第75話「赤点候補の勉強会」
試験前の勉強会では、分からないところだけが問題になるわけではありません。
分かりすぎて一問を終えられない者も、説明を剣の音で済ませる者も、まっすぐ図書塔へ向かって食堂へ着く者もいます。
学院寮の共用学習室には、六人分の教本と、八人分の夜食が並んでいた。
八人分なのは、リィナがそう申告したからである。
「参加者は五人と一匹です」
フィアが机の端へ記録札を置いた。
「レイル、リィナ、セレネ、アルド、私、ニア。人員換算を最大でも六とします」
「ニアは食べないから五人分でいいんじゃない?」
『猫型投影ニ摂食機能ハアリマセン』
「じゃあ、五人分」
「でも勉強するとお腹が空くでしょ。途中で追加を取りに行ったら集中が切れるから、先に多めに用意したの」
「八人分を一人で食べる理由にはなっていません」
「まだ食べてないよ」
「開始前に干し肉を二枚、焼き菓子を三個、蜂蜜パンを一個消費しています」
「何で数えてるの?」
「昨日、数を記録すると宣言しました」
「本当にやるとは思わないじゃん!」
リィナが夜食籠を自分の側へ引いた。フィアは籠の移動先まで記録札へ書き足す。
レイルはそのやり取りを横目に、四冊の教本を重ねた。
【結着理論】
【術式言語・古式文法】
【魔導安全学】
【契約・組合法規】
「最初は契約法規からだ」
「一番時間がかかる科目を最初に選んだのですか」
セレネが向かいへ座り、レイルの手元を見た。
「疲れる前に読む」
「どの範囲を予定していますか」
「組合依頼の成立から報告完了まで。学院実習と冒険者依頼が重なる場合の責任区分。決闘契約。研究成果の所有権。補償規定。未成年者の代理署名」
「全範囲ですね」
「試験範囲だから」
「設問は十問です」
「どこから出てもいいようにする」
「法典を一冊覚えるより、出題形式を十問解いてください」
「出題者の解釈が間違っている可能性は」
「その可能性を試験前に探す必要はありません」
「間違った設問へ正しい答えを書くと減点される」
「設問の意図を読み、必要なら注記してください。法体系そのものを答案欄で修復しないでください」
「修復ではなく、矛盾の整理だ」
「名前を変えても、時間切れになる結果は同じです」
セレネはレイルの前から法典を抜き取り、代わりに薄い問題集を置いた。
「まず一問。依頼人が指定した目的物を回収した後、報告前に紛失しました。依頼は完了ですか」
「目的物の回収は完了している。ただし引き渡し条件が成立していない。紛失原因、所有権移転時刻、依頼文の『回収』が取得だけを意味するか、納品まで含むかで――」
「答案欄は五行です」
「足りない」
「五行にしてください」
「依頼文が見えない」
「一般的な標準依頼です」
「標準という言葉が曖昧だ」
「レイル」
セレネの声が少し低くなる。
「五行です」
「……目的物の引き渡しと報告が未完了のため、依頼全体は未完了。回収行為だけを部分完了として記録し、紛失責任と再取得の可否を依頼人へ報告する」
「三行で収まりました」
「条件が省かれている」
「合格点です」
「満点ではない」
「時間切れの零点より上です」
リィナが焼き菓子をかじりながら笑った。
「セレネ、レイルの扱い上手くなったね」
「増やす前に欄を見せると、多少は止まります」
「動物の餌みたいに言うな」
『使用者ノ思考誘導ニ有効ト記録シマス』
「ニアまで記録するな」
黒銀の猫が問題集の上へ乗ろうとし、レイルに持ち上げられた。
「字が見えない」
『猫一匹分ノ面積デス』
「さっきも聞いた」
『有効ナ主張ハ反復シマス、ニャ』
「有効じゃない」
ニアを机の端へ置くと、その前足が問題集の空欄へ光の肉球印を残した。
「答案へ印を付けるな」
『採点済ミデス』
「まだ解いてない」
『安全条件不足ニヨリ不合格』
「採点基準を勝手に作るな」
反対側では、リィナが古式文法の教本を開いていた。
「ねえ、この『流れを環へ集め、導出端より放つ』って、普通に書けばいいのに、何で昔の人は順番を逆にするの?」
「古式文では、結果を先に置いてから成立条件を後ろへ連ねる場合があります」
フィアが答える。
「結果を先に書いたら、途中で読むのやめた人が危ないじゃん」
「詠唱は途中で読むのをやめる前提ではありません」
「でも、失敗したら止めるでしょ」
「そのために現代式へ改訂されました」
