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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第6章「未完と完遂」

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第87話「成功しなくても二年生」

 実習は失敗しました。炉も壊れ、装備も壊れ、予定した停止手順は使えませんでした。

 それでも全員が帰り、事故を記録し、次の学年へ進めるなら、失敗したまま終えることにも意味があります。

 天井から外れた支持管が、排圧口(はいあつこう)までの通路へ落ちてくる。


 リィナは壊れた【双踵噴射環ツイン・ヒール・ノズル】を乱暴に脱ぎ捨てた。


 左足へ痛みはある。外環の破片が靴底を裂き、踵の皮膚へ浅い傷を作っている。それでも骨の痛みではない。


 (まだ......踏み込める!)


「装備はなし。右足裏へ風圧を一回だけ通すわ」

 リィナが宣言する。


「出力は基礎以下。半歩。着地後の連続噴射なし」

 フィアが記録する。


「足裏の角度、外へ十度で」

 ロッテが床と支持管を見た。


「前へ出すぎると落下点へ入る。横へ半歩だけよ」

「分かった」


 レイルは短杖(ショートスタッフ)を握った。


「失敗したら、風圧偏向で管を押す」

「それだと排圧口への射線まで曲がる」

「なら、リィナが動いた後に撃つ」

「うん。それなら大丈夫。私が先ね」


 普段なら、レイルは足裏の状態、魔力経路、成功率をさらに聞いただろう。


 今は、リィナが自分で条件を言い、ロッテが角度を出し、フィアが制限を記録した。必要な判断は揃っている。


(心配は消えない。が――消えないまま、任せる)


