実家へ戻る8
目が覚めて、山がぐっと近くて、天国かと思ったらただの地元だった。麦刈りが終わって、田植えの直前。
新緑の眩しい一番好きな季節だ。私が絵が上手なら描くだろう。歌が作れるなら音符に乗せる。そういう類のことは一切できない。私は、何も残さずに死ぬのだろう。姉は職人だからたくさんの家具を残している。羨ましいと言ったら叱られる。そんな気がした。
「小春、起きて。あら、アイス抱きかかえて寝ちゃったの? 冷えちゃってる。あ、アイスも柔らかい」
姉は瞼を開けたばかりの私を縁側に座らせた。バタバタと姉の足音がする。アイスを冷蔵庫に入れているのね。なんだろう。お腹がほんのり温かい。
「小春、それはキミヒコだから大事にね。落とさないで。そうっとお腹を温めて」
東京にいたとき、エステに行ったら私の体が冷えているからとエステティシャンがストーンを使ってくれたことがあった。あれくらいの温かさ。あのときはうつ伏せだった。みぞおちのところにすっぽり入って抱卵している鳥の気分を味わえた。
目を開けると私は光の玉を抱いていた。正式には、光ってよく見えないから玉でもないのかもしれない。
「あったまった?」
と姉が聞く。
「うん。これ、キミヒコさんなの? ありがとう」
すうっと光が人型に変わってゆく。
「キミヒコ、普段は冷たいの。ほら、木ってそうじゃん? でもそれになると人間よりちょっとあったかいんだよね。不思議」
そんな不思議なものが夫でいいのだろうか。
「小春ちゃん、お昼おにぎりでよかった?」
人型になったキミヒコさんが聞く。
「はい」
小さいのがふたつ。姉は私の倍くらいの大きさをふたつ。鮭と梅。姉はもぐもぐとそれと飲むように食べ、
「仕事場にいる」
と席を立った。
姉の仕事場は縁側をまっすぐ行った離れ。父も祖父もそこで家具を作った。大きな日本家屋の周りには納屋が点在していた。物置きと農作業の用具をしまっておく倉庫、それから姉の仕事に使う材料を保管する蔵。物置きは昔、馬や牛を飼っていた名残らしい。
「一人っ子だったからヤギが友達だった」
と生前、父は話した。父が籐を扱うようになったのは竹を用いる祖父に反発したわけではなく、輸入資材がきちんと届く物流が当たり前になり、籐のほうが作れる幅が広いから。しかも、道具が同じようなもので済む。水に浸して、乾いた原料を柔らかくする。万力のようなもので曲げる、或いは曲がっている節をまっすぐにする。
父も祖父も工芸品というよりは人々が使うものを作った。枕、ゴミ箱、温泉旅館に頼まれて脱衣所のカゴ。祖父は晩年、割りばしまで作った。反対に父はどんどん豪奢なベッドを作り、大富豪とのパイプを作った。
姉はどちらなのだろう。一人では曲げの作業ができないのではないだろうか。機械はあるけれど女の力で曲げたりまっすぐにできるのだろうか。あとで見に行こう。
ホームページ上ではソファとベッド以外の商品はずっとソールドアウトの表示になっている。
私が食べ終わるのを見計らってキミヒコさんがお茶を出してくれる。お昼の分の薬と水まで。
「すいません」
私が恐縮すると、
「小春ちゃんは十子の妹だから人間だと義理の妹って言うのであろう? だから、私の家族だ」
と言ってくれた。
「ありがとうございます」
「少しは私を理解してくれたかな?」
キミヒコさんが不安そうに聞く。その顔は昨晩の姉に似ていた。
「はい。精霊さん?」
キミヒコさんが微笑んで、真面目な顔をしてスーパーに置いてあるレシピの冊子を開くから笑ってしまう。
「和食ばかりで相すまぬ。西洋のものはどうも食べつけぬ故。十子はグラタンやハンバーガーとやらが好きだが、どうも匂いが慣れぬ」
「キミヒコさん、昨日はそんな話し方でしたっけ?」
「あ、一度元の形に戻ったからだ。えっと…」
テレビをつけて時代を確認している。
「長く生きているのは大変ですね」
アウトプットとインプットを繰り返す。しかしパソコンのようにきっちりもしていない。
居間には昔と変わらない父が作っただろう二人掛けのソファがあった。背がエレガントでそこだけまるで王宮だ。古い我が家に似合わない。うっかり私はそこで眠ってしまった。
薄いフリースの膝掛がかけてあって、台所ではキミヒコさんがトントントン。夕餉の匂いで目を覚ますなんて、本当に私は病人なのだ。寝ていることが許されない人もいるだろう。私は、ずるい病人だ。どうせ死ぬのならさっさと死んだほうがいいのだろうに、
「起きた?」
とキミヒコさんが気にかけてくれる。
「はい。いい匂い」
「炊き込みご飯にしたでござるよ」
その湯気の香ばしい匂いで目を覚ますのだから私の嗅覚はまだ衰えていない。
「作っていて食べたくならない?」
手元をのぞき込むと、キミヒコさんは大根を切っていた。くし切りにしてスープのようだ。
「豆腐もヨーグルトというやつも同じに見える」
キミヒコさんは食欲がないうえに味覚もないらしい。
「原料も味も全然違う」
私はどちらも好きだ。
「食べないけど十子の『おいしい』は嬉しい。数日前から十子はそわそわして、小春ちゃんが帰って来て本当に嬉しいのだろうな。焼けるよ」
トマトと新玉ねぎのマリネを混ぜながらキミヒコさんが言った。
「私が死んだら、落ち込んだ姉を慰めてくださいね」
キミヒコさんがつぶらな瞳を私に向けた。何か言いたそうな、それでいて自ら目を逸らした。
役立たずの私は座ってキミヒコさんが配膳し、姉が来るのを待つことしかできない。
庭を猫が横切る。姉が話していた猫だろうか。確かに肉づきは良さそうだが、遠目なのでおばあさんなのかはわからない。
「ああ、疲れた」
姉のその言葉が羨ましい。そんなふうに伸びをしても体が切れたりしないから人間は不思議ね。
「十子、ビール?」
キミヒコさんが甲斐甲斐しく世話をする。
「うん」
人間と精霊でも夫婦だから通じ合っているようだ。父と母もそんな感じだった。母は父の仕事を手伝わず、近くの物産館でレジ打ちのパートをしていた。自転車で通っていたから雨が降りそうになると父は車で迎えに行った。
「大きい車で来てくれたら自転車乗せられるのに」
と母が言っても、そういう日はちょっとご飯が豪華で二人ともちょっと嬉しそうだった。
姉とキミヒコさんも夫婦だ。正式にではない。でもそんなの二人が決めること。
「え、お中元の缶詰使っちゃったの? もったいない」
姉がため息をつく。
「缶詰にも賞味期限はあるから使わねば」
キミヒコさんが悲しそうな顔をしながら言い訳をする。




