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「感情がない」と婚約破棄された宮廷薬師、辺境で防疫制度を敷いたら王国が頭を下げてきた ―戦わずに疫病を制した追放医師の再建録―  作者: 東雲透


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第33話 病の名を通らない数を、数える

「王都に、丘はない」


朝いちばんに、俺は数える部屋の壁に紙を貼った。クレトとミレイユが、その前に立っている。


「丘?」


「辺境では、丘の上からかまどの煙を数えた。四十三軒ぶん、一目で見える。王都は二十万人だ。上から数えられる火はない」


「じゃあ、どうするの」


「火と同じものを探す。二つ条件がある」


俺は紙に二行書いた。


――一、病の名前を通らないこと。

――二、誰かが、金のために、すでに数えていること。


「……金?」ミレイユが眉を上げた。


「病のための数は、書き換えられる。三徴の通達で、実際に四分の一になった」俺は言った。「金のための数は、書き換えられない。減らせば、誰かが損をする。損をする側が、勝手に見張ってくれる」


クレトが、はっと顔を上げた。この男は記録庫にいた。王都でどの帳面に金がかかっているかを、たぶん俺よりよく知っている。


「……埋葬の許可です」


「言え」


「王都では、堀の内側に埋めるのに役所の許可が要ります。許可には手数料がかかります。だから、役所は一枚も落としません。落とせば銅貨が入らないので」クレトの声が速くなった。「そして、許可の紙には、病名を書く欄がありません。要らないからです。名前と、年と、日付だけです」