「頼んだ」


 リィナは床を踏んだ。


 靴底の下で、空気が短く弾けた。


「【横噴(サイド・ジェット)】――半歩(ハーフステップ)!」


 大きな噴射ではない。

 身体が浮くことも、空中で方向を変えることもない。


 ただ、右足から生まれた小さな風圧が、リィナの腰を横へ半歩だけ押してくれた。

 落下する支持管と排圧口の間へ、細い射線が開く。


「今よ!」


 レイルが短杖の魔法を振る。


「【風圧偏向(ふうあつへんこう)】!」


 風は支持管の中央ではなく端へ当たり、落下角度をわずかに変えた。管は排圧口を塞がず、その横へ激突する。


 アルドとヘルマンが通路へ飛び込んだ。


「遮断杭、二本!」

「右を俺が外す!」


 アルドは最初に近い左杭へ向かわず、変形が少ない右杭を選んだ。


「近い方じゃないのか」


 ヘルマンが聞く。


「左は熱で曲がっている。始めやすい方ではなく、外せる方から始めたほうがよかろう」

「よし」


 二人が工具をかける。


 リオンの送った工具一式は過不足なく揃っていた。長柄、断熱手袋、予備楔。

 必要なものが、必要な数だけある。


「右杭、外れるぞ!」

「左は俺が支える。アルド、排圧扉を押せ!」


 アルドは工具を置き、扉へ肩を当てた。


「【完遂(コンプ)】。全員が帰れる状態で、炉を止める!」


 力の向きが、扉一枚へ閉じない。


 排圧を開き、冷却を通し、仲間を帰す任務全体へ広がる。


 扉が動いた。


「排圧口、二割開放!」


 フィアが叫ぶ。


「セレネ、冷却!」


 レイルが順序を渡す。


「第二術式を先に結着します」


 セレネは左手を閉じた。


冷却流量増加れいきゃくりゅうりょうぞうか――結着」


 主経路へ水が流れ込む。


 破断部から漏れはある。それでも炉心を包む冷却環へ、必要量が届いた。


「冷却圧、上昇。許容下限を超えた!」


 ロッテが圧力計を読む。


「次、主流量低下!」


 セレネは一度目の術式を解き、形成し直した第二の線を閉じる。


炉心流量制限ろしんりゅうりょうせいげん――結着!」


 炉心出力が八〇から七二へ下がった。


 白環補正が押し戻す。


正形完成(せいけいかんせい)要求:継続】


「まだ上がる!」


 ニアの環が回る。


『白環補正経路、三。現代制御経路、二。完成予定順、白環補正、炉心増幅、排圧安定』


「補正経路を全部切るのは無理か」


 レイルがエルシアを見る。


「切れば地下の別設備まで落ちる。今止めるのは、この炉へ入る最後の受諾線(じゅだくせん)だけ」

「場所は?」

停止受諾(ていしじゅだく)盤の下。白環文字の中心に、現代式が上書きした継ぎ目がある」

「さっき、知らないと言いませんでしたか?」

「今、読めたんじゃ」


 エルシアの返事は速かった。


 本当に今読めたのか。

 前から知っていたのか。


 その真偽を問い詰める時間はない。


「ロッテ、床下へ入る方法を教えろ」

「点検蓋を外すよ。だけど炉心の正面。熱線が通る」

「リィナが射線を開けた。俺が行く!」

「右目は大丈夫?」


 リィナが尋ねる。


「熱い。だが見える」

「見えなくなる前に戻ってね」

「ああ、戻る」

「約束して!」

「戻る。セレネの術式が二回目を押さえている間に、受諾線(じゅだくせん)だけ止めてくる」


 セレネが左肩を押さえながら言う。


「保持可能時間は十六秒です。白環補正が再形成する前に戻ってください」

「十五秒で終える」

「十四秒」

「短くなった!?」

「安全余裕です」

「分かった」


 フィアが時刻を構える。


「開始宣言を」

「点検蓋を開き、白環の受諾線だけを【未完(ノット・コンプ)】にする。十四秒以内に戻る。身体、冷却、治療、契約へは触れない」

「記録しました」


 レイルは床へ滑り込んだ。


 ロッテが蓋を外す。


 熱が顔を焼く。


 床下には、白い環が幾重にも重なっていた。中心に一本だけ、現代式の停止線と古い正形完成線が噛み合う場所がある。


 そこへ触れれば、炉全体を止められるわけではない。

 白環が”停止を不完全として修正する最後の受諾”だけを遅らせる。


(全部は止められない。一件だけ。だから、仲間が作った順番を通す)


「【未完(ノット・コンプ)】」


 白い線の最後が止まった。


【正形完成受諾:未結】


「補正停止!」


 ニアが表示する。


『白環補正経路、待機。現代制御経路、優先可能』

「今だ!」


 ヘルマンが叫ぶ。


「排圧口、全開へ!」


 アルドが扉を押し切る。


「冷却流量、最大安全値!」


 ロッテが弁を回す。


「炉心流量、二〇へ!」


 セレネが術式を結着する。


「避難線、全員確認!」


 リィナが負傷者と位置を数える。


「レイルが床下! 残り十一秒!」


 フィアが叫ぶ。


 炉心出力が落ちる。


 七二。

 五五。

 三八。


 排圧口から青い光と蒸気が噴き上がった。地下排圧路を通り、学院南塔の上空へ抜けていく。


「残り七秒!」


 レイルは白環線を保持したまま後退した。


 胸の重さが増す。

 右目が焼ける。


 点検蓋まであと一歩。


 床下の文字が、完成を求めて指へ絡みつく。


(ここで返せば、補正が戻る。戻らなければ、俺が出られない)


