寛解2
そう結論付けたのに、鶴亀はその後も休みのたびに遊びに来て、泊ってゆくのが当然で、それがちょっと嫌だった。分厚い本を持って来てずっと読み耽っていることもあれば、
「生理でお腹痛い」
と言うと一晩中腰を擦ってくれて、恋をしていると錯覚することは容易かった。愛の言葉を囁いてはくれない。でもよく目が合う。そして別れ際は名残惜しそうに車に乗って帰ってゆく。
恋人なのだろうか。あの、硬そうな髪なのに実際に触れるとモフッとする男が。
「これってどういう状態?」
姉に私が尋ねると、
「そういうのは相手に聞きなさい」
とぴしゃり。確かにそうなのだが、難しい顔をしている鶴亀に話しかけるのを躊躇する。私はたまたま地元がこっちで戻って来たけれど、鶴亀に診てもらうために全国から患者さんが病院に来ているらしい。うちにいるときもタブレットとにらめっこ。日々、新しい治療法や薬ができる中で患者に合うものを見つけてあげる。そんな人と心中しないでよかった。
全体で見るとぼやけるが、顔のパーツは嫌いじゃない。声は好き。鶴亀の睫毛が揺らぐのを見てしまう。キミヒコさんが仕事中の姉に声をかけないのと同じだ。命や人の人生を取り扱っている自覚が彼にはある。なのに誘拐なんて短絡的なことをして、しばらくしたら自虐ネタにでもするつもりだろう。うっかり他人に話しても誘拐は犯罪だから捕まってしまうのではないだろうか。他言しないように念を押そう。
「あのときはごめんね」
と定期的に謝る。ちょっと優越感。病院でのお昼寝用にも私が作った枕を鶴亀は買ってくれた。
日が落ちるのが早くなった。日の出も遅い。寒いから人恋しいわけではない。
私に会うために鶴亀はもう冬用のタイヤに履き替えたらしい。
「これから行きます」
夜に連絡が来ても病院からうちまで来るのに軽く一時間はかかる。その間に急患の連絡が来れば引き返さなければならない。無責任な人は嫌い。うちに着く直前に連絡をくれればいいのに。でも会いに来ると抱かれてしまう。かと言って、私は彼の一人暮らしの部屋になんて絶対に行きたくない。誘拐の次は監禁されるだろう。拒めない、嫌な関係だ。
私の病院帰りの道を鶴亀はのぼってくるわけで、それにいつも手土産を忘れないので姉は歓迎する。もちろん、恋人やそれに近い関係になってずっと私の体を定期的に観察してもらいたい姉心なのだろう。車のライトで来たことがわかっても、
「急患で」
ととんぼ返りすることもしばしば。本当に忙しい仕事だ。私とは時間の速度が合わない。
私は忙しく生きたくない。人生は一回こっきりだ。ゆっくり堪能したい。だから私は昼間でも縁側でキミヒコさんとほうじ茶を飲む。
「キミヒコさん、ガンが消えたみたいなの。だからもう薬は飲まない」
自分の体のことなのに目に見える数値に頼ったりしなければならなくて、正直よくわからない。
「よかったね」
とキミヒコさんが微笑む。私よりもキミヒコさんと姉のほうが安堵する。
「よかったのかな」
二人の生活の邪魔になるようだったら出て行こう。きっとそんな素振りは見せないのだ。
「小春ちゃんとここが合ってるんだよ」
「生まれた場所ですからね」
「僕は昔、メキという名前だった。メキメキ育つようにと。でも今は十子の口から出るキミヒコという名前が好きだ。元気になる」
ああ、どうしようもないほど愛し合っているのだな。私の愛とはちょっと違う。私の愛は許すことだ。勝手に人の家の洗濯物に自分のパンツを紛らせてキミヒコさんに洗わせる鶴亀をこれからも許す。
「えっ、私、死なないんだ? どうしよう?」
急に自分でびっくりした。口の中に入れた餅のお菓子の咀嚼に悩む。少し前に決めていた人生設計が無駄になる。死んだ後のお金ばかり気にして、それは前職のせいなのだろう。役員が死ぬとその家族も、愛人も、生活が破たんする人もいた。
私が死んでも姉は変わらないと思っていた。しかし、生きるのであれば、それはそれで姉の事情も変わってくるかもしれない。私の死の決意も無駄になる。一度受け入れても、次はまた驚いて姉妹でおろおろするのだろう。
依頼された鳥籠のソファを後回しにして、姉はゆりかごの図案を考えている。数少ない友達からの依頼を優先する姉が愛くるしい。その友達には自分の夫のことが話せなくても友情には関係ないらしい。私に友達がいない理由がよくわかる。人を信じないし、期待されたくもない。決めつけはまっぴらごめん。
「底の形によっては揺れるし、足をつけていいし。でも細工をしなければここに取っ手をつけて持ち運びができる。小春、どれがいいと思う?」
知らなかった。姉はバリエーションを考えるときが一番楽しいようだ。
「友達にその図案送ってみたら?」
繭みたいな形でかわいらしい。
「そうね。小さい試作をまず作ってみようかな」
「いいね。それも仕事になるよ」
だって私たちは当分生きるようだから、ずっと先の予定があるのはいいことだ。心が躍る。姉に友達が少ないのも、取材を断ったり仕事を手広くしたくないのも、中傷などが面倒だからだろう。私も人から無駄に疎まれたくはない。
冬になる前に姉は祖父がしていたように家の裏の竹を切るだろう。乾燥させて、修理の材料にする。そうしているからなのか、竹藪が広がることはない。竹は一気に枯れるらしいからそうなったら困るな。
竹は5メートルほどの高さまで伸び、一本を切り倒せてもそのままでは私は運べない。キミヒコさんが率先してやってくれるから、私はまだこっそり病弱なふり。でもきっと鶴亀が口を滑らすに決まっている。口は禍の元って言うもの。それで姉に呆れられるのだ。隣りでキミヒコさんは笑うだけ。
早く鶴亀を家族として取り込んでしたほうがいいのだろうか。近所で評判の変な姉妹を脱却できる。でも私がまだ生きるのであれば、そのうち家を出るのかもしれない。鶴亀と暮らして姉の家には仕事をするために通う。大家族もいいけれど、そんな未来を想像する。




