↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「感情がない」と婚約破棄された宮廷薬師、辺境で防疫制度を敷いたら王国が頭を下げてきた ―戦わずに疫病を制した追放医師の再建録―  作者: 東雲透


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
36/55

第36話 俺の令が、彼女を閉じ込める

公示が出た日の昼、俺は令の写しを卓に広げた。十四条ぜんぶ。自分で書かせた条を、はじめて敵の側から読んだ。


「第十三条」


ミレイユが覗き込む。「城門法の、変えたやつよね。閉じるのは門じゃなくて区、っていう」


「そうだ。灰死病の届出が出た区は、その区だけを閉じる。人も物も、七日、線の外へ出さない」


「それで?」


「王宮は、一区だ」


俺は八十区の割りを指した。第一区。王宮とその周りの棟。二十万人を数えるために、俺が線を引いた。線は引かず、既にある線を使った。壁がある。門がある。だから、そのまま一区になった。


「王女が灰死病だと届け出られた」俺は言った。「だから、王宮が閉じる」


ミレイユの顔から、血の気が引いた。


「……あなたの、令で」


「俺の令で」


「じゃあ、あの人、外に出られないの」


「出られない。誰も、入れない」


「お医者様も?」


「王宮には侍医がいる。医者は足りている」


「――ちがう!」ミレイユが卓を叩いた。「あなたが入れないってことでしょう!」


俺は答えなかった。


答えなかったので、彼女は答えを聞いたのと同じ顔になった。


第十四条を読む。病名を書き換えるな。


俺はこの条を、消させないために書いた。三年前、灰死病が熱病に書き換えられて十九人が原簿から消えた。だから、一度書いた病名を動かすことを、王国の法で禁じた。


いま、その条が別の向きに立っている。


アデライン王女の病名は、灰死病と書かれた。書かれた以上、動かせない。動かすには、届け出た医者が誤りを認めるか、別の医者が診て、書き直しの願いを出すしかない。


書き直しを出せる医者は、王宮の中にいる。中の医者は、筆頭代行の下にいる。


「巧い」俺は言った。


「巧いって、何よ」


「二つ同時にやっている」


俺は指を二本立てた。


「一つ。王宮が閉じる。閉じているあいだ、あの人を診られる者は、あの男が選んだ者だけになる」


「二つ目は」


「病名だ」


ミレイユが、まばたきをした。


「もしあの人の病が、灰死病でないとする。……別の、名前のついていない何かだとする」俺は言った。「灰死病と書かれているあいだ、その別のものは、この国の帳面のどこにも存在しない」


「隠せる、ってこと?」


「隠すんじゃない。上書きしている。俺の条で」


「なんで、そんなことを」


「分からない」俺は正直に言った。「あの男が王家に恩を売りたいのか、俺の令の危うさを王に見せたいのか、その両方か。……今日の時点では、どれとも決められない」


「決められないのに、動くの」


「動く。決めてからでは、七日が終わる」


昼過ぎ、俺は王宮の門へ行った。


北の門だ。ここに検疫ゲートを作らせたのは、俺だ。二十万人を数えるなら王宮も数えろと言って、記帳台を置かせた。


台の前に、クレトが立っていた。


俺が置いた記帳役だ。この男が、王宮に出入りする者の名と用を書く。書いた紙は、その日のうちに数える部屋へ回る。


そのクレトが、門の内側を向いて立っていた。手には、貼り紙の束。


「……ヴェント殿」


顔が白い。


「命じられました。第十三条により、第一区は本日より七日間、閉鎖する。出入りは、医師団の許した者に限る、と」


「誰が命じた」


「筆頭代行です」


「令の手続きは」


「……正しく踏まれています。届出があり、届出を受けた区長――この区は王宮ですから、侍従長です――が閉鎖を布告しました」クレトの声が、かすれた。「わたしが、記帳台の脇にこれを貼ります。貼るのは、わたしの役目です」


「そうだな」


「わたしが、閉じるのですか」


門の内側で、衛兵が長柄の柵を運んできた。二人がかりだ。柵は新しい。作らせたのは俺だ。


「クレト」


「はい」


「その紙を、貼れ」


クレトが顔を上げた。信じられないという顔だった。


「貼らなければ、令が守られていないことになる。守られていない令は、次に破りたい奴の口実になる」俺は言った。「貼れ。日付と、時刻と、誰が命じたかを、いつもどおり書け」


