第43話 封じれば、あの船から水が消える
報せは、秋の終わりの朝に来た。
綱取りの男が、自分で走ってきた。桟橋から数える部屋まで、二十町ある。
「上の河岸だ。三艘。……斑が出てる」
「何人だ」
「見たのは、七人。だが、七人じゃきかねえ」
俺は外套を取った。ミレイユが、もう戸口に立っていた。
上の河岸は、王都の北の外れだ。区でいえば、第七十四区の裏手にあたる。だが桟橋は区の線の外にある。河岸の板の上は、誰の区でもない。
三艘は、舫って固まっていた。板を渡して行き来している。子どもが渡って遊ぶ。
「乗るな」俺は綱取りに言った。「板を上げろ。三艘を離せ」
「離したら、荷が――」
「荷はあとだ」
一艘目の船底に、六人寝ていた。二艘目に四人。三艘目に一人。うち、三徴が揃った者が四人。斑と熱だけの者が七人。
十一人。
そのうち、二人は五つと七つの子どもだった。
「いつからだ」
「五日前だ」船頭の女房が言った。「上の湧きで水を汲んだ。……そのあとだ」
「汲み場は」
「第七十四区の、北の汲み場だよ」
俺は、その場でクレトへ走らせた。第七十四区の五日ぶんの数を出せ。埋葬、当番、井戸、欠勤、パン屋。
答えは、その日の午後に来た。第七十四区は、動いていない。
汲み場ではない。船のほうが先だ。
「エリアス」ミレイユが船縁から顔を上げた。「三艘とも、樽が空よ」
「空」
「一艘目、昨日で切れてる。二艘目と三艘目は、今日の分でおしまい」
俺は板の上に立って、三艘を見た。やることは、決まっている。
封じる。三艘を離して、他の船と河岸から切り離す。荷を下ろさない。人を上げない。七日。
そして、その瞬間に、三艘の水は今日で切れる。
「陸へ上げれば」ミレイユが言った。「水は、いくらでもあるじゃない」
「上げれば、河岸に広がる」
「じゃあ、水を運べばいいでしょう。樽を運ぶだけよ!」
「誰が運ぶ」
ミレイユが、口を開けたまま止まった。
「板を渡して、樽を運ぶ人間が要る。運んだ人間は、三艘に触れる。三艘に触れた人間は、河岸に戻る」俺は言った。「運び手を、七日、一緒に封じるなら別だ。運び手も、飲む。食う。寝る場所が要る」
「……じゃあ」
「三艘の外側に、もう一つ線が要る。運び手ごと囲む」
俺は板の上を歩いて、河岸の形を見た。上の河岸には、荷小屋が二棟ある。空だ。冬の荷が来る前だから、いまは空いている。
「あの二棟を借りる。三艘を、荷小屋の前に舫う。運び手は、荷小屋で寝起きする。七日、河岸に上がらない」
「運び手って、誰なの」
そこで、俺は答えられなかった。区の医者は、区の人間だ。区に返さなければならない。井戸番も同じだ。七日、家に帰らない人間を、俺は誰に頼めばいい。
「わたしがやる」ミレイユが言った。
「駄目だ」
「なんで」
「お前は、八十区の井戸端を全部知っている。お前が七日いなくなると、王都の分母が止まる」
ミレイユが、俺を睨んだ。睨んで、それから、目を逸らした。逸らしたのは、正しいと思ったからだ。
「じゃあ、あなたは」
「俺も駄目だ」
「なんでよ!」
「同じ理由だ」
自分で言って、俺は、腹の底が冷えるのを感じた。都市ヴァルクで、俺は富裕区を封じるか捨てるかを迫られたことがある。あのとき、俺は第三の道を見つけた。門ではなく区を閉じ、閉じた中に水を通した。
いま、第三の道がない。
三艘を封じずに助ける道はない。封じて水を運ぶには、七日戻らない人間が要る。その人間を、俺は自分の名で命じられない。命じる資格がない。免許もない。役職もない。
俺が持っているのは、令と、帳面だけだ。
「募る」俺は言った。
「募るって、なによ」
「河岸で募る。七日、荷小屋で寝起きして、樽を運ぶ者。日当は、俺が出す」
「あなた、お金あるの」
「ない。……借りる」
板を上げる前に、二艘目の女が船縁に出てきた。五つの子の母親だ。子を抱いていた。もう一人、七つのほうは、まだ立てる。母親の裾を握って、こちらを見ていた。
「この子だけ」女は言った。「この子だけ、上げてくれ」
俺は、河岸の板の上に立っていた。船縁までは、三歩ない。
「上げられない」
「五つだよ」
「五つでも、七つでも、上げられない」
「熱もまだ低いんだ! いま上げれば――」
「いま上げれば、この子が河岸を歩く」俺は言った。「河岸には、荷揚げが百人いる。飯屋が四軒ある。子どもが十人遊んでいる。この子は、今日はまだうつす。明日はもっとうつす」
「うつらないかもしれない」
