恐縮です、閣下
魔導師オーガス卿、帰国。
その報はすぐにカナリィの耳にも飛び込んできた。といっても、なぜか朝にメリルから報告を受けたのだが。今日明日にでも、ここ王宮魔術院へ顔を出すだろう、との噂である。
執務室の机に向かいながら、メリルから渡されたメモを見る。なになに?
オーガス・シルヴァンスタイン。王国付き魔導師。元は農家の生まれだが領主シルヴァンスタイン家の養子となり魔術を修める。その甘い容貌から宮廷の美姫たちの人気を一身に集めるが独身である。30代。
「なんであなたが宮廷の美姫たちの話題に詳しいのよ」
来客向けのテーブルを拭いていたメリルに聞くが、「お噂にございます」とさらりと流された。
それはさておき、問題のレポートの仕上げを急がないとね。日に日にロイドの催促も厳しくなってきているし、翻訳を諦めた分、今日明日には仕上げられるかしら。翻訳を諦めた分。
書きかけの草稿を前に、はぁ、とため息をつく。レポートの文言を一文書くたびに、原文を開いてはああでもないこうでもない、と行ったり来たりしてしまう。このもどかしい状態で、途中経過の報告書を書かされるなんて、御馳走を前に匂いの報告だけさせられているようなものよ。
「カナリィ様。そろそろお時間です」
メリルに言われてハッとして、懐中から時計を取り出す。そういえばロイドに呼び出されてたんだった。量だけはあるメリーヌ先生の蔵書、その鑑定の割り振りを決めるから、とかなんとか。正直この一冊だけでもお腹いっぱいなんだけれどね。
書きかけの一文をさらりと結んで、ペンを置いた。
「戻ってきたら続きをするから、片付けなくていいわ」
とだけメリルに言い残して、部屋を出る。
廊下を歩いて階上のロイドの執務室へ向かうのだが、心なしか廊下が歩きやすい。いつもは台車に積まれた本の束が出しっぱなしだったり、誰のものかも分からない杖やら傘やらが立て掛けられてたりするのに、キレイに片付けられている。
ロイドの執務室の戸をやや乱暴にノックし、声をかける。返事も待たずに戸を開けると、既にオーソローを始めとしたロイド麾下の魔術師がお揃いであった。
ロイドも面々の前に立ち、何やら書付を配っている。こちらに気づいたロイドは体ごとこちらに向き直り、オーバーに両腕を広げた。
「おお、ユニウス嬢、レポートは順調かね。君のレポートが次の報告の目玉だからね。表紙に付けようと空けてあってね。それが上がらないことには綴じられないのさ。万一間に合わなくてはことだからね、君の配分は少なくしておいたよ。ははは」
出会いがしらからペラペラとよく回る舌だこと。
「ええ。今日、明日には必ず」
こちらは言葉少なに回答し、割り振りが書かれた書付を受け取る。
どれどれ、と中身を見ようとしたとき。
ゴン、ゴン。
ゆっくりと、しかし確かにはっきりと響く音で戸が叩かれた。
「どうぞ入りたまえ」
ろくに気にもかけていない様子で声を掛けたロイドは、ぎいと音を立ててゆっくりと姿を現した来客を前に、驚くように背筋を伸ばした。
「こ、こここれは、オーガス閣下!!お帰りになられていたとは……!!」
短い黒い髪に、切れ長の目の中の黒い瞳、合わせたように上から下まで黒地に銀糸の輝く軍服調のローブを身に着けた、控えめに見ても美形の男が、コツ、コツと靴音を立てて入ってきた。
我ら下っ端の魔術師たちも、自然と列を作り迎え入れる。
これが、メリーヌ先生と同じ魔導師。オーガス卿……ね。
「不在の間、よく務めた。ご苦労であった」
やや尊大な物言い。これが魔導師って立場なのかしらね。まぁ協会のお偉方と一戦交えるような席だからそうよね。……というより、この方自身が協会のお偉方なのか。
「閣下こそ、大役のお勤め、お聞き及びしております。てっきり帰国後はしばらくごゆっくりなされるものかと……」
ロイドは応接用のソファにオーガスを通すと、自分は執務机に周りこんだ。我々の方は見向きもしない。早く戻りたいのだけれど……。
「なに、私が引き当てたメリーヌ卿の遺産、ロイド卿が熱心に研究されていると耳にしてな。せめてもの労いに寄らせてもらったまでだ」
牽制かしら?
「なに、オーガス卿が苦心してくださった機会、無駄にはできませぬゆえ。ひとえに院の財政難を乗り切らんとの思いです」
「ふっ」
オーガスはこちらにも聞こえるように鼻で笑う。なにやら分からぬが、この短いやり取りで大人同士の火花の散らし合いが起きているようだ。
「協会の金も無尽蔵ではない、結果を期待しているぞ」
そう言って立ち上がると、ローブの裾を手で払い整える。
「それについては、ご安心を、閣下」
ロイドも立ち上がり、送り出す構えを見せた。ようやく解放されるわね。
「あの『空想と現象』。その原文を、このカナリィ・ユニウスが解き明かしました」
え?