「レイル!」


 リィナの声がした。


 決闘の時と同じ一語ではない。


「炉心は下がってる! もう一人で持たなくていい。戻って、返して!」


 セレネも続ける。


「出力二一。現代停止条件が成立します。完成権を返しても、白環補正より先に停止受諾を閉じられます!」


 レイルは表示環を見る。


『推奨完成順、現代停止受諾、白環補正復帰。差、一・二秒』


 仲間が作った貴重な一・二秒だ。


「床下から出る。完成権を返す!」


 レイルが手を離す。


 白環線が閉じようとした瞬間、セレネの現代停止術式が先に結着した。


「停止を受諾します!」


 フィアが記録板を重ねる。


「現代式停止、受諾者全員。炉心、冷却、排圧、避難――条件成立!」


 白環補正が再び動く。


 だが、今度は炉心出力が停止条件を下回り、正形完成の対象自体が失われていた。


【運転対象:停止】

【補正対象:不存在】


 白い環が消える。


 炉心出力、一〇。

 五。

 一。


 そして、ゼロ。


 完全な静寂が訪れた。


「全員、位置報告!」


 ヘルマンが叫ぶ。

「全員確認する!」


「排圧口、アルド!」

「無事。任務継続中」


「冷却盤、ロッテ!」

「額を切っただけ。冷却継続」


主流量台(しゅりゅうりょうだい)、セレネ!」

「右肩打撲。意識正常」


「避難線、リィナ!」

「左足負傷。歩ける。レイルを引き上げる!」


「床下、レイル!」

「右目に熱。自力で出る」


「記録所、フィア!」

「無傷。全工程記録継続」


「資材所、リオン!」

「地上連絡済み。治療班を要請しておりますぞ」

「ニア!」

『全員ノ生命反応ヲ確認。炉心再起動兆候、ナシ』


「エルシア!」

「ここにいるわ、うっさいのう」


 最後にヘルマン自身が答えた。


「責任者、無事。補助魔導炉(ほじょまどうろ)、安全停止。これにて、全員、帰還する!」


 アルドが排圧扉から手を離した。


「これで任務は――」


 言いかけ、止まる。

 まだ治療、記録、事故報告、道具返却が残っている。


「地上へ戻り、負傷者を治療班へ渡すまで完遂(コンプ)する」


 そうアルドが言うと、リィナが笑った。


「アルド、今度は方向を間違えないでよね」

「一本道だ」

「アルドは一本道でも心配だし」

「なら、お前が先を歩け」

「また私だけ見てついてくる?」

「道の話だ」

「分かってるよーだ」


 アルドは真面目な顔を保ったが、耳だけが赤かった。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 帰還後治療棟で、レイルはリィナの左足を見ようとしていた。


「リィナ。靴を脱いで。傷と魔力経路を確認する」

「治療師さんが来るからいいよ」

「装備なしの噴射は初めてに近い。足裏から踵、ふくらはぎまで熱が残っていないか――」


 レイルが膝をつき、リィナの足首へ手を伸ばす。


 距離が近い。

 リィナの顔が一気に赤くなった。


「ま、待って。ここでレイルが見る必要ないじゃん。足裏なんだから、治療師だけでいいでしょ」

「痛む場所と、噴射時に魔力が逆流した方向を説明できれば、治療が早い」

「説明は自分でする! 右足の内側が熱くて、着地でひねった。それで十分!」

「だが、生体導出端(マナ・ポート)の流れは俺の方が――」

「近づかないで。今、靴を脱ぐんだから!」

「診察の補助だ」

「女の子の足を見る理由へ”診察”を付ければ通ると思わないで!」

「治療師さーん! この慎重すぎる患者候補を先に連れてって!」

「患者はリィナだろ」

「レイルは頭の方!!」


 リィナは大声で呼んだ。


 普段なら木剣が飛んでくるところだが、今日は負傷者用寝台の上である。代わりにセレネがレイルの襟をつかみ、一歩後ろへ引いた。


「本人が拒否しています」

「診察の補助だ」

「足へ触れる許可は出ていません」

「セレネは肩を動かすな」

「左手は動きます」

「二人とも治療を受けて」


 フィアが間へ入った。


「事故後の追加負傷を避けます。レイルは右目、リィナは左足、セレネは右肩、ロッテは額。各自、指定寝台へ移動してください」

「俺は歩ける」

「歩けるかどうかを本人だけで決めないでください」

「リィナも歩けると言った」

「二人へ言っています。事故中に役割を守れたのですから、治療でも担当者へ任せてください」


 短い命令ではなく、フィアは全員の顔を見て続けた。


「皆さんは、誰かが倒れた時に自分だけで運ばず、前衛、術式、記録、搬送へ分けました。治療棟へ来た途端に、自分の身体だけ例外へ戻さないでください。治療師が診断し、本人が痛みを説明し、私は事故記録と照合します」

「……分かった」


 レイルが先に答える。


「私も」


 リィナが足を寝台へ戻した。

 セレネも肩の力を抜く。


「事故中より、治療棟の方が指示を聞かせるの難しくない?」


 ロッテが額へ布を当てながら笑った。


「事故中は目的が一つです」


 フィアは真顔で答えた。


「治療棟では、全員が自分だけ軽傷だと主張します。やれやれ」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 三日後。


