お茶でも飲んでいきなさい
花の盛りも過ぎ、夏を予感させる鋭い日差しがツヤツヤとした木々の新芽を輝かせる。林を抜ける風はまだ春を忘れられない何処かの花々の香りをさわやかに運んでくる。
トトン、と不器用に戸がノックされ、メリルが招き入れた。本を何冊も重ねて持つその向こうに、群青を濃くした髪の色が見え、来客がオーソローだと気づく。
「カナリィ様、頼まれていた辞典やらなにやら、届きましたよ」
「ありがとう、ソコに置いておいてちょうだい」
オーソローがよろよろと左右に揺れながら本の束を机に置くと、メリルがさっと室温に冷ましたお茶をソファの前に差し出した。
それを見てクスッと笑いながら声をかける。
「お茶でも飲んでいきなさい」
「え、えへへ……あ、ありがとうございます」
オーソローは遠慮なくソファに座ると、カップに恐る恐る手を伸ばし、両手で包み込んだ。
その様子を見ながら、カナリィはペンを置いてひとつ伸びをすると、自分も脇に置いてあったカップのお茶を一口飲んだ。
新芽を摘んだばかりのお茶は、季節を感じる透き通った新緑の色で、さわやかな緑の香りを鼻孔に鮮烈に運んでくる。冷めたお茶はするりと喉を通り、埃っぽい古書に向き合っていた時間を洗い流していく。
椅子から立ち上がって、オーソローの運んできた本を検分する。
「そ、それにしても、ずいぶん本が増えましたね……」
お茶を一口飲んだオーソローが、執務机に積まれた本、左右の本棚に収められた本、そして今運んできた本へとキョロキョロと頭を動かしている
「これでも厳選しているんだけどね……あ、良かった!リンハンス訳版も手に入ったのね」
「い、いろんな翻訳版を集めてるようですが……か、書かれてることが違うのですか?」
本の山からその一冊を抜き取って、くるりと執務机を回って、どかっと椅子に座り込む。
「いい質問だね、オーソロー君!」
椅子のひじ掛けを両手で掴み前のめりの姿勢になって、説明する。
「翻訳っていうのはね、単なる言葉の置き換えじゃないの。それは『編纂』であり、『解釈』なのよ。例えば、このリンハンス版。彼は高名な学者だけど、極度の合理主義者だった。だから、原文にある『精霊の囁き』なんて曖昧な表現を、勝手に『大気中の魔力密度の変動』なんて書き換えてる」
そして、机の上の別の本を叩く。
「対してこっちのポルタ版は、逆に宗教色が強すぎる。すべてを『神の奇跡』に結びつけようとして、魔術の根幹をポエムに変えちゃってるわ。……わかる? 翻訳者が『何を信じているか』で、一つの呪文が爆発にもなれば、ただの光の玉にもなっちゃうのよ」
オーソローはカップを持ったまま神妙に聞いている
「なるほど……」
「そう、だからこそ、今回のこの『箱』に入っていた原文が重要なの!わかるかしら!?翻訳者の目というフィルターのかからない生の情報がここには詰まっているのよ、それを自分のフィルターを意識しながらあくまでもニュートラルにその『意味』を抜き取って……」
「カナリィ様、カナリィ様。オーソロー様が困ってらっしゃいます」
メリルに言われて、はっと我に返る。
「んんっ……まぁつまり、いろんな方向から多角的に物事を見ることが重要、ということよ」
「なんだか、わ、分かったような分からないような……難しい作業をされているのですねぇ……」
なんて、オーソローは呑気に言って、またお茶を飲んでいる。自分も照れ隠しながらまたお茶を手に、カップで口元を隠した。
カップの中の水面を見つめながら、誰に言うでもなく、ぽつり、とこぼす。
「……もっとも、今回は『翻訳』が仕事じゃないのよね……」
「ど、どういうことですか?」
オーソローはカップを置いてこちらを向き直った。少し躊躇はしたけれど、このところの悩みの種を打ち明けることにした。
「今回の発見は、この書が現存したということ自体、だけですごいのだけれど……」
机の上の『空想と現象』、その原本に目を落とす。
「鑑定を始めてすぐに、翻訳本から抜け落ちている章がある、ということが分かったの」
「そ、それって大発見なのでは?」
オーソローも分からないなりに目を丸くしている。
「そう、気付いたときはメリルとダンスを踊ったわ。でも、ロイド卿からは翻訳など後回しにして、王宮の予算会議までに中間報告で良いから鑑定レポートを早く上げろってせっつかれてて……」
「その章には、何が書かれているんです?」
またしても躊躇しながら、その単語を口にする。
「……『九元』」
オーソローは目をぱちくりとしている。
「あなたも魔術師なら、聞いたことはあるでしょう?」
「え、ええ……これでも絵本はたくさん読んでたので……」
「はぁ、そうよね、そういう認識よね」
両手を広げて呆れてしまう。
「一般的には『魔術の最奥』だとか『究極の理想の果て』とかそう言う文脈で出てくるわね……」
「わ、私が読んだ絵本だと、九元から来た魔術師が7本の魔剣を作った、とか……」
「ええ、その話が一番有名ね。でもね、魔術学校ではその『九元』を大真面目に研究していた魔術師がいるの。それが、魔導師、メリーヌ。」
「そ、それって、今回の鑑定依頼の……」
「そう、その先生の研究対象、それが『九元』だったってわけ。どおりで、この本が厳重に封印されていたわけだわ」
そっと、その本が封印されていた箱の、ボコボコとした側面を指でなぞる。
「本当は持ち帰って徹夜してでも翻訳したいところだけど……ロイド卿の言われるレポートを上げる方が先のようね……」
はぁ、とため息をついて高い天井を見上げていたら、メリルが空になったカップにお茶のおかわりを淹れてくれた。
「ま、魔導師さまといえば……王国付き魔導師のオーガス様が近々協会から帰ってこられるとか……」
「オーガス卿?ロイドの政敵だとかいう?」
「そ、そんな、政敵とまでは……。確かに魔導師の座を巡って争われたとは聞きましたが……」
「とにかく、大物が帰ってくるわけね。研究の邪魔にならないなら関係ないわ」
「か、カナリィ様は、流石ですね……皆さん浮足立ってあれこれ片付けに追われていましたよ……」
「そんなうるさい人なの?」
「う、うるさいわけではないんですが……き、厳しい方です……結果を出さなきゃ平気で追い出されかねないような……」
「あら、なら大丈夫じゃない。結果は出してるもの」
「は、ははは……」
オーソローは眉をへの字にゆがませて笑いながらお茶を飲み干すと、丁寧にあいさつをして出て行った。
「オーガス卿、魔導師さま、ね……」
窓の外から空を見上げると穏やかな午後の雲がゆっくりと流れている。
「カナリィ様は、魔導師を目指されているのですか?」
メリルがオーソローのカップを片付けながら聞いてきた。
「まさか」
首だけ回してその様子を見ながら、きっぱりと否定する。
「メリーヌ先生は『魔導師を名乗りたければ勝手に名乗れ』と言ったわ。肩書なんてそんなものにこだわる必要はないのよ、きっと」
「そのようなものでしょうか……」
メリルはテキパキと卓上を片付けると、一礼して部屋を出て行った。その閉められた戸を見つめて、両手を上げて大きく伸びをする。
さて、それではその先生の遺した秘密、追いかけさせていただきますか。
再び執務机に向かい、先ほど届けられた書物を1冊ずつ広げていく。