「三年前の原簿と同じか」


「いいえ。原簿は医師団の記録庫でした。埋葬の許可は、役所の徴収簿です。……あれは、医師団が触れません」


その日、五つ見つかった。


一つ。埋葬の許可。役所の徴収簿。手数料が入るので、一枚も落ちない。


二つ。市の当番。区ごとに毎日、決まった人数が立つ。立たなかった日は代役に日当が出る。日当は組合が払うので、穴が正確に残る。


三つ。井戸の水汲みの順番。順番表を飛ばした家は、その日ぶんを翌日に回す。井戸番が覚えている。


四つ。職人組合の欠勤簿。日当を減らすためにつけている。


五つ。パン屋の注文。前の日に受けて、朝に焼く。受けた数と焼いた数の差が、毎朝出る。


「パン屋?」ミレイユが噴き出しかけた。「パン屋が病を数えるの?」


「パン屋は、その路地で誰が起きているかを、毎朝いちばん先に知る」


俺は五つを紙に並べて、その下に線を引いた。


どれも、灰死病という言葉を一度も通らない。どれも、三徴の通達に触れない。どれも、減らせば誰かの銅貨が減る。


「これを、八十区ぶん集める」


「……集めて、どうなさいますか」クレトが言った。「病名が分からなければ、届出にはなりません」


「届出にはならない。数になる」


俺は五つの数の使い方を書いた。


昨日と同じかどうか。それだけを見る。


埋葬の許可が、その区で先週より増えたか。市の当番の穴が、三日続けて同じ路地から出ていないか。井戸の順番を飛ばした家が、隣り合っていないか。


「三日続いたら、見に行く」


「……六つの子どもと、同じやり方ですね」


「同じだ。あれより上等なものを、俺は思いつかなかった」


俺は五つ目を、自分の足で確かめに行った。


第十二区のパン屋は、路地の角にある。朝の鐘の前から窯が熱い。


「注文は前の日に取ります」主人は粉だらけの手で、板を叩いた。棒で刻みが入れてある。「この刻みが、家の数。焼くのは朝。取りに来なけりゃ、余る」


「余った日は、覚えているか」


「覚えとらんが、書いとる」


板の裏に、日ごとの余りが炭で書いてあった。売れ残りは翌日に安く出す。安く出した数を書いておかないと、女房に叱られるのだという。


俺はその板を、月の頭から順に読んだ。


夏至の月まで、余りは一日に一つか二つ。秋に入って、四つ、六つ、九つと増えている。増えはじめた日が、麻袋屋の路地に斑が出はじめた日と、二日しか違わなかった。


「取りに来なかった家は、どこだ」


「そこまでは書いとらん。……いや」主人は板を裏返した。「名前は書いとる。つけで買う家は、名前を書かんと取りっぱぐれるからな」


七軒の名が並んでいた。三軒が隣り合っている。


「あんた、これで何が分かるんだ」


「あんたが取りっぱぐれないためにつけた帳面で、この路地の誰が起きられなかったかが分かる」


主人は、しばらく板を見ていた。それから、粉のついた手で頭を掻いた。


「……おれは、パンを焼いとるだけだぞ」


「知っている。だから、この数は正しい」


集めるのに、十四日かかった。


クレトは役所の徴収簿を写した。手数料の帳面なので、役人は嫌がらなかった。写しを取るのに銅貨は減らない。


ミレイユは井戸端へ行った。この娘は、堀外で八十一軒を三日で回った女だ。順番表を持っている井戸番の名を、区ごとに全部書き出してきた。


「井戸端ってね」宿の卓で、彼女は指を折りながら言った。「あそこ、王都でいちばん帳面が正確な場所よ。誰が順番を抜かしたかで、女たちが半年もめるんだから」


「もめるのはいい。忘れないなら」


「忘れないわよ。三年前のことも覚えてるもの」


そこで彼女は、一度、水を飲んだ。


「……ねえ、エリアス。井戸端で聞いたんだけど」


「なんだ」


「王女殿下、この夏、いちども人前に出ていないんですって」


俺は写しから顔を上げなかった。


「秋の収穫感謝の儀も、代理が立ったって。あれ、王家の娘が麦の束を受け取る式なのよね。わたしでも知ってるくらい、毎年やってるやつ」


「そうか」


「そうか、じゃなくて」ミレイユは卓を軽く叩いた。「文が二通、来てるでしょう。まだ開けてないでしょう」


「開けていない」


「……どうして」


俺は筆を置いた。


「開ければ、そこに書いてあることを、俺は数えることになる」


ミレイユが、口をつぐんだ。


「数えたものは、帳面に載る。帳面に載ったものは、俺の手では消せない」


「だから、開けないの」


「そうだ」


彼女はしばらく俺を見ていた。それから、ぽつりと言った。


「あなた、その言い方をするとき、いつも自分のことを言ってないのよね」


十四日目の夕方、五つの数が、八十区ぶん揃った。


第十二区。埋葬の許可、先週の一・八倍。市の当番の穴、六。うち四つが西の市場の裏手、麻袋屋の路地から二百歩以内。


届出は、九件のままだった。


第五十三区、埋葬一・一倍。第八十区、変化なし。第三十七区――北の教区だ――埋葬二・二倍、井戸の順番を飛ばした家が七軒、そのうち五軒が隣り合っていた。


「第三十七区の届出は」


「二件です」クレトが言った。「先週も二件。……先々週も、二件です」


「行く」


俺が外套を取ったところで、戸口に人が立った。


医師団の使いだった。若くはない。白い襟に、金の縁取りがある。


「筆頭ガレン様より、ヴェント殿へ」


紙を渡された。封蝋つきだ。開けると、二行しかない。


――四日後の晩、私の館で。人払いのうえ、二人で話したい。

――君が集めているものについて、私も数字を持っている。


ミレイユが横から覗き込んで、息を止めた。


俺は紙を折って、帳面に挟んだ。仕舞う方の帳面ではない。


集めていることを、あの男は知っていた。


十四日、俺は病名を一度も使わなかった。灰死病という言葉を一言も書かずに、王都の五つの帳面を写した。


それでも、知られていた。


――私も数字を持っている。


同じものを数えている者にしか、この一行は書けない。

第33話をお読みくださり、ありがとうございます。


反撃の条件は二つでした。病の名前を通らないこと。誰かが、金のために、すでに数えていること。


病のための数は書き換えられます。三徴の通達で、実際に四分の一になりました。けれど金のための数は書き換えられません。減らせば誰かが損をするので、損をする側が勝手に見張ってくれます。


見つかったのは五つ――埋葬の許可(役所の手数料)、市の当番の穴(代役の日当)、井戸の順番(女たちが半年もめる)、職人組合の欠勤簿、そしてパン屋の注文と焼いた数の差。パン屋は、その路地で誰が起きているかを毎朝いちばん先に知ります。


使い方は、六つの子どもと同じです。昨日と同じかどうか。三日続いたら、見に行く。「あれより上等なものを、俺は思いつかなかった」。


十四日目、第三十七区――北の教区の埋葬が二・二倍になっていました。届出は、三週続けて二件のままです。


そして同じ夕方、筆頭ガレンから二行の招きが届きます。「君が集めているものについて、私も数字を持っている」。


灰死病という言葉を一度も書かずに集めたはずのものを、あの男は知っていました。

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