第86話「地下魔導炉、再起動」
事故の中では、昨日まで正しかった手順が敵になることがあります。
壊れたレバーを引き続けるか、始めた操作を捨てて目的を守るか。
アルドに必要なのは、力を強めることではなく、終えるものを選び直すことでした。
補助魔導炉の出力が六〇を超えた。
この数値は停止前より高い。
白い補正環が床下で回り、現代式の停止術式へ次々に上書き線を走らせている。排圧口は半分まで閉じ、逃げ場を失った熱と魔力が炉内へ戻った。
「主流量、四〇へ下げます!」
セレネが第一術式を結着する。
流量計が一度下がった。
だが、白環の補正線が操作台へ入り、数値を五〇へ押し戻す。
「命令が上書きされました!!」
「二度目を形成できる?」
ロッテが叫ぶ。
「できます。でも、冷却切替の形成を維持したままです。同時に完成はさせられません」
「先に冷却を主経路へ戻さないと管が持たない!」
「主流量を放せば、炉心が七〇を超えます」
二つの正しい操作が、互いの完了を待っている。
セレネの額へ汗がじんわりと浮いた。
(両方とも作れる。けれど、両方を同時に終えられない。私一人では足りない――)
「レイル、順序をお願いします!」
レイルはオムニアの三環を見る。
『第一媒体、主流量低下術式。補正ニヨリ再形成要求。第二媒体、冷却切替術式。形成完了、未結着。第三媒体、排圧口。閉鎖進行。完成予定順、排圧閉鎖、炉心増幅、冷却逆流』
最悪の順番だった。
「排圧が先に閉じる。フィア、残り時間はどれくらいだ?」
「完全閉鎖まで二十二秒。冷却管の許容圧まで十五秒」
「ロッテ。主経路へ戻すのに?」
「手動弁なら八秒。でも、あそこまで行く通路が熱で塞がれてる」
「リィナ!」
「道を開けるわ!」
リィナは双踵噴射環の圧力計を確かめた。
「一回目、右二〇、左二〇。手動弁まで二歩。戻り一歩」
「連続噴射は禁止です」
セレネが術式を維持したまま言う。
「二歩目は床を使う。噴射は一回だけ。通路の熱を越えて、弁の手前へ入るわ」
「着地角度は。前へ行くだけでは、弁を通り過ぎますよ?」
「前へ行って、止まる。いつもの踏み込みと同じね」
「いつもの床ではありません。数値でください」
「今それ聞く? 熱が来てるんだけど!」
「今だから必要です。私が風圧の受けを合わせます」
「十五度……たぶん」
「”たぶん”では補正できません」
「じゃあ十二度! 右足を少し強く、左で止める!」
「受領しました。十二度へ合わせます。外れたら私が一度だけ押し戻します」
「一度でいい。二度目は自分で立つから!」
ロッテが叫んだ。
「右を十二度外へ。噴射は〇・三秒。それ以上だと弁を越える」
「分かった」
リィナが床を蹴る。
「【横噴】!!」
右踵から短い風圧が噴き、身体が熱流の横を滑った。空中へ飛ぶほどではない。片足一歩分だけ、攻撃線ならぬ熱の噴出線を外す。
リィナは着地と同時に前転し、手動弁へ手をかける。
「届いた!」
「主冷却路、開いて!」
リィナが弁を回す。 古い管の奥で水が鳴った。
その瞬間、逆流していた圧力が一気に主経路へ入る。
「みんな、下がって!」
ロッテの声より早く、頭上の継ぎ目が裂けた。
金属管が外れ、冷却水と破片が操作台へ落ちる。
セレネは二つの術式を維持したまま動けない。ロッテは圧力計の前で退避が遅れた。
「セレネェェェ!」
レイルが走り出す。
だが、二人までの直線上へ蒸気が噴き出した。
「そのまま来たら三人とも塞がれる!」
リィナが叫ぶ。
「私が線を開ける。レイルは落ちた管を止めて!」
「リィナの装備圧は一回分使ったろ?」
「残圧がある!」
「連続は禁止だ」
「分かってる。だから救助に一回だけ使う!」
これは、優先順位の問題ではない。
セレネを助けるか、リィナを止めるかという選択でもない。
リィナはセレネとロッテを救う前衛で、レイルは落下物を止める術師だ。