 一年次修了認定式は、予定していた中央講堂ではなく、修復中の南講堂で行われた。


 補助魔導炉実習は失敗。

 設備は長期停止。

 進級資格試験として予定した再起動まで到達せず、事故調査も続いている。


 それでも、壇上の学院長は言った。


「諸君の実習は、計画どおりには完了しなかった」


 生徒たちは静かに聞く。


「停止手順は破綻し、設備は損傷し、複数名が負傷した。これを成功した試験と呼ぶことはできない」


 レイルは否定しなかった。


 成功ではない。

 事故を防げなかった事実も、装備を壊した事実も残る。


「しかし、異常を隠さず実習から事故対応へ切り替え、役割を変更し、負傷者を救助し、炉を安全停止し、全員が帰還した。記録、報告、補償手続きも提出された」


 学院長は修了証を掲げる。


「学院が教えるのは、予定した一手を成功させる方法だけではない。失敗した後、何を終えるべきか選び直す力である。よって、関係生徒全員の一年次修了を認める」


 会場全体から大きな拍手が起きた。


 リィナは左足へ包帯を巻き、セレネは右腕を吊り、ロッテの額には小さな縫合布がある。レイルの右目も薄い遮光布で覆われていた。


 アルドだけは目立つ外傷がないが、修了証を受け取る時、一度足を止めた。


「どうした」


 ヘルマンが聞く。


「これは、実習を成功させた証ではない。俺たちは炉を壊し、負傷者も出した」

「そうだ。成功証明なら、俺は渡さんな」

「失敗したまま、進級札を受け取っていいのか。次へ進めば、事故を置いていくことにならないか?」

「お前の言う通りだ。置いていかないために渡す。お前たちは失敗を隠さず、原因を記録し、負傷者を運び、炉を再停止し、報告書を書いた。これは”成功した者”の札ではない。失敗を無かったことにせず、事故処理まで終えた者の札だ」


