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余命宣告された私を引き取る姉が不憫でしたが、精霊の夫と幸せそうです  作者: 吉沢月見


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鶴亀先生と夏の終わり2

 困ったなと思っていたが、季節の変わり目には髪が抜けがちな自分であることに納得した数日後、庭で竹を割いていたら、

「こんにちは」

 と鶴亀先生がやって来た。


 驚いたというよりは気持ちが悪かった。ぞわぞわぞわと鳥肌が立った。

「先生、どうしてここに?」

 握っていたナタを私は手放せない。


「休みだったので」

 いや、絶対にカルテの個人情報見たでしょ?


「鶴亀先生、それだめなやつですよ。職権乱用ですよ。警察呼びますよ」

 派出所に電話をしても車で10分以上かかるだろう。私は右手にナタを持っている。死ぬなら殺してもいいが、なんだか最近死なないっぽい。


 それはこの人のおかげかもしれないし、先生がたくさんの患者を抱えていることだけはわかる。鶴亀が死ぬと困る人が多いと思うと殺せない。


「山に来たかっただけです」

 と鶴亀は嘘までつく。


「本当にお休みなんですか?」

「はい」

 庭に車が入って来たことに気づき姉が顔を出す。あまり車が庭に入ってくることがないからエコカーのエンジン音でも敏感になるのだ。しかもそれが妹の担当医だから、姉が血相を変えて走ってきた。


「先生、どうしたの? 小春のことですか? この前の検査結果?」

 汗を拭いながら姉が不安そうに聞く。


「いいえ。妹さんが元気になっているので、その理由がたぶんここにあるような気がして、来てみたかったんです」

 小学生のように訥々と鶴亀が話す。


「そうですか。とりあえず、そちらへどうぞ。お茶でも」

 姉は肩書に弱いタイプでもなさそうなのに、なぜかこの鶴亀にはへいこら。私はこの人のおかげで延命しているわけではないと断言したい。キミヒコさんのおかげだよ。そしてお姉ちゃんもその要因のひとつ。


 ラタンを置くなら日陰がいいというが、姉が昔作ったものを庭にも置いて、東屋というほど立派なほどでもないけれどそこで鶴亀と一服した。


 お茶は姉が運んだ。鶴亀が姉の近くにいる精霊のキミヒコさんの存在に気づいている様子はない。

「僕は昔、なんというか悪いものばかりが見えて、だからいいものが見えるあなたが羨ましい」

 お医者さんで忙しいから顔色が悪いのかと思っていたら、自ら苦悩を増やすタイプのようだ。

 お茶を運んだだけで姉は同席しなかった。姉に促されてキミヒコさんまで遠ざかる。


 私は一人でめちゃくちゃ怖かった。男の人って豹変する。昔、恋人なのに手足を拘束されたあいつのせいだ。その人は細かったのに勝てなかった。鶴亀も細身。というか、やつれている。私はナタを足元に忍ばせた。


 鶴亀は黙って庭を見ていた。私とキミヒコさんが考えなしに切ったからリーゼントのような形になってしまった松の枝、残暑に差し掛かってもまだまだ元気な私の背丈ほどのタチアオイ。


 鶴亀が黙るから私もこの人とは特に話すこともない。庭に鶴と亀がいたらいいなとは思った。鶴は無理でも亀は本当に長生きする。


 たぶん、好きな人だったらあたふたしていた。無理にでも会話をつなげていた。鶴亀には気遣いが無用。私が黙っている間に数回メガネのブリッジ部分を押さえた。この人、こんなところで無駄な時間過ごしていないで論文読むとか患者さんを一人でも助ければいいのにと思う。お医者さんにも救いは必要だ。

 姉の作った長椅子に座って、ぼんやりする。夏のぬるい風が私たちの間を通り過ぎる。


 こんな時間があるならと私はまた竹を割った。鶴亀は不器用でナタも使えない。こんな人間でもメスや内視鏡は使えて縫合もやっているのかと思うと、私も手術だったらやってもらっていたのかと考えるとぞっとする。命を助けてもらったら好きになれたのかもしれない。


 姉とキミヒコさんは入れ代わり立ち代わり心配そうに見に来た。しかし普通の恋する男女のように談笑していないから、困った顔で踵を返した。

 何もしない医者と竹を割る患者の女。それだけ。


 それなのに姉は、

「先生、泊っていったら?」

 と言いだす。私の病気のことで負い目があるのだろうか。


「いいんですか?」

 鶴亀が嬉しそうに微笑む。

「よくないです」

 私は止めた。


 いくら担当医だからって、連絡もなしに尋ねてきて非常識だ。鶴亀の指を見るたびに思うのだ。私の尻の穴につっこんだ指なのだと。なぜだろう。きちんと付き合った恋人の指を見てもいちいちそんなこと考えなかったのに。穴が違うと考え方も変わるのだろうか。鶴亀は手袋をしていたし、あれはきちんと診察だ。医療行為と愛撫は同類ではない。


 宿泊は諦めてくれて、でも夕飯時だったので鶴亀も一緒に夕飯を食べようということになって、キミヒコさんが腕を振るうと思いきや、面倒臭いときのねばねば丼。お昼は珍しくそうめんだったし、今日は手抜きをしたい気分なのだろうか。姉がアスパラサラダを作る。私はぬか漬けを切った。

 まだ明るい時間に夕飯を食べ終わる。


「庭が畑なんですね」

 鶴亀、私が話したことを覚えていたのだろうか。


「そうなんです。それ、小春が育てたきゅうりのぬか漬けですよ」

 私の代わりに姉が答える。

「いただきます」

 育てたというよりきゅうりがしっかり育ってくれただけ。私なんてたまに水を与えたにすぎない。


 鶴亀は目を閉じて味わうタイプ。その顔を素敵だとはちっとも思わない。

「先生を送りなさい」

 と姉が目で命令する。姉の企み顔は子どものときから変わらない。

「じゃあ先生、また来月の診察で」

 予防線のつもり。それまでは会わないよの意思表示。


 庭を黒い野良猫がふてぶてしく歩いて行った。猫はケツを振って歩いている自覚などない。鶴亀と同時に見つめてしまった。

「おやすみ」

 と鶴亀が言った。


 そのとき、確かに私の心臓はちょっとだけ速くなった気がした。一瞬だけ、一瞬だけだ。彼の車が遠ざかると同時に、鼓動も通常に戻る。


 家に戻ると姉がにやにやしていた。キミヒコさんは仏頂面。それは娘に寄ってくる男を嫌悪する父親の気持ちと似ているのだろうか。姉のために葉っぱから人型に変化しているキミヒコさんの愛に勝てるはずないのだ。


 恋は楽しい。でも私なら精霊のキミヒコさんを愛しぬけない。だって、食費はかからなくても年金がもらえない。彼を置いて先に死んで、互いに苦しいと考えてしまう。


 人がいいからって、ちょうどよく近づいて来た鶴亀でいいかと考えるほど私は妥協に慣れていない。ガンになるまで順風だった。格を落とすという意味ではない。だって鶴亀は医者だ。恋人にもされないあんなことを経験済み。それゆえに、家族という感覚を構築するまでに時間がかかる気がする。そういう人は嫌なのだ。


 ただの恋にぽわぽわしたい。相手の収入とか勤め先とかを気にしなくていい子どもみたいな恋愛に溺れたい。

 鶴亀のことはなるべく考えないようにした。眠る前は特に。

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