第30話 筆頭ガレンは、俺の令に賛成した
医師団の見解は、六日後に出た。
三条ある。クレトが読み上げるあいだ、ミレイユは腕を組んで立っていた。読み終わるころには、その腕が下りていた。
――一、王国防疫令第二条を、医師団はこれを支持する。
――二、同条にいう「数える者」とは、王国の定める講習を修了し、医師団に登録した者をいう。
――三、講習および登録簿の管理は、医師団がこれを行う。
「……支持する?」ミレイユが言った。「支持するって、何よ」
「賛成だ」
「賛成? あの人が?」
「一条目を読め。俺の令に、まっすぐ賛成している」
「じゃあ二条目と三条目は何なのよ!」
「賛成の中身だ」
俺は紙を手に取って、三度読んだ。三度読んでも、どこにも間違ったことは書いていない。
数える者に医師の免許は要らない。それは残っている。ただし、講習を受けて登録した者を「数える者」と呼ぶ。免許ではないから、令に反していない。誰でも受けられるから、閉じてもいない。
「ダークは」クレトが小さく言った。「あの井戸番は、字が読めません。講習を受けられますか」
「受けられる、と書いてある。受かるとは書いていない」
蛇口だ、と俺は思った。免許という蛇口は令で外された。だから、その手前にもう一つ、蛇口をつける。締めるとは言わない。ただ、握る。
「断りましょう」クレトが言った。声が硬い。「令は令です。医師団の見解に、令を狭める力はありません」
「断れば、どうなる」
「……それは」
「講習をしない医師団と、講習を要らないと言う俺で、六百三十七人が二つに割れる。割れた区は、どちらのやり方でも数えない」
第一波を止めるのに要る日数を、俺は知っている。二日だ。二日で割れが決まらなければ、その区は終わる。
「飲む」俺は言った。「条件をつけて」
医師団の議場は、王宮の東の棟にある。天井が高く、椅子が円く並んでいて、声がよく響く。俺はその円の外に立った。免許がないので、椅子には座れない。
筆頭ガレンは、まだ筆頭ではない。王室侍医を解かれ、椅子は空いたままだ。それでも、この男は前から三列目の席に座っていた。誰もそこに座れと言っていないし、誰もどけとも言わない。
「やあ、ヴェント君」
温かい声だった。孫を迎える顔で、この男は俺を見た。
「見解に、条件をつけたいそうだね。どうぞ」
「四つある」
「四つ。うん、少ないな」
「一つ。講習料と登録料を取らない」
「よろしい」ガレンは即答した。「金を取れば、貧しい区から数える者が消える。君の言うとおりだ」
「二つ。読み書きを、要件にしない」
議場がざわついた。ガレンは手を上げて、それを鎮めた。
「……理由を聞こうか」
「王都でいちばん正確に数えているのは、字の読めない七つの子どもだ」
しばらく、誰も何も言わなかった。ガレンだけが、面白がるように目を細めた。
「よろしい。読み書きは問わない」
「三つ。登録を断るときは、理由を書面で出す」
ここで、はじめてガレンの返事が半拍遅れた。
「……理由を、書面で」
「断った数と理由が残る。それだけだ」
「そうだね。それだけだ」ガレンは頷いた。「よろしい」
「四つ。登録簿の写しを、毎月、数える部屋へ回す」
「それは、医師団の帳面だが」
「登録した者の名簿だ」俺は言った。「数えた人間の名は、消えない。あなたの前で、王がそう署名した」
ガレンは、しばらく黙っていた。それから、ゆっくり笑った。怒鳴らない男だ。怒鳴ったところを、俺は一度も見ていない。
「よろしい。四つとも、飲もう」
円の中で、拍手が起きた。何に対する拍手なのか、たぶん半分の者は分かっていない。
議場を出るとき、ガレンが追いついてきた。廊下は暗い。窓が北を向いている。
「君は、賢い」歩きながら、この男は言った。「四つとも、私が断れない形にして持ってきた。金・字・理由・写し。どれも、断ると私が汚れる」
「四つとも、あなたが飲める形にして持ってきた」
「そう。そこが賢い」ガレンは足を止めた。「ではヴェント君。私が何を得たと思う」
「講習の中身」
「よろしい」
満足そうだった。試験に受かった生徒を見る顔だ。
「私は君の令に賛成した。心からだよ。あれは正しい令だ」ガレンは言った。「正しい令を、正しく運ぶ人間が要る。私は、それをやる」
