これが私の回答よ!
地に伏せた巨大な獣、その金の瞳に見据えられて迂闊に動けない。
メリルは、オーガスは無事かしら。動きがない。出血していたら、頭を打っていたら……嫌な考えばかりが頭をよぎる。
考えなさい。ここまでで少しずつでも分かってきたことがあるはず。
目の前の事実だけを積み重ねる。
私とメリル、オーガスでそれぞれ違う獣を見ていたこと。他の者が見ている別の獣の攻撃が、見えてない者にも影響があること。オーガスもメリルも、私が見えない攻撃で吹っ飛ばされたこと。瞬きをするたびに獣のその姿がズレて見えること。
狙った攻撃が当たらないこと。初めから狙いそのものがズレていたような、そんな変な感覚。十中八九当たる魔術が全部外れてる。メリルは「いじられている」と言っていた……だめ、これは考えても分からない。
獣は3匹いる?いや、そういう単純な感じじゃない、これは勘。
じり、と一歩引いた拍子に、肩から下げたカバンの中の重たい『原本』が腰に当たった。メリルが命懸けで持ってきてくれた、メリーヌ先生の『空想と現象』。
空想と、現象?
そうだ。目の前に見えているのは現象。そして見えない部分は空想。
思い出せ。
「先生!お借りした『空想と現象』は読み終えました!」
「なに?では次はこれでも読んでおくといい」
「そうやって、先生は本しか貸してくれないんですね」
「私は弟子は取らん。何度も言っている」
……違う。
「空想とは何か?書いてあっただろう、『目の前にない物全て』だ、と」
「書いてある意味はわかります、それがどういうことか、しっくりこなくて……」
「その程度の理解であれば、まだ自分がその程度の段階だ、ということだ」
……違う。
「現象学における『態』や『相』などというものは、この世界の『現象』を分かりやすいように線引きしたものに過ぎん」
「先生は、『態』もまた『空想』だっていうんですか?」
「あれは魔術のための方向付けに過ぎん。もっとも、そうした線引きでもなければヒトは目の前の現象を理解できん」
……違う。
「“本来的に、目の前にあるものが世界の全てであり、目の前にないものは全てでないものの全てである”」
「そういう言葉遊びは好きじゃありません」
「世界の絶対座標などという『空想』を真理であると思い込むなということだ。あれは便宜的なもので、世界に端などというものはない」
……違う。
「世界とは本質的には揺らいでいる。確かなものなどありはしない。『空想』は常に不確かなものだ。そうしたものに囲まれている自覚は持っておくことだな」
「先生が持っているその果物も、不確かなものですか?」
「このまま私が持ち去ってしまえば、お前の世界において私が食べてしまったか捨ててしまったかどうかは『空想』へ帰るだろう」
「どちらか分からないから不確かだ、って言うんですか?」
「違うな。『どちらか分からない』のではない」
「え?」
「お前の目の前の『現象』から外れた時、この果物は食べられた状態と捨てられた状態、その他あらゆる可能性が同時に存在する『空想』へと戻る、ということだ」
「それでも、先生はその果物を食べるんでしょう?だったらそれは食べられる世界が確かに存在していると言えるのではないですか?」
「真の魔術師であれば、捨てられた世界を自ら選び取れる、ということだ」
「……難しいです」
……そうだ。
アイツが本当に『九元の獣』だとして。
目の前の獣は私の世界における『現象』として現れている。そしてメリル達の見ていた獣は私にとっての『空想』?
そして、この空間では『空想』と『現象』が同時に存在していると仮定する。うん、それが一番矛盾がない。意味はわからないけれど。
アイツに当たった攻撃と当たらなかった攻撃の違いは何?なんであの時の氷壁は当たったの?あの時は、獣のことは考えず、部屋を分断するつもりだったのがたまたま当たった。
思えば魔弾も爆破も、最初は当たっていた気がする。金の目を見せてから、ほとんど当たらなくなった。魔術が封じられているわけじゃない、ちゃんと発動した結果、当たらないのだ。
考えなさい。
魔弾が途中で弾かれたりズラされたりしている感じではない。10回やれば9回は当てられる魔弾が全て外れるってことは?アイツがやってることは、その1回の失敗を必ず引き当ててるということ。
さっきの氷壁の失敗だって、精霊魔術の成功率から言えば失敗する可能性は確かにあった。それをアイツが意図的に引き当ててるとしたら……?
『当たるカード』と『外れるカード』の山札から、いつも『外れるカード』だけを引ける。
もしそれが事実だとしたら……。
獣が低い唸り声を上げたかと思うと、再び飛びかかってきた。横っ飛びに身をかわすと、重い一撃が地を揺らす。
続け様に頭を捻り口を開けると、真っ赤な口の中が覗く。常識外に裂けた大口に何重にも生えた鋭い牙。さらに後方に飛んでその顎に空を切らせる。生ぬるい吐息が顔に吹きかかって眉をしかめた。
見えない攻撃は今の所来ない。二人が伸びちゃって私にとっての『空想』が消えている?