突然話題を振られて思わず目を見開いた。
「ほう」
などと言いながらオーガスもこちらに目を向ける。焦らないように、一歩前に出て、簡単な礼を送る。
「貴君が魔術学校を首席で出たという、ユニウス卿か」
「恐縮です、閣下」
「協会でも噂になっておった。主席でありながら協会に残らず小国へ引きこもるエリート、とな」
好きで帰ってきた訳ではないのだけれどね。という内心は飲み込みながら、頭を下げる。
「『空想と現象』の原文、か。興味深い。……いずれにせよ、協会は『星の降った日』の解明を急いでいる。諸君らの働き如何に関わっている。励めよ」
そう言い残して、再び靴音高らかに部屋を去っていった。
扉の外まで見送りに出たロイドが、戻ってきて後ろ手に戸を閉めると、がばっと顔を上げた。
「御覧の通りだ!君たちの上げた報告は協会へ提出される!それが回りまわって魔術院の、この国のためになるのだ。ぜひとも張り切って取り組んでいただきたい!」
ありがたい訓示を受けて、ようやく我々も散り散りに放免されることとなった。
日が暮れるまでレポートの続きに取り組んでいた。草稿は概ね出来たかしら。後は自宅に持ち帰って文章にまとめて……明日には清書できそうね。
魔術書の持ち出しは禁じられているため、レポートの束だけを整えてカバンにしまう。メリルが開け放してあった窓を閉め、机の上を片付けてくれている。
「じゃ、今日のところは帰りましょうか。遅くまでありがとうね」
「本日も執務お疲れさまでした」
メリルといつものやり取りを終えて魔術院の出口へ向かう。
「それにしてもあなた、毎日その大きなカバン、持ち運んでるのね。部屋に置いておいてもいいのよ?」
メリルは毎日欠かさずその大きな革張りのカバンを屋敷から執務室まで運んでいた。色々入っているようだが。
「いかなる時もカナリィ様のお役に立つための用意ですので。カナリィ様の杖、とお思いください」
「はぁ、こだわりだっていうなら止めないけど……」
などと雑談を交わしながら廊下を進んでいると、階段の手前に見知った影が立っているのに気づいた。
「カナリィ!待っていたよ」
「ユーグ殿下……と」
白い貴族の衣装を身に着けたユーグと、並び立っているのは対照的に黒い服に身を固めたオーガスである。
「閣下まで……お揃いで、どうかされましたか?」
意外な組み合わせだが、この長身の二人が並び立っているのは絵になるわね、悔しいけど。
「貴君が書いているという、『空想と現象』のレポート。協会へ通すのであれば私が預かろう」
半身で構えたままのオーガスの低い声。鼓膜をくすぐる甘い声色だが、有無を言わさない威圧感がある。これは美姫さま方の御人気も、あながち間違いではなさそうだが。
「はぁ、ですが、ロイド卿に直接手渡すように、と固く言われていますので……」
勢いとは言え約束した以上、むげにはしたくない。そう返事をしたところ、ユーグが一歩近づき腰を折って頭を近づける。
「どうせ私とオーガス卿の印がなければ通らないんだから、素直に渡した方が、身のためだよ」
一歩後ずさりながら、レポートの入ったカバンを両手で抱え込んだ。
「……ユーグまで。私はあくまでロイド卿の下で鑑定をしたの、最終的にはあなたたちに渡すんだもの、待っていたらよいのでは?約束したものを間を飛ばしていくのは気持ちが悪いわ」
カナリィのその返事に、ユーグは顎を引き両手を肩まで挙げて呆れている。
「ロイドの奔走は認めるがね。あまり彼にでしゃばられると、私とオーガスが協会で苦労している意味がなくなってしまってね」
そこにオーガスも眉間を指でこすりながら、更に重ねる。
「うむ。そのレポートは協会への影響が大きいとみられる。素直に渡したまえ」
このレポート、そりゃ世紀の大発見だけれど……。この二人が絡んでくるのはなんだか怪しい。
「カナリィ、君のためを思って言うんだ。何度も言うが僕は君の味方さ」
ユーグが追い打ちをかけてきた。
「これはロイド卿に直接お渡しします!それにまだ書きかけなんだから、焦らせないでよね!メリル!行くわよ!」
そう言い切って、二人の脇を抜けてさっさと階段を下りてしまった。強引な物言いにムキになっていたことは否めないけれど。
魔術院の正門を抜けると、林を抜ける新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。初夏とはいえ夜は肌寒さを感じる。メリルの差し出した肩掛けを羽織り、家路についた。




