第82話「一年次結着祭」
派手な成果ほど、遠くから見つけてもらえます。
けれど、暗闇で必要になるのは、空を染める光より足元を一歩だけ照らす灯りかもしれません。
【一年次結着祭】の朝、王立結着学院は普段より早く目を覚ました。
七本の塔には学科ごとの旗が下がり、中央広場には魔導具展示用の白い天幕が並ぶ。演武場では武技科生が剣の刃筋を確かめ、南講堂からは古式詠唱の声が聞こえた。食堂前の特別屋台では、肉と香辛料の匂いが朝の冷気を押し退けている。
「試食係として、品質を確認してくる」
リィナが屋台へ向かおうとした。
「展示開始まで二十分ですよ」
フィアが立ちはだかる。
「二十分あれば三軒は回れるよ。串焼き、蜂蜜菓子、辛い麺。順路ももう見たもん」
「昨日、試食は各店一品までと決まりました。三軒なら三品でしょう?」
「一品の大きさは決まってない。小さい店なら二つで一品かもしれない」
「今、追加条件を作らないでください。食べ物の前だけ、契約解釈がレイルより柔らかくなります」
「出店側が大盛りにしたら断れないでしょ。作った人が、食べてほしくて盛ったんだよ」
「断ってください。あるいは分けてください」
「作った人に悪いよ。残す方がもっと悪い」
「食べ尽くして、後の客が買えなくなる方が問題です」
「じゃあ、レイルと半分ずつ食べる」
「俺をリィナの胃袋の安全弁に使うな」
「一人で食べるより安全でしょ」
リィナは屋台と展示天幕を交互に見た。
「レイル、展示は一人でも説明できる? 最初の実演が終わったら、わたし、食堂区画へ行きたいんだけど」
「説明だけならできる。ただ、暗箱の実演では灯光具を持つ役が必要だ。片手で箱を閉じ、片手で流路を切り替えると、説明が止まる」
「ニアに持ってもらえば?」
『猫型投影ニ物理保持機能ハアリマセン。可愛サハ保持可能デスニャが』
「最後の情報いる?」
『展示向ケ補足デス、ニャ』
「じゃあ、セレネ」
「私は損失率と安全条件の質問対応です。レイルが説明へ熱中した場合、時間制限も管理します」
「ロッテは?」
「破断板の交換実演。私が離れると、リオンが”見栄えの良い板”へ替えようとしやがるから」
「ロッテ殿、誤解です。光沢加工を提案しただけでしょ?」
「はい。却下した」
「フィアはどう?」
「全体記録と本人受諾の確認です。食堂区画への移動も時刻を残します」
「……分かった。最初の実演が終わるまでいる。その後は三軒絶対行く!」
「一軒です。昨日、試食は一人一品までと合意しました」
「三軒で一品ずつ!」
「合意の意味を分割しないでください」
「二軒。片方は小皿」
「一軒と半分まで」
「半分って何?」
「小皿です」
「じゃあ、小皿を大盛りに――」
「追加条件は禁止です」
「……一軒と半分。はぁ。成立ね!」
リィナは真剣な顔で手を差し出し、フィアと握手した。
「食事交渉だけは早いよな、お前」
レイルが言う。
「大事だからね!」
隣の展示では、火炎術式科の班が三色の炎を噴き上げていた。反対側では、水流制御科の学生が空中へ魚の形を作り、観客の子どもたちから歓声を集めている。
レイルたちの展示台は、それらと比べると小さかった。
木箱ほどの二号試作。
三行の説明板。
手回し式の暗箱。
灯光具、冷却扇、通信用発光板が一つずつ。
「もっと煙か光を足した方が――」
リオンが小声で言う。
「「足さない」」
ロッテとセレネが同時に答えた。
「では、呼び込みを華やかにしましょう。来場者は、声の大きい展示から見ます」
「誤解を招かない範囲で。回収率も用途制限も隠さない」
「承知しました。【失われた六割を超えて、未来へ残る三割の奇跡――】」
「長い。あと、奇跡ではない。損失原因を測った結果だ」
「三行の説明を作った意味を消さないでください。呼び込みで別の期待を作ると、説明係が訂正から始めることになります」
