表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第1章 最後の一文

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/189

第7話 捨てれば終わると思った ――原稿と、四本目の脚――

神殿の鑑定を終えられないまま、レイルは自分の原稿へ疑いを向けます。

物語を書き始めたから、周囲の完成を奪う力が目覚めたのではないか。

そう考えた六歳の少年は、責任を取るために一番慣れた方法――捨てることを選びます。

 翌朝、レイルは(かまど)の前で自分の書いた小説の原稿を燃やそうとしていた。


 正確には、燃やすための準備を三十分ほど続けていた。灰を掃き、火掻き棒(ひかきぼう)を用意し、水桶を二つ並べ、窓を開けて煙の逃げ道を確保する。火が袖へ移った場合に備えて上着を脱ぎ、床へ落ちた火の粉を踏み消すため、靴も履いた。


 そこまで整えてはいるものの、肝心の火を()()()()()()()()


 灰褐色の寝癖を跳ねさせたレイルは、革紐で束ねた『名もなき勇者の帰還』を胸へ抱き、冷えた竈を睨んでいた。青灰色の瞳の下には、神殿で三時間立ち続けた疲れと、ほとんど眠れなかった夜の影が残っている。そんなレイルを見てリィナが声をかけた。


「燃やす気なら、どうして火種がないの?」

「火をつけた後に考え直しても、原稿は戻らない。だから、先に考え直す時間を取ってる」

「それ、燃やさない理由を増やしてるだけじゃない?」

「最終確認だ」

「三十分ずっと?」

「一度燃えた紙は戻らない。確認に時間をかける価値はある」

「だったら燃やさなければいいじゃん、もう」

「結論を最初から決めるな」


 いつの間にか背後へ立っていたリィナは、腰へ両手を当てていた。早朝の稽古帰りらしく、赤栗色の髪は高い位置で一つに結ばれ、額へ汗がにじんでいる。生成りの上着は袖を肘までまくり、膝には昨日とは別の新しい擦り傷があった。


 木剣を背中へ差しているのは、エナから「家の中では抜かないこと」と言われたためだ。抜かなくても殴れる位置にある点は、レイルにとって安心材料ではない。


「で、リィナ。どうして朝からうちにいるの?」

「レイルが、私に何も言わず原稿を燃やしそうだったから」

「予知能力でもあるの?」

「昨日、捨てるかもしれないって顔してた」

「どんな顔だよ、それ」

「捨てる理由を百個考えて、拾う理由を一個も考えない顔かな?」

「百個までは考えてない」

「じゃあ何個?」

「二十三個」

「十分多いじゃんかああああああああああっ!」


 そう叫びながらリィナは原稿へ手を伸ばしたが、レイルは反射的に半歩下がった。胸の内側で、神殿の鑑定盤から伝わっていた細い圧力が、夜明け前から弱くなったり強くなったりしている。