「じゃあ、試験も現代式で出してよ」
「古式設備の銘板や遺跡術式を読むために必要です」
「読めない時はレイルかセレネに読んでもらう」
「二年次の単独実習で同じ班とは限りません」
リィナの手が止まった。
「同じじゃないの? 今までは魔導実技と武技でも、迷宮も結着塔も一緒だったよ」
「それらは合同実習と緊急依頼です。二年次は専攻ごとの必修が増えるため、常に同じ班になる保証はありません」
「保証がないだけで、希望は出せるんでしょ」
「合同実習では可能です。ただし、成績や役割によって教官が再編します」
「レイルは魔導実技、私は武技だけど、今まで一緒に動けた。来年も同じだと思ってた」
「同じになる可能性はあります。ですが、何も希望を伝えず自然に同じになるとは限りません」
「……そっか。幼なじみなら、時間割まで一緒になるわけじゃないもんね」
「はい。必要な時間は、本人同士で残す必要があります」
返事は短かった。
セレネが一瞬だけリィナを見る。だが、今は何も言わず、教本へ視線を戻した。
「リィナ。古式文を剣の動きへ置き換えてみてください」
「剣?」
「あなたは工程を身体で覚えています。『流れを環へ集める』が溜め。『導出端を定める』が構え。『方向を固定する』が踏み込み。『放つ』が斬撃です」
「それなら分かる。ぐっと集めて、すっと向けて、足を決めて、シュッ」
「答案には擬音を減らしてください」
「今ので全部説明できたよ?」
「採点者が同じ身体感覚を持つとは限りません」
「じゃあ、括弧で補足する。ぐっと、は魔力収束」
「最初から魔力収束と書いてください」
「セレネって容赦ないね」
「試験用です。本番の剣術説明なら、今の方がリィナらしく分かりやすいと思います」
「……褒めた?」
「一部は」
「じゃあ、焼き菓子あげる」
「それは試験終了後にしてください」
「今受け取らないと、なくなるよ」
「原因が目の前にあります」
リィナは焼き菓子を自分の口へ入れた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「アルドが遅い」
勉強会を始めて三十分。空席は一つ残ったままだった。
「図書塔へ参考書を取りに行くと言っていました」
「共用学習室から図書塔まで、まっすぐ行けば五分です」
フィアが時刻を確認する。
「右膝の負傷を考慮しても、十五分を超えません」
「道に迷う距離じゃないよ」
「学院に来てから、あいつは三回迷ってる」
「すべて案内板どおり進んだ結果だと主張していました」
「案内板どおり進んで、どうして工房から温室へ行くの?」
リィナは椅子から立ち上がった。
「私、探してくる」
「居場所の見当はあるのか」
「ないよ」
「では、どうやって探す」
「何となく、こっちな気がするから」
リィナは迷わず廊下の右側を指した。
「根拠は?」
「アルドが迷ってそうな感じがする」
「感知魔法か」
「違う。勘」
『非論理的探索方法デス』
「でも、たぶん当たるよ」
リィナはそのまま学習室を飛び出した。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
七分後。
「アルド! だから、間違った道を最後まで進まないでよ!」
廊下の向こうから、リィナの声が響いた。
「俺は開始した以上、途中で放棄するわけにはいかない」
「その道が間違ってるんだから、途中でやめていいの!」
「だが、俺は【完遂】を宣言した」
「道を間違えるたびに使わないで!」
リィナに袖を引かれ、アルドが姿を現した。松葉杖を一本つき、反対の手には大きな鍋を抱えている。
アルドは最初に「知識と滋養の北区画」という案内板を右へ進み、図書塔ではなく厨房へ着いた。
厨房で学習室への道を聞き、代わりに鍋を運ぶ任務を引き受けた。
その後、「青い扉を二つ越えて左」という説明で装飾板まで扉として数え、治療棟へ到着した。
さらに治療師から道を教わったが、窓に映った夕日を方角の基準にしたため、今度は温室へ向かった。
そして、そのすべてで【完遂】を宣言し、間違えた経路を終点まで歩き切っていた。
「どうして俺が温室にいるって分かった?」
アルドが尋ねた。
「分かんない。何となく、アルドなら図書塔と反対側へ行く気がした」
「俺の行動を読んだのか」
「野生の勘」
「野生……」
アルドは、自分の袖をつかんで歩くリィナの横顔を見た。