「受け取れば、次も失敗するかもしれない」

「受け取らなくても失敗はする。違いは、次に同じ場所で壊すかどうかだ。どうだ。受け取るか」

「……受け取る。失敗したままではなく、失敗を持って進む」


 アルドは修了証へ手を伸ばした。


「受諾する」


 その言葉は、決闘の敗北を受け取った時より静かだった。


 続いて、二年次の仮配属が発表される。


 レイル・アルヴァート。

 【|総合術式科・特別監督枠《そうごうじゅつしきか・とくべつかんとくわく》】。


 リィナ・アルセイル。

 【武装戦技科(ぶそうせんぎか)】。


 セレネ・グランツ。

 【術式設計科(じゅつしきせっけいか)】。


 アルド・クロイツ。

 【実地指揮科(じっちしきか)】。


 フィア・レコード。

 【記録法制科(きろくほうせいか)】。


 ロッテ・ベルクマン。

 【魔導工学科(まどうこうがくか)】。


「やっぱり、全員、別々だね」


 リィナが修了証を見ながら言う。


「共通演習はあるぞ」


 レイルが答える。


「朝練も、二年次になったからって勝手に減らさないでよ」

「週五日。雨天は東回廊。負傷中は足運びを外して上半身だけ」

「昼食は?」

「週四回以上、大机。共同課題の日は全員分の席を取る」

「へぇ、覚えてた」

「書面にした。忘れないために」

「書面じゃなくても覚えててよ。約束って、紙がないと消えるものじゃないでしょ」

「覚えているから言えた。紙は、忘れた時のためじゃなく、勝手に意味を変えないためだ」

「……それならいい。ちょっとだけ、レイルらしいし」

「全部レイルだ」

「レイル、恋愛の時だけ急に別人になるから心配してるの」


 リィナは少し考え、笑った。


「じゃあいい」


 セレネが二人の横へ来る。


「共同課題は事故により延期されましたが、非常灯の設計は継続します」

「俺も続ける」

「返答を保留しているあの件と、共同課題は分けますからね」

「分かっている」

「意味を理解できないふりをしていませんね?」

「しないよ」


 リィナがセレネを見る。


「私も、幼なじみだから自動で隣にいると思わせない。朝練も、昼食も、好きって言ったことも、全部”昔からそうだった”で片づけさせない」

「承知しています。私は共同課題と予定表だけで、隣を確保したつもりにはなりませんし」

「負けないからね!」

「私もです。ただし、レイルを勝敗の賞品として扱うつもりはありません」

「分かってる。レイルが自分で決めるまで、私たちも自分で選ぶって話」

「合意します」

「こういう時まで合意って言うんだ」

「リィナも”負けない”と言いました」

「私は感情。セレネは契約。そういうことか」

「どちらも撤回しません」


 二人は笑わなかった。

 だが、敵意だけでもなかった。


 レイルは間へ言葉を挟もうとして、やめた。


(二人への答えはまだない。けれど、二人が何を言っているかは、もう分かる。分かったまま考えよう――)


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 認定式の後、第三工房の隣にある小さな研究室へ案内された。


 扉には、新しい札が掛かっている。


特殊結着研究班とくしゅけっちゃくけんきゅうはん


 正式構成員は五人。


 レイル、リィナ、セレネ、アルド、フィア。


 ロッテは技術協力員ぎじゅつきょうりょくいん。リオンは物資・契約協力員ぶっし・けいやくきょうりょくいん。ニアは学院分類上、【付属案内人格】という新設項目へ暫定登録された。


