第31話 かまどの煙、四十三本
登録の通達は、辺境にも回っていた。
写しが数える部屋に届いたのは、講習が始まって五日目だ。文面は王都のものと同じで、末尾に一行だけ足してあった。
――辺境ミルドレーン地方において、現に病者の看取りに従事する者につき、資格の有無を確認のうえ報告されたし。
「テオ先生も、モーグも、無資格です」クレトが言った。「令の第二条があっても、講習を受けていなければ、いまは『数える者』ではありません」
「講習は王都でしかやっていない。街道十日だ」
「……はい」
俺は外套を取った。
「十日で戻る、とは言えない。留守を頼む」
「どちらへ」
「取りに行く」
街道は、乾いていた。夏に泥だったところが、みな固まっている。麦は刈られていて、刈り跡に霜の匂いがまじりはじめていた。
十日目の昼過ぎ、丘を越えたところで、ミレイユが立ち止まった。
村が見えた。
「……煙が」彼女が言った。「ねえ、煙が」
俺も数えていた。
一本。二本。三本。細いのが四本目。かたまって見えるのを分けて、五本、六本。
四十三本あった。
四十三軒、全部だ。
土間で煮炊きをしているということは、その家の誰かが起きていて、火を熾して、鍋を見ているということだ。誰も寝込んでいない。四十三軒ぜんぶが、そうだ。
村の入口に、板が打ってあった。三つの形が彫ってある。熱。水。死。その下に、小石を置くくぼみが並んでいた。
死のくぼみは、空だった。
「エリアス!」
小さいのが飛んできた。俺の腰にぶつかって、そのまま両手でしがみついた。
「とりに きて、って かいた」リタが言った。「かいたら、きた」
「書いたからな」
「よめた?」
「読めた。かまどの煙、四十三本。石は毎日置いた。ひとつも空いていない」
リタは俺の外套を握ったまま、うんうんと二回頷いた。それから、手を引いて歩き出した。
「みせるものが、ある」
見せられたのは、村はずれの物置の壁だった。
炭で、線が引いてある。横に長い線が四十三本。その上に、小さな傷のような印が、日ごとに並んでいた。
「これ、いえ」リタは横線を指した。「これ、けむり」
一日ぶんの列を、上から下へなぞる。印のない横線が、ところどころにある。
「けむり、でてない いえ」
「その日は、火を熾していない」
「うん。……でも、まいにち ないのは、へん」
俺は、しばらくその壁を見ていた。
「リタ。この線が続けて消えたら、どうする」
「いく」
「行って」
「けむり、なんで ないの、って きく」
十日ばかり前の列に、三日続けて印のない横線があった。指でたどると、リタはその横線を叩いた。
「ここ。ヨシの ばあちゃんの いえ」
行ってみた。ヨシは七十三の女で、土間の隅に座って豆を選っていた。元気だ。
「三日、火を熾さなかったな」
「熾せなかったのさ」老女は笑った。「腰が抜けてね。三日、水も汲めなかった。四日目にこの子が来て、テオ先生を呼んでくれた」
「灰死病ではない」
「病でもないよ。年さ」
リタは、この人が病かどうかを知らない。知らないまま、三日目に見つけていた。
俺は物置へ戻って、もう一度、壁を見た。
村は、灰死病を数えていない。この子は、病の名前を一つも知らない。
数えているのは、火だ。昨日と同じ火が今日も熾っているか。それだけだ。
そして、火が消える理由には、灰死病も、腰の抜けた年寄りも、赤子の夜泣きで寝過ごした朝も、全部まざっている。まざったまま、三日続けば見に行く。
――届出を待たない。届出は、医者が名前をつけた病だけを運んでくる。名前をつけられない病は、一件も運ばれない。
俺は帳面を出した。手が、少し速くなっていた。
――王都に、かまどはいくつある。
書いてから、線を引いて消した。かまどは数えられない。二十万人の煙は、丘の上からでは分けられない。
だが、火と同じものが、王都にもある。
埋葬の許可。市の当番の穴。井戸の水汲みの順番。組合の欠勤。パン屋が焼く数。どれも、病の名前を通らない。どれも、その人が起きていたかどうかだけを写している。
分子を数えるのをやめるのではない。分母を数える。
「エリアス」リタが俺の袖を引いた。「かおが、こわい」
「そうか」
「うれしいときの かおだ、って ミレイユが いってた」
ミレイユは物置の戸口に立って、腕を組んでいた。何も言わずに、肩をすくめた。
テオは診療小屋にいた。夏に会ったときより、痩せていた。立ち上がるのに、卓に手をついた。
