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竜の子ら  作者: megu
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13/13

買われる名前

 客に名前を呼ばれて、私は笑って振り返った。


 食堂へ来る人だと思った。けれど、竜場へ続く道の端にいたのは、知らない男だった。連れの肘をつつき、私の勝負服を指している。


「今日こそ、だね」

「はい」

「今度は間違えないでよ。前のは、もったいなかった」


 行き交う人が私たちの間を横切った。男は出走表を広げ、私が顔を上げるのを待っていた。


「あれだけ最後に飛べるなら、今日は大丈夫だろ」

「今日は、ちゃんと出します」

「聞いたか」


 連れへ言う声が大きくなった。

 私は頭を下げて道へ戻った。角を曲がり、鞍を反対の肩へ載せ直す。さっきまで当たらなかった留め具が、どちらへ載せても骨に当たった。


     *


 イステルの名前の横に、大きな印がついていた。


 札の売れ方を示す掲示だった。貼り替える係員の背中がどくまで待ち、ほかの名前より上にあるのを確かめた。

 一番人気。

 イステルゴード。その隣に、リーデット。

 肩の鞍を抱き直して、もう一度見た。


「いい顔してるね」


 アレクがいた。


「別に」

「別に、も書く?」

「書かないで」


 私が掲示板から離れると、アレクも紙を閉じた。


「先に、これを渡したかった」


 革袋から出した週報には、六月の終わりの日付があった。

 指で示された小さな欄を読む。上体を起こした直後のイステルと、ほかの竜を追ったときの動き。一度の競走から癖を決めつけたことを取り消す文は、私が厩舎で話したよりずっと短かった。

 最後に、アレクの名前があった。


「鏡、見たの」

「許可をもらって。リーネのも」


 欄の端で、飾りの線が途切れていた。


「絵はないんだ」

「この枠だけでも、父さんに版を彫り直してもらった」


 売り台に重なっていた、ノルドの案内を思い出した。


「怒られた?」

「遅く持っていったからね。私の顔を見て、時計を見て、また私を見た」


 アレクも私を見た。

 私は薄い紙の端を両手で持ち直した。


「この前、お父さんの仕事のことまで言って、ごめん」

「うん」


 短い返事だった。

 私は欄の頭をもう一度読み、丁寧に畳もうとして、もとの折り目を外した。アレクは手を出さずに待っていた。


「これ、ありがとう」

「競走が終わったら、話せる?」

「それは、終わってから決める」

「そっか」


 少し笑って、道を空けてくれた。

 通り過ぎるはずだったのに、私は鞍を持ち上げたまま立ち止まった。


「さっき、道で。今度は大丈夫だろって言われた」

「大丈夫って、言った?」

「ちゃんと出しますって」


 口にし直すと、ひどく頼りない言葉だった。


「それ、記事にしないで」

「しない」


 私はうなずいた。鞍の留め具を外側へ向け、今度こそ奥へ歩いた。


     *


 イステルの鼻に、敷草が一本載っていた。


 取ろうとすると、こいつは私の指を嗅いで顔を上げた。草の端が鼻息で揺れる。


「そっちじゃなくて」


 つまんだ途端、口が開いた。歯のすぐ横から手を引く。


「何でも入れてみないでよ」


 指から落とした草が、私の足元を通り過ぎた。その先で、ルファの上着の裾がばたついている。

 掲示板の大きな印が浮かんだ。風の帯も目に入ったはずなのに、どちらへ引かれていたか出てこない。


「外、見てきます」


 ルファはイステルの背へ手を置いたまま、うなずいた。


 柵の外へ出た。草が客席の方へ倒れ、向こう側の直線では、竜たちがその風へ顔を突っ込んでくる。

 前の競走を終えた竜が歩いていた。首に汗が筋を作り、腹の下には白い泡が残っている。桶を持った厩務員が行く先を変えるたび、疲れた顔もそちらへ向いた。

 私は風に上着を押さえられながら、最初の門を探した。

 千八百。二周の手前に、もう二百ある。そこで先へ急ぐと、すぐに向かい風だ。

 内へ入りたい。前の竜の後ろで、風を避けたい。

 その竜が遅くなったら。

 黄色い帯が柵の向こうで一度垂れ、また張った。私は隣の門へ目を移した。


     *


 セルマさんの外套は、片方の袖口だけ濡れていた。


「ノエルさん、店?」

「昼の鳥は、あの子の方が手早い」


 セルマさんは包みをルファへ渡した。


「終わったら食べとくれ。塩気のある方」


 私にも来るかと思ったが、包みはそれだけだった。さっき食べたばかりなのを、見られていた。


「今日は揚げ輪、ないんですか」

「今、食べたいのかい」

「あとで」

「店へ戻ってからなら揚げるよ」


 それでは昨日も明日も同じだ。


「大きいのを」

「口に入る分にしときな」


 イステルが外套の端へ鼻を寄せた。セルマさんが裾を持ち上げると、追ってきた鼻をさらに避ける。


「覚えたからね、私も」


 私は笑った。こいつはもう一度試してから、ルファの袋の方を向いた。

 セルマさんの手が、私の上着の肩を払った。


「行っといで」


 呼びに来た係員の後ろで、鞍の革が光っていた。ルファが乗り台へイステルを寄せる。


 私は台へ上がった。

 鞍を跨ぐと、さっき見上げた門が首の向こうへ下がった。鐙に靴の底を置く。柵から名前を呼ばれたが、私は歩き出した首の揺れに合わせて座り直した。


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