いくらでも替えがあるわよ!
……気が付くと、見知らぬ木製のベッドの上で寝ていた。昨夜の嵐のような爆音とは無関係な、のどかな朝の光が差し込んでいる。起き上がろうとして、全身の筋肉が悲鳴を上げ、そのまま固まって動けなくなる。
戸を後ろ手に閉めながら、カチューシャとエプロンを取ったシンプルなドレス姿のメリルが入ってきた。普段のメイド服を脱いだ彼女は、カチューシャを外した長い髪のせいか、それともその無駄のない立ち居振る舞いのせいか、一瞬どこかの高貴な淑女が佇んでいるような、奇妙な錯覚を覚える。
「おはようございます、カナリィ様。このような恰好で失礼いたします」
いたたたた……。痛む背筋をさすりながら身を起こす。
「昨晩の記憶がおぼろげだわ……」
メリルの肩を借りて路地をさまよった後、なんだか分からないけどこの家に連れてこられて……。倒れるように寝ちゃったのね。
「随分お疲れのご様子でしたから仕方ありません」
木造のよくある民家の一階の一室のようだ。古い趣のチェストに、布を掛けられた鏡台とビロード張りの椅子。家具は年季が入ってるみたいだけど、埃まみれではない。
「ここは……」
辺りの様子を見ながら問いかけると、メリルは躊躇しながら答えた。
「……私の生家です。といっても、実の家族の家という訳ではありませんので、足は付きません」
「へぇ……あなた自身の話を聞くのは、珍しいわね……」
あまり深く詮索するのも、メイドの主としてどうかと思い聞きよどむ。
きしむ身体を動かして、ベッドから足を下ろそうとする、が全身が思うように動かない。
「カナリィ様、ご無理はなさらず。横になっていてください。お食事をお持ちします」
「そ、そう……?悪いわね……」
と答えるが、横になるのですら腕も足もギシギシ悲鳴を上げる。
あたたたたた……。情けない限りね……。
天井の梁を見つめて、メリルが食器の音を立てて用意している様子を聞く。
メリルの助けを借りながら再び身体を起こし、トレイに用意された食事にありつく。
ほぐした燻製鶏肉と緑と赤の野菜を挟んだ横長のパンに、湯気の立つイモのポタージュ。そして横に添えられた、目の覚めるように黄色く輝くオレンジ。
「量り売りの総菜で恐縮ですが……」
と謙遜するメリルの横で、昨夜の侘しい夕食を思い出し笑ってしまった。
油をしみ込ませたパンに、シャキシャキの野菜の歯ごたえに、燻製肉の香ばしい香りがマッチして、元がその辺のぼそぼそのパンとは思えないほど豊かな食べ応えだ。
昨日も食べた芋のポタージュでさえ、こうして落ち着いて味わえるとまた美味しさが際立つ。昨日のポタージュと同じものだ。やっぱり味は悪くないわ。
温かい食事に一息ついていると、メリルがオレンジの皮を剥いてくれた。
そのオレンジをひと房ずつ口にしていると、メリルが現状を教えてくれた。
「どうやら現在、昨夜の騒ぎを元に臨時の町会が開かれているようです。お父上、ユニウス大臣への釈明と賠償を求める動きとなりそうです」
なんで分かるのかとかいう野暮なツッコミは置いておいて、お父様がピンチね。
「まったく……騎士団の連中に請求しなさいよね……」
「町会においても騎士団からの釈明を求めるようで、ライエル隊長以下数名が町会議場にて待機しているのを確認しました」
あの騎士ライエルさまが、説明責任とやらのために議場の椅子で畏まって座ってるのを想像すると多少は胸がすくわね。
「今朝の動きは以上です。同じくカナリィ様の身柄を求めていたユーグ殿下の近衛兵にはあまり大きな動きは見えていません」
メリルの報告を受けてとりあえずの現状を把握する。
「ひとまず、今私の身に何が起きているのか、落ち着いて整理したいわ……。いつまでも隠れてるわけにはいかないけれど、どうしたらいいかしら」
「漏れ聞こえる話を総合すると、ロイド卿の上げたレポートが原因のようですね」
「私の上げたレポートから、あることないこと脚色されてるみたい。メリル、あなたはどの程度状況を把握してるの?」
メリルは水差しから水を汲み渡してくれた。
「話が長くなりそうね……。そこの椅子を使いなさい、見上げるのも疲れるわ」
カナリィがベッドの脇を指さすと、メリルは「失礼いたします」と一度うやうやしく一礼してから、ビロード張りの椅子を引っ張り出して腰掛けた。
「カナリィ様のレポートによって、臨時で王国の四部会が開かれる可能性がある、とまでしか……」
