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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第6章「未完と完遂」

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第73話「踏み込みの最後」

 身体を止めれば、安全になるとは限りません。

 前へ進もうとする力だけが残った時、止められた脚には、完成できない圧力が積み上がります。

 アルドの最後の一歩を、レイルは一つの行為として読もうとした。


 右脚へ移った体重。

 沈み込む膝。

 前へ送られる腰。

 足裏が石床を押し、踵から爪先へ力が抜ける。

 地面を蹴り終えた足が離れ、次の着地点へ身体を運ぶ。


 レイルは突撃全体を読もうとはしなかった。


 筋肉の収縮も、呼吸も、突撃の目的も、剣撃の軌道も対象に含めない。レイルが理解できるのは、足裏が地面を蹴り終え、離地を成立させる最後の瞬間だけだった。


「【未完(ノット・コンプ)】」


 右目の環が開く。

 アルドの身体は止まらなかった。


 右脚の筋肉が収縮し、腰は前へ出る。剣も振り上げられる。けれど、最後の離地(りち)だけが完成しない。爪先は石床へ触れたまま、地面を蹴り終えられない。


「な――これは――」


 アルドの上半身が前へ傾く。


 足は動いている。それでも、踏み込みだけが終わらない。


 踵が上がり、爪先が沈む。ふくらはぎが硬く盛り上がり、膝が震えた。身体全体は前へ行こうとしている。固有律(こゆうりつ)完遂(コンプ)】も、開始した踏み込みを最後まで進めようとする。その二つの圧力が、右脚の中でぶつかった。


身体行為(しんたいこうい)ヘノ完成留保(かんせいりゅうほ)ヲ確認』

『対象:右足離地ノ最終成立』

『筋負荷、急上昇』

『継続非推奨!』


 ニアの声が高くなる。


「〇・一秒」


 フィアが記録した。


 レイルの胸へ、魔法とは違う重さが流れ込んだ。


 熱も属性もない。踏み込もうとする意思。四年前から終わっていない勝負へ届きたいという焦り。退けば、自分の戦い方が否定されるという意地。


 レイルはアルドの感情へ手を伸ばしていない。それでも身体行為(しんたいこうい)へ触れたことで、行為へ込められた方向だけが、圧力として胸へ入ってくる。


「〇・二秒。右膝の魔力経路(まりょくけいろ)に乱れ」

「まだだ」


 レイルは言った。


 このまま保持すれば、アルドは前へ出られない。膝が落ちる。剣も届かない。


 勝てる。


「〇・三秒。腱負荷(けんふか)、警告域へ移行」


 セレネの観測環(かんそくかん)が赤く変わった。


「レイル、解除してください。予測より上昇が速いです」

「あと一歩外れれば――」

「その一歩を待つ間に、アルドの脚が損傷します!」


 アルドは倒れなかった。【完遂(コンプ)】が身体を前へ運ぼうとし、剣を振り始める。右足だけが終われず、肩と腰がねじれた。


「そんなもので止めたつもりか……!」

「少しだけだ」

「なら、俺は振りきる!」


 細身剣が動く。足が残ったまま、腕と腰だけで軌道を完遂(コンプ)しようとする。剣筋はレイルの肩から外れている。それでもアルドは止めない。


「〇・四秒!」


 リィナの声が、防護壁(ぼうごへき)の内側から飛んだ。


「レイル、返して! それ以上やったらアルドの脚が壊れちゃうよ!」


 勝敗線まで、レイルはあと二歩。アルドの剣は一歩分届かない。

 保持を続ければ、判定上は確実に勝てる。


 四年前、レイルはアルドに、臆病な戦いだと言われた。

 迷宮で共闘しても、結着塔で背を預けても、アルドの問いは終わらなかった。

 自分の退路を数える戦いが、正面から進む剣へ通じるのか。ここで勝てば答えになる。


 右脚の震えが増した。


 アルドが歯を食いしばる音が聞こえる。


 レイルは、自分の右手を握った。


「〇・五秒。中止条件へ――」

「返す!」


 【未完(ノット・コンプ)】を解除する。


 奪っていた最後の離地が、一気にアルドへ戻った。


 爪先が石床を蹴り切る。押し込められていた力が解放され、アルドの身体が前へ飛び出した。剣も同時に振り抜かれる。


 だが、レイルはもう正面にいなかった。


 完成権(かんせいけん)を返した瞬間、朝練で叩き込まれた横歩きへ移っていた。左足を軸に身体を外へ開き、アルドの剣が通る線から一歩だけ消える。


 剣先が空気を切り裂く。

 アルドは白い勝敗線を踏み越え、無人の空間へ剣を思い切り振り切った。


 背後へ回ったレイルが、短杖の先をアルドの背中へ触れさせる。

 赤い光が上がり、終了の鐘が鳴った。


有効打(ゆうこうだ)。勝者、レイル・アルヴァート!」


 ヘルマンの宣言が演武場へ響いた。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 アルドはすぐに剣を下ろさなかった。


