉に詰まる。
「あんたは数えていない。だから毎年、同じ数だけ死なせている」俺は帳面を掲げた。「俺は数える。昨日から今日で、川の水を飲んだ家から六人倒れた。煮た水の家からは、ゼロだ。祟りが数字を選ぶか? 選ばない。これは病だ。病なら、潰せる」
村人たちが、ざわめいた。モーグの祈祷では、誰も治らなかった。それを、彼らは誰よりもよく知っている。
「今夜から、川の水を煮ろ」俺は言った。「倒れた者は、風の通る小屋に分けて寝かせろ。看る者は、そのつど手を洗え。それで、次の六人を、ゼロにする」
ミレイユが、一歩前に出た。
「……村のみんな。わたしからもお願い。この人の言うとおりにして。祈祷で救えなかったこと、あなたたちも、わたしも、知ってるでしょう」
その声には、祈祷医の助手として村を看てきた者の、深い後悔がにじんでいた。彼女が何を背負っているのか、俺にはまだ分からない。だが、救えなかった者を数えている目だけは、俺と同じだった。
その夜、川の水を煮る煙が、村のあちこちから立ちのぼった。
小さな一歩だ。だが、順序のあるものは、止められる。俺は帳面に、その日の数字を書きつけた。新規発症、六。処置開始――隔離、煮沸、手洗い。
明日、この数字がどう動くか。それだけが、祟りか病かを分ける、唯一の証明になる。
窓の外、上流の闇を、俺は長いあいだ見つめていた。
第2話をお読みいただき、ありがとうございます。
エリアスの武器は「数えること」。祟りだと思われていたものを、帳面ひとつで「順序のある病」に変えていきます。派手ではありませんが、彼の一手は、確実に村を変えはじめました。
しかし、上流から流れてきた見知らぬ羊の死骸――これはただの偶然でしょうか。
次回、第一波が村を本気で襲います。エリアスの証明は、間に合うのか。
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