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竜の子ら  作者: megu
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5/13

先に謝らないで

「ごめん、邪魔したら言って」

「今、邪魔」


 ジューンが手を伸ばして、私の肩を押した。

 背後を、鞍を二つ抱えた厩務員が通った。私は柱へ貼りついたまま、頭を下げた。


「飛ぶときの話」

「だったら、飛んでから言う」


 竜の脚の間に、低い霧が溜まっていた。イステルが鼻を突っ込むとそこだけ薄れ、向こうに誰かの靴が見えた。

 出るのは東の空き地から。地面の白い石を目印に赤い柱を回り、風見の塔を越える。いつもの競走場の門はない。どこまでも飛べそうな空に、ニアが杭で小さな終わりを作っていた。


 ニアは、板の上へ小石を三つ並べた。


「先に二頭出す。リーデは、こことここを空けて、後ろ。詰めないで」


 指先で黒い石が外され、白い石が残った石の横へ進む。ファルクレンが離れ、淡い緑の竜をイステルが抜く。三つの石なら、何の苦もなくできた。


「抜いたあと、私たちは速さを変えない。塔まで続けて、そこで終わり」


 ジューンが付け足した。

 私は一度、頭の中で飛んだ。黒い竜が離れ、緑の竜が後ろへ下がる。目の前に何もいなくなる。


「塔の手前で、遅くなったら」

「あんたが急に戻らなければ、後ろも避けられる」


 ルファが鞍の腹帯を確かめた。


「途中で直そうとして、横へ切るな。前を開けてあるんだから」


 ルファの手袋の甲には、糸で塞いだ古い穴があった。私の目に気づいたのか、彼女が指を曲げた。


「破けてないよ」

「今の手袋より、丈夫そう」

「ジューンのお母さんの。まだ私が、調教でも怒られてた頃にもらった」


 ジューンが首だけ振り返った。


「母さん、今も怒るよ」

「知ってる」


 ルファが最後の紐を通した。糸の盛り上がった指で端を引くと、鞍が背へぴたりと収まった。


     *


 一度目は、抜くところまで行かなかった。


 ファルクレンが外へ動く。

 イステルの耳がそちらへ向いた。私が内へ向け直すと、淡い緑の尾が目に入った。

 近い、と思った。

 実際には、まだ十分な距離があった。けれど、初めて組む竜の尾が、どう揺れるのかわからない。手を引き、私は速度を落とした。


 そのまま二頭を追って、塔へ着いた。


 地上へ戻ると、ニアが空いた土地を指した。


「離して歩いて。戻った順に水場へ入れない」


 失敗についての話は、すぐには始まらなかった。

 イステルの呼吸が静まるのを待ち、鞍を緩めてから、ようやくジューンが隣へ来た。


「私、離れるの早かった?」

「違う。前が、近く見えて」

「ああ」


 ジューンはそれ以上言わず、緑の竜を見た。

 背にいた騎手は、私たちより年上の人だった。腰を伸ばしながら、軽く片手を上げる。


「こっちは平気。さっきのところからなら、左へ出してよかったよ」

「すみません」

「次、私の左肩を見て。尾は気にしなくていい」


 彼女は自分の竜へ戻った。謝った分だけ待ってもらえるような朝ではなかった。


 ルファが、曲がり目に置かれた石を指した。


「あそこから出せば間に合った。イステルも足りてた。手前で引いたのは、あんた」


 緑の竜の騎手が、ルファの指した石へ歩いていった。塔の方を振り返り、ニアに片手を上げる。私は唇を舐めた。


「もう一度、同じでお願いできますか」


 ジューンへ聞いた。

 彼女は、ファルクレンの首の下を覗いていた。


「できる。休ませてから」


     *


 二度目は、緑の竜の肩を見た。


 相手の翼が下がる。上がる。近づいて見えた尾は、体の揺れについてきているだけだった。