 解体された儀式は、まだどこかで完成しようとしているのかもしれない。その一方で、手の中の原稿もまた、あとわずかで物語の終わりへ届く位置にあった。


「触らないで。これが原因なら、リィナへ何か移るかもしれない」

「原因って決まったの?」

「決まってない。だから消すんだ」

「決まってないのに?」

「分からない物があるから事故が起きる。原稿を書き始めて、最後を怖がった時に母さんの刺繍が止まった。なら、この原稿をなくせば、同じ事も起こらないはずだ」

「それ、原稿が悪いんじゃなくて、レイルが最後を書かないのが悪いんじゃない?」

「書けないから捨てるんだ」

「昨日まで、書きたいって言ってたのに?」

「書きたい。でも、そのせいで誰かの仕事が止まるなら、僕が書きたいかどうかなんて、関係ない」


 リィナはすぐには言い返さなかった。金茶色の目が、原稿を抱くレイルの腕へ落ちる。捨てると言いながら、紙の角が折れないよう抱えているのが見えたのだろう。


「本当に捨てたい人は、そんな持ち方しないと思うけどな」

「捨てる前まで、雑に扱っていい理由にはならないだろ」

「ほらあ。まだ大事なんじゃん」

「大事だから困ってるんだ。どうでもいい物なら、とっくに燃やしてる」

「じゃあ、最後まで書けば?」

「最後まで書けば、また別の何かが止まるかもしれない」

「捨てても何か起きるかもしれないよ」

「捨てた物は完成しない。何も終わらないなら、止めるものもない」

「......それ、本当にそうなの?」


 問い返された瞬間、レイルの指へ力が入った。


 前世でも同じ理屈を使っていた。作品を消せば、低い評価はつかない。応募をやめれば、落選しない。連絡を送らなければ、拒絶されない。


 失敗する前に、自分から終わらせる。


 それを責任ある撤退だと言い換えてきた。


「今回は違う」

「何が?」

「他人を守るためだ」

「前に捨てた時は?」

「前?」

「レイル、時々、昔から何回も同じことをしたみたいに話すでしょ」

「物語の登場人物に感情移入してるだけだ」

「また説明が長くなる嘘ついて」

「嘘じゃない」

「じゃあ、私の目を見て言って?」


 リィナは一歩近づいた。少し日に焼けた頬と、真っ直ぐな金茶色の瞳が目の前へ来る。

 レイルは二秒ほど耐え、竈へ視線を逃がした。


「......安全確認が必要だ」

「私の顔に危険な物なんてついてないよ」

「近すぎる」

「昨日は額をくっつけたのに?」

「昨日の検温は、そっちが勝手にしたんだろ」

「今日は嘘を見つけるため」

「理由が増えてる!」


「二人とも、朝から竈の前で何をいちゃいちゃしているのかな?」


 柔らかな声が割って入り、レイルは肩を跳ねさせた。


 母エナは淡い青の室内着へ、刺繍糸の入った小袋を腰から下げていた。栗色の髪はまだ編み終わっておらず、片側だけ肩へ流れている。包帯を外した右手には赤い針傷が残っていたが、昨日より腫れは引いていた。


 彼女は水桶二つ、火掻き棒、脱いだ上着、靴を順番に見た後、息子の胸にある原稿へ視線を止める。


「燃やそうとしていたのね」

「まだ燃やしてない」

「燃やそうとしたのは事実だけど、まだしていないのは何故?」

「火をつける前に考えるのは大事だって、いつも言ってるだろ」

「ええ。だから、今は一人で考えるのをやめましょう」

「母さんに止められたら、僕はまた責任を他人へ預けることになる」

「相談することと、決定を押しつけることは違います」

「でも――」

「レイル。あなたは今、原稿を燃やすことを()()と呼んでいるけれど、本当に責任を取るなら、燃やした後に何が起きるかも調べてからにしなさい」


「それを調べるために燃やすんだよ、母さん――」

「結果が戻せない方法を、最初の実験に選んじゃだめよ。それはすべて考えつくして、やりつくして、どうしようもなくなった時の、最後の手段にしなさい」


 返す言葉が見つからず、レイルは唇を噛んだ。


 エナは原稿を奪わず、竈の脇へ腰を下ろした。傷の残る指で自分の膝を撫でながら、息子が話し始めるのを待つ。


「......これがあると、僕はまた最後を怖がる」

「ええ」

「怖がった時に、近くの何かが止まるかもしれない。母さんの刺繍みたいに」

「ええ」

「だったら、怖がる物そのものをなくせばいい」

「なくした後、あなたは安心できるの?」

「少なくとも、原稿の最後は怖がらない」

「今度は、燃やしたことを後悔するでしょう、あなたの性格なら、なおさらよ」

「後悔しても、他人の仕事は止まらない」

「そうかもしれない。でも、後悔が別の何かを止めない保証は?」


 レイルは黙った。


 自分の能力が、完成への恐れだけに反応するのか。諦めや後悔、逃避には反応しないのか。何も分かっていない。


「だから、アウレリオ様が来るまで待ちましょう。鑑定盤にも変化があるかもしれません」

「待っている間に、父さんの仕事が完成したら?」

「父さんには、今日は完成直前の作業をしないよう頼んであります」


 仕事場から、金槌の音が聞こえた。


 こん、こん、こん。


 レイル、リィナ、エナの三人が同時に壁を見る。


「......母さん」

「頼んだわ」

「今の音は?」

「たぶん、頼まれた内容を自分に都合よく解釈した音ね」


 三人が仕事場へ駆け込むと、バルドは椅子の四本目の脚を取りつけようとしていた。


 広い背中へ革前掛けを掛け、焦げ茶色の短髪には木屑が積もっている。無精ひげの残る横顔はいつもどおり真剣で、太い左手が椅子の座面を押さえ、右手の木槌が脚の接合部を叩いていた。


「父さん! 完成直前の仕事はしないって話は!?」

「これは確認だ」

「脚を取りつけたら完成するだろ!」

「仕上げの磨きが残る」

「完成の定義を細かくして抜け道を作るな!」

「お前に言われたくない」


 もっともだったため、レイルの勢いが一瞬止まる。


 バルドが最後の一打を振り下ろす。脚の(ほぞ)が座面裏の穴へ入り、あと爪の厚みほどで奥まで収まる――その直前、木槌の音が鈍く変わった。


 ごっ。


 脚は入らなかった。


 木槌は確かに当たっている。バルドの太い腕も動いている。木の表面が割れた様子はなく、枘穴の位置もずれていない。それでも最後のわずかな距離だけが、どうしても縮まらない。


