姉の仕事2
キミヒコさんが筍を煮てくれている。
「子どもの頃、皮を剥く係だったわ」
私は言った。キッチンも以前と違う。
「うん。知ってる」
とキミヒコさんは言った。そうだった。この人は全部知っているのだ。
「器用なほうではないけど、右に剥いで左に剥いで同じことの繰り返しみたいなのは嫌いじゃないの」
「十子は嫌々言いながら、でも小春ちゃんが帰ってくるのが決まって、
『これを食べたら治るわ』
って言って、だからたくさん冷凍庫に入ってるよ」
キミヒコさんもそんな姉を手伝ったのだろう。
祖母は味噌も作っていたし、母も山菜を取りに行っていた。田舎の作業は兎に角時間がかかる。茹でこぼしたり水につけたり、瓶や樽を洗ったり。一人暮らしをした私はどれもしなかったなとぼんやり思った。
筍は油揚げと煮て、メイン料理ではなかった。手間暇かけてもその位置。蕗もそう。皮を剥くのに指先は汚れるし、お湯を捨てては数回茹でなければならない。葉っぱのほうが毒は強いらしいのに、知らないうちに蕗味噌とか食べていた。死ぬほどの毒ではないらしい。あれで少しは鍛えられたのに、東京では全く食べなかった。一生蕗を食べない人もいるからきっと生死には関係ないはず。でもこっちに戻って来てまたそれらを食べたら苦いのにおいしい。子どもの頃は好きじゃなかったのにな。
数日後、また刑事さんが来た。一人で、事件の捜査ではなく椅子の注文に。若いほうの喋らない刑事さんはお肌ぴっちぴちの小顔ボーイ。顔が今風だ。キミヒコさん、この人を真似したらだろうか。今の顔は姉の好みに変化した結果なのだろうか。
「ご注文は承りますが、今からですと二年半ほどお時間をいただくかと」
何やらノートを見ながら姉は言った。まさか手書きでスケジュール管理しているのだろうか。
「はい。ホームページにもそう書いてありましたので承知しています。あなたは、嘘をつかない人のようですね」
彼が姉に向ける視線が引っかかった。もしかして、殺人事件の件で姉を疑っているのかもしれない。
この人は二年以上を簡単に待てるらしい。私は待てない。
白の外国車、笑った顔が子犬のようで、安定の公務員。でも姉は惚れない。惚れっぽい私なら彼のステータスのどれかだけで落ちるだろう。
彼は白の籐を選んだ。
「普通に生活をしていても汚れますかね?」
手のひらサイズの見本はだいぶ以前に作ったもので、日焼けをしているから色見本にはとてもなっていない。
「お手入れしてもらえれば」
姉が答える。
「あの死んだ人も白でしたもんね。幸塚さん、あなたのこと好きだったのでしょうか? 好きな人が作った椅子に包まれて死ぬなんて男として夢ですよね」
よもや、死者の気持ちになりたいのだろうか。最近の若い子って何を考えているのわからない。帰り際になってようやく、彼の気持ちが好意ではないことに気づいた。ただ、いい物に金を掛けたくて、元気だから納品まで待てるだけの男の子。そういう印象が残った。薄っぺらく価値を知らない。私の人生も他人から見ればそうだろう。
私がいなければキミヒコさんは他の人に見えないわけだから、姉は一人で仕事をして、身の危険を感じたことはないのだろうか。農作業のほうがまだ鍬とか鎌を手にしているから安心だ。姉の仕事はほぼ手作業。なかなか自ら素直に万力へ挟まされてくれる悪い人はいないだろう。諭しても竹や籐と違って簡単に矯正もされまい。
手付金までおいて、彼は帰って行った。こんなに仕事が入っている職人さんは人殺しなんてしないと思ってくれればいいのだが。
姉を気にかけるのは刑事さんだけではないかもしれない。私がいることで少しでも抑止力になればいい。少なからず姉とキミヒコさんのためになるのならなんだっていい。
「手土産バームクーヘンだ。キミヒコ、お茶淹れて。あっ、やっぱりコーヒー。小春が飲めないか。濃いめのお茶にして」
姉は、商品が出来上がったときより、発送したときより、入金が確認されたときよりも注文を受けたときが一番嬉しそう。毎日忙しいのはその受注のせいなのに、なにが姉をそうさせるのだろう。職人というのはそういう生き物なのかもしれない。だからやっぱり殺人なんてしてる場合じゃない。時間は無限じゃないのだ。若い人間こそ勘違いしている。時間は有限で、人生はあっという間。
