【第2話】現実逃避で目を閉じたら、小隊の裏日報が上に全件転送された
冷たい土の感触と、焦げたオゾンの臭い。
田中航一郎(三十七歳)が重い瞼を開けた。
昨夜の光景は、現実だった。
目のまえには、丸く抉り取られたクレーター状の森の残骸。
そして傍らでは、泥だらけの鎧のエリスが、剣を抱いたまま座っていた。
「おはようございます。浅き眠りはいかがでしたか」
(……現実か。とりあえず胃薬飲みたい……)
航一郎は、胃を押さえた。
昨夜、適当な返事で彼女を無給の専属サポーターにしてしまい、パニックで気絶したのだ。
(落ち着け。絶対に声に出すな。そして何もしないことだ)
一度の致命的な失敗から、航一郎は学んでいた。
喋るから駄目なんだ。もう何もしない。
(俺は巻き込まれただけの一般人。この世界の異常なんて、最初から見なかったことにすればいいんだ)
航一郎は、ぎゅっと目を閉じた。
だが、右耳の奥で、無機質な女性の声が響いた。
《対象の現実逃避を受理しました》
(えっ?)
《未処理を検出》
《転送します》
(いや怖っ!?)
直後。
少し離れた場所にいたエリスの懐から、コッ、と乾いた通知音が鳴った。
エリスが慌てて取り出した『騎士の認識票』の画面に、テキストデータが浮かび上がる。
そこから流れてきたのは、この周辺を管轄する第7小隊の『隊内メモ』だった。
『小隊長:備蓄菓子を無断消費したが、魔物の仕業として処理済み』
『副隊長:今日の巡回、腹痛と偽って木陰で就寝予定』
『エリス:対象:爆睡。警戒心なし。意味不明』
(え、なんで誤爆してんの!?)
航一郎は胃を押さえてその場にうずくまった。
◇◇◇
エリスは、自分の認識票に表示された上官たちの秘密と、自分の観察記録を見つめた。
動きが止まった。
「…………っ」
彼女の顔からサァッと血の気が引き、次に耳の先まで真っ赤に染め上がる。
尊敬していた上官のアホさと、自分の報告が、同じ画面に並んでいる。
(終わった……。これ、絶対にあとで小隊長に問い詰められる……!)
エリスは認識票を隠したまま、視線を泳がせた。
青年はただ、目を閉じたまま動かない。
◇◇◇
(なんで隣の子、真っ赤になって明後日の方向見てんの!?)
航一郎は冷や汗を流し、視界の端に浮かぶウィンドウから必死に目を逸らした。
今この瞬間も、次々と愚痴や秘密が流れている。
(やべえ、これ絶対見ちゃダメなやつだ!)
冷や汗が止まらない。
遠く離れた森の向こうの小隊基地から、絶叫が響いた。
「ぎゃあああっ! 俺の備蓄菓子横領のメモが、支部長の端末に誤送信されてる!」
「どうして末端のサボり報告が、上に回ってんだぁぁ!」
《ステータスを『確認待ち』に更新しました》
森は静かだった。
だがシステムは、彼に見えない裏側で稼働している。
地方支部の認識票へのデータの転送は、まだ止まっていなかった。
エリスは、認識票を隠したまま固まっている。
航一郎は冷や汗で全身をびっしょりと濡らし、胃を激しく押さえながら心のなかで悲鳴を上げた。
(上に回すな!!!)