 その外側へ、イステルの肩を運んだ。


 前が開いた。


 上体が浮きかける。

 私は息を吐き、鞍へ膝を沿わせ直した。目の前の首へ、手を少しだけ送る。

 塔の風見が、ゆっくり大きくなる。


 後ろで翼が鳴った。

 イステルの耳が動く。鼻が右へ傾く。


「そっちじゃない」


 強く言いすぎた。

 手も、つい固くなった。イステルは顎を引き、速さを落とす。


 塔へ着く前に、緑の竜が横へ並んだ。


 騎手がこちらを見た。追っていない。最初と同じゆったりした羽ばたきで、私たちに並んでいた。


 終わりの印を越え、二頭を先へやった。

 下りてから右の手袋を外すと、指の付け根に四つ、赤い線がついていた。


「今の、私が」

「うん。引いたね」


 ルファが言った。


「最初の旋回は、よかった。抜くとこまで」

「でも、また」

「そこから先は、まだだ」


 イステルが私の肘へ鼻を寄せた。

 押し戻した手へ、竜の唇がついてきた。汗を吸った手袋を、舐めようとしている。


「今は、やめて」


 手を引っ込めると、鼻先が空を切った。私は左の手袋も外し、二枚を鞍の下へ押し込んだ。


     *


 ニアが終わりの杭へ歩き始めた。


「リーデの分は、ここまで」


 私は顔を上げた。緑の竜は、まだ鞍を外していなかった。


「待つ方は」

「今日はもういい。そっち、抜くので手いっぱいだったでしょ」


 手袋を鞍から抜いた。湿った指先が、うまく入らない。

 自分のために二本、借りたままだった。


「後ろなら、飛べます」


 ニアが足を止めた。私は緑の竜の騎手へ向き直った。


「前を抜きません。途中でやり直したくなっても、そのままつきます」


 相手はニアへ目をやり、それから自分の竜の首を撫でた。


「短いのを一本。外へ出るところまでね」


 ルファがイステルの胸から手を離し、うなずいた。

 私は湿った手袋を最後まで引き上げた。


 三度目は、ニアの竜が先に行った。


 イステルは、後ろを保つ役だった。相手がこちらを気にして首を振る。離れたファルクレンが戻ってくると、突然羽ばたきが速くなる。

 前の騎手が、片手を低く上げた。


 私は追わなかった。

 相手につられて速くなりかけたイステルを控えさせ、間を保った。イステルは不満そうに首を上げたが、私が待っている間に、前の竜も落ち着いた。


 地面へ下りたとき、ニアはそちらの騎手と話していた。


「外へ出る前。早かった?」

「いや、後ろの羽音で急いだ。もう一回、次の週に同じ組み方したい」


 ジューンが私の横を通る。


「最後、助かった。あれで詰められると、私が戻れなかった」


「それ、この前も言った」

「そうだっけ」


 ジューンはファルクレンの首の下へ潜ってしまった。覚えていないなら、言わなければよかった。私はイステルの肩を叩き、口が緩むのを首の陰へ隠した。


 今日はここまで、とニアが告げた。

 私は時計塔を見た。まだ、朝食に間に合う時刻だった。


     *


 道を帰る頃には、霧がなくなっていた。

 辻で荷車を先にやると、イステルがパン屋の窓へ鼻を伸ばした。店主の手から、焼けた丸いパンが籠へ落ちていく。


「そっちの待ち方も、覚えてくれると助かるね」


 ルファが言った。

 私は鼻を窓から離し、手綱を持ち替えた。鞍袋の中で、脱いだ手袋がまだ湿っている。


「次の週も、同じ組み方したいって言ってた」

「聞こえたよ」

「私も、入ってたよね」


 ルファは荷車が通り終えるのを待った。


「ニアに聞いてみようか」

「今度は、私から聞く」


 私が足を出すより先に、イステルが歩き始めた。パン屋からは遠ざかる方だった。

 帰ったら、セルマさんに何から話そう。


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