「四部会が……?どういう訳なのよ、一体……」
結局訳が分からないままオレンジの最後のひと房を口に放り込む。
「カナリィ様の提出されたレポートに書かれていたという、魔術の最奥『九元』の実在性、および『本国における魔術遺跡』との関連が、『星降りの日の大規模魔術の解明へ至る唯一の道である』という点、そしてなにより、そのレポートがカナリィ様、魔術学校を首席で卒業された貴方の手によって出されているという点が重要視され、協会が動いているようです」
「そこなのよ……。私は九元についての記述はしたけれど、『魔術遺跡』についても『星の降った日』についても一切触れていないの。どうやら中身が書き換えられて提出されたみたいで……」
「では、ロイド卿が……?」
「ユーグと私の見立てでは、そうね」
「そのユーグ殿下ですが、あちらはカナリィ様と、カナリィ様の翻訳されている資料を協会に先んじて確保することで、協会に対する政治的カードとすることが目的であると推察されます」
どおりで強引だったわけだわ。
「ユーグには一度捕まっちゃったんだけどね、逃げてきたわ」
「流石でございます」
「それで?それが何で王国の四部会になるわけ?それぞれがそれぞれの思惑で動いてるだけじゃない」
「はい、騎士団の強引な介入に対する抗議、および昨夜行われた町中での破壊工作の因果関係を解明し、国家としての対策を練るため、と思われます」
「そ、そんな事になってたの……?」
「はい、広場での爆破事件、なにより水道橋の破壊において、他国による工作の可能性を含めて捜査が行われています」
思ったより大変な事態になってるわね。
「もっとも……そのおかげでカナリィ様の居場所を見つけることができたのですが」
「手間をかけさせたわね。きっと来てくれるって信じてたわ」
「恐れ入ります」
メリルは立ち上がると、朝食の乗ったトレイを片付けにまた動き出した。
しっかし、困ったものね……。
レポートが原因と言っても、どうしたものやら……。レポートの下書きも含めた資料も何もかも王宮へ置いてきちゃったし。
やがて、メリルが例の大きなカバンを持って部屋に戻ってきた。
メリルは無言でそのカバンを開けるとガサガサと中をかき回している。ベッドの上からではその中身は見えない。覗き込むのは……違うわよね。
「王宮から脱する際、カナリィ様の研究ノートおよび資料一式と、例の原文の書物しか持ち出すことができませんでした」
「やるじゃない!!」
メリルが手渡した書物とノート、資料類の一式を受け取り、大切に抱え込む。
「……ですが、カナリィ様のお気に入りのペンやインク類までは持ち出せず……」
「そんなもの!いくらでも替えがあるわよ!!」
やっぱりこのメイド、ずば抜けているようでどこか抜けているのかしら……。
「これが手元にあるなら、何とか状況は打開できそうよね……私の、この草稿を出したら納得してくれるのかしら」
「ただ手渡すだけでは逃れるためのでっち上げと思われかねません」
「ユーグから、訂正させるのが良さそうね……。ただ、また捕まるわけにはいかないわ」
「でしたら……こちらから直接会いにいかれるのが良さそうですね」
メリルが再びカバンをガサゴソとあさり、黒い大きな布を手渡してきた。
「これは……?」
広げてみるとなにやら羽織るもののようだが。
「ローブです。カナリィ様の髪や服装は割れています。窮屈でしょうが町を歩く間こちらをお羽織ください」
「そのカバン、なんでも出てくるわね……。直接会うってどうするのよ、王宮には近づけないわよ」
「殿下も騒動発生からは王宮へ帰られていないようです。おそらく町中に潜伏されているのでしょう。『蛇の道は蛇』です。お任せください」
珍しくにこっと笑ったかと思うと、なんだか背筋にぞくぞくしたものが走った気がした。
背筋の悪寒は無視することにして、痛む身体を無理矢理ベッドから引きはがして起き上がった。
杖を手にして詠唱する。
「『木の精ドルドネル……癒しの力を……我が身に……』」
身体強化<ブースト>を応用した精霊魔術。杖の先の光を身体に向けて振る。身体の周りを光の粒子がキラキラと包み込む。バキバキの筋肉痛は直り切らないし、また後で反動が来るだろうけれど、しばらく動ければいい。
さあ、そうと決まれば逆襲の時、よ。ユーグ、首を洗って待ってなさい。