「……はい」


「それから、もう一行足せ。閉鎖の理由になった届出の、日付と、署名した者の名前だ」


クレトの手が止まった。


「様式に、その欄はありません」


「作れ。第二条は、数える者に免許を要しないと書いてある。数える者が、何を数えてはいけないとは、どこにも書いていない」


若い記録庫係は、しばらく俺を見ていた。それから、貼り紙を糊で門柱にとめて、記帳台の帳面を開いた。


三行、書いた。


日付。時刻。命じた者。


そして四行目に、届出の日付と、署名した者の名を書いた。


――届出 三日前。署名 宮廷医師団筆頭代行 ガレン。


「……震えています」


「震えない奴は、数えなかった奴だ」


俺はそう言って、記帳台の前を離れた。


門が閉まる音は、思っていたより軽かった。


木の柵が、石の敷居に落ちる音だ。城門法の門なら、二百年前の鉄が鳴る。俺が作らせたのは、七日で外せる柵だった。区を閉じるだけなら、それで足りる。足りるように作った。


外から、王宮の窓が見えた。西の棟。昼のうちから閉じている窓が、まだ閉じている。


門の外の広場に、馬車が三台とまっていた。二台は外つ国の紋だ。三台目の扉に、見覚えのある紋章があった。


デュラン侯爵は、馬車を降りて柵の前に立っていた。中へ入れないので、そこで待っている。


俺に気づいて、この男は驚かなかった。


「ヴェント殿」


「侯爵」


審問の日以来だ。あの日、この男は「二万人が飢える」と言い、俺は「その数は、たぶん正しい」と譲った。北門と東門の税は、いまも侯爵家に入っている。


「貴殿の令で、私は自分の姪に会えぬ」


「そうです」


「認めるのだな」


「認めます。第十三条は、俺が書かせました」


侯爵は、しばらく柵を見ていた。それから、低く笑った。笑いに、皮肉がなかった。


「貴殿は、いつもそうだ。逃げ道を用意せずに条を書く」


「逃げ道のある条は、逃げられます」


「そうだ。……だから、これは頼みではない。伝えるだけだ」侯爵は俺のほうを向いた。「私は、姪が灰死病だとは思っていない」


「なぜです」


「あの子は、去年の冬から、手袋を外さぬ」


俺は、動かなかった。


「冬に外さぬのは、当たり前だ。夏に外さぬのは、当たり前ではない」侯爵は言った。「私は医者ではない。だから、それが何かは知らぬ。知らぬが、灰死病でないことくらいは分かる。灰死病なら、去年の冬に死んでおる」


「それを、公示にお書きになりますか」


侯爵の顔が、はじめて硬くなった。


「書けば、あの子の指に別の名前がつく」


そう言って、この男は馬車へ戻った。扉が閉まる音は、門の柵より重かった。


ミレイユが、俺の隣に立った。


「ねえ。これ、どうするの」


「七日、待つ」


「待つ?」


「七日たてば、閉鎖は解ける。それが第十三条だ。七日で解けなければ、それは俺の令ではない」


「その七日で、あの人が――」


「死ぬなら、灰死病では死なない」俺は言った。「あの人は、夏じゅう歩いていた。灰死病で夏を越した者を、俺は一人も知らない」


ミレイユは、門を見上げていた。


「……ねえ、エリアス。あなた、いま、怒ってる?」


「怒っている」


「誰に」


「自分にだ」


俺は柵を見た。七日で外せるように作った柵だ。区を閉じるための道具で、そこに人を閉じ込めるとは考えなかった。


考えていれば、条を一つ足せた。


――閉じた区に、閉じる前から病人がいた場合、その者を診る医者を、外から一人だけ入れてよい。


十四条を書いたとき、俺は二十万人のことを考えていた。一人のことは、考えていなかった。

第36話をお読みくださり、ありがとうございます。


王宮は第一区です。二十万人を数えるために、エリアスが線を引きました。線は引かず、既にある壁と門をそのまま使いました。だから王女の灰死病が届け出られた瞬間、第十三条で王宮が閉じます。


同時に第十四条が働きます。病名を書き換えるな――消させないために書いた条が、いまは「一度書かれた病名を動かせない」という形で立っています。もし王女の病が灰死病でないなら、その別のものは、灰死病と書かれているあいだ、この国の帳面のどこにも存在しません。


隠しているのではなく、上書きされています。エリアス自身の条で。


門の記帳台に立っていたのは、彼が置いたクレトでした。「わたしが、閉じるのですか」。エリアスの答えは「貼れ」です。そのうえで、様式にない四行目を足させます。届出の日付と、署名した者の名。


門が閉まる音は、思っていたより軽い音でした。七日で外せる柵を、彼自身が作らせたからです。区を閉じる道具のつもりで、そこに人を閉じ込めるとは考えていませんでした。


十四条を書いたとき、彼は二十万人のことを考えていました。一人のことは、考えていませんでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。