第12話 一万人を、どうやって数えるか
三日で、死者は五十を超えた。
ヴァルクは、村ではなかった。城壁の内に、一万を超える人が暮らしている。路地は迷路のように折れ、井戸は数えきれず、朝ごとに荷車が城門を出入りする。俺が一人ずつ脈を診て、一人ずつ水を煮させていたのでは、とても間に合わない。
「エリアス」ミレイユが、息を切らして駆け込んできた。「東の水汲み場、また四人。全部、同じ路地。もう、書ききれない」
彼女の帳面は、名前で真っ黒だった。
「書ききれないなら、数え方を変える」俺は帳面を閉じた。「一人で一万人は診られない。だが、一万人を、動かすことはできる」
モーグが、白い眉をひそめた。五十年、村しか知らない元祈祷医だ。「町ぜんぶを、動かす。……そんなこと、どうやって」
「村でやったことを、大きくするだけだ」
俺は、市の会所の壁に、ヴァルクの粗い図を釘で留めた。城壁、四つの門、川から引いた水路、井戸の場所。すべてを、線で八つに区切った。
「今日から、この町は八つの区だ」俺は炭で番号を書いた。「病は水で広がる。だから、区ごとに水を切り分ける。第一区の井戸は第一区の者しか使わない。汚れた水は路地を越えて隣の区に流さない。それだけで、燃え移りは止まる」
「区ごとに、って」市の顔役が唸った。「うちの町は、そんなふうにできちゃいない。井戸と井戸が、どこで地の下でつながってるか、誰も知らん」
そこで、モーグが一歩前へ出た。
「地の下の水なら、少しは読める」老人は、節くれ立った指で図をなぞった。「五十年、村の井戸を掘って埋めてきた。水は、低いほうへ流れる。川筋を見りゃ、どの井戸がどの井戸の下手かは、だいたい当てられる。上手が汚れりゃ、下手も汚れる。まず、下手の井戸から蓋をしろ」
顔役が、目をみはった。祈祷医あがりの老人の土地勘が、都市の水の道を、いくらか解いてみせた。
「できていないから、五十人死んだ」俺は言った。「だが、できるようにする者は、ここにいる」
会所が静まった。
「城門には、検疫のゲートを置く」俺は続けた。「出入りする者は、額に手を当てて熱を見る。熱のある者は、通さない。荷は通す、人は診る。それだけで、病が城壁の外へ、外から中へ、飛ぶのを遅らせられる」
「一万人の額に、誰が手を当てるんだ」
そこで、ミレイユが前に出た。
「わたしが、人を集める」
会所の視線が、十九の娘に集まった。彼女は一瞬ひるみ、それから、帳面をぎゅっと握った。
「ついこの春まで、わたしは祈祷医の助手だった。額に手を当てて、熱を祈るのが仕事だった。……祈っても、弟は死んだ。でも、額に手を当てる手つきなら、わたし、村じゅうの女に教えられる」
彼女は図を指でなぞった。
「区ごとに、班を作る。一班に、女を五人ずつ。井戸を見張る係、熱を見る係、そのどっちが何人倒れたかを、夕方に会所へ走って報せる係。むずかしい医術はいらない。数えるだけ。数えて、走るだけ」
「それを、束ねられるのか」顔役が問うた。
「束ねる」ミレイユは言い切った。「わたしは、村ひとつぶんの記録を、一人でつけてきた。八つの区くらい、数えてみせる」
俺は、彼女の横顔を見た。祈りで救えなかった手が、今、人を動かす手になろうとしていた。俺が教えたのは順序だけだ。ここから先を、この娘は自分で歩いている。
その日のうちに、班は動きはじめた。
ミレイユのやり方は、細かかった。区ごとに、走り手を子どもにした。足が速く、路地を知り、大人より嘘をつかない。子には木札を持たせた。片面に区の番号、裏に「熱」「水」「死」の三文字。倒れた者が出れば、その文字の下に石を一つ置いて、会所へ走る。字の読めない女でも、石の数なら数えられる。
