第83話「幼なじみのままでは終わらない」
幼なじみは、説明しなくても隣にいられる関係です。
だからこそ、言わなくても伝わると思い込み、言うべきことまで置き去りにしてしまいます。
修了夜会が終わっても、レイルの頭の中では曲が止まらなかった。
右足を半歩。
左足を寄せる。
回転。
そこへ、手順では処理できない言葉が入り込む。
”あなたが好きです”。
寮へ戻る途中、レイルは【安全条件記録帳】を開いた。
告白への返答条件。
回答期限。
相手へ与える不利益。
共同課題への影響。
リィナとの既存予定――
「閉じて」
隣を歩いていたリィナが、記録帳を取り上げた。
「まだ書いてない。紙を出しただけだ」
「その紙の一行目に【返答条件】って書こうとしたでしょ。ペン先がもう”返”の形になってる」
「考えを整理するだけだ。何を言えば傷つけるか、先に分けておいた方が――」
「セレネの告白を安全条件にしないで。あの子が勇気を出して言ったことを、事故報告書みたいに並べないでよ」
「間違った返事を避けるには、条件を確認した方がいい。今決められないことと、拒絶することは違うし――」
「正しい返事を作れば、誰も傷つかないと思ってる?」
「少なくとも、思いつきで答えて取り返せなくなるよりはましだろ?」
「ほら。また、”傷つけない答え”を完成させるまで動かないつもりになってる」
「黙るつもりはない」
「だったら紙を置いて、屋上へ来て。顔を見て話す。途中で間違えても、私がその場で怒れるから」
「怒る前提なのか」
「今はかなり怒ってる。だから早く」
リィナは返事を待たず、階段を上がった。
夜の屋上訓練場には誰もいなかった。昼の演武で使った足形が床へ薄く残り、外周の魔導灯だけが風に揺れている。
リィナは中央まで進み、振り返った。
「セレネに、何て答えたの。言葉を省かないで、そのまま教えて」
「好意の意味は分かっている。今は誰か一人を選ぶ答えを出せない。ただ、答えが出ないことを理由に逃げない、と言った」
「それだけ?」
「待ってほしいとは頼まなかった。待つかどうかはセレネが決める、と返された」
「うん。セレネらしい。自分の時間まで、レイルに決めさせなかったんだ」
「怒ってるのか」
「怒ってるように見える?」
「口は笑っていない。右手が手すりを強く握ってる。少し」
「そこまで見えてるなら、分かるでしょ。怒ってる。セレネにじゃなくて、レイルに」
「答えを決められないことか」
「違う。決められないのは仕方ないよ。十三歳で、昨日まで契約法規の答案を五行にできなかった人が、急に恋愛の答えだけ一行で出せるとは思ってない」
「比較する科目が違う」
「そういうところ! 今は科目の話じゃない。私が怒ってる理由を、正解の候補から選ぼうとしないで」
「じゃあ、教えてくれ」
「それ。最初から、そう聞けばいいの」
リィナは一度声を上げ、すぐに息を整えた。
「私が怒ってるのは、今また帳面へ逃げようとしたから。セレネが勇気を出して、自分の言葉で言ったのに、レイルは条件へ変えて距離を取ろうとした」
「逃げるつもりはない」
「つもりじゃなくて、やってる。考えるのはいい。でも、セレネが言ったことを、研究班の利害とか時間配分だけにしないで」
「分かっている」
「本当に?」
「セレネが俺と術式を考える時間そのものを望んでいると言った。課題がなくても近くにいたいという意味だ」
「じゃあ、そこは忘れないで」
風が二人の間を抜けた。
レイルは記録帳を持っていない右手を握る。
「リィナは、どうしてそこまで気にする」
聞いた瞬間、彼女の目が細くなった。
「今、それを聞くの? 私がこんな顔してるのに、本当に分からない?」
「分からないから聞いている。セレネの気持ちを大事にしろと言うのは、友人だからか」
「それもある。セレネが、黙って引くような子じゃなくなったのを知ってるから」
「なら、リィナは――」
「最後まで言わせないで。私だって、幼なじみだから自動で隣にいられるなんて思ってない」
「……それだけじゃない、という意味か」
「うん。私も、レイルが好き。ずっと前から、たぶん自分で分かるより前から」
「リィナ」
