第41話 王家が、はじめて自分の病名を書いた日
白指病の手順は、四行しか書けなかった。
一つ。温める。湯、毛の手袋、炭。水に入れる前に温める。
二つ。冷えたら、止める。指が言うことをきかなくなったら、その日の仕事をやめる。
三つ。数える。何本白くなったか。戻るまでに何刻かかったか。
四つ。書く。書けなければ、形を写す。写せなければ、石を置く。
「治す手が、ありません」クレトが言った。
「ない」
「……お書きになるのですか。治す手のない病を」
「書く」
俺は四行を見た。ベルタが四年かけて自分で見つけた一行が、いちばん上にある。温める。この国でいちばんましな手を、洗い張りの女が持っていた。
「治らない病を、なぜ届け出させるのか、と言われる」
「言われます」
「そのときは、こう答えろ」俺は言った。「数えれば、来年の冬に、何人が仕事を失うかが分かる。分かれば、それを減らす手を考えられる。……治す手より先に、そっちが要る」
王家の届出は、七日後に出た。
書いたのは、侍医ではなかった。
アデライン王女が、自分で書いた。第二条による登録者としてだ。読み上げの試しは、その場で受けた。試しの紙を渡した若い医者が、渡したあとで自分が何をしているかに気づいて、手をひどく震わせたという。
――アデライン。二十三。王女。白指病。指端の白変、両手八本。手背の斑、三。悪化する時季、冬。水仕事、なし。同じ徴の者、母(先の王妃、十八年前歿)。
紙は一枚だ。ベルタのものと、同じ紙だった。刷りも同じ、罫も同じ、大きさも同じ。
八十区の届出の束に、そのまま挟まれて、数える部屋へ回ってきた。
俺は束から抜かなかった。日付の順に、そのまま綴じた。
「……いいのですか」クレトが言った。「王女殿下の紙を、他の紙と一緒に」
「同じ紙だ」
「それは、そうですが」
「別にすれば、次は別にできる」俺は言った。「別にできる紙は、いつか消せる」
王家の病名が、この国の帳面にはじめて載った。
十四条は、王家にも効いた。書き換えるな、という条は、書かれてはじめて働く。
その二日後、典礼の側が紛糾した。
血に出る病を持つ者は王位を継げぬ、という定めがある——と誰かが言い出した。調べさせると、法ではなかった。二百年前の典礼の慣いだ。書いた者の名も残っていない。
「わたくしが、降ります」
その日の午後、西の棟で、王女はそう言った。
炉に火が入っている。椅子は火から二尺半。何も変わっていない。変わったのは、手袋をしていないことだけだ。
「父上に、そう申し上げます。継承を降りれば、この件は終わります」
「終わりません」
「なぜです」
「殿下。俺は、十一人の紙を持っています」俺は言った。「そのうち、この十日で仕事を辞めた者は、何人だと思われますか」
王女が、顔を上げた。
「……分かりません」
「ゼロです」
俺は紙を出した。
「洗い張りのベルタは、洗い張りをしています。綱取りは川にいます。縫子は針を持っています。誰も辞めていない。名前がついても、この十日、誰も何も失っていません」
「わたくしは、王女です」
「そうです。この国でいちばん高いところにいる、白指病の届出者です」俺は言った。「あなたが降りれば、こうなります。病名を書いた者は、いちばん高いところから落ちる。落ちる例が一つできれば、十一人目から先が、二度と書かなくなる」
王女は、動かなかった。
「殿下が降りるのは、殿下の御自由です。ですが、それは、届け出た者が損をする、という前例になります」
「……あなたは、そういう言い方をなさる」
「数える者の言い方です」
長い沈黙があった。炉の炭が崩れた。
「では、伺います」王女は言った。「わたくしは、何をすればよろしいのですか」
「四行です」
俺は手順の紙を渡した。
「温める。冷えたら止める。数える。書く。……それだけです。他の十一人と、同じです」
王女は、その紙を両手で受け取った。読んで、それから、もう一度、上から読んだ。
「これで、全部ですか」
「全部です」
「……そうですか」
はじめて、この人の声が、少し崩れた。
「四年、わたくしは、何か特別な病を隠しているのだと思っておりました」
「特別ではありません」
「はい」
「殿下」
「はい」
「一人、会っていただきたい人がいます」