 振り抜いた姿勢のまま、右脚へ体重を戻そうとする。膝がわずかに崩れ、片手を石床へついた。


 リィナが救護線から飛び出しかけ、ヘルマンに腕で止められる。


「判定後の確認が先だ。治療師、待機」

「脚、震えてる!」

「見えている。だが、決闘契約(けっとうけいやく)が閉じていない」


 レイルは短杖を下げた。


 アルドが振り返る。顔には痛みより、納得できない怒りがあった。


「罠で勝ったな。地面をずらし、最後には俺の足まで止めた」

「【硬土(ハード・ソイル)】は罠に近い。でも、最後の一件は足を固定したわけじゃない」

「進めなかった。それで十分だ」

「離地の最後を〇・五秒だけ保留した。踏み込む力も、剣を振る意思も残っていた。だから圧力が脚へ集まった」

「結果として、俺が動けない間に背後へ回った」

「それは否定しない。勝つために使った」

「なら、罠だと認めろ」

「罠だった。ただし、アルドが壊れるまで閉じ込める罠にはしなかった」

「情けをかけたと言いたいのか」

「違う。壊して勝つところまで行けば、俺が受け取りたかった勝利じゃなくなる」


 アルドの目が鋭くなる。


「何が違う」

「背後へ回ったのは、完成権(かんせいけん)を返した後だ。止めていた〇・五秒の間には動いていない。剣が届く前に外れた、その一歩が勝因だ」

「言い逃れか」

「保持を続ければ、アルドの脚が壊れて倒れた。俺はそれで勝つのをやめた」

「俺が耐えられなかったと?」

「耐えたから危なかった。アルドの【完遂(コンプ)】が踏み込みを続けさせて、筋肉と腱へ圧力が集まった」

「なら、最後まで保持すれば確実だった」

「ああ」


 レイルは否定しなかった。


「勝ちたかった。だから〇・一秒、返すのが遅れた」


 防護壁(ぼうごへき)の内側で、リィナの表情が変わった。


 アルドは沈黙する。


 ヘルマンが二人の間へ入った。


「判定は出た。だが、決闘はまだ閉じていない。勝った側も、負けた側も、結果と自分の責任を言葉にしろ」

「勝敗を受け取れば終わりですか」

「受け取らなければ、同じ問いを別の場所へ持ち出す。学院の外で、規則も治療師もない場所にな」

「……分かりました」


 レイルはアルドを見る。


「俺は勝利を受け取る。【硬土(ハード・ソイル)】で軸をずらし、最後の踏み込みを〇・五秒だけ留保し、返した後に攻撃線(こうげきせん)から外れた。背への有効打(ゆうこうだ)で勝った」

「続けろ」

「許可されたのは行為の終端だけだった。身体そのものへ触れたつもりはない。でも、行為を止めれば身体へ負荷が返る。その予測が足りなかった責任は俺にある。次から通常訓練には使わない」


 フィアの記録板(きろくばん)へ文字が刻まれる。


 次はアルドだった。


 右脚をかばいながら立ち上がる。治療師が止めようとしたが、アルドは首を振った。立つこと自体を【完遂(コンプ)】へ委ねた様子はない。痛みを確かめ、自分の力で姿勢を作る。


「俺はこの敗北を受け取る」


 声は低かった。


「俺の突撃は完遂(コンプ)した。最後の一歩も、剣撃も終えた。命中しなかった。お前が返した後の一歩へ、俺の剣は届かなかった」

「アルド」

「ただし、次も同じ結果になるとは思っていない」

「それは俺も同じだ」

「ならいい」


 アルドは剣を鞘へ戻した。


 決闘申請書(けっとうしんせいしょ)から伸びていた細い光が、二人の間で閉じる。


 フィアが新しい項目を記録板(きろくばん)へ追加した。


結着受諾(けっちゃくじゅだく)