(心配だからって、役割を奪うな。信じるなら、任せられた場所を守れ)
「任せた。角度を言って!」
「左十八度、低出力!」
ロッテが答える。
リィナは左踵を噴かした。
身体が半歩ずれ、セレネの肩へぶつかる。勢いを殺さず、そのままロッテまで押し、二人を緊急遮断壁の内側へ転がした。
同時にレイルは短杖を掲げる。
「【風圧偏向】!」
落下した管を破壊せず、横へ押す。応急修理中の七環導杖が震え、風圧経路の警告灯が一つ点いた。
管はセレネたちがいた場所を外れ、床へ激突した。
リィナの左踵で、鋭い破砕音がした。
【双踵噴射環】の外環が割れ、金属片が床を滑る。
「リィナ!」
「私は立てるから! セレネとロッテを見てあげて!」
リィナは左足を引きずりながらも、自分で遮断壁の内側へ入った。
セレネは肩を打っていたが意識はある。ロッテの額には浅い傷。二人とも自力で呼吸している。
「負傷記録。セレネ右肩打撲、ロッテ前額部裂傷、リィナ左足装備破損。搬送順位――」
「まだ炉は止まってないわ」
セレネが立ち上がろうとした。
「右肩が動いてない。術式を支えたままでは、関節が外れるぞ」
「右手が使えなくても、左手で形成できます。ですが、今の二式を維持したまま移すのは無理です」
「二式維持は捨てるのか」
「一度解除します。痛いからではありません。最初から作り直した方が、混線が少ない」
「解除した瞬間、炉心温度が上がる」
「分かっています。だから、誰が何秒押さえるか、順序をください。私一人で二式を抱えたまま壊れるより、交代した方が早い」
「……フィア、三秒数えろ。リィナが風路を開き、俺が一件保持する。その間にセレネは左手で再形成」
「受領しました。三秒あれば戻します」
フィアが残り時間を読む。
「排圧完全閉鎖まで――残り、九秒」
アルドは停止レバーを引き続けていた。
白環補正が反対方向へ押し返し、金属軸が軋んでいる。
「止まれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!」
アルドが力を込める。
「俺は停止を完遂する!!!!!」
レバーの根元が裂けた。
それでも、【完遂】は始めた操作を最後まで進めようとする。腕と肩へ力が集まり、壊れた軸を引き切るため身体まで固定され始めた。
「アルド、ダメだ!! 捨てろ!」
ヘルマンが叫ぶ。
「まだ引けるのだ! ここで手を離せば、停止操作が途中で終わる!」
「レバーはもう停止盤につながっていない! 折れた軸を動かしても、炉には届かない!」
「だが、俺はこれを始めた!」
「任務を思い出せ、アルド! お前が終えるのはレバー操作じゃない。全員を帰して、炉を止めることだろ!」
「……手段を捨てても、任務は残る、か」
「そうだ。こっちへ来い。別の停止線を作る!」
「受領した。レバー操作を破棄。搬送と排圧へ移る!」
アルドの目に、折れた金属しか見えていない。
その時、レイルは一件の保持枠が空いていることを確認した。
身体へは使わない。
筋肉にも、腕にも、踏み込みにも触れない。
狙うのは、壊れた停止機構が”操作を完了したことにされる瞬間”だけ。
「アルド! お前の身体ではなく、レバー側を止めるぞ!」
「何をする気だ」
「壊れた操作を完成させない。 お前は任務を選び直せ!」
レイルは折れた軸へ手を向けた。
「【未完】!」
金属軸の動きが止まった。
アルドの腕に対してではない。
操作機構の最後の噛み合わせだけが成立せず、【完遂】が向かう先を失う。
反動がアルドの身体へ返る前に、レイルは叫んだ。
「レバーを捨てろ! お前が終えるのは何だ!」
アルドの指が震えた。
始めた操作を捨てる。
途中で手を離す。
四年前なら、敗北だと思った行為。
(違う。最初の一手が間違ったんじゃない。今は、もう役目を失った)
「全員が帰れる状態で、炉を止める、それが俺の終える、こと」
アルドは言った。
「このレバーでは、終わらせない」