「祈祷のときも、こうだった」ミレイユは、女たちに札を配りながら言った。「祭壇に、供物の数を石で数えたの。石なら、誰でも、まちがえない」
市場の女たちが、路地ごとに立った。額に手を当て、熱のある子を隔ての小屋へ運ぶ。井戸に木の蓋がかけられ、「煮て飲め」「手を洗え」の触れが、区ごとに読み上げられた。
その隔ての小屋で、俺は一人、灰色の唇をした男の子を診た。第四区の、桶屋の息子だという。母親が、俺の袖を掴んで泣いた。
「泣いても熱は下がらない」俺は、塩と蜂蜜を溶いた水を、匙で少しずつ含ませた。「この子は、水が抜けて死にかけているだけだ。抜けた分を、入れ直す。それだけでいい」
夜通し、匙を運んだ。明け方、子どもの唇に、灰色ではなく赤みが戻った。母親は、床に額をつけて、俺ではなく、俺の帳面に向かって手を合わせた。区の走り手が、その小屋の札の裏、「死」の下に石を置かず、会所へ走っていった。一人、数え損ねずにすんだ。
夕暮れには、八つの区から走り手が会所へ集まり、ミレイユの前に数を並べた。第三区、新たに六。第五区、三。第一区、ゼロ。石の数が、そのまま町の容態になった。
一枚の大きな帳面に、町が写しはじめた。どこで燃え、どこで消えかけているか。一万人が、初めて、一枚に収まった。
だが、順調ではなかった。
翌朝、白衣の一団が会所に踏み込んできた。ヴァルクの医師団支部――王都の宮廷医師団の、地方の出先だ。先頭の男が、壁の図を鼻で笑った。
「辺境の素人が、由緒ある都市に区割りとは。城門で熱を見る? 商いを止め、旅人を止め、都市を殺す気か」
「殺しているのは病だ」俺は言った。「あんたたちは、この三日で何人助けた」
男の顔が、こわばった。
「筆頭ガレン様は、この町の秩序をお認めだ」男は声を低めた。「瀉血を捨て、体液の学を捨てた異端の触れなど、支部として認めん。とくに――」
彼は、図の一角を指した。城壁の内でいちばん広い区画。石造りの立派な家が並ぶ、富裕と商人の区だ。
「第七区の旦那衆は、貴公の令になど従わん。あの方々の水は、あの方々のものだ」
その日の午後、第七区は門を閉ざした。
検疫も、水分けも、班の立ち入りも、すべて拒んだ。商いを止められては損だ、貧民の病を持ち込むな――そう言って、区ごと壁の内に閉じこもった。八つの区のうち、七つが数えはじめた町の真ん中で、いちばん人と金の集まる区画だけが、数えられないまま取り残された。
夜、会所の窓から、俺は第七区のほうを見た。灯りが、ほかの区より明るく灯っている。宴でもしているのだろう。
「あそこだけ、井戸が一つも蓋をされてない」ミレイユが、隣で唇を噛んだ。「人も、いちばん多いのに」
「ああ」俺は、帳面の第七区の頁を開いた。まだ、一行も書かれていない。
書かれていないのが、いちばん恐ろしかった。
数えていない場所で、病は静かに数を増やす。そして気づいたときには――村の六人が、翌朝ゼロになったように。あれの、一万人ぶんが、あの壁の内で起ころうとしていた。
「燃える」俺は言った。「あの区は、じきに燃える」
第12話をお読みくださり、ありがとうございます。今回は、この物語の芯――「手当て」から「仕組み」への転換でした。一人で一万人は診られない。だから、町を八つに区切り、城門にゲートを置き、区ごとに数える人を配る。エリアスの設計を現場で回したのは、祈祷助手だったミレイユです。祈って救えなかった手が、人を動かす手になっていく。彼女の到達点を書けて、うれしい回でした。
けれど、いちばん人と金の集まる第七区が、令を拒んで門を閉ざしました。数えられていない場所こそ、いちばん危うい。次回――閉ざされた区が燃え上がり、エリアスは「封鎖か、崩壊か」という、都市規模の選択を迫られます。どうか、続きも見届けてください。