【勝者:結果および危険行為責任を受諾】

【敗者:敗北および攻撃不成立を受諾】

決闘契約(けっとうけいやく):閉鎖】


「仮項目です」

「何が仮なんだ」

「勝敗だけではなく、当事者が結果を受け取ったことを記録する名称です。適切な正式語が存在するか、記録法制科(きろくほうせいか)へ照会します」

「今作ったのか」

「必要になったため追加しました」

「フィアはそういうところ、レイルと似てるよね」


 ようやく入ってきたリィナが言った。


「どこがですか」

「必要になったら欄を増やすところ」

「俺は欄が足りないと言っただけだ」

「ほら、似てるじゃんか」


 セレネも治療師と一緒に近づく。観測環(かんそくかん)は既に消していたが、顔色は白い。


「アルドの右膝は炎症。レイルの右目にも熱反応があります。二人とも治療棟へ移動して適切な治療を受けてください」

「俺より先にアルドを運んでくれ。脚へ負荷が残っている」

「ダメです。二人とも一緒に。アルドを先に診た結果、あなたの熱反応が悪化した場合、順番を決めた責任は誰が取るのですか」

「俺は歩ける。視界も欠けていないから」

「歩けることを、治療不要の根拠にしないでください。先ほどまで二人とも、自分は続行可能だと判断していました。その自己判断が信用できないから、私と治療師が来ています」

「俺にも言っているのか」

「二人へ言っています。アルドは膝が揺れても立てると言い、レイルは右目が熱を持っても考えられると言うでしょう。立てることも考えられることも、悪化しない証明にはなりません」

「……俺は、そこまで言っていない」

「言う前に止めました」

「俺は言うつもりだった」

「だから二人とも治療棟です!」


 リィナがレイルの袖をつかんだ。


「行くよ。今度は勝手に後ろへ残らないで」

「引かなくても歩ける。セレネの説明も理解した」

「分かってる。でも、理解した顔でまたアルドの脚を見に行きそうだから引いてるの」

「状態を確認したいだけだ」

「今は治療師に任せて。……それに、手を離したら、さっきの〇・一秒を思い出してまた怒りそう」

「もう怒っているだろ」

「怒ってる。だから、今は手を離したくないの」


 言われた意味を考える前に、リィナは歩き始めた。


 反対側では、アルドが治療師の肩を断ろうとして、膝が揺れた。レイルがそちらを見る。


「やめろ。貴様、俺を見るな」

「倒れそうだ」

「倒れない」

「今の決闘で、その言葉の信用は下がった」

「お前に言われたくない!」


 アルドの声が演武場へ響き、観客席から今度こそ大きな笑いが起きた。

【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 アルドの突撃全体ではなく右足離地の最後だけを〇・五秒留保し、脚を壊す前に完成権(かんせいけん)を返して勝利した少年。


・アルド・クロイツ

 踏み込みも剣撃も最後まで完遂(コンプ)したうえで、命中しなかった事実と決闘の敗北を自分の言葉で受け取った騎士科生。


・リィナ・アルセイル

 勝敗より先にアルドの脚の危険を見抜き、レイルへ完成権(かんせいけん)を返すよう叫んだ幼なじみの剣士。


・セレネ・グランツ

 膝と腱の負荷上昇を観測し、レイルの判断が遅れた瞬間に解除を要求した術式解析役。


・フィア・レコード

 〇・一秒単位で身体負荷を記録し、勝敗と責任受諾をまとめる仮項目【結着受諾(けっちゃくじゅだく)】を追加した記録科生。


・ヘルマン教官

 有効打(ゆうこうだ)だけで決闘を閉じず、両者へ勝利、敗北、危険行為の責任を言葉にさせた審判。


・ニア

 他者の身体行為(しんたいこうい)への初めての意識的完成留保いしきてきかんせいりゅうほと、急上昇する筋負荷を警告した案内人格。


【今回の能力・設定メモ】


・レイルは他者の単純な身体行為(しんたいこうい)へ、初めて意識的に【未完(ノット・コンプ)】を使用しました。

・対象は突撃全体ではなく、右足離地の最終成立だけです。

・保持時間は〇・五秒。筋肉、腱、膝へ危険な完成圧力(かんせいあつりょく)が蓄積したため、安定習得とは扱いません。


【次回】


 勝敗を受け取った二人は、治療費、補償、未知の能力を選んだ責任まで話し合います。


 〇・五秒の判断が勝敗と脚の無事を分けました。レビュー、ブックマーク、フォローも、押していただいた一件を大切に受け取ります。

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