「では【三割だけ残ります。使い道は中で】」
「急に正直すぎるなぁ」
「嘘はありません」
「……それでいきましょう。声量だけ華やかにします」
来場者の最初の波は、派手な炎と水へ流れた。
レイルの前を通った卒業生が説明板へ目を向けたものの、立ち止まらずに去る。商会の客も、回収率三四%という数字を見ると、隣の展示へ移った。
「やはり看板を」
「床が抜けるからやめて!」
ロッテは平静を保っていたが、交換式破断板を整える指が少し速い。
セレネは記録表へ来場者数を書き、レイルを見た。
「説明文を増やさないでくださいよ?」
「まだ何も言ってない」
「人が止まらない理由を、安全条件不足だと考えている顔です。それは」
「回収率だけで失敗と判断されている」
「その判断を変えるには、数字を隠すのではなく用途を見せます」
「実演を始める相手がいない」
「います」
セレネは天幕の外を見た。
杖をついた老女が、学院の若い案内役と歩いていた。胸元には大陸継路組合の古い徽章がある。彼女は隣の炎を眩しそうに避け、レイルたちの小さな説明板へ近づいた。
「三割だけ残る灯り、かい」
「はい」
レイルは姿勢を正した。
「何が残るんだい」
「停止前に預けた無属性魔力の三四%です。現在は三時間保持まで。人体と戦闘には使えません。用途は――」
「三行」
セレネが小声で止める。
レイルは一息置いた。
「暗闇の灯り、短時間の冷却、一文字の通信です。全部を動かすのではなく、一つを選びます」
「暗闇で見せておくれ」
リィナが暗箱の扉を開き、老女が中をのぞく。
箱の内部は完全な黒だった。ロッテが二号の流路をつなぎ、フィアが開始時刻を記録する。
「停止後の残留魔力、灯光具へ接続」
レイルが弁を開いた。
小さな灯りが点いた。
箱の底には、簡単な避難路の模型がある。灯りは部屋全体を照らさない。それでも、出口へ続く白線と、倒れた人形の位置だけは見えた。
「大火事の夜、宿の廊下で煙に巻かれたことがある」
老女が言った。
「明るい魔法を撃てる術師は外で火を抑えていた。中に残った私たちは、扉がどちらかも分からなかった。その時、これがあれば、一人は帰れたかもしれないね」
レイルは答えられなかった。
回収率三四%。
戦闘には足りない。
だが、誰かが最後の一歩を選ぶには足りる。
(数字が価値を決めるんじゃない。誰へ、どの瞬間に渡すかで決まる)
「通信も見せてくれるかい」
流路を切り替える。
発光板に一文字が浮かんだ。
【生】
老女は長くそれを見た後、組合徽章へ触れた。
「一文字で十分な時もある」
その実演をきっかけに、人が集まり始めた。
派手な魔導具に疲れた来場者が、暗箱をのぞく。救助隊員が距離制限を質問し、商会員が破断板の交換費を聞き、治療師が冷却扇の稼働時間を確かめる。
レイルは質問へ答えた。ただし四枚分の説明を一度に話さず、相手が必要とする項目だけを選んだ。
「この魔力、人体へ戻せますか。疲れた術者へ補給できるなら価値がある」
「戻しません。魔力経路へ逆流する危険も、他人の魔力が混ざる影響も未検証です。今は道具へ出すだけの機能です」
「では、戦場で火球を溜めておくことは?」
「現在は禁止です。【未完】の保持枠を一件占有し、損失も大きい。攻撃へ使うには、威力より不確定要素が多すぎます」
「三割しか残らないのに、研究する意味がある?」
「あります。暗闇で一度だけ灯す。冷却を十秒だけ動かす。瓦礫の向こうへ一文字だけ送る。三割で”終えられる目的”へ使います」
「大きなことはできない、と」
「はい、現状、我々はできないことを隠しません。その代わり、小さくても確実に終える仕事を選びました」
「……正直ですね」
「失った六割六分も、展示の一部ですから!」
