姉の仕事1
翌日は雨だった。パトカーではなく、普通の車に乗った刑事さんが二人やって来た。我が家の庭は土なので雨が降ると自動的に川ができる。足元がぬかるんで申し訳ない。なるべく石の上を歩くとか、無意識に身につくものだ。
事件の内容は東京の郊外に住む30代の男性が亡くなったということだった。私はお茶を出しながら片耳でそれを聞いていた。姉はその男性を知っているらしかった。
「以前、一人掛けの椅子を注文いただいたことがあります」
注文履歴も見ずに姉は答えた。
「それだけではないですよね。許嫁だったとか?」
刑事さんて、いつも人を疑っていなければいけないから大変だ。年配の刑事さんの目が鋭い。
「昔の話です」
ん? 妹の私が知らないことってあるのだろうか。姉にそんな人がいたなんて私は知らない。
姉の傍らに正座するキミヒコさんはずっと姉の手を握っていた。
「そのソファで亡くなっていたんです。彼の足が悪かったことは?」
刑事さんが姉に聞く。亡くなっていた男性は幸塚さんというらしい。私は全く聞き覚えがない。
「知りません」
と姉は首を振った。
「椅子はオーダーメイドですか? 彼の体にとてもフィットしていたそうなので。まるで包まれていたようだと鑑識が」
「籐はゆっくりと時間をかけて持ち主の体にしっくり形を合わせるんです。そうですか、ずっと座ってくれていたのでしょう」
姉が飄々と答える。
「いいなぁ」
と若い刑事さんがぽつりと呟いた。彼の言葉はそれきり。
刑事さんが帰ったあとで私は姉に尋ねた。
「許嫁って? 初耳だよ」
「うんと小さい頃の話よ。おじいちゃんの知り合いらしくて、うちでたくさん注文してくれるお大尽さんだったらしいけど時代のあおりで没落してしまったから結婚の話はうやむやになったの」
「そんなことあったんだ?」
記憶がないというよりも、幼い私は聞かされていなかったのだろう。だったらその頃、祖父は姉を弟子として見ていなかったのだろうか。
「私だって中学生だったんだから小春は覚えていなくて当然。でも彼は、大人になって自分で仕事をしてまた小金持ちになって、ある日私の椅子を注文してくれた。一、二回子どものときに遊んだだけだけど、彼の名前は憶えていた。まだお父さんが生きていて、断るように言われたわ。だけれど、うちの注文のフォーマットって大きさと色を選んでゆくだけじゃない? 備考にも特に記載はなかったし。だから、何となく彼の謝罪なんだろうなと私は思って、ひとつの仕事の依頼として受けたの」
キミヒコさんは黙ってお茶を片づけてくれた。なんとなく、彼は全部を知っているような気がした。人間の許嫁がいた姉、その話が立ち消えになった姉、元許嫁のために椅子を編む姉を見ていたのだろう、夫として。夫だが法的効力は皆無。
キミヒコさんにできるのは雲の合間の光を集めてひだまりを作ることくらい。近所の猫が庭に来たときにそうしてあげるだけ。他人がいたら後片付けも農作業も手伝えない。我が家は近くに家がないから家の横の畑をいじっていても問題はない。しかしいつ無人偵察機が飛んでいるかわからない。それも時代のせいだ。
二人を二人だけの世界にいさせてあげてほしい。キミヒコさんだけならどうとでも生きられる。でも姉は人間で、食べて寝て排泄する。病気にだってなるかもしれない。世間様から離れて暮らすことは難しい。だから二人はこの家にいることに決めたのだろう。
刑事さんが帰ると姉は仕事場へ戻った。
わたしはうっかり、
「キミヒコさん、お姉ちゃんとの間に子どもはむつかしいの?」
と聞いてしまった。それは結婚をして数年経っても子どもがいない夫婦に悪気なくしてしまう質問に似ていた。
「そうだね、たぶん」
キミヒコさんが俯いて返答する。ダメだよ、キミヒコさんはいつでも空を見上げていて。
「異種族だから?」
私って、いつからこんなに意地悪になったのだろう。偉い精霊のひだまり管理人を黙らせるほどだ。
病気になっても謙虚になれない。むしろ悔いのないように残りの人生を使いたい。そうすると卑しくなるし、あつかましくなる。
今するべき質問ではなかったことは明確だ。心根の優しいキミヒコさんは恐らく姉を妻にしたことを後ろめたいと感じている。森の主のような存在なのに人である姉を好きになって、自分も人型になって人間もどきの生活をしている。
人間の生活は自然と違って生ぬるい。蛇口をひねればお湯が出る。温度調整だって可能だ。キミヒコさんは寒い外ではなく、この守られた家で姉と眠る。それを彼自身がずるいと感じているに違いない。
中学生の同級生に借りた百合漫画を思い出した。好きだ、でもいけない、相手に悪い、でも好きの繰り返し。二人の生活もそんな感じなのだろう。
姉とキミヒコさんがよければいいのだ。ひとつ利点があるとすれば、姉とキミヒコさんは周囲の目を気にせずにすむ。でも田舎だから、あの家の娘はまだ結婚しないとか遠い近所には思われているのだろう。病気の妹まで戻って来て、大変ね。勝手にそう思ってくれていい。
姉たちは姉たちなりに幸せなのだ。そこに私も加わる。
夕飯はツナとコーンのバターしょう油炊き込みご飯。赤魚の塩こうじ焼き、ごぼうと鰹節を煮たもの、きゅうりとキムチを和えたもの。
「おいしいよ、キミヒコさん」
私は大絶賛したつもり。母も料理は下手ではなかったが、新しいものをほとんど作らなかった。
「本当だ、ピラフみたい。おいしい」
私のおいしいよりも姉のおいしいにキミヒコさんの顔がほころぶ。
「このレシピで作ったでござるよ」
キミヒコさんは姉のスマホで料理を検索までしてくれる。
恋っていいな、愛はもっといい。
しかも夜は恋愛ドラマ。得意なほうだと思っていた。好きになった人とはたいてい付き合えたし恋人がいないときは告白された。まさかこの歳まで一人で、死の近くにいて男ではなく姉に頼る羽目になるとは。
愛の欠片も私は手にせず死ぬのだろう。愛とは10万円のバッグじゃない。ネックレスでもない。相手を幸せにしたいという気持ちの折り重なり。家族愛だけはいただけたから、この場所で朽ちるのも悪くない。