「ほら、今度は私が前を歩くから。アルドは余計な案内板を見ないで、私だけ見てついてきて」
「お前だけを見ろと?」
「道の話だからね!」
剣を持っていなくても、リィナの足取りには迷いがなかった。
その背中を見た瞬間、アルドの胸が一度だけ妙な鳴り方をした。
決闘で痛めた膝のせいではない。
だが、本人はその理由を考えないことにした。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「遅れた」
学習室へ入ったアルドが言う。
「何それ」
「厨房で渡された」
「図書塔は?」
「到達していない」
「何で堂々と言えるの?」
「代わりに厨房、治療棟、温室への経路を完遂した」
「迷子の実績を増やさないで!」
アルドは鍋を机へ置いた。
「最終的には、リィナが発見した」
「次からは迷った時点で止まって」
「善処する」
「今、約束して」
「最初に選んだ道を途中で放棄するのは――」
「アルド」
「……迷った可能性がある場合、一度停止する」
「うん。それでいい」
リィナが満足そうに笑う。
アルドは視線をそらし、小さく咳払いした。
「野生の勘とやらも、悪くない」
「褒めても鍋の中身は分けないよ」
「食料の話はしていない」
「リィナは大抵、食料の話へ戻ります」
フィアが鍋の蓋を開けた。湯気と香草の匂いが広がる。
「八人分の用意が、十人分へ増加しました」
「じゃあ、私の計算は正しかったね」
「原因が異なります」
「食べられる量は合ってた」
「リィナ、今は勉強だ」
レイルが言う。
「レイルに言われたくない。法典の端に追加条件を書いてる」
「問題文の不備を指摘しているだけだ」
「セレネ」
「没収します」
「おい待て――」
セレネが法典を取り上げ、アルドの前へ応用問題集を置いた。
「あなたは、途中で条件が変わる問題を解いてください」
「基本問題から始める」
「基本は全問正解でした。応用だけ落としています」
「設問が途中で前提を変えるんだ、仕方ないだろ」
「それを読む問題です」
「最初に定めた条件を最後まで使うべきだ」
「現実は橋が落ちたり、依頼人が倒れたり、目的物が移動したりします」
「設問が不誠実だ」
「試験へ抗議する前に解いてください」
アルドは問題文を睨んだ。
「開始した護衛経路が崩落した場合、任務を中止するか」
「対象者の安全を確保し、経路を変更する」
「最短路ではなくなる」
「護衛の目的は最短到着ではありません」
「……分かっている」
「では、答案へ書いてください」
「分かっていても、最初の線を消すのが気に入らない」
「消さずに訂正線を引けばいいです」
フィアが自分の記録板を示した。
「開始時の判断は消さず、その後に条件変更と新しい判断を追記します。最初の線が正しかったとしても、条件が変わった後まで守り続ける必要はありません」
「その言い方なら理解できる」
「試験答案ではあなたの中で最大限短くしてください」
「お前までセレネと同じことを言うのか」
「答案欄は有限ですよ?」
「ハァ。この学院はすべてにおいて欄が狭すぎる......」
レイルが頷き、セレネとリィナが同時にレイルを見た。
「何で同意してるの」
「あなたは黙って五行以内に書く、を守ってください」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
勉強会が終わったのは、消灯鐘の少し前だった。
アルドは今度こそ図書塔へ寄ると言い、迷いそうなので、フィアが入口まで同行することになった。セレネは答案を整理し、レイルへ明日の復習範囲を渡す。
「結着理論は二問だけ。契約法規は五問。古式文法は変化表の三列目までです」
「少ないな」
「今日の正答率を見て決めました。増やした分は受け取りません」
「魔導安全学は」
「治療師から読書量を制限されています。明後日です」
「もう頭痛はないんだが?」
「本人の自己申告だけで制限は解除しません」
「明日の朝、リィナが受け身を見る予定だ」
「それは実技禁止解除の確認です。学習時間を増やす許可ではありません」
「全部把握してるのかお前」
「リィナから聞きました」
「私たち、連携してるからね!」
リィナが得意そうに胸を張りながら言った。
セレネは一瞬だけ返事を止めたが、やがて小さく頷く。
「はい。今は同じ目的です。レイルを試験前に倒れさせず、必要な範囲だけ勉強させます」