 同時に、レイルの胸から神殿へ伸びていた細い圧力が、ぷつりと切れた。


 代わりに、目の前の椅子から重い軋みが流れ込んでくる。


「止めて!」


 レイルが叫ぶより早く、バルドは二打目を振り下ろした。


 ごっ。


 脚は入らない。


「父さん、もう叩かないで!」

「一打目は木屑が噛んだ可能性がある」

「二打目が入らなかった時点で、三打目を試す理由はない!」

「まだ三打目は試していない」

「試す気だっただろ!」


 バルドは木槌を下ろしたが、椅子の脚を掴んで捻り始めた。押しても引いても、最後のわずかな位置から動かない。


「バルド、それ以上は」

「分かっている。ただ、固定されているのか確かめて――」

「確認しているだけ、はレイルだけで十分よ」


 エナの声音は穏やかだったが、夫の手が即座に止まった。


 リィナがレイルの胸にある原稿と、椅子を見比べる。


「何か変わった?」

「神殿から来てた感じが消えた。今は椅子が......脚を入れろって押してくる」

「椅子がしゃべるの?」

「声じゃない。父さんが打った力と、脚が入りたがる圧力が一緒に来る」

「椅子って、そんなに座ってほしいの?」

「完成したいだけだと思う」

「誰も座るとは言ってないのに、気が早い椅子だね」

「今は笑い事じゃない」

「笑ってない。ちょっと面白いだけ」

「それを笑ってるって言うんだ」


 バルドは椅子を横倒しにし、脚へ刻んだ印を確認した。焦げ茶色の眉が深く寄る。


「寸法は合っている。枘穴にも歪みはない」

「では、止まったのね」とエナが言う。

「たぶん。僕が原稿を捨てるって決めた時に」

「まだ捨ててないよ」とリィナが言った。

「でも、もう続きを書かないって決めかけた。物語を終わらせるんじゃなく、諦めて燃やすつもりだった」


 レイルは原稿へ目を落とした。


「もしかして、これはその時点で()()じゃなくなったのかもしれない」

「終わってないのに?」

「終わってなくても、僕が二度と完成させる気をなくしたら、それは途中じゃない。ただ捨てられただけの話になる」

「......放棄(ほうき)、か」


 バルドが低く言った。


 前世で何度も使った言葉ではない。前世では「休載」「準備中」「再構成」と呼んでいた。本当は、ずっと前から放棄していたのに。


「僕が原稿を放棄しようとしたから、力が別の完成直前へ移った。鑑定が終わる権利を返されて、代わりに椅子が止まった」

「神殿の儀式は、もう解体されている」とバルドが言う。

「だから完成する条件がない。返っても、正常には終われないかもしれない」

「では、神殿で何か起きた可能性があるわね」

「アウレリオ様が来る前に、こっちから行く」


 レイルは原稿を革紐で縛り直した。


 捨てるために用意した火掻き棒も水桶も、そのまま竈の前へ残っている。


 結果が怖くなった時、また捨てようとするかもしれない。自分の判断だけでは、今度も止まれないかもしれない。


「リィナ」

「何?」

「僕がまた原稿を燃やそうとしたら、止めて」

「木剣で?」

「いや、割と手段は相談してほしい」

「でも、止めるのはいいの?」

「今のところは。原稿がなくなると、近くの別の物が止まる可能性があるから」

「じゃあ、一生持ってないと駄目なの?」

「それはまだ――」

「分からない、でしょ」

「うん」

「じゃあ、分かるまで私も一緒に見ててあげるね!」


 リィナは笑い、原稿を抱えるレイルの腕へ自分の腕を絡めた。


「これなら勝手に竈へ行けない」

「近い。歩きにくい」

「安全対策だよ」

「腕を組む必要性はない」

「手をつないだら、また結婚の計算を始めるでしょ」

「腕を組む方が将来の夫婦らしいと思うけどな」


 ぼそりとつぶやいた瞬間。ごつん、と木剣の柄が脇腹へ入った。


「もう、レイルのばかあああああああああ!」

「いちちち、家の中では抜いてないから約束は守ってる、みたいな顔をするな!」

「抜かずに殴ったから守ってるもん!」

「形式だけ守るなあああ!」


 その横で、バルドが椅子の脚をもう一度押そうとした。


「父さんもまた試すなって!」


 今度は三人の声がきれいに重なった。




原稿を完成させる意思そのものを捨てかけたことで、「未完」ではなく「放棄」と判定されました。

新しい保持対象は、父バルドが完成させようとしていた椅子の四本目の脚です。

次回、父は椅子を完成させようと工夫を重ねますが、その試行そのものが危険な蓄積となっていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