審査員は長く記録を取り、展示台の前へ小さな札を置いた。
【生活支援部門・特別評価】
「最優秀ではないのか......がっくり」
リオンが尋ねる。
「派手さ、普及性、現時点の効率では他班が上です」
審査員は答えた。
「ただし、失敗時の破断位置を先に定め、使用禁止条件を隠さず、残った量から用途を作り直した点を評価します。学院の研究は、強い魔法だけを増やすものではありませんから」
ロッテは札を見たまま、しばらく動かなかった。
「取ったよ」
リィナが肩を叩く。
「【安全設計・特別評価】。最優秀展示ではないんだね」
「最優秀じゃない。回収率も低いし、未完保持者がいないと再現できない。技術としては穴が多い」
「でも、零号を棚の裏へ隠してた時より、ずっと先に進んだでしょ。失敗した板も、三割しか戻らない数字も、今日は全部、人に見せた」
「……うん。隠さなかったことまで評価に入るとは思わなかった」
「私たちの展示、壊れない道具じゃなくて、壊れ方を見せる道具だから」
「次は、隠さなくても出せる段階から始めよう」
「それ、賞よりいいかも」
ロッテはようやく笑った。
「じゃあ、私、屋台へ行っていい?」
「話の着地が食事なんだなあ」
「約束した一軒と半分!」
リィナはフィアの返事を待たず、屋台へ走った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
午後の演武では、リィナが刃なし模擬剣を握った。
相手は武技科の上級生二人。勝敗を競う試合ではなく、一年間で身につけた連携と退路確保を示す演武である。
最初の斬撃を受け流し、その終端を次の踏み込みへつなぐ。
「【無終剣・継歩】」
刃の止まる場所を作らず、二人の間を抜ける。だが、追撃へ欲張らない。背後に立つ訓練用の救助人形へ戻り、二人の攻撃線を自分へ引きつけた。
観客席から、おおっという歓声が上がる。
レイルは彼女の射線と足運びを見ていた。
リィナが最後に一歩だけ横へずれた。装備による【横噴】ではなく、純粋な足運びだった。それでも、魔術師が後ろに立つことを想定した空間が、彼女の背後へきれいに残った。
(俺がいなくても、俺の射線を作ってくれている。無意識なのか、自覚してるのか――)
少し寂しく、同時に誇らしかった。
古式詠唱ではトーマ・フェルンが首席として講堂の中央に立ち、反転した語順を一度も崩さず、古い水路術式を読み上げた。セレネは客席で静かに拍手し、自分が二位だったことを悔しがるより、発音の違いを記録している。
アルドは会場案内係を任されていた。
昼過ぎに一度、姿が消えた。
「案内係がいない」
フィアが言う。
「案内板を確認しに行ったんじゃない?」
リィナが屋台の串焼きを三本持ったまま答えた。
一時間後、アルドは学院正門の外から戻ってきた。腕には、入場口を探していた来賓の老人を一人連れている。
「遅れた。予定時刻から十三分」
「それは見れば分かるよ。どうして学院の外から入ってくるの?」
「案内板の【全展示順路】に従った。最後の矢印が正門へ向いていたため、そのまま進んだ」
「それは出口! 見学を終えた人を外へ出す矢印だって!」
「途中で入場口を探す来賓を三名発見した。正門まで案内し、任務は完遂した」
「自分が学院へ戻れなくなってるよ。案内する人が迷子になってどうするのぉ!!」
「お前が見つけると考えていた」
「なんで私!? 私を迷子回収係に固定しないで。今日は串焼き係でもあるんだから」
「では、回収の対価として一本受領する」
「反省より先に報酬を請求しないでくれない?!」
「来賓三名を案内した」
「その実績を盾にすると、怒りにくくなるのがずるい!」
リィナは呆れながらも、アルドへ串焼きを一本渡した。
「戻ってきたから、これ。冷める前に食べて。あと、今度から【出口】って書いてある方へ進み続けないで」