「名前だけ呼んで止まらないで。今の、かなり頑張って言ったんだからね!」
リィナは一歩近づいた。
「レイル、私に関係ないって言わないでよ」
「言ってない」
「言いかけた顔をした」
「顔でそこまで決めるな」
「長く見てるから分かる。セレネとレイルの話で、私は口を出す側じゃないって整理しようとしたでしょ」
「二人の間の告白だから、返事は俺とセレネで――」
「返事を決めるのは二人でいい。でも、”セレネだけの話だと思わないで”」
レイルは動けなかった。
リィナの声は震えていない。
剣を構える時と同じくらい真っすぐだった。
「私は幼なじみ。朝練して、一緒にご飯を食べて、レイルが危ないことしたら怒る。それだけの場所へ戻って、何も言わずに見てるつもりはない」
「それは、どういう――」
「意味を分からないふりしないで」
セレネと同じ言葉だった。
リィナは完全には言わない。
”好き”という一語だけを残している。
それでも、何を示しているかは分かった。
(幼なじみだから近いんじゃない。近くにいたいから、幼なじみの時間を守ろうとしていた)
「俺は、リィナがずっと隣にいると思っていた」
「知ってる」
「朝練も、食事も、旅も。特別に選び直さなくても続くと」
「それが嫌だって言ってるわけじゃないよ。続いてほしい。でも、私が何も考えず隣にいると思わないで」
「選んでいるのか」
「毎朝、選んでる。眠い日も、雨の日も、レイルが三分早いだけで理屈を言う日も」
「約束より三分早いなら問題ない」
「今その話をする?」
「緊張した」
口にすると、リィナが目を丸くした。
「レイルも緊張するんだ。屋上へ来るまで、いつもより歩幅が狭かった」
「する。当たり前だろ。数値へ表れにくいだけだ」
「それ、セレネの言葉でしょ」
「今日聞いた。意味が正確だったから借りた」
「好きって言われた相手の言葉を、私への告白の途中で使うんだ」
「……使う場面を間違えた」
「すぐ気づいたなら許す。でも、次は自分の言葉で言って」
「緊張している。胸が重いが、未完保持とは違う」
「うん。かなりレイルの言葉」
リィナは困ったように笑った。
その笑顔で空気が少し緩んだが、話は終わっていない。
「私は、セレネより先に答えを取ろうとは思ってない。今ここで私を選んでって言うつもりもない」
「なら、どうすればいい」
「考えて。逃げずに。私が幼なじみだから安全な場所、セレネが共同課題だから近い人、って分けて終わらせないで」
「二人とも、俺に答えを急がせないと言う」
「急いで変な答え出される方が困るから」
「だが、待たせるぞ」
「待つかどうかは私も決める」
「やっぱり同じことを言うんだな」
「そこは同じ。負ける気がないところもね」
リィナは外周の灯りへ目を向けた。
「ただし、朝練は私が先だから」
「過去の継続だけで来年の配分は決まらないとセレネが」
「だから書面にしたでしょ。週五日って」
「契約として使うのかそれ」
「フィアが記録したから強いよ!」
レイルは小さく息を吐いた。
「分かった。セレネの言葉も、リィナの今の言葉も、条件へ変えて――いや、違う。忘れない」
「今、途中まで条件にしようとしたでしょ」
「癖だ。忘れない、と言いたかった。二人が言ったことを、俺が答えを出せない間も勝手に薄めない」
「最初から、それだけ言って。難しい言葉を足すと、逃げ道を作ってるみたいに聞こえる」
「難しい。短く言うと、足りない気がする」
「足りなかったら、あとで言い足せばいい。魔法みたいに一回で完成させなくていいの」
「告白の返事を未完のまま運用するのか」
「そうやってすぐ能力へ寄せる!」
「……ごめん」
「今のは早かった。そこはちゃんと進歩してる」
リィナは記録帳を返した。
「今日は、その紙に続きは書かないで」
「捨てろという意味か」
「違う。鞄へしまって。今夜だけは、答えを作る道具を手元から離して」
「頭の中で考えるのは」
「それは止められない。止めたらレイルじゃなくなる。でも、答えを出すためだけじゃなくて、私とセレネが何を怖がって、何を欲しかったのかを受け取るために考えて」
「正解を作るのではなく、言葉を残すために」