「班長は誰なんです?」


 リオンが尋ねる。


「固定しません」


 フィアが答えた。


「研究項目ごとに責任者を記録します。術式はレイルまたはセレネ、工学はロッテ、実地安全はリィナとアルド、記録と受諾は私、調達と契約はリオンです」

「では、私は共同出資代表として中央席を」

「出資者に実験判断権はありません」

「座席だけでも?」

「技術協力員と物資協力員の机は壁側です」

「身分差を感じますゾ!!」

「作業動線です」


 中央には五人用の長机が一つあった。


 レイルが椅子を引くより早く、リィナが左隣へ鞄を置いた。


「ここ、朝練の記録を書くから」


 セレネは右隣へ資料束を置く。


「私は共同課題と術式設計を確認します」

「俺の左右を先に取る必要はあるのか?」


 レイルが聞く。


「ある」

「あります」


 声が重なる。


「座席は役割順です」


 フィアが長机の中央へ記録板を置いた。


「レイルを中心にする規定はありません。記録資料へ全員が手を伸ばせる位置を優先します」

「なら、俺が端へ行く」

「逃げないでくれない?」


 リィナが袖をつかむ。


「端は大型術式図を広げにくいです」


 セレネも反対側の袖を押さえる。


「本人の意思を尊重してくれ」

「意思は聞いてる。でも、端へ行く理由が面倒から逃げたいだけなら却下」

「術式上も中央が適切です」

「二人とも監督者ではない」

「共同判断役」

「共同課題相手です」


 机の最も暖かい場所へ、黒銀色のニアが丸くなった。


『中央席ヲ確保シマシタ』

「お前が取るのか」

『付属案内人格ノ休止位置デス、ニャ』

「研究資料の上です」


 フィアが言う。


『温度条件ヲ優先シマス』

「分類が決まった途端、権利を主張し始めた」


 ロッテが笑う。


 アルドは空いている椅子へ座ろうとして、研究室の外へ出た。


「どこへ行くの?」


 リィナが呼び止める。


「入口から最短の椅子を選んだ」

「それ、廊下の待合椅子なんですけど!」

「同じ向きに並んでいた」

「研究室の中へ戻って!ばか」


 リィナがアルドの袖を引く。


「またお前が見つけたな」

「まだ三歩しか離れてないよ! 扉も一つしかないし、全員見てたでしょ?!」

「距離は問題ではない。俺は入口へ向かった。お前は迷わず止めた」

「問題だよ。三歩で”また見つけた”って感動しないで。来年は、自分で部屋の中へ戻れるようになってくれる?」

「努力する」

「方向の努力って、どうやるの?」

「お前を見る」

「それは道を覚える努力じゃないでしょ!」


 アルドは引きずられながら戻り、リィナの反対側の端へ座った。


 レイルはその光景を見て、笑った。


「何よー?」


 リィナが振り返る。


「来年も騒がしくなりそうだと思った。研究班ができれば、今より予定も事故条件も増える」

「嫌なの?」

「嫌ではない。静かな方が安全だが、今の方が帰る理由は多い」

「それ、かなり良いこと言ってるのに、また安全の話へ逃げてない?」

「逃げていない」


「じゃあ、ちゃんと言って。来年も一緒にいたいって」

「……来年も、一緒にいたい」

「うん。最初からそれでいいの」

「短いだろ?」

「足りなかったら、来年また言い足して」


 レイルは長机と、そこへ置かれた鞄、資料、記録板、工具箱、契約書、丸くなるニアを見た。


 事故で壊れたものは多い。


 補助魔導炉。

 噴射環。

 停止レバー。

 予定していた進級実習。


 それでも、ここへ戻ってきた。


「二年次も、ここで皆と学びたい」


 誰もすぐにからかわなかった。


 リィナは笑い、セレネは小さく頷き、フィアは記録板へその言葉を書いた。アルドは「受領した」と答え、ロッテは新しい工具棚の場所を測り、リオンは研究費の初期予算を開く。


 ニアだけが片目を開けた。


『研究班登録情報ヲ確認』


 研究室の床下で、聞こえないほど小さな駆動音がした。

 地下端末に白い環が一つ浮かぶ。


【中心対象:レイル・アルヴァート】

【関連対象:四名】

【付属案内人格:一】

【一群登録:受諾待機】


 白い環は、誰にも見られないまま回り始めた。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 仲間が作った一・二秒を信じて【未完(ノット・コンプ)】を返し、事故後には「二年次も、ここで皆と学びたい」と自分の希望を言葉にした術師。


