キミヒコさん2
山って遠くで見ると青いのに近くだと緑色。木の集合体だ。キミヒコさんはひとつの山を管理しているのだろうか。それとも連峰というか山ごと? 他の山にはキミヒコさんみたいな管理人がいるのかな。
畑の雑草をむしったり水をまく。細くなった腕を見ながら意外と死なないものだと思ったとき、はっとした。少し前まで苦しかった呼吸が普通にできている。痛みが軽減したというよりは誤魔化している。キミヒコさんの傍のほうが体が楽ということに私は気づき、離れたくない。同様の理由ではないと思うがキミヒコさんは姉を見ていたいようで、それでも姉は一人を好むから、姉のために家事をする彼を私はひたすら眺めた。まるで三角関係の構図だ。
精霊でも恋は思い通りではないらしい。姉の、
「ありがとう」
だけで家事をするのだからキミヒコさんは偉い。母もそうだった。私は対価なしでは人に優しくできそうにない。
優雅なホテルからソファの見積もり依頼が来ただけで姉はげんなり。
「ぼったくりたくても単価はホームページに出しちゃってるからいくらかでも値引きしないと」
姉がこめかみを指で強く押す。面倒臭いの表れなのだろう。
「外資なら予算多そうだけど」
私でも聞いたことのある大手だ。商売だから無視もできない。
注文がどれほどなのかわからないが、エントランスに置くなら10脚以上。それこそ私の年収に匹敵するお金が得られるのではないだろうか。
「予算より云々より、たぶん先方が希望する期限が守れないもの。小春、見積もり作るから送って」
「うん」
姉は理由をつけて断りたいようだった。目の前に大金があっても揺れない人。職人を雇えばいいのではないだろうか。無理か。簡単そうで難解な作業だし、姉はちょっと気難しい。妹だから私は仕事場にいることは嫌ではないみたいだが、キミヒコさんですら材料を運ぶこと以外は嫌がる。
近くにいたいキミヒコさんを姉は邪険にする。集中できないらしい。エロいことばかりしているせいだ。しかし、世の中には一緒に仕事をする夫婦もいる。しっかり者の姉なのにその線引きはできないらしい。
『偉い』と『エロい』はなんで一字違いなのだろうと私は常々思っていた。仕事でも私生活でも、
「偉い」
と褒められるとエロいとも言われているような気分になり、うまく返答ができなかった。
「はい、送った」
姉が作った見積書を打ち込んで返信する。
「ありがとう、助かる」姉は入力程度しかできず、私がやったほうが数倍速い。でもね、「偉いわ」は余分です。
仕事部屋からも庭が見える。窓の向こうで猫が横切るシルエットが見えることもある。それらに囚われることなく姉は無心で仕事をする。むしろ猫以外の生き物だと畑が心配になる。猪はいないらしいがアナグマやハクビシンを姉は見たことがあるらしい。古い納屋なんて彼らにとっては住処にちょうどいいのだろう。
近所の空き家も増えたと姉が言う。動物も人間もお互いに生きているから図々しくなる。人の家という認識は獣にはないだろうし、こっちは自分の家を荒らされたくないから獣を捕獲する。堂々巡り。
姉は大金が得られなくてもそれなりに生活はできるだろう。家具の収入だけでなく全国からたくさんの物が届く。さくらんぼにジャガイモ、ちょっと前はイチゴ。近所の人からは玉ねぎやにんにく。我が家は庭の端っこに畑もある。
「そろそろうちもじゃがいも掘らないと」
そう言いつつ、姉は作業に追われる。仕事が立て込んでいて休めないのだ。きっと私の引っ越しなどで数日間仕事をしなかったツケが回ってきたのかもしれない。だから私とキミヒコさんで芋を掘る。
「雨が降らない日がいい」
キミヒコさん、農業は祖父や父に教わったのだろうか。どちらも、キミヒコさんが見えていたのは短い期間だったはず。それでも姉のために土づくりから教えたのだろう。
農業というのもうっかり休めない。種まきの前に土づくり。そして、ポットで育てるものや直播、そして定植、剪定や間引きが必要なものもある。あの野菜は石灰を蒔く、あの野菜には不要というのも覚えなければならない。根の張り方もまちまち。横に広がるものは畝幅を広く。私がそれらはなんとなく覚えているのは祖父母のおかげ。
掘りたてのじゃがいもは甘くないらしいが、うちは昔から掘ってすぐの小さいものを集めて丸茹で。小さいものはソラニンを多く含むらしいけど、子どものときから食べてるし。茹でたてを、塩、マヨネーズ、しょうゆなどでバクバク食べる。
