第36話 俺の令が、彼女を閉じ込める
公示が出た日の昼、俺は令の写しを卓に広げた。十四条ぜんぶ。自分で書かせた条を、はじめて敵の側から読んだ。
「第十三条」
ミレイユが覗き込む。「城門法の、変えたやつよね。閉じるのは門じゃなくて区、っていう」
「そうだ。灰死病の届出が出た区は、その区だけを閉じる。人も物も、七日、線の外へ出さない」
「それで?」
「王宮は、一区だ」
俺は八十区の割りを指した。第一区。王宮とその周りの棟。二十万人を数えるために、俺が線を引いた。線は引かず、既にある線を使った。壁がある。門がある。だから、そのまま一区になった。
「王女が灰死病だと届け出られた」俺は言った。「だから、王宮が閉じる」
ミレイユの顔から、血の気が引いた。
「……あなたの、令で」
「俺の令で」
「じゃあ、あの人、外に出られないの」
「出られない。誰も、入れない」
「お医者様も?」
「王宮には侍医がいる。医者は足りている」
「――ちがう!」ミレイユが卓を叩いた。「あなたが入れないってことでしょう!」
俺は答えなかった。
答えなかったので、彼女は答えを聞いたのと同じ顔になった。
第十四条を読む。病名を書き換えるな。
俺はこの条を、消させないために書いた。三年前、灰死病が熱病に書き換えられて十九人が原簿から消えた。だから、一度書いた病名を動かすことを、王国の法で禁じた。
いま、その条が別の向きに立っている。
アデライン王女の病名は、灰死病と書かれた。書かれた以上、動かせない。動かすには、届け出た医者が誤りを認めるか、別の医者が診て、書き直しの願いを出すしかない。
書き直しを出せる医者は、王宮の中にいる。中の医者は、筆頭代行の下にいる。
「巧い」俺は言った。
「巧いって、何よ」
「二つ同時にやっている」
俺は指を二本立てた。
「一つ。王宮が閉じる。閉じているあいだ、あの人を診られる者は、あの男が選んだ者だけになる」
「二つ目は」
「病名だ」
ミレイユが、まばたきをした。
「もしあの人の病が、灰死病でないとする。……別の、名前のついていない何かだとする」俺は言った。「灰死病と書かれているあいだ、その別のものは、この国の帳面のどこにも存在しない」
「隠せる、ってこと?」
「隠すんじゃない。上書きしている。俺の条で」
「なんで、そんなことを」
「分からない」俺は正直に言った。「あの男が王家に恩を売りたいのか、俺の令の危うさを王に見せたいのか、その両方か。……今日の時点では、どれとも決められない」
「決められないのに、動くの」
「動く。決めてからでは、七日が終わる」
昼過ぎ、俺は王宮の門へ行った。
北の門だ。ここに検疫ゲートを作らせたのは、俺だ。二十万人を数えるなら王宮も数えろと言って、記帳台を置かせた。
台の前に、クレトが立っていた。
俺が置いた記帳役だ。この男が、王宮に出入りする者の名と用を書く。書いた紙は、その日のうちに数える部屋へ回る。
そのクレトが、門の内側を向いて立っていた。手には、貼り紙の束。
「……ヴェント殿」
顔が白い。
「命じられました。第十三条により、第一区は本日より七日間、閉鎖する。出入りは、医師団の許した者に限る、と」
「誰が命じた」
「筆頭代行です」
「令の手続きは」
「……正しく踏まれています。届出があり、届出を受けた区長――この区は王宮ですから、侍従長です――が閉鎖を布告しました」クレトの声が、かすれた。「わたしが、記帳台の脇にこれを貼ります。貼るのは、わたしの役目です」
「そうだな」
「わたしが、閉じるのですか」
門の内側で、衛兵が長柄の柵を運んできた。二人がかりだ。柵は新しい。作らせたのは俺だ。
「クレト」
「はい」
「その紙を、貼れ」
クレトが顔を上げた。信じられないという顔だった。
「貼らなければ、令が守られていないことになる。守られていない令は、次に破りたい奴の口実になる」俺は言った。「貼れ。日付と、時刻と、誰が命じたかを、いつもどおり書け」
「……はい」
「それから、もう一行足せ。閉鎖の理由になった届出の、日付と、署名した者の名前だ」
クレトの手が止まった。
「様式に、その欄はありません」
「作れ。第二条は、数える者に免許を要しないと書いてある。数える者が、何を数えてはいけないとは、どこにも書いていない」