・リィナ・アルセイル

 装備なしの足裏風圧で半歩だけ横へ動き、最後の射線を開き、研究室でもレイルの左隣を確保した剣士。


・セレネ・グランツ

 二術式を順番に結着し、白環補正より先に現代式停止受諾を成立させ、研究室では右隣へ共同課題資料を置いた術式設計役。


・アルド・クロイツ

 排圧扉を開き、失敗した実習の修了証を受諾し、研究室でも三歩で待合椅子へ迷った実地指揮科生。


・フィア・レコード

 事故工程と全員の受諾を記録し、固定班長を置かず項目ごとに責任者を分ける研究班運用を決めた記録法制科生。


・ロッテ・ベルクマン

 冷却路(れいきゃくろ)と噴射角を判断し、事故後は特殊結着研究班とくしゅけっちゃくけんきゅうはんの技術協力員として登録された魔導工学科生。


・リオン・ゴルディス

 必要な工具を一式だけ届け、研究班では物資・契約協力員として壁側の机を割り当てられた商務担当。


・エルシア・ヴァント

 白環受諾線の位置を示して停止へ導きながら、自分がどこまで文法を知っていたのかをまだ明かしていない師匠。


・ヘルマン教官

 事故対応を指揮し、成功していない実習でも事故処理まで完遂した生徒たちの一年次修了を認めた教官。


・ニア

 複数媒体の完成順を表示し、付属案内人格として学院へ暫定登録され、研究机の最も暖かい場所を確保した相棒。


【今回の能力・設定メモ】


・リィナは装備なしの【横噴(サイド・ジェット)】を低出力の半歩だけ成功させました。

・単独飛行、空中再加速、連続噴射には到達していません。

・レイルの【未完(ノット・コンプ)】保持数は一件のままです。

・補助魔導炉事故では、白環受諾線一件だけを短時間保持しました。

・二年次仮配属は、レイルが総合術式科・特別監督枠、リィナが武装戦技科、セレネが術式設計科、アルドが実地指揮科、フィアが記録法制科です。

・【特殊結着研究班とくしゅけっちゃくけんきゅうはん】の正式構成員はレイル、リィナ、セレネ、アルド、フィアの五人です。

・ロッテは技術協力員、リオンは物資・契約協力員、ニアは付属案内人格として登録されます。


【章終了・現在ステータス】


【レイル・アルヴァート】

・年齢:十三歳。

・所属:王立結着学院一年次修了。二年次【総合術式科・特別監督枠】仮配属。

・冒険者資格:Dランク。

・固有律:【未完(ノット・コンプ)】。

・保持可能数:一件。

・任意解除:可能。

・他者身体行為干渉:危険な成功例一件。決闘、訓練、研究目的での使用禁止。

・機構や術式の完了干渉:短時間の成功例あり。

・【未完蓄魔(みかんちくま)】:無人媒体、三時間、回収効率三四%の試験成功。人体、戦闘、睡眠保持は禁止。

・【万式魔導環(オムニア)】:第三階梯入口。複数媒体の経路分類と完成順表示のみ解放。

・【七環導杖(セプテム・ロッド)】:風圧、光経路の応急修理継続。出力制限あり。


【リィナ・アルセイル】

・所属:一年次修了。二年次【武装戦技科(ぶそうせんぎか)】仮配属。

・冒険者資格:Dランク。

・独自流派:【無終剣(むしゅうけん)】原型。

・主要剣技:【無終剣・継歩(むしゅうけん・けいほ)】。

・魔導戦技:【横噴(サイド・ジェット)】。

・装備あり:一歩、短時間の救助使用。双踵噴射環は事故で破損。

・装備なし:足裏風圧による半歩の成功例一回。

・制限:連続噴射、空中再加速、単独飛行、【双踵跳ツイン・ヒール・ジャンプ】、【空継(エア・リンク)】は未習得。


【セレネ・グランツ】

・所属:一年次修了。二年次【術式設計科(じゅつしきせっけいか)】仮配属。

・固有律:【並列思考(へいれつしこう)】。

・二術式並列形成:可能。

・二術式同時結着:不可能。

・専門:術式層計算、誤差管理、損失計算、完成順設計。

・恋愛:レイル本人へ正式に告白。返答を急がせず、保留を受諾。


【アルド・クロイツ】

・所属:一年次修了。二年次【実地指揮科(じっちしきか)】仮配属。

・固有律:【完遂(コンプ)】。

・成長:個別行為ではなく、広く定義した任務目的へ【完遂(コンプ)】を使用する入口へ到達。

・壊れた操作を捨て、経路と手段を変更する成功例あり。

・方向音痴:未改善。誤った方向を真面目に完遂する傾向が残る。


【フィア・レコード】

・所属:一年次修了。二年次【記録法制科(きろくほうせいか)】仮配属。

・専門:結着時刻、条件変更、責任分担、受諾記録、事故記録。

・【結着受諾(けっちゃくじゅだく)】を決闘、研究、設備停止へ拡張して記録。


【ロッテ・ベルクマン】

・所属:二年次【魔導工学科(まどうこうがくか)】。

・研究班:技術協力員。

・専門:人工導出端、排圧、冷却、噴射具、蓄魔槽、安全破断機構。

・成果:【三割だけ残る灯り】生活支援部門特別評価。


【リオン・ゴルディス】

・研究班:物資・契約協力員。

・専門:調達、契約、補償、物流、研究費。

・成長:三倍の物量ではなく、要求された一式を必要時刻へ届ける判断を実行。


【ニア】

・形態:黒銀色の猫型ホログラムが基本。

・機能:表示、解析、警告、照合、記録補助。

・第三階梯入口:複数媒体の経路分類、完成順表示。

・制限:独自魔法発動、【未完(ノット・コンプ)】の対象選択、解除代行、自動形成は不可能。


【第6章終了時の主要到達点】


・レイルとアルドの四年前からの対立は、決闘の勝敗と共同事故対応を経て、互いの選択を認める段階へ進みました。

・【未完(ノット・コンプ)】と【完遂(コンプ)】は、勝敗を保証する力ではなく、完成時刻と任務目的を選び直す力として整理されました。

・レイル、リィナ、セレネは、三人とも恋愛関係の当事者であることを認識しました。恋人はまだ決まっていません。

・主要五人は別々の専攻へ進み、【特殊結着研究班とくしゅけっちゃくけんきゅうはん】で専門をつなぎます。

・学院地下端末は、研究班五人とニアを一群として認識し始めています。


【次回】


 地下端末は研究班を一群の矯正対象として確定し、ようやく得た学院の日常から六人を強制的に引き離します。


 成功しなかった一年にも、受け取るべき修了証がありました。レビュー、ブックマーク、フォローで、レイルたちの冒険を最後まで見届けていただければ大きな励みになります。

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