「かもしれない」
俺は、そこで嘘をつかなかった。「かもしれないが、俺はそれを数えたことがある。堀外で、同じ土間に寝ていた三人のうち二人にうつった。ヴァルクで、同じ井戸の四軒のうち三軒に出た。……この子を上げれば、河岸で、それが起きる」
女は、俺の顔を見ていた。それから、抱いていた子を、もう一度抱き直した。
「あんた、子はいるかい」
「いない」
「そうかい」
女は、それだけ言って、船底へ戻った。七つのほうが、まだ船縁に残っていた。裾を離して、俺を見上げていた。
俺は、その子から目を逸らさなかった。逸らせば、明日また同じことを言われたときに、逸らした分だけ言葉が弱くなる。
板が上がった。
三艘と河岸のあいだに、二間の水が空いた。二間は、人が飛べない幅だ。飛べない幅を作るのに、王国の法も、俺の令も、要らなかった。板を上げただけだ。
ミレイユが、俺の横で拳を握っていた。「……ねえ」
「言うな」
「言うわよ」ミレイユは前を向いたまま言った。「あなた、正しい。分かってる。分かってるから、言う。……いま、いちばん楽なのは、あなたよ」
「そうだ」
「そこは、否定しなさいよ」
その日の夕方までに、四人集まった。一人は綱取りの男だ。「おれの札は、あの船と同じ組合だ」と言った。一人は荷揚げの若い男。一人は、河岸の飯屋の女。もう一人は、瀉血医だった。
第十二区の市場で、机を出していた男だ。四つの子を養っている。
「なぜ来た」
「日当が、講習より高うございましたので」男は言った。真顔だった。「それと、私は、血を抜く以外のことをした覚えが、まだ一度もございません」
「刃は」
「持ってまいりました。……使いません。使わぬために持ってまいりました」
俺は四人に、四つ教えた。
近づきすぎるな。触れたら、必ず水で洗え。同じ器で飲むな。倒れたら、自分から荷小屋の奥へ寄れ。
「もう一つ」俺は言った。「七日で終わるとは、言わない。終わらなければ、十四日だ」
四人とも、うなずいた。
その夜、最初の樽が渡った。
二日目に、三徴の揃っていた四人のうち、一人が死んだ。五つの子どもの、父親だった。
三日目に、もう一人。四日目の朝、荷揚げの若い男に、斑が出た。
俺は河岸の外に立って、それを見ていた。板の上には行かない。行けば、俺が七日戻れなくなる。戻れなくなれば、八十区が止まる。
正しい。
正しさが、こんなに手ざわりの悪いものだとは、俺は思っていなかった。
五日目の夕方、ミレイユが河岸の石に座って、動かなくなった。
「ねえ」
「なんだ」
「あなた、いま、何を数えてるの」
俺は帳面を見た。
――上の河岸。三艘。十一人。死者二。新規一(運び手)。樽、日に四。
「数えている」
「そうじゃなくて」ミレイユは膝を抱えた。「……あなた、あの荷小屋のほうを、一度も見てないでしょう」
俺は、はじめて自分が河岸のどちらを向いて立っていたかに気づいた。
川ではなく、街のほうを向いていた。
四日、そうしていた。
第43話をお読みくださり、ありがとうございます。
上の河岸に舫われた三艘で、十一人が寝ていました。うち二人は五つと七つの子どもです。そして三艘とも、樽が空でした。
やることは決まっています。封じる。七日。その瞬間に、三艘の水は今日で切れます。
「水を運べばいいでしょう」「誰が運ぶ」――運んだ者は三艘に触れ、河岸に戻ります。だから運び手ごと囲む線がもう一つ要ります。七日、家に帰らない人間が要ります。
ミレイユは自分がやると言いました。エリアスは断ります。「お前が七日いなくなると、王都の分母が止まる」。自分も同じ理由で行けません。
都市ヴァルクのとき、彼は第三の道を見つけました。門ではなく区を閉じ、閉じた中に水を通した。
今回は、第三の道がありません。
集まった運び手は四人。綱取り、荷揚げの若い男、飯屋の女、そして第十二区で机を出していた瀉血医です。「日当が、講習より高うございましたので。……それと、私は、血を抜く以外のことをした覚えが、まだ一度もございません」
二日目に一人死に、三日目にもう一人。四日目の朝、荷揚げの若い男に斑が出ました。
エリアスは河岸の外に立って、それを見ています。行けば七日戻れず、戻れなければ八十区が止まる。正しい判断です。
正しさが、こんなに手ざわりの悪いものだとは、彼は思っていませんでした。
そしてミレイユに言われて、はじめて気づきます。四日間、自分が川ではなく街のほうを向いて立っていたことに。