両手を離した。
【完遂】の圧力が、壊れた金属から広い任務へ戻る。
「レイル、返せ。壊れた操作を、壊れたまま終わらせろ」
「ああ。完成権を――”返す”」
金属軸は最後まで外れ、床へ落ちた。
操作としては失敗。
だが、アルドはもう拾わなかった。
「次の手を示せ」
「排圧口を物理的に開く。アルドと俺で遮断杭を外す」
ヘルマンが指示する。
「リオン、予備工具!」
「一式だけ用意済みです!」
外周扉から工具箱が滑り込む。
「役に立ったな」
ロッテが言う。
「三倍ではなく一式ですが」
「一式で足りる時に一式出すのが調達だ」
「覚えておきます」
アルドは工具箱を受け取り、排圧口へ走る。
今度は最短の直線ではなく、蒸気を避けて右へ回った。
リィナが気づく。
「道、変えたね」
「熱いからだ」
「うん。それでいい」
炉心出力は八〇。
排圧口は閉じた。
冷却主経路は開いたが、落下した管のせいで流量が足りない。
セレネは左手で新しい術式を組む。
「第一術式、炉心流量低下。第二術式、冷却流量増加。両方形成します。結着順は、排圧口の手動開放後に冷却、次に炉心」
「順序を表示」
レイルの三環へ、全員の操作が並ぶ。
『排圧手動開放、冷却増加、炉心低下。推奨順序、一、二、三』
その時、白環補正が新しい線を伸ばした。
【不足出力補正】
【正形完成要求:最大】
炉全体が震える。天井から砂が落ちた。
リィナの足元へ、割れた噴射環が転がる。
「次の振動で天井の支持管が落ちる」
ロッテが言う。
「排圧口までの射線が塞がれる」
「私が開ける」
リィナが左足を踏み出した。
「装備は壊れてる」
レイルが止める。
「分かってる。装備なしで半歩だけなら、校外実習でできた」
「成功例は一回だ」
「だから一回だけ使う」
「足裏の状態が」
「今、診察してる時間ある?」
リィナは笑った。
「レイル。私の役割、信じて」
天井の支持管が外れた。
次の一歩で、全員の射線が決まる。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
アルドの身体ではなく壊れた停止機構の完了だけを【未完】にし、本人へ任務目的を選び直させた術師。
・アルド・クロイツ
壊れたレバーを引き続ける【完遂】から手を離し、「全員が帰れる状態で炉を止める」という任務へ戻った騎士科生。
・リィナ・アルセイル
【横噴】でセレネとロッテを救出し、【双踵噴射環】を破損しながらも退避線を維持した前衛。
・セレネ・グランツ
二術式を同時結着できない制限を抱えながら、一度解除して形成順を作り直した術式設計役。
・ロッテ・ベルクマン
冷却管の破断と噴射角を読み、装備破損後も次の流路を判断した工学担当。
・フィア・レコード
負傷、排圧閉鎖、残り時間、条件変更を記録し、事故中も順序を失わなかった記録科生。
・リオン・ゴルディス
三倍ではなく要求どおり一式の予備工具を送り、事故時の適量調達を実行した商務担当。
・ヘルマン教官
壊れたレバーに固執するアルドへ任務定義を思い出させ、排圧口の手動開放へ役割を変更した指揮官。
・ニア
炉内の複数媒体を経路と完成予定順へ分類し、最悪の進行順を警告した案内人格。
【今回の能力・設定メモ】
・レイルが【未完】にした対象は、アルドの身体行為ではなく壊れた停止機構の操作完了です。
・【未完】保持は一件のみで、解除後に枠は空いています。
・リィナの【横噴】は一歩、短時間、救助目的に限定されています。
・【双踵噴射環】は左外環が破損し、以後の使用は不可能です。
・セレネは二術式を形成できますが、同時結着はできません。
【次回】
装備を失ったリィナが、足裏の風圧だけで半歩を選びます。全員の専門を一つの順序へつなぎ、壊れた炉を”成功させずに”停止します。
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