数年後、私は生きていないからひねくれた考えになってしまうのだろうか。明日生きていることも定かではない。それは生きている人間みんなそう。しかしながら私は毎食後、やたらに薬を飲んでいる。
ゴミ箱や枕、小さな椅子なども姉は頼まれれば作っているようで配送業者に自分で届けるが、一人掛けソファ以上のものはうちに取りに来てもらった。彼らもほとんどが男性である。姉はそんなにブスじゃないのに、結婚指輪をしているわけでもないのに、なぜ声をかけられないのだろう。田舎だからあまり外からの流入がないとしても、少なからず出会いはあるはずだ。私が男を男として認識しすぎるのかもしれない。姉は男である前に人間として接する。キミヒコさんという夫がずっといるから他の人に色目を使われても困るのだ。
今日は二人掛けのソファが我が家から旅立つ。新婚家庭へ出向くらしい。二人の幸せを見守ってあげて。姉よりもキミヒコさんがそう祈る。
「こっち持ちますね」
非力ながら私も手伝う。こっそりキミヒコさんも手伝ってくれる。いつも姉と業者さんだけで荷台まで運んでいるのだろうか。
このソファは大分県までゆくらしい。私は一度も行かないまま死ぬのだろう。お金にゆとりがある夫婦に買われたのか、二人でどうしてもこれが欲しかったのか。どちらにせよ、愛に包まれますように。
「ではお預かりします」
配送員さんの逞しい腕っぷしだけで私は惚れる。死ぬ間際だからなのか惚れっぽさに拍車がかかる。女として生き物として子孫を残したいと強く思うのかもしれない。
「お願いします」
と姉と見送った。
山からの空気がすがすがしい。家の裏の竹藪が更にふるいにかけて、うちにはいい風しかこない。
一応は『大倉家具本舗』という会社を経営しているので、お金のことも姉はやりくりしていた。手書きの帳簿と簡単な計算表を打ち込む。
「やろうか?」
私は言った。
「うん、助かる。小春、社員にしとこうか?」
「別にいいけどすぐ死んじゃうかもよ」
手続きがいろいろ厄介だろう。
「大丈夫よ。400歳のキミヒコと一緒にいるんだからきっと元気になる」
姉に言われた通り、藻が浮いているような濃いお茶をキミヒコさんは淹れてくれた。それを飲みながら抹茶味のバームクーヘンを選ぶ姉は緑が好きなのだ。だからキミヒコさんが好きなのだろう。
私はメープル味を食べた。キミヒコさんの前で年輪を剥ぎながらバームクーヘンを食べることに抵抗があったのは私だけ。姉はバームクーヘンをお菓子だと思っている。私はリンクさせすぎなのだ。敏感とは違う。
殺人事件のことを忘れたいのに、その家の庭から生まれたばかりの人間らしき骨まで見つかり、なんともきな臭い。犯人の目星はついているのだろうか。
姉を信じている。殺人者がこんなにも淡々と数年後の仕事のことまで受注するはずがないとは思う。だが、精霊を夫にするくらいだから人を殺すのは逆に容易なのではないだろうか。
人なんて、汚い。嘘をつく。エゴの塊。キミヒコさんは嘘を言わない。雨が降りそうだと空を睨む。
「雨、嫌い?」
私は尋ねた。
「雨が降らなければ森は育たないが、水があふれると困る生物も少なくない」
ほら、嘘を言わない。キミヒコさんが空を見上げると同時に雨がぽつり。
精霊なのに森に暮らす生き物のことまで気にしなくてはいけなくて、キミヒコさんが中間管理職に思えてきた。その人型を保つにはどれくらいの成分が必要なのだろう。
私はそうでもなかったけど、姉には小さいときから霊感みたいなものが備わっていて、それに気づいた祖母だけが気にかけて旅行先ではあちこちの水晶とかお守りを買ってきたことを覚えている。おばあちゃん子だった私にとって人生で初めての嫉妬。ああいうのがなければもっと早くに姉はおかしなものに娶られていた可能性もある。
祖父も仕事を手伝う姉をかわいがるのは当然だとして、祖母まで取られた気がした。祖母は気づいていたのだろう。もしかして祖母にも同じような力があったのかもしれない。日本のみならず海外でも買ってきた。そうか、ココペリも精霊だ。国は違えどキミヒコさんの同志なのだろうか。
私はそれらよりもご先祖様のほうが空気感として近い。毎朝仏壇に手を合わせる、当然に。すごく日本的な考えだと思う。祖父母と暮らしていたことや両親が死んでいるせいかもしれない。
私ももうすぐそちら側だ。キミヒコさんがいるから姉は見守らなくていいだろう。なんとかして、姉の子どもとして生まれ変わってあげたい。