「二千三百人を、そのために使うのか」
「二千三百人を、そのために食わせるのだ」
そこで、この男の声がわずかに変わった。温度ではない。速さでもない。何かが、はじめて素のまま出た気がした。
「君は、免許を捨てさせたね。瀉血も捨てさせた。それはいい。……では、あの者たちは明日から何で食う」
俺は答えなかった。答えを持っていなかったからだ。
「考えておきなさい」ガレンは背を向けた。「答えを持たない者の制度は、二年で崩れる。私は、それを三度見た」
十日後、登録所が開いた。
医師団の建物の裏手に、天幕が三つ。朝の鐘が鳴る前から、列ができていた。
俺は列の外から数えた。四百を過ぎたところで、数えるのをやめた。
井戸番がいる。市の当番がいる。教区の書記がいる。パン屋の女房がいる。ヨナスが並んでいて、その手をニナが引いていた。
昼過ぎ、その天幕からダークが出てきた。第五十三区の井戸番だ。手ぶらだった。
「札を、もらえなかった」
「理由は」
「読み上げの試しがあってな。紙を渡されて、これを読めと言われた」ダークは自分の掌を見た。「読めねえ、と言った。そしたら、次の方どうぞ、と」
「書面は」
「なんだ、それは」
俺は天幕へ行った。
机の向こうに座っていたのは、若い医者だった。悪い顔ではない。言われたとおりのことを、言われたとおりにやっている顔だ。
「断るなら、理由を書面で出す。見解の四つ目だ」
「……存じております。ですが、書面は、その、まだ様式が」
「様式は要らない。名前と、断った理由を一行で書け。日付を入れて、二枚作れ。一枚はこの人に渡せ」
若い医者は書いた。手が遅い。四行を書けなかった第十二区の老医師と、同じ遅さだった。
――ダーク。四十四。井戸番。読み上げの試しに合格せず。
俺はその紙を受け取って、ダークの掌に載せた。
「持っていろ」
「こんな紙、どうする」
「今日、王都で何人が断られたかを、俺は明日には知る」
三日で、断りの書面は百七十二枚になった。
そのうち百六十一枚に、同じ理由が書いてあった。読み上げの試しに合格せず。
読み書きは要件にしない、とガレンは議場で言った。要件にはしていない。ただ、講習の初日に読み上げの試しがあるだけだ。
見解の二つ目は守られていた。守られたまま、百六十一人が弾かれていた。
「訴えましょう」クレトが言った。
「訴える先が、どこにある」
「……令の第二条です」
「第二条は、免許を要しないと書いてある。試しをするな、とは書いていない」
俺は百七十二枚を束ねて、紐で括った。
「だが、この束は残る。理由を書けと言ったのは、こういうときのためだ」
そして、列の中ほどに、白い襟の男たちがいた。
瀉血医だ。刃を捨てた医者たちが、井戸番と同じ列に並んで、同じ講習を待っている。
「……あの人たち」ミレイユが眉を寄せた。「何しに来たの」
「食いに来た」
「食う?」
「刃を取り上げられて、次の仕事を探しに来た」
その列を、俺は端から端まで見た。数える者になる人間と、ならない人間の見分けが、この列ではつかない。
つかないことが、あの男の狙いだ。
第30話をお読みくださり、ありがとうございます。
筆頭ガレンは、令に反対しませんでした。反対どころか「支持する」と書いてきます。免許という蛇口は令で外されたので、その手前にもう一つ、講習と登録という蛇口をつけました。締めるとは言いません。ただ、握ります。
エリアスがつけた四つの条件は、どれも断ればガレンが汚れる形でした。金を取らない。読み書きを問わない。断るなら理由を書面で。登録簿の写しを毎月回せ。四つとも通ります。
そのかわりガレンが取ったのは「講習の中身」でした。そして廊下で、この男ははじめて素の声を出します。「君は免許を捨てさせた。瀉血も捨てさせた。……では、あの者たちは明日から何で食う」。
エリアスは答えられませんでした。答えを持っていなかったからです。
登録所の列には、井戸番も、七つの子の手を引いた老人も、そして刃を取り上げられた瀉血医たちも並んでいました。数える者になる人間と、ならない人間の見分けが、この列ではつきません。
つかないことが、あの男の狙いです。




