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竜の子ら  作者: megu
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7/13

紙の中の竜

 私の名前の横に、よそ見、と書いてあった。


 週報を広げたまま、もう一度、上の行から読む。赤茶の竜の小さな絵があり、その下に、先頭に出ると気を抜く、とあった。絵のイステルは首を横へ向け、私らしい人間は両手で手綱を引っ張っていた。

 実際には、あんなに引いていない。


「そこ、押さえてて」


 アレクが紙の端へ肘を載せた。風にめくれた隣の頁を直し、記事の最後を指す。細い活字で、アレク・ディーンボルグ、と印刷されていた。


「絵は、父のいる工房に頼んだ。顔、似てないね」

「顔じゃなくて」

「名前は合ってる?」


 私は指の下にある自分の登録名を見た。


「合ってる。でも、これ」


 先頭に出ると、のところを爪で押した。インクの黒が爪の端につく。


「一回だよ」

「春の競走の話だって、前に書いてある」

「いつもそうするみたいに見える」


 アレクは私の指を見た。それから週報を少し引き寄せた。


「出走表だけじゃ、名前ばかりになるから。見たことのない人にも、ああ、あの竜かって思ってほしくて」

「それで、気を抜く竜?」


 少し声が大きくなった。

 売り台の前を通った男がこちらを見て、紙面へ目を落とす。私を絵と見比べた。違うことを言った方がよかった。この記事を今ここで読んでほしくはなかった。


 アレクが肘をどけた。


「調教ではどうだった。先頭に出てから」

「飛べたよ」

「なら、明日は克服した姿を」

「まだ飛ぶ前から書かないで」


 言い切ってしまってから、紙を返した。

 アレクは広げたまま記事を読み直した。売り台の下に紙束があり、そちらにはノルドの印が並んでいる。同じ工房で刷った育成場の案内だ。きれいな竜の絵ばかりが見えた。

 私が束を見ていることに、アレクも気づいた。


「そっちは広告の注文。父が版を彫ってる」

「うちもお金を払ったら、ちゃんと前を向くの」


 アレクの手から、紙の端が滑った。


「記事を書いたのは私だよ」


 そうだ。父親に向かって言ったつもりはなかった。

 私は革袋を肩へ引き上げた。謝れば、今度は記事まで受け入れたことになりそうで、口を結んだ。


 リーネの竜場には、強い風があった。

 売り台の屋根を留めた縄が鳴り、ときどき、干した敷布のように布が大きく膨らむ。到着したばかりなのに、髪の間が土っぽい。競走は明日の昼前だった。イステルを待機房へ入れ、ルファが脚を確かめる間に、私は売り台まで来たのだった。


     *


 コースの柵沿いを歩いていると、右の耳ばかり冷えた。


 最初の曲がり角の奥に、低い土手があった。上に並んだ旗は風を受けているのに、下の草はところどころ止まって見える。

 ハルゼンの春の競走も、距離は千六百だった。こちらは川側の直線から曲がり角へ入るところで、門の幅が狭くなる。トムに借りた図を開くと、客席の印が思っていたより遠かった。