「今は、って付けるんだ」
「試験後まで、あなたと私の優先順位がすべて一致するとは言っていません」
「やっぱりセレネ、負ける気ないよね」
「リィナも、朝練の話を三回しました。譲る予定がある人の回数ではありません」
「朝練は前から私の時間だもんねー」
「過去の継続だけで、来年の配分まで決まるとは限りません」
「何の話だお前ら」
レイルが聞くと、リィナは一瞬だけ言葉に詰まり、セレネは眼鏡の位置を直した。
「勉強時間。レイルが勝手に夜更かししないように、誰が見てるかの話」
「共同時間です。勉強を口実にしているわけではありませんが、同じ机で過ごす時間には違いありません」
「同じじゃないのか」
「全然違う。私はレイルが無茶しないように見てるの」
「私は、レイルと術式を考える時間そのものを必要としています」
「二人とも俺を見ている点は同じだろ」
「そこだけ切り取らないで」
「定義が異なります。あなたは結論を急がず、今は復習範囲だけ受け取ってください」
また声が重なる。
レイルは理由を考えようとしたが、リィナに鞄を押しつけられた。
「帰るよ。寮の消灯に遅れるし」
「セレネは?」
「私は答案を教官室の提出箱へ入れてから戻ります」
「一人で大丈夫か」
「教官室は廊下の正面です」
「アルドの後だと不安になる」
「私をあの人と同じ分類へ入れないでください」
セレネは少し笑った。
レイルとリィナは学習室を出た。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
男子寮と女子寮の分かれ道まで、二人は並んで歩いた。
夜の学院は静かだった。修復中の塔には足場が組まれ、遠くで魔導灯が一つずつ消えていく。リィナは夜食籠の残りを抱えていたが、さっきまでと違って何も食べていない。
「リィナ」
「何? 右目がまた熱いなら、今すぐ戻るよ」
「違う。まだ怒ってるのかと思って」
「怒ってるよ。勉強会をしたからって、昨日のことが消えるわけじゃない」
「勉強会では普通に話していた」
「怒ってても勉強はするでしょ。試験は待ってくれないし、レイルが契約法規で全部の条文を書き始めるのも放っておけない」
「昨日よりは話していたから、少し減ったのかと思った」
「昨日は治療師さんに静かにしろって言われたから。怒りが減ったんじゃなくて、声を小さくしてただけ」
「怒りの量は測れないな」
「測らなくていいの。私がまだ怒ってるって言ったら、まずそのまま受け取って。素直に」
リィナは歩幅を少し速めた。レイルも合わせる。追いつかれると、彼女はさらに半歩だけ速くしたが、本気で置いていくほどではなかった。
「何を言えば許してくれる?」
「また終わらせるために答えを探してる」
「怒っている理由が分かれば、次から同じことを避けられる」
「それは大事。でも、レイルは正しい答えを言えば、私がすぐ怒るのをやめると思ってるでしょ」
「違うのか」
「私は問題集じゃない。答えが合ってても、怖かった時間まで消えないよ。レイルがアルドの脚を止めて、返すのを迷って、こっちを見なかった時間は残ってる」
「……それなら、どうすればいい」
「何を考えてたか、ちゃんと話して。責任とか危険条件じゃなくて、レイル自身のこと。あなたの気持ちで」
分かれ道の手前で、リィナが止まった。
「勝ちたかったんでしょ」
「決闘の記録では言った」
「みんなの前で、報告みたいにね。『勝ちたかったから〇・一秒遅れた』って、それだけ」
「事実だから」
「どうして勝ちたかったの。アルドに負けたくなかった? 私やセレネに見られてたから? 四年前の自分を否定したかった?」
「決闘だから勝ちたい、だけでは足りないのか」
「足りない。レイルがあんな顔をした理由は、勝敗だけじゃないと思ったから聞いてる」
「……アルドに、四年前のままだと思われたくなかった」
実際に口にすると、思っていたより子どもっぽい理由だった。
迷宮で救助した。結着塔を止めた。他人の火弾へ触れた。それでも、アルドの中では四年前のレイルが残っているように見えた。
退路を数えて逃げた少年。
正面から剣を受けなかった臆病者。
「俺は変わったと思っていた。朝練も続けた。魔法も覚えた。逃げる場所を決めるだけじゃなくて、戻る場所や、そこにいる人を守れるようになった。それをアルドへ見せたかった」