「受領する」
「串焼きじゃなくて、注意の方を受領して」
「両方だ。注意は記憶し、串焼きは消費する」
「言い方が任務報告みたいだね、あんた」
「お前が持ってきた物は、無駄にしない」
「……串焼きの話だよね?」
「両方だ」
「それ、さっきよりずるい言い方だね」
アルドは真面目な顔で串を持ち、また耳を少し赤くした。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
夜の【修了夜会】では、中央講堂が昼とは別の場所へ変わっていた。
天井から浮遊灯が下がり、壁際には白い花と各科の旗が並ぶ。普段は制服の生徒たちも、礼装用の上着や色鮮やかなドレスへ着替えていた。
レイルは濃紺の礼装を着ていた。
細身の身体に合わせて仕立てられた上着は肩から腰へすっきり落ち、襟と袖口には細い銀糸が走っている。いつも額へ落ちている灰褐色の髪も今日は丁寧に整えられ、前髪の隙間から青灰色の瞳が普段よりはっきり見えた。
鏡に映る自分は、いつもより少しだけ年上に見える。
(服が変わっただけだ。なのに、知らない誰かの姿を借りているみたいで落ち着かない)
七環導杖は持ち込まず、右手が空いていることも妙に心細かった。
「襟が曲がってるよ」
リィナが近づいた。
彼女は赤栗色の髪をいつもより高い位置でまとめ、淡い赤の礼装を着ている。剣はない。それでも姿勢には、演武場と同じ真っすぐさがあった。
リィナはレイルの顔を見上げ、一瞬だけ動きを止めた。
「どうした?」
「……何でもない。鏡では気づかなかったけど、ちゃんと着ると少しだけ見られる格好になるんだね」
「それ、褒めているのか」
「今のところはね。襟は曲がってるけどさ」
リィナはごまかすように手を伸ばした。
「自分で直せる。鏡を見れば」
「鏡を見た結果がこれだから言ってるの。片方だけ折れてる。動かないで」
「近い」
「襟を直す距離だよ。別に剣の間合いじゃない」
「昨日の踊りより近い」
「今それを言う? こっちは普通に直そうとしてたのに」
「事実を確認しただけだ」
「レイルの”事実確認”って、たまに人の心へ火を点けるよね」
「熱属性は使っていない」
「そういう返し! ほら、終わった。もう一回鏡を見て」
「……直ってる」
「最初から私を信じれば早かったの」
「近いのは事実だったろ」
「まだ言うなら、もう一回曲げるよ?」
リィナの指が止まり、頬が少し赤くなる。
「できた。もう曲げないで」
「努力する」
「襟に努力が必要なの?!」
その向こうから、セレネが歩いてきた。
白を基調としたドレスには、裾と胸元へ薄青の布が重ねられていた。装飾は少ないが、銀青色の刺繍が浮遊灯を受けるたび、細い術式線のように静かに光る。
淡い金髪は肩甲骨へ流したまま、左右だけを小さな結晶飾りで留めている。細身の輪郭と普段より露わになった首元が、いつもの隙なく整えられた制服姿とは違って見えた。
青紫色の瞳を縁取る眼鏡は外していない。視界と距離を正確に測るためだと本人は説明していたが、その銀縁まで今夜の衣装の一部に見えた。
レイルは言葉を忘れた。
(同じセレネのはずなのに、いつもと違う。何が違うのか順番に確認しようとすると、余計に見てしまう)
目を逸らすべきか迷っている間に、セレネと視線が重なった。
セレネの歩幅が、ほんの少しだけ短くなる。
(見ています。想定より長く。……見てほしかったのに、実際に見られると呼吸が乱れます、ね)
それでも、彼女はいつもの速度まで歩調を戻した。
「レイル」
セレネは二人の前で止まった。
「一曲、私と踊ってください」
練習の時とは違う。
課題の確認でも、手順の試験でもない。
ドレスの裾を握るセレネの指先へ、僅かに力が入っている。表情はいつもと変わらないのに、青紫色の瞳だけが返事を待っていた。