堀外へ行くと言ったとき、王宮の誰も賛成しなかった。
侍従長は代理を立てろと言い、侍医は季節が悪いと言った。王女は、両方を平らな声で断った。
「わたくしは、届出者でございます」王女は言った。「届出者が、同じ病の者に会いに行くのは、令のどこにも禁じられておりません」
堀外の路地に、王家の馬車は入らなかった。入口で降りて、歩いた。
ベルタの土間に、洗い張りの板が三枚立てかけてある。前掛けを拭く暇もなくて、女は突っ立っていた。
「……あの、なんて言えばいいんだか」
「アデラインと申します」
「そんなわけには」
「同じ紙に書かれております」王女は言った。「二十三です。冬に、指が白くなります」
ベルタは、しばらく口を開けていた。それから、はっとして、自分の手を前掛けに隠した。
「汚い手で」
「見せてください」
王女は、自分の手袋を外した。
二人の手が、土間の薄暗がりで並んだ。片方は節が太くて皮が厚い。片方は細くて白い。指の先の色は、同じだった。
「……おんなじだ」ベルタが言った。
「同じです」
「あんた、いや、殿下……冬、どうしてなさる」
「火のそばにおります。それしか、知りませんでした」
「湯だよ」ベルタは言った。急に、洗い張りの女の声になった。「火は駄目だ。近すぎると、あとで痛くなる。ぬるい湯に、指だけ。それで、こうやってこするんだ」
そう言って、この人は王女の手を取った。
取ってから、自分が何をしたか気づいた顔をした。放そうとした。
王女が、放さなかった。
ベルタの手が、王女の指を、両手で包んでこすっていた。
「冷たいねえ」
「はい」
「冷たいまま置いといたら、かわいそうだからね」
俺の後ろで、ミレイユが息を呑む音がした。
そこで俺も、その言葉をどこで聞いたかを思い出した。
七つの子が、「死」の石を置くとき、いちど両手で握る。冷たいまま置いたら、かわいそうだから、と言った子だ。
誰も、教えていない。堀外の井戸端と、洗い張りの土間で、同じ言い方が、別々に出てきただけだ。
「エリアス」ミレイユが小さく言った。「わたし、いま、あなたが数えないでくれてよかったと思ってる」
「数えている」
「え」
「一人。もう一人。二人だ」俺は言った。「白指病の者が、手を温め合った。手順の三つ目だ」
ミレイユが、俺の脇腹を軽く叩いた。強くはなかった。
その日の夕方、数える部屋に戻ると、卓に紙が一枚、返ってきていた。
十一枚のうちの一枚だ。川船の綱取り、三十九。
役所の朱印が押してある。
――この者、いずれの区にも属さず。届出を受くる区、これなし。よって差し戻す。
俺は、その一行を三度読んだ。
八十区の線は、王都の内側と堀外にしか引いていない。川の上には、線がない。
線の外にいる者は、届け出られない。届け出られない者は、数えられない。
数えられない者は、守られない。
俺が作った制度の、まだ埋めていない穴だった。
第41話をお読みくださり、ありがとうございます。
白指病の手順は、四行しか書けませんでした。治す手はありません。いちばん上の一行――温める――は、洗い張りのベルタが四年かけて自分で見つけたものです。
王家の届出を書いたのは、侍医ではなく、王女ご自身でした。第二条の登録者として、その場で読み上げの試しを受けて。紙はベルタのものと同じ刷り、同じ罫、同じ大きさです。エリアスは束から抜きませんでした。「別にすれば、次は別にできる。別にできる紙は、いつか消せる」
王家の病名が、この国の帳面にはじめて載りました。書き換えるなという条は、書かれてはじめて働きます。
「わたくしが、降ります」と申し出た王女を止めたのも、数字でした。名前がついた十一人のうち、この十日で仕事を辞めた者はゼロです。「あなたが降りれば、病名を書いた者はいちばん高いところから落ちる、という前例が一つできます」
そして堀外の土間で、二人の手が並びます。片方は節が太くて皮が厚く、片方は細くて白い。指の先の色は同じでした。
「冷たいまま置いといたら、かわいそうだからね」
七つの子が「死」の石を両手で握る理由と、同じ言い方でした。誰も、教えていません。
その日の夕方、十一枚のうち一枚が朱印つきで返ってきます。「この者、いずれの区にも属さず。よって差し戻す」。川の上には、線がありませんでした。




