竹炭5
ある日の午後、もう乾いてしまった洗濯物をたたみながらワイドショーを見ているとなんだか知った顔が映る。前職の愛人関係を思い返してみたが、違う。うちから小学校へ通う途中の家に住む女の子だった。当然、中学も同じでそれなのにその後の彼女の記憶が全くない。
「覚えてる。番地が1の家の子でしょ?」
休憩に来た姉に話したら抹茶の水ようかんを食べながら言った。
「そうだっけ?」
逆に私はそんなこと知らない。田舎だから妙なつながりがあるのだ。
「高校には進学したと思うけど」
同じ高校に行かないけど遊ぶ子はいた。でも、彼女は違った。連絡を取らなくなったというよりは最初から親しくなかったのだ。同じ町内であってもそういう人はいる。親同士の仲がいいとか、ちょっと親戚という間柄でもなかった。
「殺されちゃったの? かわいそうに」
とだけ姉は言った。
そのことについて私の家に誰かから電話が来ることもなかった。知り合いが殺されたというのに、回覧板はそのことに触れていない。ただゴミの出し方に注意とか不審者を見たら派出所に連絡をとか当たり前のことが書いてあるだけ。
その子の家を見に行けたのはたいぶ経ってからだった。更地になっていた。鳥肌が立ったのは夜になってから。
自分が死ぬことは怖くないのに、彼女が死んだことはちょっと怖い。こういう気持ちにぴったりの熟語はあるのだろうか。
蚊取り線香の匂いが落ち着く。キミヒコさんの匂いに似ている。葉っぱだからだろう。同級生は倍近く歳の離れた内縁の夫に殺されたらしかった。お金を彼女が稼いでいるのに足りないと殴ったら死んでしまったそうだ。別の道はなかったのだろうか。一人で生きればいいのにと他人の私は思うけれど、きっと彼女にとっては彼のぬくもりが心地よかった時間もあるのだろう。世の中には奇妙なことがたくさんある。頭でわかっていても行動に移せなかったりするものだ。
生きていると普通に幸せになる難しさを知る。姉は姉なりに幸せなのだろうか。夫が精霊でもいいのだろうか。私が悩んでも、もう姉の人生の半分以上もキミヒコさんは夫なのだ。近所の人にもキミヒコさんが見えた場合はなんと言ってやり過ごしたのだろう。死ぬことが決まっている人間には精霊も受け入れられるのかもしれない。
夏の寝巻が見当たらずに困っていたら姉がおばあちゃんの浴衣を出してくれた。最新のすぐに乾く生地のTシャツもいいけれど、おばあちゃんの浴衣は特別。サラサラで、たぶん透ける。でも家族の前でしか着ないからいいのだ。キミヒコさんが私に欲情しないことは明らか。
三日月がきれい。静かな夜だった。縁側で月を見ていると姉とキミヒコさんの笑い声が聞こえる。二人に嫉妬はしていない。今朝、きゅうりをもいでいたら、なんだかわからない生き物の死骸が畑にあった。毛があるから犬のような、でもボロボロでよくわからなかった。畑では嫌なので、あぜ道の端に穴を掘って埋めた。埋めているときは狐のような。タヌキは見るが狐はいないはず。人間もそうだが生き物のほうが自由に生きることが困難になっているだろう。山は人間のものじゃない。いろんな生物がいる。
キミヒコさんはどっちの味方なのだろう。人間は木を切って自然を破壊する。それを承知で姉が好きだといいな。
夜なのに雨が降ってきた。三日月が隠れてしまったから眠るとしよう。
翌朝には雨はやんで、私がなんだかわからないものを埋めたところはもう土に馴染んでいた。
姉は仕事。私も仕事。キミヒコさんも畑仕事。仕事があるというのはいいことだ。私が最もしたくないのは家事だ。それを無償でするなんて、お母さんは偉かったな。世の中はお母さんだらけだから立派な人ばかりで成り立っているのだ。
姉が近所づきあいを避けているのは噂話を耳にしたくないからだと気づいた。いろんなものに振り回されたくない。自分の目で見ているものが正しいのだ。私から見れば姉とキミヒコさんは普通の夫婦。それをとやかくいう人がいたら立派な人にでも盾つこう。