リィナの指が、直したばかりの襟から離れた。
レイルは彼女を見る。リィナは一瞬だけ唇を結び、それからセレネへ向き直った。
「行ってきたら?」
「リィナは」
「私は後で踊る。相手を投げない人を探すから」
「条件が低いな」
「レイルも練習したでしょ。今度は術式工程を数えないでね」
笑っている。
けれど、目は笑いだけではなかった。
(止めてほしいわけじゃない。見ないふりをしてほしいわけでもない)
レイルはセレネへ手を差し出した。
「お願いします」
セレネは一度だけ息を止め、その手へ自分の指を重ねた。
(手順は覚えました。言葉も決めました。それなのに、最初の一歩より先に心臓が動いてしまいます)
曲が始まる。
右足を半歩。左足を寄せる。回転。
練習どおりのはずだった。
セレネの足運びは正確で、距離も一定。レイルが次の工程を考えなくても、手の圧と視線で動く方向を知らせてくれる。
けれど、回転するたびに白と薄青の裾が揺れ、淡い金髪が肩を滑る。つないだ手から伝わる体温まで意識し始めると、練習で覚えた手順が少しずつ遠ざかった。
(近い。昨日より近く感じる。実際の距離は同じかもしれない。測る手段はあるが、今それを考えるのは違う)
「今、何工程目ですか」
「数えてない。右、左、回る、くらいは考えているが、番号は付けていない」
「良い傾向です。昨夜は第四工程まで口にして、曲より半拍遅れました」
「夜会まで試験みたいに評価するなよ」
「緊張しているので、普段の話し方をしています。数値と手順へ戻ると、私は呼吸が整います」
「セレネも緊張するのか。顔はいつもと変わらないのにな」
「します。数値へ表れにくいだけです。手の温度は、たぶん普段より高いですよ」
「測っていいのか」
「今は手をつないでいます。すでに測定中では?」
「そういう言い方をすると、余計に意識するんだが......」
「私も同じです。だから、曲が終わるまでは離さないでくださいね」
回転で距離が縮まった。
銀青色の刺繍が目の前で光り、セレネの青紫色の瞳が眼鏡越しに揺れる。
レイルは一歩遅れ、セレネの手を少し強く握った。
「すまない。足を踏んだ」
「痛くありません。それより、手を離さないでください。曲の途中です」
「失敗したから、一度止めた方が――」
「止めるほどの失敗ではありません。次の一歩で直せます」
「分かってる。……いや、今分かった」
「では、そのまま。握る力だけ、少し弱くしてください」
「緊張しているのは俺だけじゃなかったな」
「その確認は、曲が終わってからにしてください」
浮遊灯の光が、眼鏡の縁へ流れた。
曲が終わる直前、セレネの淡い金髪の周囲へ、小さな光球が一つ浮かんだ。
彼女自身は気づかないまま、視線を逸らさずに言った。
「レイル――。私は、あなたが好きです」
足が止まりかけた。
(聞き間違いではない。比喩でも、共同研究への評価でもない)
「曲はまだ終わっていません」
「今、言うのか」
「今だから言います。二年次へ進めば授業が分かれます。研究班ができても、同じ時間が当然に続く保証はありません」
「それは専攻希望を決めた日に話した」
「共同課題の時間ではなく、私の感情の事を伝えています」
最後の回転が終わる。
周囲では拍手が起き、次の曲へ向けて人が入れ替わっていく。レイルとセレネだけが、その場へ残ったように感じた。
「今すぐ答えは求めません」
セレネは続ける。
「あなたが答えを急いで、正しい条件を作ろうとすることも望みません。ただ、知らないままにはさせません。私は共同課題の相手だから近くにいるのではありません。術式を考える時間も、危険を止める時間も、食堂で同じ机に座る時間も、私が望んで選んでいます」
声は普段と変わらない。
それでも、つないだ指だけが僅かに震えていた。