「そう。明日、まだ分からなかったら、分からないって言えばいい」
「分かった。今日は書かない」
「今のは少し信用できる。鞄へ入れるところまで見たから」
屋上を降りる時、二人の距離は来た時と同じだった。
それでも、幼なじみという名前の中身は、もう前と同じではなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
翌朝。
学院の正門前へ、長い外套を着た女性が立っていた。
見た目は二十代後半。風に揺れる淡い銀髪と、眠そうに細められた目。背負った鞄には、教官会議用の書類より酒瓶を入れた方が似合いそうな形の膨らみがある。
「師匠!!」
レイルが呼ぶ。
「おはよう、バカ弟子よ」
エルシア・ヴァントは、レイルの顔を見た後、右にいるリィナ、左にいるセレネ、少し離れて記録板を持つフィアを順に見た。
「少し見ない間に、未完を増やしたね」
「保持数は一件のままですよ」
「能力の話だけならね。研究、進級、告白、幼なじみ。抱えてる途中が多すぎて、顔が処理落ちしてる」
「誰から聞いたんです??」
「学院へ入った瞬間、教官三人と生徒五人が別々に報告してきた。あんた、恋愛まで事故報告みたいに共有されてるよ」
「共有したのは私ではありません」
フィアが言った。
「記録はありますが、提出していません」
「記録はあるんだ」
「あります」
エルシアは笑い、次にレイルの右目を見た。
笑みが少し消える。
「未完蓄魔を三時間。右目の熱反応、距離限界、保持枠占有。寝る試験はしてないね」
「していません」
「よし。寝る前に爆発予定を抱える技を、勝手に生活習慣へ入れたら、今度こそ頭から冷却槽へ沈める」
「爆発予定ではなく、封緘直前の――」
「言い換えても危険は減らないよ、バカ弟子が!」
正門奥からヘルマン教官が現れた。
「話は教官室で聞く。エルシア・ヴァント。お前には事故調査員として、第一結着塔と地下設備の白環文法を確認してもらう」
「了解。久しぶりの学院なのに歓迎会もないのかえ?」
「昨夜、修了夜会を終えたばかりだ。お前の酒盛りを追加する余裕はない」
「あーあ残念じゃ」
エルシアは軽く肩をすくめた。
だが、ヘルマンが差し出した白い環状文字の写しを見た瞬間、その指が止まった。
ほんの一瞬。
レイルだけが、その変化に気づいた。
(師匠は、この文字を知っている――?)
「どうした」
「古い文法だね。教官室で見るよ」
エルシアは紙を折り、何でもない顔で外套へ入れた。
その笑顔の奥に、言わなかった言葉が残った。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
セレネの告白を安全条件へ変えて処理しようとし、リィナから二人の言葉を答えではなく感情として受け取るよう求められた十三歳の術師。
・リィナ・アルセイル
「セレネだけの話だと思わないで」と告げ、幼なじみの位置へ戻って黙る道を自分から閉じた剣士。
・セレネ・グランツ
夜会で伝えた告白が、翌日のレイルとリィナの関係まで動かした術式設計科志望の少女。
・エルシア・ヴァント
事故調査員として学院へ戻り、弟子の研究と恋愛の未解決事項を一目で見抜きながら、白環文法への反応を隠した師匠。
・ヘルマン教官
エルシアを第一結着塔と地下設備の調査へ呼び戻し、学院の安全確認を優先した実技教官。
・フィア・レコード
恋愛記録を提出してはいないものの、存在自体は否定しなかった記録科生。
【今回の能力・設定メモ】
・レイル、リィナ、セレネの三人は、互いの恋愛感情と競争関係を認識した状態へ進みました。
・リィナは完全な告白まではしていませんが、自分も恋愛当事者であるとレイルへ明示しています。
・エルシアは白環文法を見た瞬間に反応しましたが、過去の知識をまだ明かしていません。
【次回】
教官会議で問われる、エルシア式の六属性基礎訓練。師匠は【未完蓄魔】を叱りながら、オムニア第三階梯の一部だけを解放します。
幼なじみという一語の中にも、言わなければ残らない気持ちがありました。レビュー、ブックマーク、フォローで、三人が逃げずに考える時間を応援してください。