「戻ったか」
「通達を見に来た」
「無資格、と書いてあったな」テオは笑った。「わしはこの村で四十年、病人を看てきた。無資格じゃそうだ」
「講習は王都でやっている。街道十日だ」
「行けと言うのか」
「言わない」
俺は腰を下ろした。
「講習の中身を、こっちが書く」
「書けるのか、あんたに」
「書ける。中身は、この村にある」
俺はその晩、診療小屋の卓で、四つ書いた。
一つ。火を数える。昨日と同じ火が今日も熾っているか。三日消えたら、見に行く。
二つ。分ける。同じ土間で寝るな。三日たてば、戻すか続けるかが分かる。
三つ。水を替える。煮る。洗い場を汲み口から二十歩離す。
四つ。名前を書く。書けなければ、形を写す。写せなければ、石を置く。
「これだけか」テオが覗き込んだ。
「これだけだ。半日で終わる」
「王都の講習は、何日やっとる」
「十二日だ」
テオは、しばらく黙っていた。それから、卓の四行をもう一度読んだ。
「……十二日ぶんの何を、あそこで教えとるんじゃ」
「体液の均衡と、医史と、薬礼の作法だ。写しを取り寄せた」
「瀉血は」
「捨てたことになっている」俺は言った。「捨てたと教えるのに、四日かけている」
翌朝、俺はその四つを、村の六人に教えた。モーグ、テオ、水番の若い男が二人、それと女が二人。半日で終わった。終わったあと、リタが自分も並んでいたことに気づいた。誰も並べと言っていない。この子は、いちばん前に座って、四つとも聞いていた。
「わたし、もう やってる」
「やっている」
「じゃあ、ふだ、もらえる?」
俺は答えなかった。答えられなかった。
王都の天幕では、四十四の男が読み上げの試しで落とされている。この子は六つで、字が一つも読めない。
モーグが、当番表を持ってきた。祈祷医だった男が、いまは煮沸の当番を割り振っている。字は下手だが、日にちと家の名が、ちゃんと並んでいた。
「わしの祈祷はの、いま、水を煮る時刻を告げるのに使うとる」老人は言った。「朝と夕、鐘の代わりじゃ。ありがたがる者がおるうちは、それでよかろう」
「モーグ」
「なんじゃ」
「あんた、王都から札をもらえないかもしれない」
「札」老人は鼻で笑った。「わしは四十年、この村で祟りだと言い張ってきた男じゃ。札をくれる者がおったら、そっちのほうがどうかしとる」
そう言って、当番表を壁に貼り直した。四隅を、飯粒でとめていた。
その晩、テオが文を二通、出してきた。封が切ってある。
「王都から来た。あんた宛てじゃ」
差出は、王宮の西の棟だった。二通とも、同じ印だ。
「開けたのか」
「一通目は開けた。あんたがいつ戻るか分からんかったのでな」テオは言った。「日付だけ見て、閉じた」
「中身は」
「読んどらん。……ただ、二通目が来たときに思った。あの家の者は、二度、同じことを頼まん」
俺は封をしまった。開けなかった。
「アデライン王女だ」
「知っとる」テオは言った。「あんたが辺境に来た日に、名前を一度だけ言った。それきり、一度も言わんかった」
外で、リタが石を置く音がした。かちり、と一つ。それから、少し間があって、もう一つ。
生きている者の石は、置く前に両手で握る。あの子が誰に教わったのか、俺は知らない。
第31話をお読みくださり、ありがとうございます。
丘の上から数えたかまどの煙は、四十三本ありました。四十三軒、全部です。煮炊きをしているということは、その家の誰かが起きて、火を熾して、鍋を見ているということです。
リタは病の名前を一つも知りません。この子が数えているのは火です。昨日と同じ火が、今日も熾っているか。それだけです。そして火が消える理由には、灰死病も、腰の抜けた年寄りも、全部まざっています。まざったまま、三日続けば見に行きます。
届出は、医者が名前をつけた病だけを運んできます。名前をつけられない病は、一件も運ばれません。
王都に、丘の上から数えられるかまどはありません。けれど火と同じものはあります。埋葬の許可。市の当番の穴。井戸の水汲みの順番。組合の欠勤。パン屋が焼く数。どれも病の名前を通らず、その人が起きていたかどうかだけを写しています。
分子を数えるのをやめるのではなく、分母を数える――エリアスがそれを思いついたのは、六つの子どもが炭で引いた四十三本の横線の前でした。
そして辺境には、王宮の西の棟から、同じ印の文が二通、届いていました。エリアスは、まだ開けていません。