この夏、海にもプールにも行かない私はやけにシミが増えたように思う。山だから太陽に近いのが原因なのだろうか。それを姉に訴えると、
「私は乳が垂れた気がする。前はこの辺だったもん」
と下乳を持ち上げた。乳はいつだって重力と戦っている。立っていたら下に、寝ていても横垂れする。
どちらも抗うためにはお金だ。私は高い美容液を、姉はナイトブラを買った。わたしはしっかりと塗り込んだが、姉は、
「これ暑い」
とまたブラキャミに逆戻り。あと数年したら私も姉と同じように思うのだろうか。思えないまま死ぬのだろう。
枕を売った入金があり、もう死ぬというのに高いシミ対策の錠剤を買ってしまった。私も女なんだなと改めて思う。死ぬならシミなんてどうでもいいのに。きっと遺影になる免許証の写真は地味な私を更に地味にした感じ。死ぬからいいのだ。その顔見て姉が笑ってくれたらいい。
姉のナイトブラは後日、更に一枚プレゼントの分が送られてきて、私にくれた。貧乳にも効果はあるのだろうか。寝てるときに死んだらこれを担当医の鶴亀に見られるのだろうかと一人で心配する。谷間の部分に布はなく、ノンワイヤーブラよりもゆったり。
毎日気温が高くてアイスもかき氷もすぐに溶ける。キミヒコさんにとって姉はアイスなのだろうか。
「キミヒコさんはあとどれくらい生きるの?」
その日は二人で換気扇を掃除しながら私は聞いた。
「わからないよ」
精霊ってそうなのか。野生動物だって寿命はあっても外敵から襲われるからいつ死ぬかなんてわかりっこないのだ。
寒い冬よりもいいかなと思ったが、夏の大掃除は汗が垂れる。こういうこと、ずっと母がしてくれていた。人間には父と母がいるけれど精霊は違うのだろう。キミヒコさんも姉だけには甘えることができるのだろうか。そこそこ大きくなるまで電気料とか気にせずにゲームばかりしていた。両親はそれらを咎めることもなく、私はそれが甘えだとも気づかなかった。
両親は共に60代で亡くなってしまったが、祖父母は長生きのほうだったし、だからパタパタと四人が死んだときは大変というよりも最後の父はまたかという感じだった。正味10年くらいの間だった。どんどんと家族が減ってゆく姉をキミヒコさんは支えてくれたのだろう。
私がいなくなってもきっと大丈夫。二人は二人の生活に戻るだけ。
入道雲がきれい。絵は描けないから写真を撮る。父の絵はもしかしたらお金に困ったときのためにと姉は隠しているのかもしれない。姉ががむしゃらに働いているから困ることはないのだろう。ちゃんとした後継者がいないと姉の死後、よく知らない縁者に売っ払われることだけは避けたい。キミヒコさんに燃やしてもらおう。
失うことは怖いことだと思っていた。死ぬことも怖いことだが、そのおかげでやけに世界が眩しい。やり残したこと、たくさんある。どこどこのシュークリームを食べていない、新しくできたテーマパークにも行きたかった。世界遺産のお城、終着点の駅、昔ながらのクリームソーダ。それをひとつずつノートに書いてクリアすることはしない。諦める手段を知っただけ。
姉は胸が垂れないように足掻くようだ。ナイトブラの次は値の張るボディクリームとプランク。
「キミヒコが喜んで塗るのよ。気持ち悪い」
なんて、惚気にしか聞こえない。プランクは私も数秒したけれど腕立てよりもきつい。病人だからと言い訳をした。
姉とキミヒコさんの普通が私には羨ましいのだ。手の爪は仕事に目障りだからなのかマニキュアを塗らない姉の足の爪は水色。そういうところがキミヒコさんにはかわいいのかな。どうして世の中の半分は男なのに誰も私をかわいいと思わないのだろう。病気だからだろうか。性格が悪いのだろうか。うまく生きてきたようで、少しも身になっていない。それが私の人生だ。




