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竜の子ら  作者: megu
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12/13

セルマの頼み事

 勝った数なら、この人の方がずっと多かった。


 セルマは紙を窓へ向けた。七月三日はハルゼンにいる。前日の調教にも乗れる。紹介された騎手の名の下には、騎乗料と、ほかに必要な費用が分けて書かれていた。

 払えない額ではなかった。

 今日は返事をしなければならない。


「お母さん。そこ、空けて」


 大きな盆が肘の横へ来た。セルマは紙を畳み、帳面に挟む。熱い皮が卓へ滑り、端の一枚だけ、腹を膨らませないまま止まった。


「これ、私が食べるよ」

「熱い」


 指を離したところへ、娘が布を置いた。


「言うの、早くしとくれ」

「窯から出したのは見えたでしょ」


 布越しに裂くと、湯気が鼻へ当たった。セルマは片方を娘へ向けたが、ノエルは首を振った。


「来月の三日なんだけど」

「その前に、私の休み」


 セルマの手が止まった。


「次の市の日。朝からいないって言ったよね」

「川向こうへ行くんだっけ」

「友達と。戻るのは夜」


 聞いていた。帳面を開こうとしたが、いま挟んだ紙が出そうになり、閉じたまま脇へ押した。


「三日は店にいるよ」


 ノエルが言った。


「でも、秋は私も見たい。あの大きいのに出られたら」

「二人とも出たら、店は」

「だから、今から人を探して。前の日に言われても無理だから」


 娘は盆を持ち直した。窯の前で体を入れ替え、新しい生地を並べ始める。セルマが持ったままの皮は、もう湯気を出していなかった。


「勝たなきゃ、あれには出られないよ」

「知ってる。勝ったら行けなくなるの、私だけにしないで」


 セルマはひと口齧った。膨らまなかった所が、歯へ厚く当たった。


     *


 取り次ぎ所の窓口へ紙を出すと、係の人が名簿を引き寄せた。

 指が紹介された騎手の名を押さえる。セルマは、横に書かれた勝ち鞍の数をもう一度見た。


「七月三日ですね」

「ええ。けど、この人には頼まない。礼を伝えといて」


 係の人が顔を上げた。

 セルマは台に載せていた手を引いた。


「リーデットに決めた」


 筆が動き始めた。セルマは名前を最後まで見ていた。店の帳面とは違う字で、リーデットと残った。

 返された紙を畳みかけ、紹介された騎手の名が見えたまま手を止めた。係の人は、もう次の名簿を開いていた。

 セルマは折り目を押さえ、帳面へ戻した。


 外へ出ると、隣の板で仕事の募集が風にめくれていた。朝だけ、仕込みから、会計もできる人。セルマは紙を一枚ずつ押さえ、空いた釘を確かめた。


     *


 育成場へ着くと、赤茶の竜が黒い背中を追っていた。


 セルマは柵まで急いだ。靴の底で砂利が動き、空いた手を横へ出す。ルファが少し脇へ寄り、並んで見られる場所を空けた。

 空は広い。ここからなら、どこへでも出られそうだった。

 けれど門が重なると、二頭の翼がその間をほとんど埋めた。


 赤茶が遅くなる。セルマは柵を掴んだ。後ろへ下がってどうする。黒い竜が先へ行く。

 その尾が抜けたあと、イステルが外へ出た。

 大きく曲がる腹がこちらへ向き、鞍のリーデが一緒に傾いた。伸ばした手の先で首がまっすぐになる。翼が開くと、赤茶の鼻が黒い肩へ近づいた。


 そこで旗が上がった。


「あっ」


 声が出た。二頭は離れ、別の方へ速さを落としていく。


「そのまま、もう少し」

「ここまでの練習」


 ルファに言われ、セルマは柵から指を離した。手のひらに木の跡がついていた。


 先頭にはならなかった。

 セルマは袋の上から帳面を押さえた。二頭とも、もう低く下りている。


「返事をしてきたよ。リーデに頼む」


 ルファがこちらを向いた。

 何か言いかけた口を閉じ、一度うなずくと、着陸場へ向かった。

 リーデが鞍を降りた。黒い竜の騎手へ片手を出し、斜めに動かす。相手が首を振って同じ所をなぞり直すと、リーデは自分の膝を叩いた。

 何を言っているのか、ここまでは聞こえなかった。


     *


 洗い終わるまで待っているうちに、包み焼きが冷えた。


 セルマは袋の上から触り、ここで食べてもらうつもりで持ってきたことを少し悔やんだ。店なら、皮だけでも温め直せる。


「お腹、空いてるかい」


 リーデが布を絞る手を止めた。


「空いてます」

「固くなったかもしれない。汁は別だよ」


 包みを渡すと、彼女は両手で受け取った。すぐ齧らず、セルマの袋を見ている。


「七月三日、ハルゼン。ルファとは出す話をした」


 リーデの指が紙へ食い込んだ。


「騎手は」

「あんたに、お願いしたい」


 口が少し開いた。

 セルマはその顔を見たまま続けた。


「今度は、勝つところが見たいよ」


 リーデがうなずき、もう一度、大きくうなずいた。


「乗ります」


 頭を下げかけたので、セルマは包みの底へ手を添えた。


「それ、傾けない。まだ食べてないんだろ」

「ありがとうございます」

「うん。食べな」


 リーデが齧った。頬を動かすうちに眉が寄る。


「固い?」

「ちょっと」

「正直だねえ」


 彼女は口を押さえ、ようやく笑った。肉汁が手首へ落ち、慌てて腕を上げる。セルマは布を出し、二人で包みの下を折り返した。

 ルファの分は、あとで火のある所へ持っていこうと思った。


     *


 店へ戻ると、ノエルが朝の盆を洗っていた。


「市の日、朝からだね」

「うん」

「手伝いを探すよ。秋のことも、その人と相談する」


 娘がこちらを向いた。

 セルマは帳面を開き、市の日へ大きく丸をつけた。すぐ下に、仕込みと会計、と書く。


「一緒に面倒を見ておくれ。私だけじゃ、また量が大きいって言われる」

「それは私がいても言う」


 ノエルが濡れた指を拭き、帳面を覗き込んだ。


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