若い記録庫係は、しばらく俺を見ていた。それから、貼り紙を糊で門柱にとめて、記帳台の帳面を開いた。
三行、書いた。
日付。時刻。命じた者。
そして四行目に、届出の日付と、署名した者の名を書いた。
――届出 三日前。署名 宮廷医師団筆頭代行 ガレン。
「……震えています」
「震えない奴は、数えなかった奴だ」
俺はそう言って、記帳台の前を離れた。
門が閉まる音は、思っていたより軽かった。
木の柵が、石の敷居に落ちる音だ。城門法の門なら、二百年前の鉄が鳴る。俺が作らせたのは、七日で外せる柵だった。区を閉じるだけなら、それで足りる。足りるように作った。
外から、王宮の窓が見えた。西の棟。昼のうちから閉じている窓が、まだ閉じている。
門の外の広場に、馬車が三台とまっていた。二台は外つ国の紋だ。三台目の扉に、見覚えのある紋章があった。
デュラン侯爵は、馬車を降りて柵の前に立っていた。中へ入れないので、そこで待っている。
俺に気づいて、この男は驚かなかった。
「ヴェント殿」
「侯爵」
審問の日以来だ。あの日、この男は「二万人が飢える」と言い、俺は「その数は、たぶん正しい」と譲った。北門と東門の税は、いまも侯爵家に入っている。
「貴殿の令で、私は自分の姪に会えぬ」
「そうです」
「認めるのだな」
「認めます。第十三条は、俺が書かせました」
侯爵は、しばらく柵を見ていた。それから、低く笑った。笑いに、皮肉がなかった。
「貴殿は、いつもそうだ。逃げ道を用意せずに条を書く」
「逃げ道のある条は、逃げられます」
「そうだ。……だから、これは頼みではない。伝えるだけだ」侯爵は俺のほうを向いた。「私は、姪が灰死病だとは思っていない」
「なぜです」
「あの子は、去年の冬から、手袋を外さぬ」
俺は、動かなかった。
「冬に外さぬのは、当たり前だ。夏に外さぬのは、当たり前ではない」侯爵は言った。「私は医者ではない。だから、それが何かは知らぬ。知らぬが、灰死病でないことくらいは分かる。灰死病なら、去年の冬に死んでおる」
「それを、公示にお書きになりますか」
侯爵の顔が、はじめて硬くなった。
「書けば、あの子の指に別の名前がつく」
そう言って、この男は馬車へ戻った。扉が閉まる音は、門の柵より重かった。
ミレイユが、俺の隣に立った。
「ねえ。これ、どうするの」
「七日、待つ」
「待つ?」
「七日たてば、閉鎖は解ける。それが第十三条だ。七日で解けなければ、それは俺の令ではない」
「その七日で、あの人が――」
「死ぬなら、灰死病では死なない」俺は言った。「あの人は、夏じゅう歩いていた。灰死病で夏を越した者を、俺は一人も知らない」
ミレイユは、門を見上げていた。
「……ねえ、エリアス。あなた、いま、怒ってる?」
「怒っている」
「誰に」
「自分にだ」
俺は柵を見た。七日で外せるように作った柵だ。区を閉じるための道具で、そこに人を閉じ込めるとは考えなかった。
考えていれば、条を一つ足せた。
――閉じた区に、閉じる前から病人がいた場合、その者を診る医者を、外から一人だけ入れてよい。
十四条を書いたとき、俺は二十万人のことを考えていた。一人のことは、考えていなかった。
第36話をお読みくださり、ありがとうございます。
王宮は第一区です。二十万人を数えるために、エリアスが線を引きました。線は引かず、既にある壁と門をそのまま使いました。だから王女の灰死病が届け出られた瞬間、第十三条で王宮が閉じます。
同時に第十四条が働きます。病名を書き換えるな――消させないために書いた条が、いまは「一度書かれた病名を動かせない」という形で立っています。もし王女の病が灰死病でないなら、その別のものは、灰死病と書かれているあいだ、この国の帳面のどこにも存在しません。
隠しているのではなく、上書きされています。エリアス自身の条で。
門の記帳台に立っていたのは、彼が置いたクレトでした。「わたしが、閉じるのですか」。エリアスの答えは「貼れ」です。そのうえで、様式にない四行目を足させます。届出の日付と、署名した者の名。
門が閉まる音は、思っていたより軽い音でした。七日で外せる柵を、彼自身が作らせたからです。区を閉じる道具のつもりで、そこに人を閉じ込めるとは考えていませんでした。
十四条を書いたとき、彼は二十万人のことを考えていました。一人のことは、考えていませんでした。