(言えました。後は、逃げずに受け取ります。成功でも失敗でも、これは私が選んだ結果です)
レイルの胸へ、言葉が一つずつ落ちた。
好意を向けられていた可能性は、もう気づいていた。リィナの反応、フィアの記録、セレネ自身の距離。意味を理解できないふりをするには、材料が揃いすぎている。
(答えを出せない。だからといって、聞かなかったことにはできない)
「分かった」
レイルは言った。
「意味も分かっている。セレネが、研究や課題だけの話をしていないことも。だが、今は答えを決められない」
「はい」
「待たせることになる」
「待つかどうかは私が決めます」
「それでも、曖昧なまま時間を使わせる」
「私は、今日伝えないまま二年次へ進む方を選びませんでした。結果は私も受け取ります」
セレネは少しだけ笑った。
「あなたは、今すぐ答えを出せないことを理由に、私の言葉まで無かったことにしないでください。決められないなら、決められないまま向き合ってください。それだけで十分です」
「逃げない。正しい答えを作れるまで黙る、という逃げ方もしない」
「では、記録しても?」
「恋愛までフィアのメモへ入れるのか」
「今のは冗談です。私が覚えておきます、という意味でした」
「分かりにくい。セレネの冗談は、前置きも表情も変わらないからな」
「緊張していますから。普段より、少し失敗しています」
「失敗には見えない」
「あなたへ伝わったなら、今回は成功ですね。余白魔導士さん――」
レイルはそこで初めて、彼女の指がまだ震えていることに気づいた。
曲が終わっているのに、すぐには手を離せなかった。
(離すべきだ。けれど、今すぐ離せば、返事まで拒んだように見えるかもしれない。……違う。俺が、まだ離したくないだけだ)
遠くで、リィナがこちらを見ていた。
その表情を、レイルはまだ正しく読めなかった。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
【三割だけ残る灯り】の用途を来場者ごとに説明し、夜会ではセレネの告白を理解できないふりで逃げずに受け取った少年。
・セレネ・グランツ
練習ではない一曲をレイルへ申し込み、返答を急がせず「あなたが好きです」と本人へ正式に伝えた術式設計科志望の少女。
・リィナ・アルセイル
剣術演武で味方の射線を残し、夜会ではレイルの襟を直した後、セレネの一曲を止めずに見送った幼なじみ。
・ロッテ・ベルクマン
零号から始まった試作を公開展示へ出し、生活支援部門の特別評価を受け取った魔導工学科生。
・アルド・クロイツ
案内板どおり進んで学院外へ出たものの、迷っていた来賓を連れ帰り、リィナから串焼きと注意を同時に受け取った騎士科生。
・フィア・レコード
展示の開始条件、食事交渉、来場者数、特別評価を記録し、結着祭の成果を正式記録へ残した記録科生。
・リオン・ゴルディス
巨大看板を諦めた後も呼び込み文句を長文化し、三行説明を守るよう止められた調達担当。
・ニア
展示中の媒体状態を表示し、料理卓へ近づきながらも物理的には皿を奪えなかった猫型案内人格。
【今回の能力・設定メモ】
・【三割だけ残る灯り】は、生活支援部門の特別評価を受けました。
・評価理由は回収効率の高さではなく、安全破断、禁止条件の明示、残存量から用途を作り直した点です。
・セレネはレイルへ正式に好意を伝えました。
・レイルは返答を保留しましたが、告白の意味を理解できないふりはしていません。
【次回】
夜会後の屋上訓練場。リィナは、セレネの告白を安全条件の陰へ隠そうとするレイルへ、「セレネだけの話だと思わないで」と告げます。
一文字の灯りと、一言の告白。短くても届いた言葉を、レビュー、ブックマーク、フォローで受け取っていただけるとうれしいです。