じゃあ、だとしたら……切り札を使えるとしたら一回きり。外したら後がない。本来なら。でも、この場所でならどうかしら。
「ほら、こっちへ来なさい!」
びたんびたんと暴れ回る4本の尻尾をかい潜り、部屋の奥へ向かって移動する。少しでも二人から遠ざけなければ。
吹き飛ばされた門の跡まで後退し、再び暴れる獣の脇をすり抜ける。すり抜けざまに脇の下めがけて火炎を叩き込んでやる。ぼうと音を立てた炎が焦げ臭い匂いを放つ。咆哮を上げた獣が門の中へ身を引いた。
今しかない!
時計の魔圧を再び確認するが、相変わらず針は暴れ回って何も測定できない。時計を懐にしまいこみ、獣と相対する。
「あんたが様々な可能性を内包して存在するというなら、私が取る手は一つだけよ……!」
首元のリボンに手を伸ばし、しゅるり、と解き抜く。
このリボンは私のとっておき。
目の前を流れるリボンに縫い付けられた呪文の列を目で追う。
「委員長、実は、この本を読み上げて欲しくて……」
「セナ……。何よ、この課題もまだ読めてないの?」
「え、へへへ……文字を読むのはまだ苦手で……」
「あなた、一体どんな田舎から来たわけ?文字も読めないなんて」
「委員長は、このたくさん積み上げた本、全部読んじゃったの?」
「当然じゃない、これでもまだまだ足りないもの」
「すごい、読むの早いんだねぇ」
「ちょっと、気安く撫でないでよ!」
「えへへ、ごめんね」
セナ、あんたは天才だったけど、本を読む早さでは負けなかったわ。
それが私の取り柄だった。
メリーヌ先生は言っていたわ。頭の中で文字を読み上げる速度と、目から入る文字を情報として読み取る速度は違うの。
とっておきのリボンに縫い付けた大魔術の長大な詠唱。文字情報を目から読み込むことで詠唱をすっ飛ばす。
深淵を暴くは白昼の閃光
焦土に煌めくは白熱の金冠
一の種火に万の光を宿し
炎熱の連鎖は極限に至る
降れよ、溢れよ、止まることなき光の瀑布
天をつく白焔の猛威とならん
流れるリボンの文字の上で視線を走らせる。いろんな書物を読むことで覚えた中では最上位の攻撃魔術。
その巨大な図体に、思う存分喰らいなさい!
『インカンデセント・フレア・カスケード』!!
振った杖の先が光り輝く。同時に、門の向こうの獣の周囲で、激しい爆発が連続して巻き起こる。
咆哮が部屋を震わせ、地響きを起こしながらジタバタとのたうち回る獣。
でも。
まだ終わらないわ!!
魔圧の狂ったこの空間でなら、一撃で魔力を食い尽くすなんて考えられない!!!
『インカンデセント・フレア・カスケード』『リプリーズ』!!!
さらに続けて杖を振り辺り一帯を爆発の渦で覆い尽くす。
立て続けに起こる閃光が網膜を叩く。鼓膜をつんざくばかりの爆発音と、背後に転がりかねないほどの衝撃を、両足で踏ん張り耐えながら、それでも魔術は止めない。
『リプリーズ』!!『リプリーズ』!!『リプリーズ』!!!
あんたが『外れのカード』を選べるっていうなら、山札全部を『炎のカード』で埋め尽くす!!
これが私の回答よ!!
『リプリーズ』!!『リプリーズ』!!『リプリーズ』!!!『リプリーズ』!!!!
視界はとっくに閃光と爆炎に覆われて何も見えない。 爆音に混じって微かに聞こえる咆哮だけが、獣を観測する手段だ。
目に焼きついた呪文の文字列だけを頼りに杖を振る。繰り返す呪文の束だけが頭をめぐって脳みそがクラクラする。気を抜けば呪文は意味をなくして魔術が出なくなる。ひたすらに文字を、意味だけを繰り返して杖を振り続ける。
気の遠くなるほど杖を振り回している、いつまで撃てばあの存在を焼き尽くせるの。私の体がそこまで保つのか。獣の咆哮も聞こえなくなって久しい。
そう思った次の瞬間。
突然目の前で起きた爆発に吹き飛ばされて後ろに転がった。
急いでガバッと起き上がって奥を見る。
門扉が吹き飛び大きく口を開けていたはずのその部屋の奥。そこは一面の壁が立ち塞がっていた。
壁の表面には直前の爆破の跡が生々しく残っているが、獣が潜んだ門の奥の空間、そのものが初めからなかったかのように閉ざされている。
「……何?」
しばらく呆然とその壁を見つめることしかできなかった。
確かにあの奥に無限に続くかのような闇が開き、そこからあのおどろおどろしい獣が、飛び出してきた、はずだ。
地面を転がるように飛び回った、その靴の中の足の裏だけがヒリヒリしている。
まだ整わない呼吸の音と、焚き火台にまだ微かに残った青い炎が、立ち尽くした背中を包んだ。




