実家へ戻る7
「小春、着いたわよ。混んでるわね。遠くの駐車場しか空いてないから入り口近くで降りる?」
姉が空いている駐車場を探してきょろきょろ。
「大丈夫」
薄曇りのときは一番体が楽なのだ。雨だと耳に痛くて、晴れだとだるい。人の体ってこんなに天候に左右されるって知らなかった。気持ちの問題なのかもしれないが。
病院は流行り病のせいか混んでいた。百日咳、手足口病、ノロウイルスなど、いつも何かしらが大流行。私に付き添う姉がそれに罹患したら困るなと思いながらも、姉の腕に捕まらなければ指定された診察室に辿り着けない。
大きな病院で、病気ごとに専門医がいて、それが病院の中でエリア設定されていて、E17がめちゃくちゃ遠い。こちとらガン患者ですよ。入り口にあった車椅子に乗ればよかった。ああいうのは足を怪我した人が使うものだという先入観が拭えない。誰が使ったっていいのだ。弱っているときは自分に優しくなることすら怠る。
病気だから遠いと感じるのだ。普通に歩けたらなんてことない。筋肉が衰えた。数歩で息が上がる。姉も私の歩幅に合わせる。
指定されたエリアは小部屋がたくさんあった。病室ではないようだ。病気が明確になって何科とかも細分化されているのかもしれない。
「もう少しよ」
姉が手を引いてくれるが、廊下に手すりがあるので大丈夫です。
相談室には入らずに長椅子で待つようにとの指示だった。廊下を曲がったらセンサーで明かりがついた。子どもだったらそれだけで楽しいのだろう。行ったり来たりしちゃう。でもここに来るのはきっと大人だけ。死ぬ間際の人間には楽しいことが皆無である。体の向きを変えて、一気に座りたいけれど、そうしたら骨折の恐れがある。そんなこと以前は気にしなかった。両手を椅子に置いて少しずつ体重をかけて腰かける。
「よいしょ」
と座るときに姉も言った。
「仕事平気なの? ごめんね」
昨日から姉は私のせいで働けていないようだった。
「いいのよ。うちに帰ったらするから」
姉もこの場所に慣れず、そわそわと廊下や壁のラインを気にする。
「キミヒコさんも仕事手伝うの?」
もしかしてその力で売れているのかもしれない。
「精霊さんだからマメじゃないのよね。気分屋? それにのんびり屋だから見ているとイライラしちゃう。覚えも悪いし」
姉はすっかり夫の悪口を言う妻の顔だ。
「ごはんはおいしいよ」
今朝、彼が作ってくれたごはんを目の前にして私は久々に自分のよだれの味を思い出したもの。
「あれだって10年近くやってやっとよ」
「自分が食べないのに人に作るってすごいことじゃない」
私は言った。精霊には食欲の器官が存在しないのだろうか。姿形が偽物だから胃がないのかもしれない。
姉は長椅子に伸びてきた日差しに手を当てた。
「キミヒコはね、ひだまり管理人なのよ」
ん?
「大倉小春さん? お待たせしました。担当医の鶴亀です。あ、縁起のいいお名前ですねとかそういうの不必要ですから。どうぞ中へ、掛けてください。あれ? 一人で歩けない? 同居人はお姉さんでしたね。お姉さん、病人でも自宅療養なんだから甘えさせないでください。なるべく動くように」
早口で、なんだかすごく怖い男の人に思えた。髪の毛は真ん中わけで、年齢はちょっと上のようだ。マスクはしているけれど少し伸びた髭が見え隠れ。眉毛が濃い。そしてすごく偉そう。人の命を助けたりしているから実際に偉いのだろう。
私と姉は相談室の丸椅子に座り、彼の話を聞いた。
「投薬を続けながら様子を見ましょう」
先生の手元には私の資料がたくさんあった。USBとかにまとめられないのだろうか。自分の悪いところの画像って、こうして直視すると泣きたくなる。自分の体なのにどうしようもできない不甲斐なさは幾度目だろう。その悪いところをすぱっと切除できたらいいのだが、私の癌は場所が悪く、そこを切るとあっちを人工にして、こっちをどうとかややこしいのだ。体はつながっているし、多くの人がなる病気は解明されるが、そうでないケースはわからないこととうやむやになる。
「痛みはないですか?」
鶴亀の問いに私は頷く。
「なんとなくですけど治る気がするんですよね、小春は」
ぽそっと姉が呟く。
「それは腫瘍が小さくなって手術するというお考えですか?」
「うーん、なんとなくです」
姉の返答に先生も困惑。こういう人は精霊とか絶対に信じないのだろう。それよりもひだまり管理人ってなに?
誰かと誰かの話し声を聞いていると眠くなる。
「まだお薬はありますか?」
違う。この先生、きっと人間的に大嫌いだけど声は好きだ。特に語尾。語尾だけに優しさを込める。
「はい」
「じゃあ、来月は薬を取りに来てください。他にも何かあったら、救急車を呼んだりしたときは必ずここに通っていること、ドクターの名前を伝えてくださいね」
と言った。驕りは感じられるけれど悪い人ではないのだろう。そもそも性根の悪い人は医者にならない。私は人を助けようと思ったことがないから、この人に優しさの部分でも劣る。
姉がその先生のことをああだこうだ言わないことに違和感があった。会計が4755円でも文句を言わない。
わざわざ1時間かけてここまで来て、話しを聞くだけで5千円近く? と私なら言ってしまう。それよりも、
「あそこのデパート寄ってく? 今、京都展やってるよ」
と呑気に姉が指さす。
「いや、帰りたい」
疲れた。会計を待っているだけで眠ってしまいそうだった。
「そうね。仕事も溜まっているし」
昨日も今日も姉は私につきっきりだ。朝のお風呂だって、結局廊下でこっそり待ち伏せしていた。
姉は寄りたそうだった。そのデパートには子どものときから通っていた。最後になるかもしれないが、あのいろんな匂いが立ち込める地下の食品売り場にはこの状態では行けそうにない。おいしいものもおいしいそうと思えないから作った人に申し訳ない。
「お姉ちゃんが行きたいなら待ってるよ」
私は車に乗りながら言った。
「アイスだけ買ってくる。車内暑くない? 鍵渡しておくね」
私も健康だったら病院の駐車場からあのデパートまで歩けた。今は信号の数もぼんやり。お堀には昔、白鳥がいた。
デパートってキラキラして、実際にきれいなお姉さんがお化粧品やバッグなどを売っていて、子どものときは好きだったけど今は足が遠のいてしまった。女が女を見下す生き物だっていつから私は思い込むようになったのだろう。
「お待たせ」
姉が私に買ってきたものを渡す。
「早いね」
10分足らずで姉は戻ってきた。
「地下だけだもん。さて、帰ろう」
姉がたまに話しかけたけれど、ずっと眠っている入院生活をしていた私はもう眠い。だるい体のせいなのか、薬の作用なのか。眠ることが一番苦痛を感じないことなのだ、たぶん。