めちゃくちゃうまい。姉と二人で立ったまま鍋から食べて行儀悪いなと思いつつ、はふはふしながら熱々を食す。
土日も姉は休息日ではないらしい。そのくせ私の用事でなら休むのだ。
「小春、来週病院だよね?」
姉がカレンダーに書き込む。
「うん。一人で行ってもいいよ」
バスもあるし、タクシーを利用してもいい。
「大丈夫。ついでに買い物もしたいし」
姉は自分で食べるものは自分で選びたい面倒な人。こだわりがないようで決まりごとが幾つもあるややこしい人でもある。
集中して作業をしたいだろうから私はキミヒコさんと畑を耕した。じゃがいものあとにナス科はだめだ。とりあえず穴を掘り、落ち葉を入れ、土を盛る。
ポットで育てたオクラが大きくなって来た。
「去年はどこに植えましたか?」
鍬が重たい。軍手をはめてマメ防止。
「夏野菜はあっちだったよ」
キミヒコさんを信じていいのだろうか。
連作障害を気にした自分にびっくり。畑仕事は祖父母の手伝い程度だったのに、無意識に吸収していた。キミヒコさんと畝まで作った。
梅雨が終わって、太陽が眩しい。夏だ。きゅうりやかぼちゃの葉が広がっている。垂直栽培が一般的だが、そこまで労力は割けない。さつまいもはないのかしら。好きなのに。今から植えても姉を悲しませるだけかもしれない。
死ぬからって女だから日焼け止めを怠らない。顔だけじゃない。首の裏から髪まで。
「暑いね」
キミヒコさんはタオルを頭に巻いて、それがすごく似合う。一見、キミヒコさんのほうが椅子職人っぽい。でも実際は姉が職人で編むのは椅子だけでもない。
ガンを体に蓄えていても動けば汗をかく。一緒に蒸発してはくれまいか。そう思いながら鍬を振るう。自分が作った野菜を食べれずに死ぬのは無念だが、きっと姉が食べるためにキミヒコさんが料理してくれる。
お昼はいただきものの長芋でとろろご飯。姉にはファンのような人がいる。普通は商品を作って売って代金をもらえば終わりだ。
それなのに、まるで崇めるようにあれやこれやが届く。きれいな小麦が届いてパンでも焼ければいいのだが、キミヒコさんはわからないと言うし私と姉も面倒で、お好み焼きにして食べた。祖父と父のときはそんなことなかったから、姉が美人だからかもしれない。
なぜか姉のほうが病人の私よりもふらふら。仕事場かヘロヘロで出てきて、しかも汗だくだ。ぐしょぐしょのタオルや手ぬぐいを食卓に置かないで。
「作業場にエアコンつけたら? 昔の暑さとは違うんだから熱中症になるよ」
私は言った。8月よりも7月のほうが熱い日が増えた気がする。姉もキミヒコさんのようにタオルを巻いているが少しもカッコよくない。ひょっとこみたい。
「そうね。でも広すぎて何畳用を買ったらいいんだろう?」
発汗がいいのか、頷いただけで姉は汗がたらり。キミヒコさんが新しいタオルで拭ってあげた。
「業務用じゃない?」
私は言った。
作業場は高さもあるのだ。3メートルほどだろうか。姉は扇風機で乗り切ろうとするが室内は窓を開けてももあっとするだけ。
夏日が続くとエアコンのある居間に逃亡して小さなかごを作るくらい。
「レストランのナイフとファオーク入れ」
そんな小さいものも作るのか。ホームページにはないから場所を取らず簡単に作れそうなものとして思案したのか、以前に注文してくれたお客さんに頼まれたのかもしれない。父や祖父の時代と気温が違う。こういうときのためにそれらの依頼も受けたらどうだろうか。100均で買えそうなものを10倍以上支払う人の気が知れないけど。
からんとキミヒコさんが冷たい緑茶を姉から離れた場所に置く。
「きれいな緑」
私は言った。元気な苔みたいな色をしている。
「水だしのお茶よ」
と姉が答えた。温かいお茶よりも味が濃くて甘く感じた。
「キミヒコさん、おいしい」
私のおいしいは彼の栄養にはならないらしい。
暑い日なんて数日だけだろうと思っていたのに今年は続く。しかも夜に雨が降らないから気温が下がらず暑いまま。仕方なく居間で寝る日もあった。キミヒコさんの体温が冷たくても、
「限界」
と姉も来た。また姉と一緒に眠る日が来るとは思っていなかった。同時に、まだ死ななくてよかったなと思った。
誰かと眠るのはこれが最後かもしれない。そう思うと姉の寝息も耳障りではない。
姉が熱中症になったら困る。困り果てた姉は朝の4時に起きて仕事して、昼は寝るという生活を試みたが、元来真っ当な睡眠を取っていたため、おかしな時間には眠れない性質のようだった。