 ルファは柵の外で立ち止まった。


「こっちを見て」


 指した先で、下見をしていた竜が門を抜けた。地面から離れた赤い帯が横へ引かれる。その上では、白い帯が細かく震えていた。


「上、風が違う」

「あそこだけ?」

「今は向こうまで。明日も同じとは限らないから、出る前にもう一回」


 私は門の次の曲がり角を目で追った。外へ出れば見通しはいい。けれど、その分だけ遠い。

 内に入って、最後まで待つ。

 練習で何度もやったことを、頭の中でなぞった。


「ずっと内?」


 ルファに聞かれた。


「空いてれば。前の竜の後ろで、最後の曲がり角まで」

「どの竜の後ろ」


 すぐには答えられなかった。

 出走表は着いてすぐに読んだ。前へ出たがる竜の印も、自分でつけている。それなのに今、頭の中で先に飛んでいたのは、春に見たファルクレンの黒い尾だった。

 あの竜は、もう未勝利戦には出ない。


 私は革袋から紙を出した。折り目が汗で柔らかくなっていた。


「この二頭なら、早く出ると思います」

「両方、出なかったら?」

「……私が前へ」


 ルファはうなずいた。もっと何か言うのかと思ったが、柵から離れて歩き出した。

 私は二頭につけた印を指で擦った。紙が薄くなった。

 ファルクレンの名がない出走表を、初めてまともに見た気がした。


 出場竜の待機場では、イステルが敷草を鼻で寄せていた。

 床が気に入らないと、こいつは寝る場所を何度も作り直す。さっき入れたばかりの房の入口に、もう小山ができていた。

 手を伸ばすと、鼻先が私の掌へ来た。


「食べ物じゃない」


 掌を裏返して見せる。竜は残念そうな顔もせず、爪の黒いところを嗅いだ。

 インクの匂いがしたのかもしれない。


 私は額を掻いた。目の周りの鱗がゆっくり寄り、顎がわずかに下がる。

 こんな顔は、あの絵にはなかった。


「明日は長いこと見てなくていいよ、客席」


 言うと、ルファが水桶を置いた。


「あんたもね」

「わかってます」


 すぐ返してしまってから、前脚の脇へしゃがんだ。毛のない脚には、小さな土の粒まで見える。爪の間の草を取ると、イステルは私の背中へ顎を置こうとした。


「重い。今、無理」


 顎を押し戻す。

 顎の重さで、しゃがんだ膝が沈んだ。文句を言う間にも、竜は片方の目を閉じかけている。


「寝床にしないで」


 声が少し笑ってしまい、押し戻す腕に力が入らなくなった。


     *


 翌朝、賭札所から出てきたトムに会ったのは、検量へ行く途中だった。


 向こうも私に気づき、先に手を上げた。


「腹は」

「食べた」

「顔が食べ足りてないぞ」

「そういう顔」


 私は革袋から借りていた図を出した。


「これ、ありがとう。この土手の所、上だけ風が強かった」

「上?」

「門の下では、そんなに吹いてなかった」


 トムは紙を受け取り、その場所へ爪で小さな折り目をつけた。


「それは、描けてなかったな」


 紙をしまい、トムは笑った。指の間に細い札があった。折る前だったので、番号が見えた。

 イステルの番号だった。


「買ったの?」

「買いに来たからな」

「私を」

「竜券にお前の顔はついてない」


 札を裏返して、何も描かれていない方を見せる。私は笑えなかった。


「どうして」

「嫌なら返してくるか」

「嫌じゃない」


 思っていたより強く答えた。トムは札をしまった。


「あの曲がり方なら、ここも合うと思った。それだけだ」


 彼の向こうで、客が硬貨を数えていた。いったん分けた山から一枚を戻し、残りを窓口へ差し出す。受け取った札を、もう一人に得意そうに見せていた。

 その人たちに私は何の約束もしていない。それでも、トムの懐へしまわれた紙が気になった。


「いくら?」

「聞くな」

「たくさん?」

「聞くなって」


 笑いながら言われたが、二度目の方が短かった。

 私は口を閉じた。

 春の私に、この札を見せてやりたかった。次は買わせると、肉を頬張りながら言った私に。


「セルマさん、もう来た?」

「さっき、待機場の入口で道を聞いてた。反対側を教えたから、そろそろ着く」

「反対側?」

「客はあっちから入るんだろ」


 そうだった。私と同じ所を通れるわけではない。

 私は検量所の方へ足を向けた。肩の鞍が、歩くたびに鎖骨へ当たる。


「リーデ」


 呼ばれて振り返ると、トムはもう札を出していなかった。


「お前、今日もあの上着か」

「悪い?」

「背中の糸、出てる」


 手を回しても届かなかった。トムが二本の指で引こうとして、途中でやめる。


「切れそうにない。あとで切ってもらえ」


 私はうなずいて歩き出した。

 検量所の鏡で肩越しに見ると、赤い勝負服から白い糸が一本伸びていた。首をひねって押し込み、係員に呼ばれる前に鞍を抱え直した。


 秤の上では、足を動かさなかった。


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