「うん。私は知ってる。でも、アルドに自分で見せたかったんだね」
「誰かに説明してもらうんじゃなく、俺が立って答えたかった。だから勝ちたかった」
「うん」
「【未完】を返せば、アルドが動く。返さなければ勝てる。その時、〇・一秒だけ、勝つ方を選びそうになった」
「その〇・一秒が怖かった。レイルがアルドを壊すかもしれないのも、勝ちたいって思った自分を後から嫌いになるのも」
「俺も怖かったと思う。アルドの脚より先に、負けることを考えた自分が」
「そこまで自分を悪く言わなくていいよ。勝ちたいのは悪くない。怖いのに、悪くない顔をして一人で処理しようとするのが嫌なの」
「……負けるのが怖かった。四年前のままだと言われるのが、悔しかった」
「最初から、そう言ってよ。そしたら私は、止めるだけじゃなくて、ちゃんと応援もできたのに」
リィナの声から、尖ったものが少し抜けた。
「危険条件とか、責任とか、そういうのも大事。でも、勝ちたいとか、怖いとか、悔しいとか、レイルが言わないと分からない」
「リィナは顔で分かると言ってた」
「全部は分からないよ。分かった気になって間違えるのも嫌だし」
「俺も、リィナが何に怒っているか外した」
「三件並べたね」
「全部当たってはいた」
「そういうところだよ!」
リィナは怒った顔をした後、我慢できずに笑った。
「でも、今のは少し正解」
「どこが」
「アルドに四年前のままだと思われたくなかったって言ったところ」
「そこだけか」
「怖かったも」
「二つだ」
「もう。数えないの!」
夜食籠から、包みが一つ差し出された。
「蜂蜜パン?」
「今日の勉強会用。食べなかった分」
「珍しい」
「私だって残す時は残すよ」
「フィアが数えていたから?」
「それもあるかな?」
「正直だな」
「レイルも見習ってね」
レイルは包みを受け取った。
「――で、明日の朝練、来る?」
「実技禁止が解除されたら」
「解除されなくても、歩幅と目の熱だけ見れるよ。剣は振らない」
「朝は眠いなあ」
「今さら?」
「勉強会で遅くなった」
「私も同じだよ」
「また、十五分前から待つのか」
「明日は十分前」
「約束は鐘が一回鳴った時刻だろ?」
「分かってる。でも、レイルが来る前に素振りしたい」
「剣は振らないと言った」
「私は禁止されてないしねー」
「不公平だ」
「じゃあ早く治してね」
リィナは女子寮側へ一歩進み、振り返った。
「レイル。私、まだ怒ってるからね」
「どのくらい」
「明日の朝、遅れたら増えるくらい」
「何が増える」
「教えない。時間どおり来たら増えないよ」
「条件が不明確だ」
「そういうのも、たまには抱えて寝なさい!」
言い残し、リィナは走っていった。
レイルは分かれ道へ残り、蜂蜜パンの包みを見る。
彼女の怒りは終わっていないらしい。
それでも、明日の約束は残った。
その違いなら、少し分かった。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
契約法規の一問へ条件を増やし続け、帰り道ではようやく「勝ちたかった」「怖かった」と答案ではない本音を口にした少年。
・リィナ・アルセイル
古式文法を剣の擬音へ置き換え、夜にはレイルへ正しい説明より感情を言葉にするよう求めた幼なじみ。
・セレネ・グランツ
答案欄を先に示してレイルの長文化を止め、リィナの身体感覚を試験用の言葉へ翻訳した勉強会の進行役。
・アルド・クロイツ
図書塔へ向かう途中、誤った道を【完遂】し続けて厨房、治療棟、温室を巡り、野生の勘で発見したリィナへ再び淡い感情を抱いた騎士科生。
・フィア・レコード
夜食の消費数、答案の訂正、学習範囲を記録し、最初の判断を残したまま変更理由を追記する方法を示した記録科生。
・ニア
未回答の問題集へ肉球印を押し、安全条件不足を理由に先回りで不合格を出した猫型案内人格。
【今回の能力・設定メモ】
・一年次修了筆記試験は、結着理論、術式言語・古式文法、魔導安全学、契約・組合法規の四科目です。
・二年次は専攻や実習目的により、主要人物が常に同じ授業班になるとは限りません。
【次回】
一年次修了筆記試験。レイルは一問へ六つの解法を書き、リィナは擬音を答案へ持ち込みます。
五行の答案に収まらない応援も大歓迎ですが、レビュー、ブックマーク、フォローは一押しずつでもしっかり届きます。




